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友垣

ふるさとを離れて過ぎし日々、つつがなしや友垣

三井フェノールズ・シンガポールの見学記

2013-05-26 05:23:53 | 話題
 シンガポールの石油コンビナートの一郭にある三井フェノールズ・シンガポール、Mitsui Phenols Singapore 略称 MPS を見学する機会があった。この工場は、畏友の坪井正雄氏が創立に深く関わり、1999年7月から2001年10月まで現地法人会社の社長として創立後の育成に尽力された。坪井氏の計らいで、志賀敬之社長を紹介いただき、今回の貴重な見学をさせていただいた。志賀社長は坪井氏の現地社長時代の指導下にあって、共に創立時期に奮励されたとのことであった。
 誠に懇切丁寧にシンガポールの現状を含めて、志賀社長に貴重な時間を割いて御説明いただいた。まずは、坪井氏の御配慮に感謝すると共に志賀社長にも深く御礼を申し述べる。

 今回の見学は、坪井正雄氏がMPSの創立と育成に深く関わったにもかかわらず、私共の友人には、ほとんど自慢話をすることがなかったこともあり、かえって興味を持ったことが動機になっていた。
 MPSの建設には、4~5億ドル投資されているという。日本円にすると単純な為替レート変換によっても400~500億円の投資額になる。どのような工場なのか、個人的に興味を持つのは当然と言えば当然ではないだろうか。

 MPSはシンガポールの石油コンビナートに存在する化学工場である。私の化学に関する知識は、50年以上前の高校程度のものしかない。従って、ここに書きとどめる内容は、その程度の知識を基に、門外漢として少しばかり調べた内容で補足し、さらには憶測が加わることがあることをあらかじめお断りする。

三井フェノールズ・シンガポールの製造工程概要
 原料となる石油は、シンガポールでは産出しない。輸入される石油原産地はほとんどが中近東である。さらにMPSは直接原油を用いることはなく、粗製ガソリンとも言われるナフサを加工(クラッキング)した原料のベンゼンとプロピレンをシンガポールのジュロン島に展開されている石油コンビナートの他社からパイプを連結して供給される。
 MPSの製品は、ベンゼンとプロピレンを加工し、フェノールとアセトン、さらにそのフェノールとアセトンを加工してビスフェノールAを生産している。ビスフェノールAはモノマー、すなわち化学分野では単量体という単体分子構造の固形化したプラスチック原料をトラックで搬出する。液体の製品は別の会社にパイプを通じて供給する。
 その加工工程には、電気、天然ガス、さらには高圧高温の蒸気、石油燃料、水などの資源が使用される。
 簡潔に表現すると、MPSはパイプで原料を受け取り、パイプで製品を出荷すると言えば解り易い。シンガポールでは自由貿易協定があるから、外資系のShellとかEXXONの会社から原料を仕入れても、製品を外資系の会社に売却しても関税はかからない。ジュロン島の石油コンビナートでは、石油から生成される原油を基にして、多くの会社が、それぞれ得意とする石油製品を製造している。

製品のフェノールとビスフェノールAについて
 三井フェノールズ・シンガポール化学工場は、フェノールという化学的資材の名称がついている。この化学工場がフェノールの生産を特化して行っていることを示している。
 フェノールは古くは石炭酸とも呼ばれていて、1900年初頭からすでにプラスチックであるベークライトの材料であった。プラスチックは戦後の産物とも思われているが、戦前からベークライトとして製造されていたのである。戦後になってベークライト以外のプラスチックが大量に生産されるようになり、現代にいたって石油を原材料としたプラスチックが文明を支えているといっても過言ではない。
 フェノールの原料はベンゼンとプロピレンである。ベンