小説「警視庁情報官」でもその実態の一部を垣間見ることができましたが、公安警察についての新書がでましたので、読んでみました。
当然のことながら初めて知ることがたくさんありました。
『日本の警察制度は戦前、国家警察を基本としていた。
当時は首都警察として国の機関であった警視庁と、各道府県の警察部が旧内務省の指揮下にあった中央集権的な体制だったのである。
その中でも「特高」と呼ばれて恐れられたのが特別高等警察だった。
通常の事件捜査や交通取締りを行う警察とは別に、共産主義などの反政府思想を取り締まるためにおかれたセクションで、明治44(1911)年に初めて警視庁の置かれ、昭和3(1928)年までに全国の警察に広まった。
だが特別高等警察は次第に政治弾圧をエスカレートさせ、終戦を機に民主化を進める連合国最高司令官総司令部(GHQ)によって解体されたのである。
公安警察最強の実働部隊で「公安の中の公安」ともいうべき警視庁公安部・・は地上18階建ての警視庁本部庁舎の13階から15階まで3フロアを占める。
公安部の人員は1100人規模にのぼるうえ、東京都内に102箇所ある警察署には、警備課員ら警備・公安担当の捜査員も総勢1200人程度おり、警視庁の公安部門はあわせて2千数百人の規模を誇る。
公安警察は警察庁警備局を中心に、特高警察時代のシステムを密かに残している。
建前上は自治体警察だが、警視庁公安部や道府県警の警備部は予算を握る警備局から直接指示を受ける立場にあるのだ。
上意下達の国家警察システムがそっと残されているのが公安警察なのである。
原則は警視庁警備局から、公安部や道府県警の警備部、各警察署の公安部門へと、指示系統は縦に統一されているのだ。
この指示系統には道府県警の本部長や各警察署の署長は入っていない。ここが刑事警察などとは大きく異なる点だ。
公安総務課は警視庁公安部の筆頭課である。
名称からは事務方のイメージを抱くが、・・総合的な「事務」ではなく、総合的な「業務」という意味なのだ。
・・公安総務課長は課長であるとともに、公安部長と二人の参事官に次ぐナンバー4の首脳だ。
・・4首脳の中で警視庁採用のいわゆる「たたき上げ」は一人だけだ。
参事官の一方の椅子のみで、部長ともう一方の参事官、公安課長の三人はキャリアである。
警察では皇室の警護を他の要人の「警護」と区別して「警衛」と呼ぶが、警視庁館内で天皇・皇后両陛下が式典などに参加する際、警備部が警衛にあたるだけでなく、公安部も「私服本部」という警衛本部を立ち上げる。
反皇室を掲げる「要警戒対象」が不穏な動きを見せないか、私服の公安捜査員が徹底マークするのだ。
公安警察では捜査対象の住所、氏名、生年月日、家族構成、仕事、出身地など基本的なことを調べることを基礎調査、略して「基調(きちょう)」と呼んでいる。
公総は元々、共産党をマークするための組織だったが、日本の政治体制を脅かすようなカルト(反社会的な宗教団体)も、公総の監視対象となっている。
・・・公総は共産党の動向を探る過程で、環境や人権、反戦、反原発などの大衆運動・市民運動や学生運動、労働組合などによる労働運動に入り込んだ共産党員にも監視の目を光らせてきた。
警察当局は極左暴力集団(過激派)を「社会主義、共産主義革命を目指し暴力的な闘争を展開する集団」と定義している。・・極左暴力集団は全体で昭和44年の約5万3500人をピークに減少しており、昭和63年では約3万5000人となった。
・・平成22(2010)年の全体の人数は約1万3200人まで減り、内訳は革労協が(主流派・反主流派をあわせて)約500人、中核派は約3100人、革マル(日本革命的共産主義同盟革命的マルクス主義派)が約3200人とされており、革マルがトップとなっている。
減少の理由は過激派にも高齢化の波が押し寄せたことと、共産主義が時代遅れとなったため大学の新入生に加入を促す行為(オルグ)が低調になったことだ。若年層を獲得できず縮小傾向に歯止めがかからない。
