goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

OOPARTS Vol.2 SHIP IN A BOTTLE (東京公演) ネタバレあり

2014年11月03日 | 舞台

連休最終日は名古屋から帰京し、東京グローブ座での『SHIP IN A BOTTLE』を観てきました。




≪公式サイト≫

http://ooparts-hokkaido.net/


≪キャスト≫ 敬称略
大内厚雄(キャラメルボックス)
三津谷亮(D-BOYS)
諏訪雅(ヨーロッパ企画)
石田剛太(ヨーロッパ企画)
納谷真大(イレブンナイン)
藤村忠寿(北海道テレビ)
熊川ふみ(範宙遊泳)
鈴井貴之


≪上演時間≫
95分(休憩なし)





登場人物は7(8)名。名前がまともにある(劇中で紹介される)のは4名。←パンフ情報除外。


タマガキ船長(藤村忠寿):マグロ漁船の船長。高波にさらわれた→救助されるも死亡した(海に投棄)と思われていたが、実は生きている。
ビン(鈴井貴之):マグロ漁船の機関士。南太平洋の島国出身で日本に出稼ぎに来たが、工場の事故で左手を失う。日本語は片言しか話せない。
イザナミ(納谷真大):受刑者。元国家公務員。船に弱く常に船酔いして嘔吐している。実はある任務を帯びて乗船していると後に判明。
トリイ(三津谷亮):受刑者。元コンビニ店員。売上金横領と店内募金箱の金を窃盗した疑いで逮捕され刑務船送りになる。
男A(大内厚雄):受刑者。元サラリーマンで新婚。とある経緯で公共の場で全裸になり逮捕され刑務船送りになる。
男B(諏訪雅):受刑者。職業不明。アキバ系。特殊な性癖を持っていて女性下着泥棒を重ね、刑務船送りになる。
女C(ダブル:石田剛太/熊川ふみ):受刑者。元ホステス・売春婦でロシアにまで渡って男を食い物にしてきたと嘯く。

他にもちょこっと出てくる役で二役とか、あります。





≪舞台あらすじ≫ 注:11/4加筆・ネタバレ
何時かは明確ではないが、おそらく近未来の日本。犯罪が多発し刑務所の受刑者収容能力も刑務官の数も圧倒的に不足する時代となり、政府は法律を改正し、受刑者たちを(同じく労働力の不足している)遠洋漁業に従事させることによって、それぞれの刑期が終わるまで海上刑務所としての漁船に隔離・収容する政策を進めていた。

舞台となる古びたマグロ漁船に乗り合わせた受刑者は5名。南太平洋のどこかの海上で、お互い口も利かず、船長の監視下で働いては寝るだけの日々を送っている。ある時、大嵐に襲われ船長が波にさらわれる。一度は海から助け上げられたが、死んだと思われ、受刑者たちは「死体」を再び海に放りだす。船を動かせるのは機関士のビンだけだが、受刑者たちとは日本語で十分なコミュニケーションを取ることができない。不安に襲われた受刑者たちは「信頼し協力し合って助かる道を探るべきだ」という男Aの言葉をもっともだと思いつつも、犯罪者である互いの不信感と猜疑心から、いっこうに協力し合おうとはしない。「お互いが何者か知るべきだ」と女Cがまず自分の過去と犯罪について語るが、その壮絶な内容に男たちは皆震えあがり、話を続けることを躊躇する。そこへ荒波が押し寄せ、今度はビンが波に呑まれる。

船の操縦方法を知らない人間ばかりが残り、受刑者たちは狂乱状態になる。そこへトリイが船の金庫から拳銃を持ち出して、武力で他の受刑者たちを制圧しようとする。しかし荒波に翻弄される甲板で、拳銃は嘲笑うように受刑者の手から手へと渡り、それぞれが限界の狂気と微かな良識で「生き残る道」を探ろうとする。しかし、嵐によって老朽船の底に穴があき、浸水し始めた船で「救命ボートがない!」とイザナミが叫び、さらなるパニックが起きる。

ここで時はやや遡る。彼らのマグロ漁船が出港する前のこと、港では船長が乗船予定の受刑者たちを面接している。トリイはコンビニの店員だったが、売上金横領と店内募金箱の金を窃盗した疑いで逮捕され刑務船送りにされた…と語る。奇妙な薄ら笑いを浮かべながら、トリイは続ける。「どうせコンビニの募金箱なんかお釣りの余りの1円玉や10円玉で、客が『いらない』と思ったものだ。捨てられたも同然の硬貨たちを何故自分が自由にしてはいけないのか」と。

自分が間違っているのか、それとも世間が間違っているのかわからない…。

船長は「違うな、元々世の中はおかしいんだ。戦争反対を唱えた者が犯罪者になった時代も、人々がこぞって戦争反対を叫ぶ今の時代も、両方ともおかしいんだ」と諭す。トリイは一瞬黙るが「でも…オレはやってない!」と吐き捨てて船内へ入っていく。

