日曜日の昼下がり、現場で昼飯を食べていた私に妻からのメール。
『小太、間に合わなかった』
一瞬、意味がわからなかった。小太、というのは我が家の犬。
今年で確か13歳。高齢の部類だが一見そんな年齢には見えない。
昔のブログで一度ちょこっと顔見せしたことがある。
もともとナリは小さいがタフな奴。
豪雨が降ろうが台風が直撃しようが平気の平左。
雷が近くに落ちてもおたついたり情けない声を立てたりするのをついぞ聞いたことはない。
詳しい人に言わせると柴とハスキーの血はどっかに混じってる、と言われた。
5人分の残飯で育ち、毎日一番だしの鰹節を食っていたせいか
雑種なのにやたら毛並みがよかった。
真冬の日、犬小屋は寒かろうと子供らがバスタオルだの段箱だの入れてやっても
翌日の昼になったら全部小屋の外に引きずり出して泥まみれの可燃ゴミにしてくれる。
吐息も凍るような寒い朝、さすがに気になって庭を見たら、
小屋の外の土の上に巨大な毛虫のように丸くなり、
背筋に霜をのせたまま平然と寝ていたのを見つけて肝をつぶしたものだった。
毎年のキャンプにも同行し、6時間の長距離ドライブにも渋滞にも文句ひとつ言わず
着けば子供と一緒にうれしそうに山野を駆け巡っていた。
最近は歳も食ったせいか餌の量もだいぶ減ったとは聞いていた。
「最近小太具合がよくなさそう」と数日前の妻。
「もう結構歳だからなあ」私は生返事。
で、土曜日になって「やっぱり具合悪いみたいだから明日医者に連れてく」
日曜の朝、窓からちょっと覗いてみた。
大きな目がくりっとこっちを見て、耳がぴこぴこ動いているが伏せたまんま動かない。
確かに元気なさそうだな、と思ったので妻にそう言った。
それが、私が生きている小太を見た最後になった。
医者に連れて行く車の中、娘の腕の中で動かなくなったとあとで聞いた。
※
何気ない毎日が 風のように過ぎていく。
この街で君と出会い、この街で君と過ごす。
この街で君と別れたことも、僕はきっと忘れるだろう。
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑んでおくれ
さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた。
この街で僕を愛し、この街で僕を憎み
この街で夢を壊したことも、君はきっと忘れるだろう。
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑みあおう
(『いつか街で会ったなら』作詞:喜多條忠 唄:中村雅俊)
※
君を振っといて僕は忘れちゃうけど、また会ったらやさしくしてね、とか
君の夢は壊しちゃうけど、君は忘れちゃうから以下同文。
ずいぶん虫のいい奴の唄だよなあ。
でも一日たってこの唄が脳内ぐるぐるするのはなぜなんだろ。
>この街で君と出会い、
もともとは娘が中学生の頃、友達のところに生まれた子犬。
もらわれそこなったみそっかすの残り一匹だった。
当初私は乗り気でなかった。
いくら子供が「自分で面倒見る」なんて言っても、結局は親の負担になるのは他のペットで懲りていた。
ミドリガメの面倒すらろくすっぽ見らんない奴らが犬の世話なんかするわきゃないからだ。
結局は子供の熱意に負けた格好だが、今思えば天命だったのかもしれない。
>この街で君と過ごす。
案の定授乳期をようやく抜けたような子犬は子供の手にあまり、結局妻の負担。
かわいがるのだけは一人前という典型的な展開になった。
犬は生涯主人を一人と定めると聞くが、やはり実質的には妻が親代わりみたいなものだった。
ただ、散歩の時にはやはり私相手にだけは自分の気分でリードを持ってったり
私に向かって吠えたりということはしなかった。
主人として従うという意識もあったかもしれないが、私の場合逆らったり吠えたりすれば
回し蹴りが飛んで小さな体が大の字で宙を舞うという問題もあったか。
たまにしか散歩に行くことはなかったが、リードを持って小屋に近づくだけで
蛇を見つけた子狐のようにその場でうれしそうに跳んだり撥ねたりしてたことを思い出す。
まれに私が縁側へ出ると「わぇをぅえぁぅゐえぉあ」みたいな
犬ばなれした妙なイントネーションで話しかけてきたことが何度かある。
私は私で別にそれに違和感を感じるでもなく、まるで普通に日本語を聞くように
「ヒマだったらたまにはどっか行こうよお父」と聞こえていた。
だから私が普通に「今日は具合が悪いから休んでるの。子供らにでもたのめ」などと返事すると
ぶつぶつ言いながら小屋の中に引っ込む。
よく考えたら不可思議な現象だが、ごく普通に会話が通じることがあった。
今思い出しても、確かに小太は私の言葉を理解していたと思う。
>この街で君と別れたことも、僕はきっと忘れるだろう。
別れてはいなかったが、忘れてはいた。今までは、だが。
言い訳はしない。お別れが唐突にくるとは思わなかったが。
>さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた。