そのなかでも活発に活動している過激派が「革労協」と「中核派」、「革マル」なのだ。
革労協主流派の拠点は東京都杉並区下高井戸の「現代社」で、機関紙は「解放」である。
反主流派の拠点は東京都台東区入谷の「赤砦社(せきさいしゃ)」で機関紙は同じ「解放」という名だ。
・・中核派の拠点は東京都江戸川区松江の「前進社」で機関紙は「前進」。
一方革マルの拠点は東京都新宿区早稲田鶴巻町にある要塞のような中層ビルの「解放社」で、実は革マルの機関紙も「解放」なのである。
警視庁公安部では公安一課が革労協と中核派、共産同の流れを汲む組織の捜査を担当する。公安二課は革マルの捜査を仕事の大半としており、黒ヘルや各セクトの生き残りをひっくるめた極左暴力集団「諸派」の捜査と、労使紛争(労働争議)が事件に発展した場合の捜査も担当している。
明大は資金源を断ち切り、ついに革労協両派の排除に成功したのである。だがまだセクト排除の途上にある大学はある。
その一つは法政大学だ。
・・・早大では平成9年から5年連続で早稲田祭を中止し、革マル系の学生の拠点とされた学生会館を壊して新学生会館を建設。
ついに革マルの排除に成功したという。
革労協と闘った明治大、革マルと闘った早稲田大、そして中核派の排除に舵を切った法政大と、過激派が拠点とする大学は東京でも減ってきているようだ。
学生運動の名残は風前の灯火といえよう。
公安三課は民族主義・国家主義の思想を持つ民族派、いわゆる「右翼」の取り締りを主に担当している。
テロとゲリラについて、警察庁は攻撃対象が人間の場合にテロ、施設などの場合にはゲリラと区別している。
警察庁の見解では、右翼のうち暴力団と関係があるのは約4割としている。
・・一般的に「任侠右翼」と呼ばれる暴力団系右翼と非暴力団系右翼が、公安三課の視察と情報収集の対象だ。
平成15年、警視庁に組織犯罪対策部が新設され、刑事部の旧捜査四課、旧暴力団対策課や生活案全部の旧銃器薬物対策課などが同部に集約された。
・・公安三課は警視庁本部だけではなく、牛込警察署の庁舎内に拠点をおいており、牛込警察署では公安三課ナンバー2の理事官が陣頭指揮を執っているのである。
現在最も公安警察が危険視しているのが、「潜在右翼」である。
その名のとおり潜在的な右翼思想の持ち主であり、右翼団体の看板は掲げていないだけに、公安警察にとって把握しにくい相手といえる。
公安部外字一課、通称「ソトイチ」。
日本で活動する外国スパイ組織を監視対象とし、なかでもロシアスパイ(工作員又は諜報員)の摘発を最大の任務とする「スパイハンター」「スパイキャッチャー」たちである。
・・身寄りのない人に成りすますスパイの手口は「背乗り(はいのり)」とよばれる。日本人拉致事件などにかかわった北朝鮮の工作員(スパイ)に多い手口・・
フラッシュ・コンタクト(すれ違い連絡法)、ブラッシング(すれ違い)は・・イリーガル機関員にとっては、一瞬でも仲間と接触を図ること事態危険が大きい。
いずれかが捜査機関に尾行されていれば、双方のつながりが分かってしまうからだ。
このためイリーガル機関員が好んで使っていたのが「デッド・ドロップ・コンタクト」と呼ばれる別の手口だった。
・・人気がない上に工事などで環境が変わる可能性が低い場所を選んで情報を隠し、その後、仲間が回収する方法である。
ロシアのスパイは身内のイリーガル機関員らとは「デッド・ドロップ・コンタクト」などを使って情報伝達を行う一方、エージェント(情報提供者又は提報者)とは飲食店で情報の受け渡しをする大胆な手口を併用するのが特徴である。
ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)は、旧KGBの流れを汲むSVRと並ぶロシアの諜報機関の二枚看板であり、「ライバル関係にある」(元警視庁幹部)とされる。
