Balance them, Kenji !

どっちかじゃなく、どっちも

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ありがとう

2008-05-23 | for my wife
留学生活最後のエントリは、留学生活最初のエントリと同じタイトルにした。


彼女と一緒になる前は、自分の幸せは、100%自分のHappinessからなっていた。
彼女と一緒になると決めたとき、自分の幸せは、自分のHappiness と彼女のHappiness から成り、そしてその比率は半分半分だと自分に言い聞かせた。つまり、自分が100%Happyでも、彼女が0%Happyなら、自分の幸せは50%しかないということ。

「言い聞かせた」という言葉を使ったのは、一緒になると決めて、それまでの自分の幸せの源泉を急にさらっと変えられるものではない。(そうできればええんやけど) 訓練というか意識付けというか、日々の気持ちとして、自分のHappinessは、自分の幸せの半分でしかなく、彼女のHappinessが満たされないと、自分も幸せではないと思うようにしている。
といっても、今でも、いろんな場面で、彼女の一言で、自分が無意識のうちに自分中心的な態度/考えが出ていることに気づく。まだまだ道半ばというところである。

この2年間で基本的なこの考えは変わっていない。ただ、少し進化した。結婚を決めた当時は、漠然と半分半分と思っていたが、今は、

自分の幸せは、自分のHappiness:彼女のHappiness=51:49

とした。1%だけ自分を多く定義した理由は、自分を見失わないため。自分が自分であるため。そのための1%。

例えば、今回の留学(日本から米国に来ること)は、自分の選択であり、彼女の選択ではなかった。また、2年経って、米国から日本に戻ることも、私の選択で、彼女の選択ではない。
つまり、これは、その1%である。
しかし、彼女は、この1%を、私を応援するために尊重してくれている。私が自分自身であることを応援してくれている。

では、彼女の幸せの割合はいくらなのか、もちろん、聞いたことはないが、自分が感じるのは、私と同じく、およそ半分半分ではないかと思う。

なぜなら、最初のエントリで書いた通り「 実は、彼女とは性格がだいぶ違うけど、1つだけ共通する大事なものがある。それは、相手を思いやること。」だから。

自分はこの2年間、ほんとに幸せだった。なぜなら、自分はHappyだった。そして、彼女もHappyだったと思うから。


「幸せの法則 自分のHappiness:彼女のHappiness=51:49」(K.S.)

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やり残したことはないか?

2008-05-19 | for blogreaders
昨日のエントリーをうけて、自分は Class of 2008 (同級生)のリーダーであったか。答えは、ノー。

というのも、この2年間で自分が設定した目標は、目標と非日常というエントリーで書いたように、「一生で一度しかない米国MBA生活という機会を悔いなくしっかり勉強して、英語が母国語でなくてもきっちり結果を残して卒業する」ということだった。つまり、昨日のエントリーで定義したようなリーダーとなることは目標として設定していなかった。

卒業した今、上記目標を達成したと思う。きっちり学生としての結果を残せただろう。(MBAを活かすことはこれからだが)そして、やり残したことはないかと聞かれれば、答えは、


ノー。(えっ?ノー?うーん、ノーだなぁ。)


目標は満たされ、結果には満足しているが、まだ、なにか満たされないものがある。それこそが、自分が Class of 2008 のリーダーではなかったということだろう。つまり、Class of 2008 の価値の最大化を目指してはいなかったということだろう。
自分の価値の最大化は目指していたが、クラスメート全体の価値の最大化を目指していたわけではなかった。自分の価値の最大化を通して、クラスメートの価値を何らかの形で高めたかもしれないが、自分の思考の中心に Class of 2008 全体のことがあったわけではなかった。

いくつかの授業では、自分の発言を通して、そのクラス全体の価値を高められたと思う授業もある。しかし、それは主に、成績評価の基準としてクラスでの発言が大きなウェートを占めるからであった。つまり、結局は自分の成果を中心とした思考である。しかし、リーダーとして重要なのは、自分ではなく、組織全体に視点が向いているかということ。

おもしろいのは、設定された目標と結果が原因で、満たされないものが生まれてくるのではないことである。というのも、目標自体はチャレンジングであったと思う。結果が良くなかったというわけでもない。

では、なぜ満たされないものがあるのか。それは、チーム全体、組織全体の価値に視点をおいた思考をすることが、私は根っから好きなのかもしれない、その好きなことをしなかったから、満たされないものが残っているのかもしれない。
この2年間は「人の心配をする暇があったら、自分の心配をしろ」という状態だった。ただ、そんな状態でも、組織全体を考えた行動をとらないと自分が満たされないということなのだろう。


「あーーーーーー、やり残してもーたーーーーーーーー!」(K.S.)

