晴男の本音(旧晴男の日記)

他では語ることのできない、心のうちを
ここに書き連ねますわ。
2007年2月7日より

日本代表 課題

2006-05-31 11:12:05 | Weblog
いつもどおり試合は見ていない。
理由は、「そんな朝早い時間に起きられるわけが無い」から。

結果は朝のニュースで簡単に見た。

結果は引き分け。
内容は、2点を先制して、追いつかれる展開。

だれもが思うのは、逃げ切って欲しかったということだろう。


02年の日本大会の時から思っていた事だが、あのときの敗れた原因も、今朝の追いつかれて勝ちきれなかった原因も全く同じだ。

セットプレーのディフェンスが出来ていない。

身体的なことを問題視する方も多いが、それでは短絡的過ぎる。

DFの経験があればわかるのだろうが、シュートする人間が、シュートを打つポイントに移動するまで、いろんな動きをする。
場所を移動するのだ。
FKを蹴ったときに、場所を動かずにシュートを打つことはほとんど無い。

相手の選手に対して、身体的に劣っている場合、相手選手の動きを封じることが
守備の鉄則。
最近の日本代表は、これが上手く機能していないように思う。

セットプレーの練習で攻撃的な部分は、相当量の練習をしているはずだ。
今朝の試合こそ、流れの中から2点を取ったが、これまでの日本の攻撃といえば、
セットプレーの一点を重要視していた。
技術的な問題から、流れの中から点を奪うことが困難であったため。

ところが、このセットプレーの練習が、返って裏目になっている。
攻めることばかりに捕らわれすぎていたため、守ることへの注意が行き届いていなかった。
もっともDFの3人は、この問題を十分に理解していて、それなりの対策を打っているのもまた事実なのだが、いかんせんセットプレー時の、しかもゴール付近でのFKともなれば、DFだけに守備をさせておくことも出来ない。
FW以外の全員が守備をする必要がある。

そこで、宮本選手が守備の為の指示を、DF以外の選手に対して行う。
が、しかし、そもそも問題の認識が違う為、宮本選手が出した指示を、他の選手は理解できない。
その結果、思うような防御ができず、失点に至ってしまう。

これが今大会の日本代表における最大の課題だ。

開幕まであとわずか。
どこまで修正できるのか分らないが、これが修正できれば、予選突破は出来るはずだし、ベスト8くらいまではいけると思う。

代表のみなさん、がんばって下さい。(もちろん選手以外も含めてですよ)


ブラックバス問題

2006-05-25 13:21:07 | Weblog
いずれは書こうと思っていた。

5月18日 共同通信の記事で、全国の市民団体や研究家で作られている、
「全国ブラックバス防除市民ネットワーク」が、ブラックバスの駆除活動や密放流防止の
キャンペーンを行うと云う。

そもそもなぜブラックバスが駆除されなければならないのか?

ブラックバスという魚は、雑食性の魚で、水生昆虫から小魚、果ては水辺にいる小動物まで捕食するという。

そして、ブラックバスはもともと日本で生息している魚ではない。
北米を主な生息域としている魚である。
では、なぜ北米の魚が日本にいるのか?

太平洋の大海原を泳いで到来したのであれば、それはそれでとても興味深いのだが、実際にはありえない。
ブラックバスは淡水魚であり、海水では生息する事が出来ない。
ブラックバスが日本へ来たのは、1925年に実業家 赤星鉄馬氏がアメリカのオレゴン州から移入して
箱根の芦ノ湖に放流したのが最初とされる。
これは食用、釣り対象魚として養殖の容易な魚であることから政府の許可の下に行われた試みであった。
(wikipediaより抜粋)

そう、人の手によって輸入された魚なのだ。

ブラックバスが芦ノ湖だけではなく、いつしか全国に分布するようになった。
そして、分布の拡大に伴って、古来から日本に生息する魚が少なくなるという現象が起こり始めた。
在来種の絶滅危惧である。

小さいところではメダカに始まり、タナゴやクチボソ、フナや鯉など多くの在来種が少なくなってきた。
そして、ブラックバスの分布の広がりと、その雑食性に目を向けて、在来種が少なくなり、
絶滅の危機に瀕しているのは、ブラックバスの増殖が原因であるという風潮が湧き起こった。

このような流れの元で現在のさまざまな活動があるのだと思う。


しかし、ブラックバスの増殖が、在来種を絶滅の危機に追いやっているということについては、些か疑問を感じずにはいられない。
池や川に放たれたブラックバスが、そこに生息している小魚を食べつくすことがあるのだろうか?
確かに雑食だが、もともといた小魚たちだって、簡単に捕食されるようなドンくさい魚ではない。
それなりに外敵から身を守り、種の繁栄を築いてきた。
水の外には鳥がいて、水の中にはナマズなどの小魚を主食とする魚も当然にいる。