一年生だった末っ子が早く家に帰ってきたとき、妻は予定を忘れて出かけていた。
家に入れなくて泣いていた末っ子は、犬小屋で小太に慰められていた。
親の真似をしてリードを持ったが逆に引きずられ転んで泣きだした末っ子、
小太は逃げ出すでもなく子供のところまで戻って、泣きっ面を舐めていたという。
我慢強い、優しい子。
具合が悪いと泣き言を言って家族に心配かけたくなかったのだろう、と勝手に思った。
>この街で僕を愛し、この街で僕を憎み
>この街で夢を壊したことも、君はきっと忘れるだろう。
愛されていたかどうかはわからない。慕われていたことは確かだが。
主人を憎む犬はいない。夢を持つとも思えないから忘れることもあるまい。
なんだよ、やさしさしかなかったんじゃないか、小太。
慕われていたはずの私は忘れていたのに。
連休の初日、どこにも出かけられないので庭でバーベキューをした。
ドッグフードを残していながら吠えたんで、てっきり残り物をほしがっているのかと思って叱った。
あのときは『あら、結構元気じゃん』と思ったのだが、違った。
キャンプでバーベキューをするとき、いつもテーブルのそばにいた。
今日もただ、家族のそばにいたかっただけなのだった。
私は気づいてあげることができなかった。
それができたのは、会話ができる私だけだったのに。
言葉なく家に帰った。
玄関に段ボール。中にはバスタオルにくるまった、小太。
子犬の頃を思い出した。
こうして段ボールの中に敷かれたバスタオルに横になって寝息を立てていたあの頃を。
玄関から育って、今また玄関の箱の中に帰ってきた。
久しぶりに本気で泣いた。
たぶん子供のいる前でここまで泣いたのは初めてだろう。
泣いている振りや、悲しんでいる振りばかりしていたから
悲しみがどんなものか忘れてしまっていたかと思ってたのに。
や、たぶん喜怒哀楽のすべてを感じている振り、表している振りばかりしていたのだ。
だから言葉を失っていたのかもしれない。文章にできる言葉を。
※
毎晩線香をあげている。忘れていた、せめてもの償いに。
そして、これを書いた。2年も放置していたここに。
供養のつもりで。
自己満足でしかないが、その程度しかもうしてやれることがないから。
墓には花とサンショウの木の苗を植えた。
芽を食べ、実を食べたら私たちの中で小太が生き続けるような気がして、
というのは感傷的にすぎるだろうか。
また、明日が来る。今日と変わらない明日が。
いつか、あっちで会ったなら・・・
いや、やめよう。
さよなら、小太。私の小さな家族。
『小太、間に合わなかった』
一瞬、意味がわからなかった。小太、というのは我が家の犬。
今年で確か13歳。高齢の部類だが一見そんな年齢には見えない。
昔のブログで一度ちょこっと顔見せしたことがある。
もともとナリは小さいがタフな奴。
豪雨が降ろうが台風が直撃しようが平気の平左。
雷が近くに落ちてもおたついたり情けない声を立てたりするのをついぞ聞いたことはない。
詳しい人に言わせると柴とハスキーの血はどっかに混じってる、と言われた。
5人分の残飯で育ち、毎日一番だしの鰹節を食っていたせいか
雑種なのにやたら毛並みがよかった。
真冬の日、犬小屋は寒かろうと子供らがバスタオルだの段箱だの入れてやっても
翌日の昼になったら全部小屋の外に引きずり出して泥まみれの可燃ゴミにしてくれる。
吐息も凍るような寒い朝、さすがに気になって庭を見たら、
小屋の外の土の上に巨大な毛虫のように丸くなり、
背筋に霜をのせたまま平然と寝ていたのを見つけて肝をつぶしたものだった。
毎年のキャンプにも同行し、6時間の長距離ドライブにも渋滞にも文句ひとつ言わず
着けば子供と一緒にうれしそうに山野を駆け巡っていた。
最近は歳も食ったせいか餌の量もだいぶ減ったとは聞いていた。
「最近小太具合がよくなさそう」と数日前の妻。
「もう結構歳だからなあ」私は生返事。
で、土曜日になって「やっぱり具合悪いみたいだから明日医者に連れてく」
日曜の朝、窓からちょっと覗いてみた。
大きな目がくりっとこっちを見て、耳がぴこぴこ動いているが伏せたまんま動かない。
確かに元気なさそうだな、と思ったので妻にそう言った。
それが、私が生きている小太を見た最後になった。
医者に連れて行く車の中、娘の腕の中で動かなくなったとあとで聞いた。
※
何気ない毎日が 風のように過ぎていく。
この街で君と出会い、この街で君と過ごす。
この街で君と別れたことも、僕はきっと忘れるだろう。
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑んでおくれ
さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた。
この街で僕を愛し、この街で僕を憎み
この街で夢を壊したことも、君はきっと忘れるだろう。
それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑みあおう
