Balance them, Kenji !

どっちかじゃなく、どっちも

得意分野と苦手分野の使い方

2007-05-31 | for myself
『得意分野で攻め、苦手分野で守る。
 苦手分野で攻撃はできなくても、守れるレベルでなければ、負けてしまう。』(K.S.)

the Pursuit of Happyness

2007-05-30 | for blogreaders


先日『the Pursuit of Happyness』という映画を見た。見る前から実話であるということを知っていたが、映画を見ながら、これが実話なのかと驚いた。いい映画だったし、自分が好きなタイプの映画でもあった。

ただ、1つ残念なのは邦題が「幸せのちから」となっていること。なぜ「幸せの追求」とか「幸せを追い求める」などと、シンプルに英語の訳そのままにしなかったのか。または「the Pursuit of Happyness」と英語でも良かった。というのも、正しくは「Happiness」というところを「Happyness」と間違えていることが、ストーリー中にも出てくるし、また、それがちゃんと意味をもっているから。

この映画は貧乏であることをかなり強調しているように見える。しかし、貧乏脱出がこの映画の主題ではないと思う。これが主題だとすると、証券会社に正社員採用された時点で、貧乏は脱出なので、この人のサクセスストーリーはそこで終わってしまう。しかし、この人はそこでは終わらない。その後も成功を続る。主題は「(例えば、Happinessの綴りを間違っていようが、いまいが、)どんな人も幸せを追い求め続けることが可能であるし、それが重要なんだ」ということだと思う。

ところで、この映画のタイトルに使われている “Pursuit of Happiness(幸福の追求)”は「アメリカ独立宣言書(The Declaration of Independence)」の中に出てくる言葉だそうだ(原文はこちら)。以下抜粋。

"We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness."

簡単に訳すと「全ての人々は奪いがたい権利、それは、生存、自由および、幸福の追求(pursuit of happiness)という権利が与えられている。」つまり、「幸福の追求」というのは人間の奪いがたい権利であるわけです。

製作者側はこれも意識してこのようなタイトルをつけたと思う。なのに、「幸せのちから」とは。

ふと思ったんですが、日本国憲法にも同じような権利が。。。ありました。

第13条〔個人の尊重〕
全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。

アメリカでも日本でも「幸福の獲得」となっていないで、「幸福の追求」となっている。人は幸せになりたいんだから、幸福の「獲得」の方がいいんじゃないかと思うかもしれませんが、「追求」であるべきだと思います。

『幸福は手に入れるものではなく、追い求めるものである。
 幸福は手に入れることはできない、追い求めることはできる。
 そして、追い求め続けていることが幸福でもある。』(K.S.)

NCAA男子ラクロス決勝 と思い出

2007-05-29 | for lacrosser
今日は、大学時代ラクロスをやっていた者としては、至福の日であった。ESPNというスポーツ専門番組でNCAA(全国大学体育協会 National Collegiate Athletic Association の略) 男子ラクロス決勝が行われたからである。大学時代、NCAAの試合のビデオを先輩から譲り受けたり、ラクロス専門ショップでダビングしたりして手に入れ、それを、何度もスロー再生して研究してた。また、飯を食べたり、マージャンをしたりしてても、テレビにはNCAAのビデオが流れているという感じで、NCAAのビデオを何度も見ていた。それを家のテレビで見れるのである。至福。

試合は、過去8度の全米制覇を誇る名門「Johns Hopkins University」対 初の全米制覇を狙う「Duke University」。前半大きくリードしたHopkinsだったが、後半Dukeが怒涛の追い上げを見せ、一時同点となるも、最後Hopkinsが追加点を上げ、そのまま、Hopkinsが勝利。9度目の全米制覇を成し遂げる。ドラマチックな試合展開と技術の高さに一ラクロスファンとしてテレビに釘付けだった。試合の様子はこのページのビデオで少し見れます。

試合終了の瞬間、歓喜し、涙し、吠え、震えるHopkinsの選手、一方、うずくまり、涙し、沈黙し、震えるDukeの選手。その映像を見て、あのころを思い出し熱くなった。