そんな在来種たちが簡単に餌にされることも無いだろう。

問題は、在来種がブラックバスという敵から、逃れる場所がなくなったこと。
そして、そこは在来種たちの産卵床であり、生活の場所でもあった。
この在来種の生活の場所が奪われてしまったことが、在来種を絶滅の危機に追いやった最大の原因。
ただ、ブラックバスの雑食性が加わることにより、加速度的に絶滅危機に瀕する結果となっているのは云うまでもない。

昨今の話題を耳にしてみると、いずれかを主たる原因として、問題解決を図ろうとしているきらいがある。
だが、ある面だけを対策しても、恒久的な対策にはならない。ことはそんなに単純なものではない。さまざまな要因が複雑に絡み合っている。
これを丹念にひとつずつ解きほぐさなければ問題解決には至らないだろう。そして、あまりにも悠長に事を構えていると、残念だが、在来種は絶滅する。

そこで、まず最初にやるべきなのはなにか?

現在起こっている現象の中で一番悪質な行為は、やはり密放流だろう。
実行する人間が、ただの釣り好きの人なのか、ブラックバス釣りの道具を取扱っている釣具店なのか、はたまた釣具のメーカーなのか、実際のところは不明だが、少なくとも、なにかしらの利害がなければ、リスクを犯してまで密放流などをすることはないだろう。
この密放流の実態を、たまたま目撃した方の情報によれば、ブラックバスの稚魚を大量に放流するそうだ。
稚魚を大量に放流するということは、どこかでその稚魚を育成しているところがあるのだろう。
犯人探しをする気はないが、稚魚を大量に育成するという行為は、無料では出来ないだろう。だとするとブラックバス釣りが継続して行われることで、利益を受ける人間が関与している可能性は大きい。

いずれにしても、まずは、密放流に対する取締りの強化が必要であろう。
そして、それなりの組織的背景を持った人達で取り締まらない限り、効果は見込めない。
ただ、漁業組合などが先頭に立ち、あとは有志ということになるのだろうが、実際問題として、人数的な解決が出来ない。
ここはひとつ行政と連携して、ある種の補助のようなことをしてもらってはどうだろうか?場合によっては、ニート対策の一助となるかもしれない。

そして次に行うべきは、在来種の生息域(産卵床などを含む)を復活させることである。
これは、これまで、治水対策という名目で、ジャブジャブ流れた税金の使い道を全否定する行為。護岸工事などで川や沼などの水辺が、コンクリートジャングルのようになり、水道管やバケツのような構造になってしまっていること。

このため、本来は水際の土に根付いて生息するべき草花が育たなくなり、このような浅瀬を、もう一度取り戻さなければならない。
ただし、治水対策をないがしろにしろということではなく、治水対策とのバランスをとりながら、よりよい水辺の環境を構築するべきなのだと思う。
結果、身近な場所に自然環境を取り戻すことが出来、大自然という枠組みの中の、本当の生活環境が甦ることにも繋がるのだと思う。
これが実現できたなら、自殺者が減ることに繋がるかも知れない。
人間にとって、いやむしろ動物にとって、自然は母なるものだろうから。

さらに、これらのことを実施したうえで、魚の外来種の住み分けを行うことも必要なのだと思う。
釣りのための池なんてそんなに無数にある必要なんて無いと思うし、人のいない場所でなければ魚が釣れないというのは、腕がよろしくないだけで、環境の責任にすることは出来ない。
釣れない方は、もっと研究して下さい。

以上、簡単にブラックバス問題について書き出してみた。まだまだ足りない部分も多い。
しかし、適切な情報を精査しているわけでないので、いい加減なこともかけない。
ただブラックバスの問題とこの国の外交の問題とが、微妙に重なってしまうのは、気のせいだろうか。



いずれにしろ、これは、日本の釣り近代化に対して多大な功績を残されてきた、故西山徹氏が生前とても真摯に取り組まれていたことなので、是非とも、氏の志に配慮して頂き、人間の都合だけではなく、自然界全体を捉えた上での、よりよい環境作りを実現していただきたいと思う。