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リーダーシップという言葉はないものとする

2008-05-18 | for blogreaders
今日2年間のMBAコースを終了し、Claremont Graduate Universityを卒業した。これからプロフェッショナルな世界に戻る。MBA卒業生として期待されていることの一つは、自分の所属する組織のリーダーとなることだ。

では、リーダーとは何か?誰か?リーダーの定義はいくつもある。それに合わせてリーダーシップの定義もいくつもあるだろう。

リーダーを目指す者、リーダーになることを期待されている者として、「リーダーとは何か」自分なりの定義を持っているべきだろう。以前のエントリーで私は『リーダーとはその組織の価値の最大化を目指す者』と定義した。

では、リーダーシップとはどう定義されるのか。リーダーシップと聞くと、あるイメージ、それも比較的はっきりとした特定のイメージが浮かぶであろう。しかし、その像は、はたして正しいリーダーシップの定義と言えるのだろうか。

ここではあえてその定義を言葉に表さないが、そのイメージ像をリーダーシップとして捉えることは、間違ったリーダーを、組織にとって不都合なリーダーを作り出すことになるだろう。

リーダーシップとはある特定のイメージ像ではない。定義するなら、『リーダーシップとはその組織の価値の最大化を目指すこと(または、目指す気持ち)』である。つまり、どんな性格でも、どんな能力でも、どんなポジションでも、どんな年齢でも、その組織に属している人は、その組織の価値の最大化を目指せばリーダーとなれるのである。
ここでの「価値」とは、現在の価値ではなく、未来の価値である。
ここでの「最大化」とは、価値を少し高めるということではなく、可能な限り価値を高めることを目指すということである。

別の言い方をすると、自分のことを中心に考えるのではなく、組織全体の未来の価値を高めることを中心に考え、行動でき、結果を出せる人が、リーダーなのである。

特定の意味を持つかのようなリーダーシップという言葉はないものと思った方が、リーダーとなるにあたって、迷わず、間違わず、よいのではないだろうか。



卒業式プログラムの1ページ目の言葉:
「The best way to predict the future is to create it.」(Peter F. Drucker)


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内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊

2008-05-13 | for blogreaders


内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』を読んだ。

富士通で導入された成果主義の失敗の様子が赤裸々に語られている。

まず、何をもって成功/失敗といっているのか。この本では、
  • 成果主義の導入は人件費抑制の方便(バブル期入社組、中高年世代の人件費抑制)
  • 裁量労働制は人件費カットが目的
とある。
であれば、制度の名前はどうあれ、経営者がこの制度を導入した目的(真の目的)が人件費カットであれば、成果主義(嘘の目的)の成功/失敗うんぬんではなく、人件費がカットされたかどうかで成功/失敗を評価すべきであろう。

で、これら制度導入の結果、人件費は減るどころか、「人件費は2割もアップ」したとあった。普通に考えて当然の結果であると思う。この制度を導入した人は、真の目的が達成されると本気で信じていたのであろうか。

この問題に限らず、一般論として、嘘(建前)の目的を伝えて、真の目的を達成できる程、企業経営は簡単ではないはずである。企業は人が感じて動く組織である。しかも、富士通には16万人(連結)の従業員がいる。嘘の目的を聞いた16万人が、感じて動いた結果、真の目的を達成してくれると本当に信じていたのであろうか。

なぜわざわざ、本音と建前でことを進めるのだろうか。もちろん、その方が、ことが進むことはあるだろう。しかし、これほど重要な変革を本音と建前で議論すること程、危険なことはない。建前で人は動かない。建前では成果は出ない。

経営者も従業員も、一方の利害/価値観からだけで、思考し、議論するから、本音と建前が必要となってしまう。お互いの問題をオープンに机に並べて、両者にとっての最善の策を議論すればよいのではないか。