受刑者たちの過去が、観客に向かっての独白として徐々に明かされていく。

ある雨の日、より良い生活を求めて街頭デモに参加した数百人の人々がいた。機動隊と衝突し、居合わせた外国人参加者(=ビン)が怪我をして倒れ「病院へ運べ」と誰か(=A)が主張するも、不法滞在を疑われる外国人はかたくなに拒否する。怪我の止血をしようと持ち合わせていた女性用下着を取り出した男(=B)は「下着泥棒だ」とされ、逮捕され窃盗罪により刑務船送りになる。診察費用を用立てようとデモ中に募金で得た金を使おうとする少年(=トリイ)は横領と窃盗の疑いをかけられ、身に覚えのない罪名で刑務船送りとなる。倒れた外国人の身元を保証するため「自分の夫だ」と偽装して病院に付き沿った女のデモ参加者(=C)は、それがもとで公文書偽造行使や旅券法違反などに問われ、逮捕され刑務船送りにされる。たまたま会社帰りに人だかりを見て興味をそそられただけの泥酔した国家公務員(=イザナミ)は騒ぎに巻き込まれ、勤務先の官庁で査問の末に左遷先として刑務船行きを告げられる。人ごみの中、泥酔者(=イザナミ)に突き当たった男(=A)は服に思いきりゲロを吐かれ、パニックに陥り汚れた着衣を全て脱ぎ捨てたものの、猥褻物陳列罪と軽犯罪法違反で検挙され、同じく刑務船送りになる。

マグロ漁船に乗り合わせた受刑者全員に、共通していたことがあった。

今の政策を批判する政治集会(街頭デモ)の参加者であったこと。
きっかけは、ある身元不明の外国人を救おうとしたこと。
ほとんどが罪とも呼べない微罪であったこと。
弁護士を呼ぶことを許されなかったこと。
あるいは冤罪・別件逮捕とも言うべき犯罪名が加わり、刑罰が与えられ、まともな裁判は行われなかったこと。
そして半ば意図的に「この船」に乗せられたこと。

「違う。オレはやっていない。私はそんなことしてない。何だって?・・・法律?ルール?!」

そこまで判明した時、死んだと思われていた船長が再び甲板に現れる。救命ボートはビンが持ち出し、それで漂流していたところを助けられたという。ビンとともに船底の穴を修繕したからもう大丈夫だ、日本に帰ろう、と宣言する船長に受刑者たちは歓喜するが、ビンの顔は浮かない。彼はこの船の船倉に積み込まれていた「物質」の正体を修繕時に見抜いてしまったのだ。それにまみれながら作業をした船長と自分の身体は長くは持たないだろう…と言うのだ。

船長も知らなかったその「物質」とは、有毒な産業廃棄物だった。それらは冤罪同然の受刑者たちごと「沈没」を装って投棄されることになり(当然船体の穴は航海中に衝撃で開くように細工されていた)、国家公務員イザナミはその廃棄を見届ける要員として受刑者を装い船に送り込まれていたのだった。しかし救命ボートを失くし脱出のすべを失くしたイザナミは「自分は国から捨て駒にされた」と嘆き、受刑者たちは真相を知り「自分たちは廃棄物同然に社会から捨てられた人間だった」と打ちのめされる。

ビンは故郷の島に近い海に有毒な産廃が投棄されると知り、それを阻止したかったと語る。家族の話、貧しさのため日本へ出稼ぎに来るようになった顛末や、ビン自身が工場の事故で腕を無くし、職を失った後は産廃処理場で働いていたことが独白で明かされる。日本人を恨む気はない、お金を稼げたし日本人はみんな親切だった、と言いながらも「産廃の海洋投棄だけは許せなかった」と。周囲の日本人たちは声もなく彼の話を聞いている。

不思議な偶然で繋がれたかに見えた受刑者たちは「どうしても生きて日本に帰りたい」と船長の指示に再び従い、エンジンも無線も機能しない船に急拵えでつぎはぎだらけの帆を張り、何とか推力を得る。それを横目にビンは手伝いもせずに甲板で座り込み「10人のインディアン」の歌を淡々と歌い続ける。絶望的な状況にも関わらず、受刑者たちは力いっぱいの声で歌う。そのうち「陸が見えるぞ!」と男Cが叫ぶ。全員は必至で叫び、手を振るが、ビンだけは「陸が見えたって遠いんだよ、あんなの、まだまだ遠いよ」と白けた表情で座ったままであった。

甲板に立ち尽くす彼らの迎える結末は明らかにされないまま、舞台は暗転する。





終演直後に思ったのが「好き嫌いも分かれるだろうけど、それ以上に『どこまで深読みするか』によっても感想が変わるだろうなぁ」ということです。私は『水どう』もNACSさんのお芝居も全く観ていない(※大泉さんの主演舞台は2本ほど観た)ので、劇中の小ネタは分からない所ばかりだったと思います。周囲がウケてるので、ああ、多分これ元ネタがあるんだろうな、という程度…観に来るお客さんが(アマチュアでもない限り)全員身内でもコアなファンでもないのは当たり前ですが、その中でも特筆してアウェイな客が私だったかもしれません。(苦笑)

斬新…というか、キャスト怪我するんじゃないか?と心配になってしまう舞台装置は必見。巨大なシーソー状の板組み12枚でできた「甲板」で舞台の前方半分を埋め、後方(奥)は八百屋舞台のように傾斜のついた「船の舳先」。ぎっこんばったん揺れる板の上で芝居をするキャストが足ひねったり手を挟むんじゃないかしら、などと心配になって、観る側も少々落ち着かないという…。Dの三津谷くんがキャスティングされた理由が分かった気が!(彼の特殊スペックを瞬時に思い出しました!)