人魚

2006-05-23 23:56:27 | Weblog
ジュゴンでもなければ、おとぎ話の人魚でもない、ましてやディズニーのアリエルでもない。

そう、1994年3月に発売されたNOKKOのシングル。
「人魚」

これを安室さんが、カバーして、新たに発売された。

FMから時々流れてくる。
安室さんの歌う人魚を聞くたびに、NOKKOの人魚を聞きたくなる。

これは安室さんの歌う人魚が、下手とか、そういう類のものではない。


NOKKOの歌が上手すぎるのだ。

曲にのせた歌詞が、心の底に響く。
歌い手の感情が、ダイレクトに伝わってくる。

歌詞の「本気で……」という部分に、その感情がとても上手に表現されているし、
全体を通して聴いても、感情の抑揚が素直に表現されている。

だから、「いとおしさ」とか「せつなさ」という気持ちが、とてもよくわかり、その感情に魅了される。

おそらくNOKKOという人は、芸術家なのだろう。
芸術とは、自分の感情を間接的に表現することだと思う。
わたしは、NOKKOの芸術に心を奪われているのだろう。

願わくば、これを期に、色々なところで、NOKKOの「人魚」が流れてくれれば何もいうことはない。

そして、その類稀なる感性が私を癒してくれる。

ブログの盗作

2006-05-23 21:51:31 | Weblog
他人のブログを盗作する不届きな輩がいるらしい。
しかも、盗作がばれたとともに記事を削除したそうだ。

人様の者を盗んでおいて、ばれたら盗品を捨てる。

盗人猛々しいにもほどがある。

いったいどんな奴だ。この国の人間として最も恥ずかしい行為を平然としてしまうとは。


と、思っていたら、なんとこの不届き千万な行為の当人は国会議員だという。

てっきり子供国会の国会議員かと思ったら、とんでもない、永田町の国会議員だというではないか。

なんでそんな奴が、百年の計を練る場所に居るんだ?
百年どころかその日の生活さえもままならないんじゃないか?

そもそも何でそんな奴が国会議員などという名誉職に就けるんだ。

おかしいだろ!!!

それもこれも、いまの選挙制度が変なのだよ。

小選挙区制度だかなんだか知らないが、投票した党から立候補しているから当選しましたって、
国民を馬鹿にしている。

一体全体どうなっちまったんだよ日本。
しっかりしようぜ!みんな!

美しきひと

2006-05-23 00:01:07 | Weblog
その艶やかで光り輝くような黒い髪。

肩まで伸びたまっすぐな美しい黒い髪。

ふとしたときに爽やかな香りが漂う。

まるで洗いざらしのように潤って、時折そこから芳しきにほいが放たれ、辺りを包みこむ。

疲れ果てた心を、優しく癒してくれるように。

髪をいたわる心が、容姿だけでなく、そのこころねの美しさをも醸しだす。

月曜日…

2006-05-22 12:18:34 | Weblog
だぁありぃ…

月曜の午前中は何もやる気がおきん。
ま、午後も同じようなもんだけど。

難しいことを考えるのが、非常に面倒くさい。

こんなときは、新聞を読むか、どこか活字の溢れたサイトを見ているに限る

だから、ブログの更新も、じつは厄介だったりする。

五月晴れ

2006-05-20 15:10:13 | Weblog
山に新緑があふれ、野には草花が我こそはと云わんばかりに艶やかに慎ましく色をつけて咲き誇り、
風は柔らかく優しく頬に触れるようにそよぐ。

夏のように暑いだけではなく、冬のように寒いだけではない。

移り往く季節の途中。

自然はとても繊細な表情を、われわれに垣間見せる。
それを感じ取ると、不思議な事に、心が落ち着く。
普段の社会生活の中で強要される抑圧から解放される感覚だ。

とても心地よい。

これほどまでに自然と云うものが人間に与える影響を考えさせられることはない。
と同時に、自然に感謝する。

やはり人間も動物なのだ。

そしてこれほど繊細な季節をもっている日本という国が、そしてそんな国に生まれ、世界に類を見ない自然の美しさが用意された環境の中で、自分の感性が磨かれながら生きている事に感極まる。

やはり親に感謝するべきで、それははるか昔の先祖にまでも及ぶ。

自分はそんな人知を超えた、歴史の中で、ほんの一瞬を任されているに過ぎない。
しかし、そんな一瞬でも、途切れれば、そこで全てが終わってしまう。

自分が此れを終わらせるわけにはいかない。

守り続けなければならない。

いまここに自分の存在があるということは、数え切れないほどの祖先がいるからであり、祖先から託されて自分がここにいる。

自分も子孫に託すであろう。
だからこそ、今守らなければならない。

この美しい自然がもたらす、この国、最大の財産を。

日本人とユダヤ人の不思議な関係

2006-05-19 10:25:05 | Weblog



…んなものはない。

いろんな憶測がささやかれることが多いが、それら全てが立証されない以上、肯定することはできない。

むしろ怖いのは、刷込み洗脳教育。

いろんな説を刷込むことによって、現実化したときの、精神的な衝撃を和らげる効果がある。
支配する側の王道、常套手段である。

むしろ、現実化させないための防衛線を、しっかりとすることのほうが重要であり、そうしなければならない。


…と各種陰謀説に乗っかって、書いてみた。