成果主義/裁量労働制の場合であれば、経営者側は、「バブル期入社組、中高年世代の人件費抑制」「残業代などの全体としての人件費抑制」など経営者側の抱える問題を従業員側に伝え、従業員側は、これまでの年功序列による人事評価によるモチベーションの低下、無用な労働時間拘束という従業員側の問題を経営者側に伝え、ぶっちゃけベースで議論すべきではないか。

相手の問題点を理解した上で、お互いの状況が改善する解決策を探すのが、利害が一致しない者同士での物事の進め方ではないか。

「Negotiating Your Way from Confrontation to Cooperation」(the subtitle of "Getting Past No")

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継続力による成長

2008-05-12 | for blogreaders
これまで3回にわたるエントリで、継続力が自分の強みであると認識したが、それを強みとして頼ってよいのかどうかということを確認したい。

楽天 三木谷さんの本『成功のコンセプト』に「毎日1%の改善を1年間行えば、1.01の365乗は元の37倍以上である。」というようなことが書かれている。これは、「毎日続けるということ」と「毎日改善するということ」の両方が満たされて初めて実現する数字である。

毎日1%の成長とは大変な成長率だなと感じたので、もう二つ緩い成長率で何倍になるか計算してみた。

1.0%    37.8
0.5%    6.2
0.1%    1.4

毎日0.5%の成長としても、1年後には6.2倍の自分になっている。0.1%で、1.4倍。毎日0.1%の成長というのは、やればできる数字に思う。1.4倍は悪くない。

しかし、私の言う継続力は月単位や年単位のこともあるが、もう少し長い期間をイメージしている。ここは、継続力の父、おやじを例にとり、40年、継続し続けることができたら、どうなるか計算してみた。ここでは、控えめに毎日0.1%の成長として計算してみる。

年     成長倍数
----    -------------
1                  1.4
2                  2.1
3                  3.0
4                  4.3
5                  6.2
6                  8.9
7                12.9
8                18.5
9                26.7
10              38.4
11              55.3
12              79.7
13            114.7
14            165.2
15            238.0
16            342.8
17            493.7
18            711.0
19          1024.1
20          1474.9
21          2124.2
22          3059.4
23          4406.4
24          6346.3
25          9140.2
26        13164.2
27        18959.8
28        27306.9
29        39328.7
30        56643.3
31        81580.6
32      117496.5
33      169224.5
34      243725.8
35      351026.4
36      505566.3
37      728142.5
38    1048708.1
39    1510403.3
40    2175360.3
--------------------

なんと、40年で、控えめにして217万倍の成長である。(おやじ。。。)


「『(高い緊張感を保った状態での)継続力』とした自分の強みに頼ってもよさそうだ。」(K.S.)



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おやじの背中

2008-05-11 | for myself
前回のエントリで継続力が自分の強みとなったことを分析してみたが、あれは理由の半分でしかない。もう半分が残っている。

自分の親父(おやじ)は「昭和親父」そのもの。
  • 亭主関白
  • 煙草は1日2箱(だった。)
  • 毎晩晩酌でビール1杯と熱燗3合を飲む
  • 飲んでない時は無口、飲むとしゃべるしゃべる。
  • 話すことは、説教か講釈だけ。(飲みだすと、「まあ、座れ」と言って、小学生、中学生である私と兄に、説教/講釈をするが、これが長い。しゃべりだすとずっと話している)
  • おやじと一緒に遊んだ記憶(キャッチボールとか)はほとんどない。(生まれてから今まででもトータルで2、3時間程度だろう)
結果、親父は私にとっての反面教師となった。親父のやっていることを私はやらないようになった。

ただ、親父から引き継いだものもある。それが
  • 継続力
だ。

自分が小学生の頃、兄が小学生だったか中学生だったかのサッカー部を自分には向かないからやめたいといった時、「ダメだ、やりたいといって始めたのなら、最後までやりなさい」と絶対に部活をやめさせなかった。結果、兄は万年補欠であったが、最後まで部活を続けた。

これ自体が、兄にとって適切な判断かどうかはわからないが、その時、私は「一度始めたら最後までやらないといけないのか」と子供ながらに強烈に思った記憶がある。

親父がこの考え方を口うるさく言っていたという記憶はない。だから、これに関しては反面教師とはならず、素直に受け入れたのだろう。(このことを頻繁に説教/講釈されたら、反感/反発していたことだろう)


