侍・CHOP SHOP ブログ

夫 タメの話を綴ったブログです。

1968年 ホープスター その1 HOPE STAR -日本初の軽四輪四輪駆動車-

2008年04月06日 | 懐かしの車たち
 あの時あゝしていれば(又はしていなければ)良かったと思う事は誰しも有ると思います。その日夫は友人とプールへ行く予定でしたが、その時夢中になっていたモトクロスでもっと速く走りたかった夫はプールへの誘いは断り、一人利根川へ練習に行きました。

 その日 - 1967年夏 - 20才だった夫はモトクロスの練習中、右足切断寸前の大ケガをしました。救急車で搬送される途中、開かずの踏み切りに足留めを食らったらしく、「カーンカーンカーン」という遮断機の音の中、救急隊員の「死んじゃうんじゃねぇか」と言う声が聞こえたそうです。

 当時の医療では夫の足は切断されるはずでした。が、家族の尽力で東大の教授に診てもらえる事になり、当時開発中の骨髄の中に薬を通す治療法を試す為、台東区の三井厚生病院へ10ヶ月に渡り入院することになりました。

 新い治療法もなかなか効かず、やはり足の切断をと医師から言われた夫は
「足を切ったらオートバイに乗れないではないか!オートバイに乗れないなら生きていたくない、足を切るなら屋上から飛び降りる!」とモトクロスをやり続けたい夫は頑に拒み続けました。

(写真は1966年、横田基地です。走っているのはダンナ。)


 5~6年前、富士スピードウェイでモトクロスのレースを見た事が有ります。その時夫は「かわいそうだなぁ」とつぶやくので聞くと、今のモトクロスのレーサーは初めから出来上がった、メーカーのあてがいぶちで個人の工夫の余地が無いからね。と。

 当時のモトクロスは市販車を自分でチューニングしてやるから面白くない訳がない、CLだろうがトライアンフだろうが(横田基地でG3Cマチレスのトライアル車が出たのを見た事も有るそうです。)自分で改造してガタボコ道を全開で走る・・・そうで、フロントフォークはスズキが強いと聞けばスズキのフォークを何がなんでもつけたり、エンジンのチューンも思いつく限りの改造を施してレースに臨むのです。

 地方の新聞社主催のモトクロスのレースでさえも観衆が3万人といいますから、レースに求める時代の熱気が感じられます。

 入院中、一度もベッドから降りられないので、悶々とオートバイや車の本を読み(サマーセット・モーム、アガサ・クリスティ等の小説も半ぱじゃなく読んだそうですが)、少しでも体が動かせるようになると病室にエンジンを持ち込み修理をしていました。当然看護婦さん、特に婦長さんには嫌がられたそうです。

 今は男の長髪は珍しくも何ともないですし夫も私より長髪ですが、その当時はマッシュルームカット位でも長髪の時代でした。髪を伸ばし放題にしていた為、婦長さんに再三「髪を切れ」と言われていましたが、「傷が治るなら切りますが、散髪と足の治療とは何の関係もないでしょう。」と言い返すと婦長さんは激怒したそうです。

 また、母親に浅草の漢方薬屋で漢方薬を買ってきてもらい、病室で電気コンロで煮て煎じて飲んでいました。婦長さんに「病室でやるな」と怒鳴られると「傷が改善するなら止めますよ。しかし全く直りませんからねぇ。溺れる者は藁をも掴むと云うじゃないですか」と言い返すなど婦長さんの怒りに油を注ぐ事ばかりしていたそうです。

 健康第一の自営業ですから今は野菜を沢山取るよう心がけていますが、入院時は入院食を取らず、兄キに鶏肉の唐揚げなどの肉類を買ってきてもらい食べていたそうで、医師に野菜も取らないとダメだと言われると、「お言葉ですが先生、するってぇと野菜を喰わぬライオンやトラは死んでしまう事になりますが。」と切り返しあきれられたそうです。


 医師もサジを投げたのか、10ヶ月後もう家に帰れとばかりに病院を追い出されました。外して良いとの許可も得ず、太ももからつま先までビッシリとおおわれたコルセットはすぐぶった切り、支柱のアルミはオートバイの改造に使いました。マッサージ師も自宅に派遣されたそうですが、あまり効果は有りませんでした。

 通院の際は松葉杖を使うべきなのですが、"面倒くさい"ため院内をピョンピョン跳ねて医師をたずねました。つきそいの者がいないのを不審に思った医師が「ところで君、どうやって来たの?」と聞くので「車です。」と答えると真っ赤な顔で「バカモ~ン!誰が運転していいと言った!」と激昂されたとのことです。

 入院中読んだ「ドライバー」誌に軽四輪初の四輪駆動の紹介されていたのを見て夫は「オレが望んでいたのはこれだ!」と思ったのが、ホープスターON型 - 日本初の軽四輪四輪駆動車(Jeep) - でした。当時オートバイのレースはざくざくの河原や富士スピードウェイで行われていたので、足が悪くてもジープだとどこへでも行ける!と退院後の1968年の秋、お祖母さんに買ってもらいました。



 足が付いているのが不思議な事故後でしたから「足は動かすな」と厳命されていたのですが、そんな事をしていたらいつまで経ってもオートバイに乗れない、車好きには車好きのリハビリだ!と車はホープスター、オートバイは左キックのNSUのサイドカーに乗り、無理に足を動かして懸命のリハビリを続けました。オートバイへの執念のためか、40年以上経った今も夫の足は無事に付いています。


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