堺 街角 ミュージアム ブログ(BLog)

堺の風景写真、堺の観光地、堺 面白い興味深い写真を掲載。日常生活の中の写真ギャラリー。

堺大空襲の日 悲しき物語

2006-07-10 | 堺 街角 ミュージアム/人間模様
本日、7月10日は、堺大空襲のあった日です。

いつも、堺駅を通るたびに気になる碑について述べます。

昭和20年の本日未明、堺をB29の大編隊が堺を襲った。近くの軍需工場を目標とし、焼夷弾の雨が空を赤く染めた。紅蓮の炎が天を焦がし、生駒山からもその業火の火は見えたという。

堺の旧市街地ほとんど焦土となり、地平線を遮る物もなくなった。

戦前、現在の大浜公園で開かれた国内博覧会(現在でいう筑波博)が開かれ、賑わい、宝塚のような少女歌劇団もあり、一大リゾート地であった。
そんな中で、この石碑のある龍神附近(現在の堺駅は現在の場所から50m程南にあった)は、歓楽街として、名を馳せ、遊郭が存在した。

年端も行かない少女たちが、地方から売られ、身を売って悲しい生活を送っていた。外出もままならず、幽閉状態の中で炎に焼かれ亡くなっていった。
焼夷弾の炎から逃げ惑い、土居川に飛び込み息絶えた少女も数知れず、・・・・
身元の引き取り手もないまま、彼女たちは、・・・


彼女たちは無縁仏として今ここに眠る・・・

そんな悲しい物語がこの地であったのである。
今は、堺駅の繁栄の脇でひっそりと土居川沿いにぽつんとこの石碑が彼女たちの悲しい物語を語り継いでいる。

念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
開いていった
貞民


石碑の裏には、彼女たちの悲しき物語を微かに伝える
「堺市戦災殉難之地」
堺市は昭和二十年七月十日未明 空襲により旧市ことごとく全焼す
とくに旧龍神駅附近及び土居川内での殉難者多数にのぼる
被災四十周年に当り人類の幸福と世界の平和を祈念し坂村貞民氏の「念ずれば花ひらく」の詩文を掲げ名もなき花の多くひらかんことを願う
昭和六十年九月吉日 堺ライオンズクラブ

堺の風景 日本の道100 選 堺フェニックス通

2006-07-10 | 堺 街角 ミュージアム/堺の景色
堺のフェニックス通りが日本の道100選に選ばれています

石碑は住吉神社宿院頓宮前付近にあります

このフェニックスは第二次世界大戦で 防空対策として建物疎開が行われて【堺全体で3620戸の撤去と11846人の立ち退き】整備されたのですが そのかいなく20年7月10日大阪大空襲で旧市街の大半が焼け野原になりました

そんななかで復活を期待しフェニックス通りと名付けられました