それともうひとつ、(こちらの方が強力であるが、)親父の仕事に対する姿勢から「継続力」を学んだ。同じ会社で40年以上、来る日も来る日も仕事をし続けている。その間、いつも、真剣勝負で、チャレンジングな仕事をし続けているように見えた。親父から仕事の話はほとんど聞いたことはないが、「親父の背中を見て学んだ」のだろう。

おそらく、親父も継続力が強みであり、私はそれを先天的に受け継ぎ、また、後天的に強化され/強化した結果、自分の強みとなったのだろう。

「私はおやじの背中から学んだ。」(K.S.)
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継続力

2008-05-08 | for blogreaders
前回のエントリで自分の強みが 継続力 だと書いた。では、なぜ継続力が自分の強みとなったのだろうか。
これは、自分の弱みをカバーするために伸びてきた、伸ばしてきたのだろう。

小学生で習った速さの計算式で考えればわかりやすい。

「時間×速度=距離」(ここでは「距離」を成果とする。)
  • 「速度」が遅い。自分の弱み。
地頭が良くなく、瞬発力もない。脳まで含めた身体能力が低いといえる。

   ↓
  • 「時間」を高める。時間を高めるためには、
    • 目標を定め、ブレない。
「初志貫徹」「有言実行」

    • 計画的に実行する。
「優先順位を崩さない」「冷静」「時間管理」「(突発的なことにより計画が狂わないようにするため)前倒しでことを進める」

    • 高い緊張感で継続する。
「情熱」「飽きない」「自分を疑わない」

    • 継続できる精神と肉体を養う。
「精神安定」「ストレス耐性」「規則正しい生活(睡眠と食事)」「体力維持」


ここでの「 」付の表現は、自分自信の特徴を表しているように思う。これら、それぞれが、合わさって「継続力」という力に集約されているのだろう。

いくつかの自分の特徴(100人中1、2ではないが、どちらかというとよい方かなぐらいの強み)がトータルとして、「継続力」(100人中1、2の強み)という形で現れているのだろう。

正直、「速度」が速い人をうらやましく思っていた。自分はこれだけ時間をかけて(つまり、他にやりたいことを削って)やっているのに、速い人はさらっと同じ成果を出すことを。自分にとって時間はなによりも貴重な資源なのにと。しかし、ようやく最近になって、単にスタイルが違うだけ、強み弱みが違うだけと思えるようになってきた。

スタート地点は消極的な選択だったかもしれない。「速度」(瞬発力や脳も含めた身体能力)が足りないので、それをカバーするために「時間」のクオリティを高める努力を続けてきた。その結果、「継続力」が自分の強みとなったのだろう。


「Make weaknesses irrelevant」(Peter F. Drucker)

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自分の強み

2008-05-07 | for blogreaders


Peter F. Drucker の書いた「The Effective Executive」には Making Strength Productive という章がある。強みを活かせと。

この学校に来てから、自分の強みは何かと考えてきた。
  • 頭の良さ:良いとはいえないなー。
  • 頭の回転:どちらかと言えば遅い方かもしれない。
  • 記憶力:最も苦手。
  • 活字を読む速度:遅い。
  • 思考力:悪くはないと思うが、同じぐらいの人はたくさんいる。
  • 運動能力:あればプロスポーツ選手になりたかったよ。
ここまでは良い所なし。人から時々言われるのは、
  • がんばり屋:同じぐらい頑張れる人はたくさんいる。
  • 時間管理:最も気をつけていることなので、そうかもしれないが、飛び抜けているとは思わない。
  • 社交性:社交的だと思うが、根っからの社交好きではない。
  • 生命力:確かにいろんな国でいろんな料理を食べてきたけど、どこでも生きていけそうだ。
だんだんと良くなってきたが、飛び抜けた強みではない。

しかし、この2年間でひとつ自分の強みと思えるものが見つかった。クラスメートや、これまで自分の周りにいた人と比べても、自信を持てるものが。100人の中で1、2と言えるような強み。

その強みは、

  • 継続力
単に何かを続けるということだけではなく、
  • (高い緊張感を保った状態での)継続力

自分の強みをブログに書くと、自慢というか天狗というか、なんだか心苦しいが、自分の強みを見つけることは重要である。他人にはない強みを活かす。(なので、私を知る人で、継続力は私の強みではないと思う人は、むしろ、教えてください。正直、助かります。)

