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武蔵野航海記

京都を散策しながら感じたことを書いていきます。

明恵上人 4

2009年06月25日 22時02分30秒 | Weblog
共産主義は人間の本性を変えようとしました。

しかも宗教に反対し、哲学的な考察で人間の心を変えようととんでもないことに挑戦したのです。

世の中には一生延命働いて多くの収入を得、それを他人のために潔く使う人が極たまにいますが、そういう人は自分のためにはお金を使いません。

こういう奇特な人は、自分が豊かな生活をしようとか、普通の人が持てない様なブランド品を身につけて他人と差をつけるために一生懸命働くのではありません。

一生懸命働くのが自分の使命だと思っているのです。

キリスト教では、こういう人は「自分は神様からこの仕事を授けられたのだから一生懸命はたらかなければならない」と考えます。

日本人であれば、これを「修行」と考えたり「仏行」と考えたりします。

いずれにしても宗教的な動機から働くのです。

こういう研究を百年ぐらい前のマックスウェーバーというドイツの学者がしているので、興味がある人は読んでください。

楽をしようとか贅沢をしようと考える人間はここまで純粋に働くことが出来ないのです。

19世紀に産業革命を通過し急速に豊かに強大になっていった民族はこういう宗教心を持っていました。

ところが共産主義はこういうことに気がつかなかったのです。

「疎外」を解消すれば、皆喜んで働くと考えたのです。

自分が主体性をなくし生活のために仕事をさせられているから「疎外」を感じるというのです。

私は未だにこの考え方が分かりません。

単純な作業を朝から晩までやって入れば、どんな理屈をつけようと嫌になってしまうのは当然なのです。

実際共産主義体制のロシア人も支那人も仕事が嫌で、仕事をサボっていました。

資本主義生産の基本というのは、マルクス経済学では「土地」「資本」「労働」だといいます。

これは間違っているのです。この三要素は大昔からありました。

それでも資本主義というのは長い間起りませんでした。

人間の長い歴史で資本主義がおきたのはつい300年ほど前のことなのですが、これは「一生懸命に働くことが神の命令なのだ」という非常に真面目な宗教がおきたためです。

そうです。宗教改革の結果なのです。日本はキリスト教ではありませんが、同じように労働が尊いという教えが普及したからです。

結局、豊かな社会に必要なのは、一生懸命働くという精神であり、それは宗教によって養われたのです。

それを共産主義は分からず「宗教はアヘンだ」と考えて禁止し、「哲学」で人間を働かせることが出来ると勘違いしたわけです。

それから共産主義は私有財産も廃止しようとしました。これも人間の本性に反するやり方です。

次回はこの私有財産について書こうと思います。

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