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新・さひょ君のらくがき帳

僕と妻と娘、3人の日常と僕の趣味を書いたブログです。

愚痴です

2015-12-21 23:11:10 | 自分のこと
 この時期になると、毎年、早期退職の募集があります。

 退職金をちょっとだけ上乗せするから、中高年は早く辞めろという話です。まあ、もともとの給料の額が知れているヒラはお呼びではなくて、役職者を主な対象にした制度ではあるのですが。

 思わず、手を挙げてしまいそうになります。この前、現実に辞めた人間に会って、元気な姿を見たばかりだから尚のこと。

 でも、挙げませんけどね。当座の生活がありますし。大学を出るまでと考えたら、あと10年くらい娘を育て上げなきゃならないですから。

 今年は、これに加えて、降格希望の募集が回って来ました。課長なら課長補佐に、係長ならその下の主任に。今の仕事が自分には荷が重いと感じたなら、希望に応じて、いくらでも下げてあげるという、大変ありがたい人事です。

 まじめな話、会社全体で病欠が毎年一定数いて減らないし、その大半がメンタル関係だから、上層部としても、ほってはおかない、休む前に言ってくれれば、仕事を軽減して負担を減らします、という姿勢を現しているものです。

 これは、僕としては、さらに手を挙げてしまいそうになります。

 でも、挙げない。

 僕が今、この職場で降格を受けても、担当業務は全く変わらない。給料が下がるだけで、しんどさは同じ。これは、全く割に合わない。

 やれやれ。なにか良いことないですかねえ…。
 

 


失われた子ども時代を求めて

2015-08-16 23:50:25 | 自分のこと
このブログで、たまに特撮作品を取り上げます。

今よく見ているのは、70年代の作品です。以前ブログで取り上げた「アイアンキング」、「レッドバロン」に「ウルトラマンA」。見終わったら記事にするつもりですが、現在見ているのは「ウルトラマンタロウ」。次は当然「ウルトラマンレオ」を見る予定です。

他にも、ここ数年で見たものは「シルバー仮面」に「宇宙刑事ギャバン」、「宇宙刑事シャリバン」、「ウルトラマンティガ」…。「ティガ」を除いては、僕の子ども時代の作品です。

僕は自分の子ども時代が、全然懐かしくありません。実際に子どもだった頃は、早く大人になりたくて、仕方がありませんでした。早く大人になって、自分の責任で、自分の好きなように生きたかった。

実際に大人になってからは、昔のアニメや特撮を、やたらと見続けています。

代償行為なのだろうと、思います。

子どもらしい子ども時代を、過ごしたかった。

父の手による中途半端な英才教育で、妙に斜に構えた、醒めた子どもになってしまいました。好きなものを素直に好きと言えず、良いと思うものを素直に良いと言えず…。


子どもに戻ることはできなくても、疑似体験はできます。

親の呪縛から離れた場所で、改めて、自分の好きなものを、自分の好きなように楽しみたい。

今、僕は自分の過去を取り戻しているのだと、思います。

ところで、地元のTSUTAYAには「ウルトラマン80」は置いてないので、「レオ」を見終わったらどうしようかと思案中です(まだ先の話ですけど(笑))。

どうせ取り寄せて見るなら、「ファイヤーマン」か「ミラーマン」が良いかなあ(笑)。


日記

2015-02-26 21:48:46 | 自分のこと
ブログのほかに、日記帳を毎年購入して、日記を付けています。

と言っても、毎年三日坊主にもならない二日坊主で、年末には最初の2、3ページだけ書いた日記帳が、残されることになります。

ところが、今年は不思議なことに、もうすぐ2月も終わろうかという今の時期に至っても、ほぼ毎日、日記を付けています。たまに付け忘れた日や1、2行しか書いてない日もありますが、ともかく、続いてはいます。

仕事が忙しいし、妻のことや、娘のこともあります。主な出来事を羅列するだけでも、日記ができ上がってしまうみたいですね。

いいことなんだか、なんなんだか(^^;。


20年になるんですね…

2015-01-17 10:49:53 | 自分のこと
今日は阪神淡路大震災から20年なんですね。

ということは、僕が結核を患って入院してからも、丁度20年ということになります。

今でもはっきりと憶えています。

週末からの高熱が引かず、当時住んでいた竹田市のアパートの近所の小さな個人病院のドアをくぐりました。熱を計り、レントゲンを撮られて、診察を待っている間に待合室で見たテレビに、紅蓮の炎に包まれて燃え盛る神戸市長田区の光景が広がっていました。

これは大変なことになった。

あまりの事態に言葉もなく、ただ画面を見つめているところに診察室に呼び込まれ、院長が開口一番

「あんた、大変なことになっとるよ。すぐに入院せんといかん」

院長が指差した先には、右の肺が真っ白になったレントゲンが掲げてありました。

院長が病名を告げます。

「詳しく検査するまでもない。結核だ」

幸いなことに排菌していなかった(呼気に菌は検出されなかった)ので、隔離は免れましたが、翌朝迎えに来た親に連れられて地元の病院に転院、その二週間後には手術のために大分市内の国立病院へ再度転院と居所を移動しながら、トータル一ヶ月半の入院と、二週間の自宅療養を送る羽目になりました。

唯一、親に済まないことをしたと思っていることです。

毎年、この日が来る度に思い出します。




時は移ろい

2015-01-16 21:24:05 | 自分のこと


仕事で近くに行ったので、ちょっと寄ってみました。

写真右奥の部分に、昔はアパートがあり、僕はそこに幼稚園から中2の秋までの8年間住んでいました。当時既に築二十年くらい、狭くて小汚ないアパートでした。

アパートの前は何もない広場になっていて、子ども達の格好の遊び場でした。丁度写真中央、画面まん中のあたりです。鬼ごっこ、野球、ドッチボール、かくれんぼ、ラジコン、凧上げ、縄跳び、竹馬の練習をしたり、ただ単に自転車を乗り回したり…。夏休みのラジオ体操も、毎朝ここでやっていました。

当時、奥の山は画面の左半分が禿げ山で、岩肌が露出していて危険なため立入禁止になっていたのですが、たまに無性に登りたくなって実行し、怒られたものでした。

今でも、たまにこの頃のことを夢に見ます。

今はアパートは跡形もなく、広場はきれいに舗装され、全部で一つの駐車場になっています。禿げ山も、木が覆い尽くしてしまいました。

僕にとっての故郷は、中2から高3までの4年間を過ごした、今も親が住んでいる家ではなく、今はもう存在しない、この場所にあったアパートなのです。