(『いつか街で会ったなら』作詞:喜多條忠 唄:中村雅俊)
※
君を振っといて僕は忘れちゃうけど、また会ったらやさしくしてね、とか
君の夢は壊しちゃうけど、君は忘れちゃうから以下同文。
ずいぶん虫のいい奴の唄だよなあ。
でも一日たってこの唄が脳内ぐるぐるするのはなぜなんだろ。
>この街で君と出会い、
もともとは娘が中学生の頃、友達のところに生まれた子犬。
もらわれそこなったみそっかすの残り一匹だった。
当初私は乗り気でなかった。
いくら子供が「自分で面倒見る」なんて言っても、結局は親の負担になるのは他のペットで懲りていた。
ミドリガメの面倒すらろくすっぽ見らんない奴らが犬の世話なんかするわきゃないからだ。
結局は子供の熱意に負けた格好だが、今思えば天命だったのかもしれない。
>この街で君と過ごす。
案の定授乳期をようやく抜けたような子犬は子供の手にあまり、結局妻の負担。
かわいがるのだけは一人前という典型的な展開になった。
犬は生涯主人を一人と定めると聞くが、やはり実質的には妻が親代わりみたいなものだった。
ただ、散歩の時にはやはり私相手にだけは自分の気分でリードを持ってったり
私に向かって吠えたりということはしなかった。
主人として従うという意識もあったかもしれないが、私の場合逆らったり吠えたりすれば
回し蹴りが飛んで小さな体が大の字で宙を舞うという問題もあったか。
たまにしか散歩に行くことはなかったが、リードを持って小屋に近づくだけで
蛇を見つけた子狐のようにその場でうれしそうに跳んだり撥ねたりしてたことを思い出す。
まれに私が縁側へ出ると「わぇをぅえぁぅゐえぉあ」みたいな
犬ばなれした妙なイントネーションで話しかけてきたことが何度かある。
私は私で別にそれに違和感を感じるでもなく、まるで普通に日本語を聞くように
「ヒマだったらたまにはどっか行こうよお父」と聞こえていた。
だから私が普通に「今日は具合が悪いから休んでるの。子供らにでもたのめ」などと返事すると
ぶつぶつ言いながら小屋の中に引っ込む。
よく考えたら不可思議な現象だが、ごく普通に会話が通じることがあった。
今思い出しても、確かに小太は私の言葉を理解していたと思う。
>この街で君と別れたことも、僕はきっと忘れるだろう。
別れてはいなかったが、忘れてはいた。今までは、だが。
言い訳はしない。お別れが唐突にくるとは思わなかったが。
>さりげないやさしさが 僕の胸をしめつけた。
一年生だった末っ子が早く家に帰ってきたとき、妻は予定を忘れて出かけていた。
家に入れなくて泣いていた末っ子は、犬小屋で小太に慰められていた。
親の真似をしてリードを持ったが逆に引きずられ転んで泣きだした末っ子、
小太は逃げ出すでもなく子供のところまで戻って、泣きっ面を舐めていたという。
我慢強い、優しい子。
具合が悪いと泣き言を言って家族に心配かけたくなかったのだろう、と勝手に思った。
>この街で僕を愛し、この街で僕を憎み
>この街で夢を壊したことも、君はきっと忘れるだろう。
愛されていたかどうかはわからない。慕われていたことは確かだが。
主人を憎む犬はいない。夢を持つとも思えないから忘れることもあるまい。
なんだよ、やさしさしかなかったんじゃないか、小太。
慕われていたはずの私は忘れていたのに。
連休の初日、どこにも出かけられないので庭でバーベキューをした。
ドッグフードを残していながら吠えたんで、てっきり残り物をほしがっているのかと思って叱った。
あのときは『あら、結構元気じゃん』と思ったのだが、違った。
キャンプでバーベキューをするとき、いつもテーブルのそばにいた。
今日もただ、家族のそばにいたかっただけなのだった。
私は気づいてあげることができなかった。
それができたのは、会話ができる私だけだったのに。
言葉なく家に帰った。
玄関に段ボール。中にはバスタオルにくるまった、小太。
子犬の頃を思い出した。
こうして段ボールの中に敷かれたバスタオルに横になって寝息を立てていたあの頃を。
玄関から育って、今また玄関の箱の中に帰ってきた。
久しぶりに本気で泣いた。
たぶん子供のいる前でここまで泣いたのは初めてだろう。
泣いている振りや、悲しんでいる振りばかりしていたから
悲しみがどんなものか忘れてしまっていたかと思ってたのに。
や、たぶん喜怒哀楽のすべてを感じている振り、表している振りばかりしていたのだ。
だから言葉を失っていたのかもしれない。文章にできる言葉を。
※
毎晩線香をあげている。忘れていた、せめてもの償いに。
そして、これを書いた。2年も放置していたここに。
供養のつもりで。
自己満足でしかないが、その程度しかもうしてやれることがないから。
墓には花とサンショウの木の苗を植えた。
芽を食べ、実を食べたら私たちの中で小太が生き続けるような気がして、
というのは感傷的にすぎるだろうか。
また、明日が来る。今日と変わらない明日が。
いつか、あっちで会ったなら・・・
いや、やめよう。
さよなら、小太。私の小さな家族。