しかし、Duke大にとってのドラマはそれだけではなかった。さらに2つドラマがあった。

1つ目は、16年間ヘッドコーチとしてDukeを全米屈指のラクロス強豪校に育て上げた Mike Pressler が去年辞任し、新ヘッドコーチの下での初シーズンであった。なぜか。それは、昨シーズンのDuke大学ラクロス部部員によるレイプ事件のためである。これは、アメリカで世間を騒がせた事件だった。3人の部員が起訴されたが、結果は、公訴取消、つまり、無罪となったのである。(CNNニュース)グランドに立つ選手は、去年まで一緒に戦っていたヘッドコーチの思いを背負って戦っていたのである。

2つ目は、選手全員が「JR10」というシールをヘルメットにはっていた。なぜか。背番号10を付けて、1999-02シーズンをDukeでプレーしていた Jimmy Regan 選手が今年イラクで戦死したからである。(Duke大の記事)プレーしていた年から考えて、彼と一緒にプレーした選手は今はいないであろう。でも、彼の魂は、Dukeの選手に引継がれたのだろう。そして、アメリカは、試合が行われた今日、メモリアルデー(戦没者追悼記念日)であった。

これらのドラマについて考えていると、自分達のことをまた思い出した。そう、1995年、神戸大学男子ラクロス部が初めて全日本選手権に出場し、7-6という1点差で、慶応大学に敗れ、日本一を逃したときのことである。これは神戸大学がもっとも日本一に近づいた瞬間だった。

Duke大男子ラクロス部と神戸大男子ラクロス部がリンクするのはこれだけではない。そのシーズン開始直前、1995年1月17日阪神・淡路大震災が起こった。チームのシーズンインが遅れ(これは、卒業によって1年1年メンバーが大きく入れ替わる大学スポーツにとっては致命的)、大学のグランドが自衛隊の駐車場、避難場所となったため使用できず、大阪のグランドを何とか確保し初めたシーズンだった。そして、神戸大ラクロス部はリーグ戦を「がんばろう神戸」の腕章をつけて試合を戦った。Dukeとドラマの種類は違うが、一人ひとりが強い思いを背負って戦ったシーズンだったと思う。

『真剣に過ごした日々は、単なる思い出ではなく、人生の宝になる。
 そして、それは、自分が困難にぶち当たった時、困難を乗り越えるための大きなパワーを与えてくれる。
 そして、その日々を友と過ごたのならば、そのパワーはさらに大きなものとなる。』(K.S.)

いい出会い三連発 第三弾: インドとの出会い

2007-05-28 | for myself
先週、クラスメートのインド人主催のホームパーティーに妻も一緒に呼んでもらった。参加者は、インド人6名、アメリカ人1名、日本人4名。いろいろ驚いた。

そのクラスメートの奥さん(インド人)がありえないぐらいキレイで驚いた。顔の大きさは俺の3分の1ぐらいだった。

インド料理がうますぎて驚いた。大学生の時、インドに旅行に行ったことがあるが、料理がおいしいという記憶はなかった。

インドの結婚式は数百人(千人を超えることも)規模で費用も1千万円ぐらいだと聞いて驚いた。(もちろん、これはアメリカへ自腹で留学にこれるぐらいの裕福な家の場合であろう。)

インド人同士でも英語で話すという事実に驚いた。彼曰く「インドで話される言葉には、地元の人々が話すローカル言語、公用語とされるヒンドゥー語、そして英語の3つある。そして、ローカル言語を話すもの同士は、ローカル言語で話すが、それ以外の者同士(例えば、北インドの人と南インドの人)はヒンドゥー語ではなく、英語で話す。(ナニー!!)
英語よりもヒンドゥー語の方が苦手な人がいるからだそうだ。(マジか?!)
学校ではヒンドゥー語も英語も習うが、英語の方がその機会が多い(とたぶん言ってた)。

確かにクラスにいるインド人は押し並べて日本人より英語ができるし、自分の英語に自信を持っている。これまで私は、それは、裕福な家庭で英語教育を標準以上にしてきた人たちだろうと思い込んでいた。が、そうではないようだ。彼の話からすると、かなり多くのインド人は英語を話せる。

