映画「ブエナビスタ ソシアル クラブ」での印象的な曲が「Chan Chan」なので、歌詞の意味が知りたくなってネット検索したらおおよその意味があった。そこで、それを元にして中南米通の小林さん監修で意味を取ってみた。直接的な意味は下記の通りで、これは間違いない。
De Alto Cedro アルト・セドロから
voy para Macané 俺はマカネへ行き
Llego al Puerto クエトに着いて
voy para Mayarí 俺はマヤリーに向かう
(※三回繰り返し)
El cariño que te tengo きみへの恋心を
Yo no lo puedo negar 俺は 否定できない
Se me sale la babita 俺はどこでも よだれが垂れるのを
Yo no lo puedo evitar 俺は どうにもできない
Cuando Juanica y Chan Chan ファニカとチャンチャンが
En el mar cernían arena 浜辺で砂をふるいにかけてたら
Como sacudía el 'jibe' 彼女が「ふるい」を揺らすので
A Chan Chan le daba pena チャンチャンはいたく恥ずかしくなった
Limpia el camino de pajas 路上の麦わらを片付けてくれ
Que yo me quiero sentar 俺は腰掛けたいから
En aquel tronco que veo 見えているその木の幹のところに
Y así no puedo llegar だから俺はそこにたどり着けないんだ
De Alto Cedro アルト・セドロから
voy para Macané 俺はマカネへ行き
Llego al Puerto クエトに着いて
voy para Mayarí 俺はマヤリーに向かう
(※三回繰り返し)
つまりチャンチャンと言うのは人名で、小さな男の子と分かる。面白いのは、スペイン語の特質として掛詞を使う例が多いので、この場合もそのつもりで勘ぐってみる。
ファニカと言うのは小さいと言う意味を含んでいて、ごく小さな女の子というのが分かる。jibe(ひべ)というのは揮いと言う意味の他に「海綿」と言う意味もある。また、tronco というのは「胴体」という意味もあるので、木の幹→人の体。海綿→海綿体→ちんちんとなる。それで訳すと、
浜辺で砂をふるっていたら、小さなファニカちゃんがチャンチャン君のチンチンをぶらぶらゆするのでチャンチャンは痛くて恥ずかしくなった。
道の上にある麦わらみたいに(陰毛が)邪魔なんで、オレはその体に股を当てたいのにそこまで届かないんだ。
という裏の意味がある。チャンチャンが今でもファニカを探し続けているかどうかは分からないが、好きな女、もしくは理想的な恋愛を探してさすらっているのだということが分かる。
それで、この歌はエロティックな連想をともなってはいるが、ボードレールの箴言に「我々は排泄器を使わないと恋愛ができない。」とあるのと同様、それだけ切実な思いが感じられるのだ。
あと、さすらっている地名に何らかの意味があるかも知れないがそこまでは分からない。キューバ人の物知りに聞かないと分からないだろう。
(ここもダジャレなし。)
De Alto Cedro アルト・セドロから
voy para Macané 俺はマカネへ行き
Llego al Puerto クエトに着いて
voy para Mayarí 俺はマヤリーに向かう
(※三回繰り返し)
El cariño que te tengo きみへの恋心を
Yo no lo puedo negar 俺は 否定できない
Se me sale la babita 俺はどこでも よだれが垂れるのを
Yo no lo puedo evitar 俺は どうにもできない
Cuando Juanica y Chan Chan ファニカとチャンチャンが
En el mar cernían arena 浜辺で砂をふるいにかけてたら
Como sacudía el 'jibe' 彼女が「ふるい」を揺らすので
A Chan Chan le daba pena チャンチャンはいたく恥ずかしくなった
Limpia el camino de pajas 路上の麦わらを片付けてくれ
Que yo me quiero sentar 俺は腰掛けたいから
En aquel tronco que veo 見えているその木の幹のところに
Y así no puedo llegar だから俺はそこにたどり着けないんだ
De Alto Cedro アルト・セドロから
voy para Macané 俺はマカネへ行き
Llego al Puerto クエトに着いて
voy para Mayarí 俺はマヤリーに向かう
(※三回繰り返し)
つまりチャンチャンと言うのは人名で、小さな男の子と分かる。面白いのは、スペイン語の特質として掛詞を使う例が多いので、この場合もそのつもりで勘ぐってみる。
ファニカと言うのは小さいと言う意味を含んでいて、ごく小さな女の子というのが分かる。jibe(ひべ)というのは揮いと言う意味の他に「海綿」と言う意味もある。また、tronco というのは「胴体」という意味もあるので、木の幹→人の体。海綿→海綿体→ちんちんとなる。それで訳すと、
浜辺で砂をふるっていたら、小さなファニカちゃんがチャンチャン君のチンチンをぶらぶらゆするのでチャンチャンは痛くて恥ずかしくなった。
道の上にある麦わらみたいに(陰毛が)邪魔なんで、オレはその体に股を当てたいのにそこまで届かないんだ。
という裏の意味がある。チャンチャンが今でもファニカを探し続けているかどうかは分からないが、好きな女、もしくは理想的な恋愛を探してさすらっているのだということが分かる。
それで、この歌はエロティックな連想をともなってはいるが、ボードレールの箴言に「我々は排泄器を使わないと恋愛ができない。」とあるのと同様、それだけ切実な思いが感じられるのだ。
あと、さすらっている地名に何らかの意味があるかも知れないがそこまでは分からない。キューバ人の物知りに聞かないと分からないだろう。
(ここもダジャレなし。)