大まかに言えば、GRUが各国の軍関係者を標的とする軍事スパイであるのに対し、SVRは産業スパイや政治スパイを担当している。
・・ただし、ライバル官営にあるため、いい情報があればこのすみわけは意味がなくなる。
・・在日ロシア大使館員は、三分の二がSVRやGRUのスパイとされ、三分の一が本来のロシア外務省の外交官と見られている。
・・・ゾルゲはGRU所属で、今でもGRUから英雄視されている。
・・このためGRUの人間は大使館員として来日すると、すぐに東京都府中市の多磨霊園にあるゾルゲの墓参りをするが、SVRの大使館員は一切しない。
・・・ただし、諜報機関内部の上下関係が大使館での肩書きどおりかといえば必ずしもそうではない。
外交官には「不逮捕特権」と呼ばれる外交特権がある。外交官という表の肩書きで入国したスパイは、逮捕はおろか、実際には事情聴取も不可能であるのが実態なのである。
・・だからできるだけ「およがせて」おき、スパイ活動の全容解明を進める捜査手法が採られる。
・・いずれにしても、スパイが作った情報網を断った上で、「お前がスパイなのは分かっているんだぞ」とのメッセージをロシア側に暗に伝え、二度と入国できない状態を作って捜査を終結させるのである。
多少、回りくどい印象はあるが、日本に諜報活動を厳しく取り締まるスパイ防止法がないための苦肉の捜査手法といえる。
外事一課には以前、「P班」とよばれる国際テロの対策班があった。
・・だが米同時テロを受け平成十四年十月、公安部にはP班を母体としてテロ対策を担う外事三課が発足。
米国防総省は平成十三年、北朝鮮のハッキング能力が「CIAの水準に達した」と分析している。
サイバー戦に備えて北朝鮮は昭和六十一(1986)年、五年制の「軍指揮自動化大学」を創設し、年間百人のコンピューター専門将校の養成を始めていた。
外事二課OBによると、中国の情報収集活動は、商社マンや研究者ら多くの民間の在日中国人を介在させるのが特徴だ。
具体的な資料は求めず、得られる情報は広範囲にすべてかき集めることから「真空掃除機」とも呼ばれる。
他国に比べ、より巧妙とされ、「スパイ(工作員)」が直接情報源に接触して一気に情報を入手しようとするケースが多い北朝鮮やロシアの活動とは対照的」というのが定説である。
外事三課発足以来、・・イスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する五十六カ国一地域の出身者が「テロとの関係の有無」について重要な視察の対象だった。
だが、OIC以外の国でもフィリピンやインドなどイスラム教徒の多い国があることから、最近はこうした国のイスラム教徒についても危険性の有無を注視しているのである。
そもそも米同時テロの際もKSMやビンラデインは日本を標的の一つに考えていたことが、やはりKSMの供述で分かっている。
・・だが平成十二年の段階でビンラディンが時差を理由に「米国とアジアで同時に行うのは難しすぎる」としてアジア計画を断念し、改めて米国内の攻撃だけに絞った経緯があるのだ。
「管理者対策」・・何かを「管理」している業者を捜査協力者にしたり、報告を義務付けたりして、情報のアンテナを張り巡らせる捜査手法
近年、公安警察にとって国内に潜伏する国際テロリストを見つけ出し、アジトを解明する作業は、最重要課題に位置づけられているが、捜査は度々国境の壁に阻まれている。
各国捜査当局との一層の連携強化が求められている。
公安四課は、・・公安部内の他の課が視察対象としている団体メンバーの身上や写真など、資料を集めて整理しファイリングして保管する後方支援的なセクションである。
また、共産党や極左暴力集団(過激派)の機関紙などの資料もファイリングして保管している。・・「アパート対策」という任務も与えられている。