英語は世界共通語であり、それを話す人の割合はその国の国力に影響を与えると思う。コンピュータシステムに喩えると、世界のコンピュータはオープンな技術(英語)でつながっていこうとしているのに、日本のコンピュータだけが独自技術(日本語)を使っていて、世界と互換性がないというような状態ではないか。もしくは、世界と日本をつなぐ部分だけが(英語を話せる人によって)相互接続できるかもしれないが、その絶対数が少ないと、その接続部分がボトルネックになってしまう。



以前読んだ『フラット化する世界(上)』『フラット化する世界(下)』でも散々インドのことが語られていて、大きな刺激を受けたが、こんな形でも実感するとは思っていなかった。

このような事実を知ると、今更ではあるが、改めて「日本のリーダーよ、内ばかり見ず、外を見て!」と思ってしまう。ビジネスの基本であるコミュニケーション能力。その基礎中の基礎である言葉。ビジネスで世界の共通語は英語。「日本のリーダよ、世界でコミュニケーションできる人を増やす教育を実現してください。ビジネスでは国というボーダー、概念がなくなる方向に進んでいることに疑いはないのだから。」

『英語はインドの共通語としての性格も持っている。』(Wikipedia-インド)

いい出会い三連発 第二弾: 出会いという物語

2007-05-27 | for myself
ある人に、その日その人から自分が受けたネガティブなことを伝えようとして、メールを書いた。このメールを送ったらどうなるかいろいろとシミュレーションした。いいこと、わるいこと。送信するかどうか迷った末、結局、一時保存ボックスに保存した。自分の心の変化の様子を見ようと考えた。

それから数日が経ち、そのネガティブなことが自分の頭を占領する割合が減っていった。半分ぐらいにはなっていただろうか。このペースだと、頭から消え去ることもありえるなと思えていた。だが、まだ送信するかどうかを迷っていた。

ちょうどその頃、友人に 本音で私自身について語ってもらう機会があった。その機会にその友人について私が思っていることも本音で話した。そんなやり取りをした最後に、送信するか否かの迷いについてその友人に相談した。

その友人のアドバイスは明瞭だった。「そのメールを送信しなかったらどうなるだろう」だった。そう考えれば、答えは簡単だった。翌日、送信した。そのメールを送信しなかったら、自分の中で、そのある人の存在を見えないくらいに遠くに追いやってしまいそうだった。頭から消えつつあるネガティブなことと同じようにその人の存在までも頭から消し去ってしまいそうだった。これに自分の体と心が拒否反応を起こした。なぜなら、そのある人は自分にとって失いたくない存在だったから。

そして、その人から返信があった。その返信の内容は、自分がいろいろとシミュレーションした範囲を超え、まったく想像していなかった内容で、素晴らしいのものだった。この瞬間、その人とのつながりは本当の意味での「出会い」となった。消え去ってしまうかもしれなかった出会いが素晴らしい出会いとその瞬間変わった。

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この物語からいろいろ教えてもらった。
  • しなかった場合のことを意識して考える癖をつける。した場合のことをいろいろと考えることは無意識にできるが、しなかった場合のことを考えることは、同じかそれ以上に重要であり、強く意識しなければ見逃してしまう。
  • 失敗は、検証・評価し、克服できるからこそ意味がある。メールを送信しなかった場合、その失敗は、検証・評価できない。できたとしても非常に長い時間がかかる。検証・評価できない(または、長い時間がかかる)失敗を起こす可能性のある実践には、そのデメリットがあることを承知して実施しなければならない。
  • 友には本当の自分を語り、本当の自分を語れば友になる。本当のことを言うことと、本当の自分を言うことには大きな違いがある。うそではないことや、自分の表面的な一部分のことを話している間は友にはなれないように思う。「ある人」「友人」に本当の自分を話したからこそ、良い結果が生まれたのだろう。でなければ、こんな素晴らしい物語は生まれなかった。
  • いい出会いは、出会ったその日に生まれる場合もあれば、1ヶ月、1年、数年かけて、「いい出会い」へと昇華される場合もある。
  • 1つの経験は1つのサンプルとしての価値はあるが、その経験について「考える」ことでその経験の価値が増大する。同じような経験をたくさんすれば、それらが自ずと体系化され、価値を持つようになる。しかし、たった1つの経験でもその意味するところを「考える」ことによって、その経験が新たな輝きをもって自分の中に取り込まれる。今回の物語も、「あー、よかった、よかった」で終わってしまう経験だったかもしれないが、いろいろ考えた結果、上記の教えを得ることができた。
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『しなかったらどうなるだろう』(the friend)

