卒業してから数年が経ちました。
皆さんはお元気にしてますか?
あれから自分は出産して子育てをしています。
今日”死ぬまでにやりたいことリスト”を考えました。
そして、ふと思いました。
手のひら芸大で学んだことを今の生活に活かせているのだろうかと。
卒業された方たちは活かせているのだろうかとふっと思いました。
活かせている方はどんな風に活かしていますか?
もし良ければコメント残していただけると幸いです。
手のひら芸大に入学する前から抱いていた自分の夢を書きます。
十代の頃、特攻隊員の方の遺書を読んで衝撃を受けました。
同じ年齢の方が特攻隊員として命を閉じていったことにとても衝撃を受けました。
あまりに悲しくてその日は眠れなかったです。それくらいに衝撃でした。
それから戦争で亡くなった方を忘れないように自分なりに書籍を読んだり、知覧特攻平和会館や開聞岳に足を運んでいました。
日に日に気持ちは強くなっていき、戦争で亡くなった方たちを風化させないために自分が語り部になって伝えていきたいと思うようになりました。
そんな志を持ったなかで、手のひら芸大に入学しました。
芸術と結びつけて戦争で亡くなった方たちを風化させないために何かできないか当時から考えていました。
しかし、いまだに答えは出ていません。
自分は一体何をしてきたのか。
年数だけが過ぎて行動力のない自分に嫌気がさします。
もっと何か出来たのではないか。
年齢だけが過ぎていくことにもどかしさを感じます。
語り部の活動をして、遺書を解読したりもしました。
ただ消極的な性格から発言もせず、傍観するだけ、周りの人たちの話を聞くだけで活動は終わっていきました。
当時の空気を肌で感じられる空間を作って展示することも考えました。
でも何から始めれば良いか分からず、結局手付かずで終わってしまいました。
そもそも素人が何かを作って展示することなど出来るのだろうか?
自分はまずそこからつまずきました。
遺書や遺品を集めて展示もしたかった。
それに関しても素人の自分がどうすれば遺書や遺品を集められるのだろう?とそこでつまずきます。
全て机上の空論で終わっていきました。
そして、数年が経ち今こうして回想に耽っています。
こんな自分がとても情けないです。
思い出しても何も出来ていない。
あの日感じた感情や情熱はどこに行ってしまったのか。
戦争で亡くなった方たちの代わりになって、風化させないために自分が語り部になる!という心意気はどこへ行ってしまったのか。
すでに特攻隊員の方達の年齢は過ぎ去ってしまいました。今後自分はどんどん年齢を重ね、いづれ彼らの母親ほどの年齢に近づいていくんだと思います。
その日までに何か行動を起こしていたい。
結局今まで自分は何も出来ていないから。
そんな自分がとても情けなく感じます。
何から始めれば良いのか?
それを一から考えて何かを始めたいです。
手のひら芸大で学んだことも含めて、何か出来るのではないか。そんなことを考えます。
子どもが出来て改めて感じます。
戦争で我が子が死ぬことはとても残酷なこと。耐えられないことです。
母親になって息子を戦地に送る親の気持ちが今になって痛いほどに分かります。
何か始めることができたらまたここに書いていこうと思います。
書いたからには何か挑戦できますように。