そして、自分の強みは、月単位といった短期間では変わらないが、年単位といった長期では変化する可能性がある。適宜、自分の強みを問い直すことが必要である。この2年間で見つけた自分の強みをこうやって記録しておくことも必要であろう。

※この継続力がどのようにして生まれているかの分析はまた改めて書いてみたい。


「The task of an executive is not to change human beings. Rather, the task is to multiply performance capacity of the whole by puting to use whatever strength, whatever health, whatever aspiration there is in individuals.」(Peter F. Drucker)
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3秒ルール

2008-05-06 | for blogreaders
今日、ランチをカリフォルニア出身のクラスメートと食べていたら、彼が「床に落ちた食べ物をすぐ拾えば、細菌は着かない。だから、それを食べても害はないという研究が発表されたという記事を読んだ」と言った。
これを聞いて、驚いた。というもの、これは、以前書いた「教育シリーズ:学ぶ意志」で、堀川高校の学生が探求していた主題と全く同じだったからだ。

例えば、「食べ物を床に落としても三秒以内に拾ったら食べれるという、いわゆる三秒ルールは本当か?」といった探求をできるそうである。
(物質の付着速度や液体の浸透圧、菌の感染速度などを探求するのでだろうか。)

そして、彼に日本にも同じような迷信があると説明した。すると、なんと、アメリカにも全く同じ迷信があると。彼はそれを「Three seconds rule」と言った。日本も「三秒ルール」と言う。呼び方まで一緒じゃないか!

いつからどのように日本とアメリカで同じ表現で同じ迷信が広がったのか非常に興味がある。

ちょっと古いので彼が見つけた記事ではないと思うが、このことだと思う。

5-second dropped-food rule debunked

But now student researchers Molly Goettsche and Nicole Moin claim their study debunks the five-second rule by showing that bacteria needs more time to contaminate dropped food than previously believed.

In a statement, Goettsche said: "The five-second rule should probably be renamed. You actually have a little more time."

(3秒ルールだったり、5秒ルールだったりいくつかバリュエーションがあるようだ)

この二人の学生の名前(Molly Goettsche and Nicole Moin)が、堀川高校の学生の名前でないのが残念だが、その学生もまた、高校生にして同じ3秒ルールの探求をしていたかと思うと、なぜかうれしくなる。壮快である。

その学生が堀川高校でなく、違う日本の高校に通っていたら、その学生が「3秒ルール」を探求したといった時、「ふざけ過ぎだぞ」などと言って、頭の固い教師だったら、主題の変更を求めたかもしれない。そんなことをしてしまったら、学生は学ぶ意志を削がれてしまう。それは教育者の失敗と言えるだろう。


「その学生は、この研究を発表した Connecticut College に進学したいと言うかもしれない。進学したかもしれない。」(K.S.)
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The Queen

2008-05-05 | for blogreaders


The Queen」を見た。イギリスエリザベス二世を主人公とした映画。イギリス皇室の生活風景や政府との関係など、興味深く見ることができた。Helen Mirren の演技は、本当にエリザベス二世じゃないかと思ってしまうぐらい、名演技だった。

イギリスブレア首相が当選し、エリザベス二世に任命されて初めて首相となるところなどは、日本の制度と同じだった。「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」(憲法6条1項)

知らなかったのは、エリザベス二世がイギリス女王であるだけでなく、なんと、33カ国の女王であるという事実。(Wikipediaにその説明が「States headed by Elizabeth II」)

これは意味がよく分からない。というか私の想定の範囲を超えていたので、33カ国でどうやって女王として行動するのだろか、想像がつかない。不思議だ。

この点に関してWikipediaに以下のような説明があった。

『このため、法的に厳密に考えると、相互に反対の意見を持っている国の元首としての顔を持つことになる。たとえば2003年に勃発したイラク戦争では、同戦争に賛成したイギリスやオーストラリアなどの元首という立場を持つ一方で、同戦争に反対したカナダの元首として行動することもできる。』

日本では天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第一条)であるが、イギリスではエリザベス二世は何なんだろう。

最後にイギリス王室と日本皇室のトップページを見てみたが、あまりの差に愕然とした。
皇室のひとつの国務として、他国との友好関係構築があると思うが、このサイトはいかがなものか。これは10年前のサイトだ。

「「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」とあるが、なぜだろう? 中学校でこれ自体は習って暗記した記憶があるが、その理由やメリット/デメリットは習ったっけかな?」(K.S.)
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