いい出会い三連発 第一弾: ネットワークじゃなく、出会いで

2007-05-26 | for myself
そんな出会いだけど、先週の土曜日、1日でいい出会いに3度めぐり合えた。今日はその第1弾。

妻の通っている大学Mt. San Antonio College ESL(English as a Second Language)コースには、妻を含めて2,3人の日本人がいる。人数が少ないためか、クラスは違うものの、彼女はその人たちとは仲がよく、よくランチに出かけたりしている。

その内の1人の旦那様が働く会社(ある日本企業から派遣されて来ている)は、偶然にも、私がプレMBAコース(MBAコースをスタートする前に英語に不安のある学生が受ける英語特訓コース)の最終プレゼントして企業訪問した企業であった。

なんとも不思議な偶然の出会いということで、そのご夫婦と我々夫婦ですし屋でランチをさせてもらった。おいしい飯と楽しい会話でなんともいいランチを過ごせた。それで「また、遊びましょうね」ということになった。とてもすがすがしい出会いだった。

妻がきっかけとなって生まれたネットワークに感謝。しかし、、、今回のランチ(出会い)は、自分がMBAに来るにあたって意識していたことの1つである「ネットワークを広げる」ということと、感覚的に何かが違った。自分が思っていたネットワークというものよりも今回の出会いのほうが心地良かった。

たぶん、それは、妻がある人と会いたい(ランチをしたい)という動機と私の動機との違いにあるんじゃないかと思う。彼女は単純にその人と一緒に話したり、食事したりすると、楽しいからなんだろう。実際、普通に友達と話すように話していた。じゃあ、自分の思っていたネットワークって、何だ? 顔と名前と大学名(もしくは、会社名)を知るためのものか。名刺をゲットするためのものか。ひょっとしたら日本に帰ってビジネスにつながるかも知れないから会うのか。なにか違わないか?

そんな先のことばかり考えて、その出会いの瞬間が楽しくなければ、将来何かあることはまずないんじゃないか。その出会いの瞬間の印象が強ければ強いほど、意気投合すればするほど、激しく議論すればするほど、テンションが盛り上がれば盛り上がるほど、将来何かあるかもしれない。単純に「あの人といると楽しかったなー。次も何か一緒にしたいなー」と思えるか、思ってもらえるかが大事なんじゃないか。

これまで「ネットワーク」という言葉を自分で使ってはいたもののなにかしっくり来なかったのは、これかもしれない。「ネットワーク」という言葉はなんか胡散臭い。言葉が先行して実態が伴っていない感覚がある。そうじゃなく、「出会い」の瞬間の密度が大切なんじゃないか。自分は、言葉の定義をごにょごにょと言うのはあまり好きではないが、自分が勘違いしないために「ネットワーク」という言葉はなるべく避けて「出会い」という言葉を使うように心がけてみよう。

『出会いの瞬間、その質を上げよ』(K.S.)

出会いの多様性

2007-05-20 | for myself
『人は、出会いによって、幅を広げ、深め、魅力を増すことが出来る。
 「人」との出会いが最もパワフルであるが、それがすべてではない。
 本、映画、芸術など、メッセージ性のあるものはすべて、
 受けとる側に心構えがあれば、貴重な出会いとなりうる。』(K.S.)

The departed

2007-05-19 | for blogreaders


先日『The departed』を見た。

舞台はアメリカ・ボストン。ジャック・ニコルソンがアイリッシュマフィアのボスを演じる。あらすじはこのあたりを見ていただくとして、映画の中でアイリッシュが差別的な扱いを受けるシーンがある。