各警察署の警備課に指示し、地域課の協力も得ながら、アパートやマンションを虱潰しでしらべる「アパート・ローラー作戦」を行わせ、極左暴力集団やイスラム過激派などのアジトがないか探させるのである。
・・「特別実態把握」も公安四課の重要な仕事である。
例えば国賓が来日した際の警備では、屋内警備は公安部の仕事で、オープンスペース(屋外)の警備は警備部というすみわけになっているため、国賓の移動経路や式典会場周辺などを管轄する警察署の警備かに指示し、やはり地域課などにも協力させながら、雑居ビルやマンションの中をチェックする
爆弾テロやゲリラ事件で現場に一番乗りするのが公安機動捜査隊である。
・・仕事は、・いち早く現場に到着して聞き込みを行い、目撃者を確保するなどの初動捜査を行う刑事部の機動捜査隊を連想する。
だが、実際にはゲリラ事件発生直後の聞き込み捜査に当たるだけでなく、時限発火装置や爆薬の分析など公安事件特有の特殊鑑識活動にも従事する部隊だ。
NBCテロの捜査を専門とする部隊は警視庁の公機捜を皮切りに、北海道、宮城、千葉、神奈川、愛知、大阪、広島、福岡の全国九都道府県警で次々と配備されたが、「公機捜はその中でも精鋭中の精鋭部隊」(警視庁幹部)である。
・・機動隊は被害者の救助と、中和剤をまいて除染し現場を洗浄するなどの被害拡大防止が主な役目であるのに対し、公機捜はあくまでも犯罪捜査がメインである。
警視庁に平成十年四月、「国際テロ緊急展開チーム」(TRT)が発足。平成十六年にこれを発展改組し、TRT-2に衣替えしたのである。
・・平成十五年七月の刑法改正で、日本人が海外で殺人など凶悪事件の被害にあった場合に日本の刑法が適用できる「国外犯規定」が新設され、現地の捜査機関との捜査協力や人質交渉の支援が可能になった。メンバーは警視庁警備局の国際テロリズム対策課員を中心に警視庁職員と都道府県警察から選抜された捜査員の総勢約百十人程度の規模である。
・・爆弾テロの鑑識活動では高度な特殊技能を持っている公機捜はTRT-2には欠かせない存在となっている。
検察庁の公安部は公安警察が送検した事件を起訴するか、不起訴とするかを決めるセクションだ。だが、近年はゲリラなどの公安事件が激減したため、薬物事件や暴力団などの組織犯罪も扱うようになっていて、「公安」色は薄まっているのである。
公安調査庁の前身は昭和二十四年、GHQにより法務府(現法務省)に設置された特別審査局である。
・・GHQは当初、右翼や左翼の監視を警察ではなく、新たに創った法務府特別審査局に行わせたのだ。特別審査局は公職追放された人物の監視にも当たっていた。
だが冷戦が本格化する中、日本共産党や左翼の監視が特に重要視されるようになり、昭和二十七年、共産党や左翼団体の規制を念頭に制定された破壊活動防止法の施行に合わせて法務府から衣替えした法務省の外局として、特別審査局が公安調査庁に生まれ変わったのである。
・・公安調査庁の監視対象は、こうした設立経緯もあり、基本的に公安警察と同じである。
・・公安調査庁本庁では総務部、調査一部、調査二部の三部制がとれらており、調査一部は警視庁公安部で言うところの公安総務課から公安三課が受け持つ範囲を、また調査二部は外事一課から外事三課が受け持つ範囲を調査対称にしている。
・・定員は全国で現在わずか約千五百人である。
警視庁の公安部門が東京都内だけで二千数百人規模を誇り、さらに制服警察官のネットワークを活用していることを考えると、段違いに規模が小さいのだ。
だがら、全国津々浦々に警察署がある警察組織にかなうはずはなく、情報収集力は公安警察の足下にも及ばない。』
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13/11/9(土)秘密保護法は公安警察の隠れ蓑だ!
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