内容は、蟹工船&バトルロワイヤル的なサバイバルバイオレンスかと予想して行ったら、合っているようで、そうでないようで(笑)正直、すぐには感想が浮かばないほど「微妙」でした。扱う内容や設定からして社会派とも言えるし、奇抜な舞台装置を利用したアクションの要素もあり、笑いを取る仕掛けもあります。シリアス&ナンセンス劇でもあり、社会批判もあり、ただのバカ騒ぎとも取れます。それこそ観る側の経験値や価値観、感性次第です。

登場人物の名前が「タマガキ」「イザナミ」「トリイ」など、神社や神道に関する名前が付けられています。産業廃棄物=産廃(サンパイ)も、劇中で「参拝」にかけていたり「(片手だから)日本の神様に祈れない」等ときわどいセリフも飛び出す。右■さんとか観たら大変じゃないかしら、と要らぬ心配…。

ただ、折々に笑いをぶち込んでくるのに、素直に私はそれに乗れない…「ここは演出と役者が笑いを取りに来てるけど、笑ったらいけない気がする」どこか「罠」を仕掛けられている感覚、むしろ「ここで笑う客の様子をさらに第三者が見て嗤っているような気がする」というゾワゾワとした落ち着かなさで、常に二割方醒めた目・感覚で舞台と芝居を観察していました。

登場人物たちの過去に関連して、一度だけ時系列が前後するせいもあり(え?また同じ話を繰り返すの?と言う戸惑いも…)物話の着地点は最後まで見えにくいです。そして「救い」があるかも不明瞭。いや、そもそもそれ(=救い)を求めてないのか?とも思いました。開演後60分経過した時点で「おいおいおい話進んでないぞ!」とツッコミ入れたくなったくらいですから(苦笑)上演時間も調べずに行ったので、普通に2時間だと思っていたら90分少々…あの足場の悪い運動量が多い舞台で一幕物だったらそんなもんか、とあとから納得はしたのですけれどもね。

幕が下りた後の感情は、決してスッキリでもなく満足感いっぱいでもありません。ただモヤモヤと疑問符は確実に残りました。そこをクソ真面目に考え詰めるか、「つまらなかった」と一刀両断にするか、「よくわかんないけど面白かった」あるいは「OOさんが出てて良かった」で済ませるかもまた、観たお客さん個々人の自由であり、それでいいとも思います。

いや、もう少し突っ込んだ感想も書けるには書けるのですが…何かこう1回観ただけでは「安易に書くようなことじゃない」鬱々とした感情が先に立ってしまっています。

社会派作品とも言えなくはない、と書いたのは、この舞台が普段私たちが意識の外に流してしまっているor深く考えないようにしている「直視したくない不都合な真実や事実」をテンコ盛りで織り込んできているからです。それを深く考え出したら、多分私はこの日本・東京で涼しい顔して生きてなんか行けないでしょう、というくらいに「めんどくさいけれども、本当は考えないといけないこと」ばかり。そこへ笑いとかおふざけが入ってきて、笑ったら「笑ってる場合じゃないだろ」と冷笑される気がする…誤解を恐れずにいうと観る側として「不快適ゾーン」に容赦なく放り込まれる感じです。それでもよければ、どうぞ95分間観ていってください、とでも言われているような気がするのです。

ラストで「10人のインディアン」をビンが歌うところは、ゾワゾワを通り越して、何でこんなにイライラするんだろう、と言うほどに「観る側の危険察知?センサーを猫の毛のように逆立たせる」ような感じで…。ビンの片言の日本語もイライラ、「陸が見えるぞ~」なんて言ってる周囲の鈍感さにもイライラ。歌ってる場合じゃないでしょ!と思ってしまったのは、私だけだったのかな?とも。(疲れてたせいかな?)

そしてタイトルが『SHIP IN A BOTTLE』何となく暗示的なものを感じてしまいました。これだけの人間が醜い本性晒して生きる為に足掻いている姿も、所詮「コップの中の嵐」なのか、と。

今回はパンフとかサブテキストは一切購入しませんでした。(もともと観てから決める方です。年間数十本芝居を観ているので、余程でなければ関連物品は買いません)…この舞台は私が言葉で説明できるものではないな、と思ったのと、あの舞台は「観たまんまそれぞれ勝手に考えたらいい」だけで、わざわざ作り手から「こう観てほしい」とか解説されたくないな、とも思ったせいでもありました。





東京公演は9日(日)までだそうです。

百聞は一見に如かず。一回観劇は複数回観劇に如かず。
今後twitterのTLなどで観た方々の感想を楽しみに読んでいこうと思います。