この映画を見るまで知らなかった。
ボストンにはアイリッシュが多いこと。
アイリッシュが差別を受けてきたこと。
アイリッシュマフィアという存在。

なぜ、ボストン ― アイリシュ ― マフィアがつながっているんだ?
知らなかった。
このサイトによると『
・1840年代にジャガイモ飢饉(Potato Famine)が起こり、百万人が飢えや病気で死に、2百万人が北米へ生きるために移民して行きました。飢饉の移民の内10万人がボストンに行きました。現在は(ボストンのある)マサチューセッツ州の人口の4分の1弱が自称アイルランド系です。
・昔、アメリカでは警察官と消防士はアイルランド人が多くいました。アイルランド人がアメリカに移民していった当初、新教徒の国アメリカに後からやってきたカトリック教徒であるアイルランド人は、イタリア人移民同様、大変な差別を受けました。危険で皆がやりたがらない職業につくしかなかったという事実も、もう一つの理由のようです。』

そのような差別を受け、職を見つけられず、ストリートギャングから、マフィアへとなったようです。

また、映画の中で、マット・デイモンが通っていた警察学校が消防学校とラグビーの試合をするシーンがありましたが、これも警察官と消防士にはアイルランド人が多いということをほのめかしているのかもしれません。

こういう歴史を見ても、前回のエントリーは意義あるものだと強く思える。ただ、人類はこれまで「族」「軍」などなど、分類をすることで自分と相手の存在を確認し、それをもとに行動をしてきた。歴史、は、人類の意識・無意識にかかわらず、良いと思った無数の選択の結果だとすれば、自分の考えはそれに反しているのかもしれないが、自分はこの意志をもち続けようと思う。

『歴史は繰り返されるが、それが正しいからではない。』(K.S.)

人をそのままとらえる意志

2007-05-17 | for myself
『複雑な事象を単純化して分類することで、分析・問題解決することはよいだろう。
 しかし、「人」を、その特徴的な思考や行動、人種や性別、ましてや、出身地、出身校、出身組織などで、単純化したり分類したりするべきではない。人は最も複雑な存在であり、単純化・分類化は処理する脳にとって心地よいので、知らず知らずのうちにそうしてしまうのだろう。これは罠だ。単純化は人には使ってはいけない。人をありのままとらえようとする意志が必要である。』(K.S.)

Who killed the electric car?

2007-05-16 | for blogreaders


今日「Who Killed the Electric Car? 」というドキュメンタリー映画を見た。
予告編のようなものはYouTubeにありました。

大まかなあらすじは、ググッたら見つかったこのサイトを読んでみてください。

印象に残ったのは、以下の事実。
GMは電気自動車(EV1)を自社で開発していたにもかかわらず、ある時点を境にしてEV1を回収し始めた。ちょうどその頃、GMはECD Ovonicsというバッテリー会社の株をTexacoという石油関連会社に売却した。Texacoは株主の権利を利用し、ECD Ovonicsが開発していた電気自動車の使用にも耐えられるバッテリーの開発を潰した。皮肉なことに、Texacoのこの行為は株主価値の最大化という観点で考えると道理にかなってしまうのであろう。自社に悪影響を与える会社の株を取得し、その競争力を消してしまうというなんとも邪悪な所有権の使用方法である。

『1990年、州政府は州内で自動車を販売しているメーカーに対して、2003年までに年間販売台数の10%を無公害車つまり Zero Emission car(排ガスゼロの車)とするよう義務付ける州法を制定した。が、ブッシュ政権の誕生し、政府によりカリフォルニアのこの州法も廃止されてしまった。』

ある人が映画の中でインタビューに答えた。『意味のある規制は必要である。例えば、車のシートベルトやエアバックは政府が企業に設置を義務づけた。同じように環境保全のための規制は義務づけられるべきであろう。』そのとおりだと思う。

では、シートベルトと電気自動車とで何が違うのか。
その規制によって影響を被るため、政治力を使ってその規制を排除できる企業が存在するかどうかであろう。その規制の存在意義によってではない。

最後にこの映画のタイトルである「Who killed the electric car?(電気自動車殺害犯)」の各容疑者にこの映画が判決を下している。
・自動車会社:有罪
・石油関連会社:有罪
・バッテリー:無罪(バッテリーの技術的進歩が追いつかず、一度の給電で走れる距離が短いために実用に耐えないという理由で容疑を課せられていたが、十分な技術進歩を達成できたはずである(または、達成できていた)ため無罪)
CARB(California Air Resources Board):有罪
・消費者:有罪
・政府:有罪
・水素燃料電池:有罪

『だれのせいでもない。基本的にみんなのせいや。』(K.S.)

