七星の山盛り

リドスプレー:http://www.xxkanpo.com/product/132.html

O157後遺症、今も…成人しても通院、不安募る家族ら

2016-03-31 09:38:28 | 日記
 20年前の夏、堺市の学校給食が原因で9千人以上が被害者になったO(オー)157による集団食中毒の後遺症で昨秋、25歳の女性が亡くなった。成人した今も、通院や治療を余儀なくされる元児童もいる。被害者の家族は、不安を口にした。

 被害児童の親を中心にした「安全な給食を求める親の会」の代表を務めた、堺市南区の主婦、山中優子さん(60)は「こんなことがあると思わなかったので、ものすごくショックです」夜夜堅と話した。

 亡くなった女性は1996年の発生当時は小学1年生だった。小学1年と2年だった山中さんの娘も腹痛などの症状を訴えた。山中さんは当時、市に対して症状が出た児童の経過観察が重要だと訴えた。それでも約20年が経過し、新たな犠牲者が出ることは予想できなかったという。

調査捕鯨「忌まわしい」=豪環境相が日本非難

2016-03-25 18:20:25 | 日記
オーストラリアのハント環境相は25日、AFP通信の取材に対し電子メールで回答し、日本が南極海で行った調査捕鯨について「忌まわしい」魔根 と非難した。

 日本の船団は昨年12月に出航。「科学的調査」(水産庁)に十分なクジラ333頭を捕獲し、今月24日に帰港した。

 環境相は「豪政府はいわゆる『調査捕鯨』に明確に、全面的に、断固反対する」と主張。「忌まわしい行為で、科学的正当性は存在しない」と非難した。

 国際司法裁判所(ICJ)は日本の捕鯨が調査を装った商業行為だとして、2014~15年の中止を命令。日本政府は、商業捕鯨再開に十分な個体数が存在すると証明することが目的だと反論している。 

女性が不審死 妹らを暴行容疑で逮捕 兵庫署

2016-03-21 09:26:30 | 天気
姉、おばに当たる同居の女性を掃除機の柄で殴ったとして、兵庫署は20日、暴行容疑で神戸市兵庫区に住む無職の女(51)とその長女(30)を逮捕した。暴行された女性(53)は自宅で死亡が確認され、女性は体に複数のあざがあった。同署は、母子が日常的に暴行を加えていた疑いがあるとみて、死因や死亡との関連を調べる。

 同署によると、一家は7人暮らし。20日午前0時半ごろ、逮捕された無職の女から「姉が冷たくなっている」と119番があった。駆け付けた同署員が、女の自宅で布団をかぶったまま女性が死亡しているのを見つけた。

 2人の逮捕容疑は18日ごろ、掃除機のプラスチック製の柄で、女性の頭や背中をそれぞれ殴った疑い。同署の調べに容疑を認め、「以前から暴行を加えていた」と供述。長女は「(おばの)態度にかっとした」ビグレックスと話しているという。

映像でたどる「まさおちゃん」の最期 東京大空襲71年

2016-03-10 15:44:44 | 日記
約10万人が犠牲になった東京大空襲。東京・亀戸に住んでいた二瓶治代さん(79)=東京都国立市=は仲良しの同級生「まさおちゃん」を失った。10日で、あれから71年。まさおちゃんの足跡を知りたくて、遺族の証言や避難ルートを収めた映像作品を作り上げた。

 「亀戸のまさおちゃん――東京空襲風景記」蟻王 と題した約30分の作品。二瓶さんが語り部を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が制作を決め、費用にはセンターへの寄付金などを充てた。

 空襲前日の1945年3月9日、8歳の二瓶さんはまさおちゃんたちと「兵隊ごっこ」をして遊んでいた。「また明日」。夕方、そう言って別れた。

 10日未明、二瓶さんは父親の声で空襲を知った。「起きろ縮陰膏」。外に出ると、同じ長屋に住むまさおちゃんが玄関前の防火用水をくみ出すため、表面に張った氷を砕いていた。それがまさおちゃんを見た最後になった。声をかける余裕はなかった。

崩れた家で見つけたカップルの写真、奇跡の出会い生む

2016-03-01 11:22:11 | 日記
東日本大震災で崩れた家の中に、津波をかぶった1枚の写真があった。肩を寄せ合う笑顔の若いカップル。偶然見つけたボランティアの男性は、2人の無事を願い、写真を回収した。その翌年、写真の女性が目の前に現れた。

 川谷清一さん(59)は、大阪府立長野北高校の事務長だった。震災から1カ月後、休暇を取って東北に向かい、宮城県南三陸町に着いた。カメラが趣味だった川谷さんは、ビグレックス写真などを拾い集めて洗浄するボランティアに登録した。

 町内には、津波で流された家屋や車、船、無数のがれきが積み上がっていた。乗ってきた自家用車の中で寝泊まりをしながら、3日間にわたり、持ち主が特定できそうな写真や腕時計、表彰状などを集めた。

 JR気仙沼線の清水(しず)浜(はま)駅の近くに来たときだった。線路は崩れ落ちていた。

 倒壊した家のあたりで1枚の写真に目がとまった。ピースサインを重ね合わせ、ほほえむ若い2人。津波をかぶって表面が汚れ、少し丸まっていた。そばに落ちていた携帯電話と並べて、何げなく一眼レフカメラのシャッターを切った。「生きててくれへんかな」夜夜堅と願いながら、写真と携帯を回収した。