その名は、引地

2007-05-15 | for lacrosser
↑ラクロス界のスーパースターに会えて満面の笑みの自分と引地

先日、LARiptideのシーズン直前のトレーニングキャンプを見学に行った。ただの見学ではなく、引地の応援に行った。

--- 解説1 LARiptide ---
LAを本拠地とする、MLL(Major League Lacrosse)のプロチーム。ちなみに、ラクロスの本場はアメリカ。MLLはそこのプロリーグなので、世界最高レベルのラクロスリーグ。
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--- 解説2 引地 ---
本名、引地 祥郎(YOSHIRO HIKICHI)。
彼は慶応大学で自分の同期。18歳から日本代表。そして、今も日本代表。

そんな彼とは、大学二年生のとき、神戸大学 対 慶応大学 として、全日本大会決勝で戦った相手。
社会人二年目のときは、同じ社会人チームValentiaで日本一に輝いたときの戦友。
(どさくさに紛れて自分のことまでかっこよく書いてますが、当時、自分はどちらのチームでもちょい役でした。)

そんな彼の過去の取材記事はこちら。これは昔の記事なので今回のトレーニングキャンプのことではないですが。参考まで。
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トレーニングキャンプでアピールして、正式に選ばれれば、プロラクロスプレーヤーとなる。もし、選ばれれば、日本人初のMLLプレーヤー、プロラクロスプレーヤーとなる。野球に喩えると、野茂 英雄なわけです。

ラクロッサー(ラクロスプレーヤーのことを日本ではこういう)として、心の底から応援している。そんな彼が、キャンプ終了後、一緒に話している時、こんなことを言った。ちなみに彼には妻子がいる。

『この後(の人生)はノープランだよ。』(Yoshiro Hikichi)



イノベーションのジレンマ

2007-05-14 | for blogreaders


先日『イノベーションのジレンマ』(クレイトン・クリステンセン)を読んだ。ふと思った。野村證券のリテール部門をこの法則のケースとして見ると面白いなと。

野村證券リテール部門にとってのメイン顧客は中年以上の富裕層であろう。そして、彼らにとって、オンライントレーディングサービスは破壊的イノベーション(持続的イノベーションではない)である。なぜなら、本書の提唱する概念である「バリュー・ネットワーク」で考えると、現在の野村證券リテール部門のバリュー・ネットワークにはオンライントレーディングサービスおよび、それを必要とする消費者は入っていないからである。言い換えると、中年以上の富裕層はオンライントレーディングサービスを求めていない。

既存顧客に必要とされていなければ、今後大きな意味を持つかもしれないと思われる破壊的イノベーションにも積極的には対応できない。結果、そのイノベーションに関して、他社に引き離され、重要な意味を持ったときには時すでに遅しとなりかねない。

しかし、オンライントレーディングに関して、野村ホールディングス100%子会社であるジョインベスト証券がある。実は、これは、本書で提示されているイノベーションのジレンマの対応策に当てはまっている。それは「組織の規模を市場の規模に合わせる」ということ。野村證券本体として対応するのではなく、組織規模の小さい子会社で対応するということ。さすがは野村證券。

しかし、そのジョインベスト証券は『業界最低水準の手数料をめざし来年の3月に50万口座の獲得を目指したい』として昨年スタートしたが、ちょうど1年後の2007年3月末の口座数は13万8,662口座である。目標の30%にも満たない。ジョインベスト証券が野村證券とは別組織でありながら、野村100%子会社であるがために、野村證券の「バリュー・ネットワーク」で動いているとすると成功は難しいかもしれない。

イノベーションのジレンマについてのケースとして、野村證券とジョインベスト証券の今後の動向は非常に興味深い。最後に以下の視点も見逃せない。

『破壊的イノベーションの場合、先駆者は圧倒的に有利であり、リーダーシップが重要である。』(クレイトン・クリステンセン)


ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則

2007-05-13 | for blogreaders


先日『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』(原書[Good to Great])(James C. Collins)を読んだ。この本も、評判通り、非常にすばらしい本であった。この本が出版されたのは2001年と5年以上前になるが、古いというような印象は全くもたなかった。

とすると、この本に取り上げられた11社の業績も順調なのだろうかと思った。ということで、調べてみた。

ちなみにこの本で取り挙げられた11社の選定基準は『株式運用成績が15年にわたって市場並み以下の状態が続き、転換点のあとは一変して、15年にわたって市場平均の3倍以上になったこと』である。この基準はインテルもGEもコカコーラも満たせない。この11社のみが満たせたのであった。
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[アボット・ラボラトリーズ] 2000年以降株価横ばい
[サーキット・シティ] 2000年以降株価大きく低下、いまだ回復できず。2000年以降Best Buyに業界一位の座を明け渡す。
[ファニーメイ] 2004年に会計不正発覚。1998年から不正をしていた。偉大どころかイタイ会社であった。株価は2000年以降横ばい。不正発覚から下落。
[ジレット] 2005年P&Gが買収。会社ごとなくなる。
[キンバリークラーク] 2000年頃から株価は横ばい。
[クローガー] 2000年ごろをピークに株価は大きく下落、その後徐々に回復基調にあるが、2000年レベルには遠い。
[ニューコア] 1995年以降株価は横ばいか下降傾向だったが、2004年ごろ上昇はじめ、2007年現在も上昇傾向を続けている
[フィリップモリス(Altria Group)] 株価は1998年頃急落したが、徐々に上昇はじめ、2007年現在も上昇傾向を維持している
[ピットニー・ボウズ] 2000年頃株価急落、その後横ばい。
[ウォルグリーンズ] 株価は2000年以降も成長を続ける
[ウェルズファーゴ] 株価は2000年以降も成長を続ける
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11社中、ビジョナリー・カンパニーを続けられているのは4社だけである。

これは何を意味するのか?

ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則が嘘っぱちなのだろうか?自分はそう解釈しない。この法則は生きている。ではなぜか?単純にこの法則をその後も守りきれなかったからという会社もあると思うが、この法則だけではビジョナリーカンパニーであり続けられないのだろう。

さらに何が必要なのかは、後1年考えたい。

むむ。この本の調査研究を始めるタイミングが5年遅かったら、違う企業がノミネートされていたかもしれない。そう考えると、違う法則が見つかっていたか。。。いや、自分の解釈としては、この法則は必要だと思う。ということは、この法則に加えて、後1年で自分が探さないといけない法則が見つかっていたかもしれない。

『Failure is an opportunity for learning.』(Peter M. Senge)

真のリーダーのスコープ

2007-05-12 | for myself
『会社、コミュニティー、家族。自分のかかわる主な組織のいずれにおいても、その組織の価値の最大化を目指す。それが真のリーダーである。』(K.S.)

ブルー・オーシャン戦略

2007-05-10 | for blogreaders

先日、『ブルー・オーシャン戦略』(W・チャン・キム+レネ・モボルニュ)を読んだ。すばらしい分析、論理展開、説明のわかりやすさ。質が違う。楽しくて一気に読んでもうた。(本の中身はちょっと置いといて)読みながら、「任天堂のWiiはまさにブルー・オーシャンを泳いでいるやんけ!ブルー・オーシャン戦略というものを知らんくても、自分たちの経験をもとに試行錯誤の結果、Wiiを作った、それが結果的にブルー・オーシャン戦略に当てはまっていたんやろうな。さすが世界のNintendoやな。」と思った。

そしたら、やっぱり、というか、実際というか、実は任天堂はブルー・オーシャン戦略を社内で研究して、本気で実践して、その結果としてWiiを世に送り出したのだった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070425/123630/
http://www.blueoceanstrategy.com/action/BOSinAction.html

任天堂がブルー・オーシャン戦略をこれまでの経験から自分たちで作り出していたとしてもすごいが、逆に、この本を読んで研究して実践したという方が自分にとってはすごい会社だと思わせる。

あの世界の任天堂に変なプライドなどはなく、良いと思った理論やフレームワークを愚直に取り入れようとする企業風土。強い会社が謙虚に努力をしたらそれはそれはさらに強くなるやろう。

『組織にブルー・オーシャン戦略が根づき、常に現状とあるべき姿のギャップを見極めながら新市場を探索し続けなければ、「競争のワナ」にはまってしまい、すぐにレッド・オーシャンに戻ってしまう。』(W・チャン・キム)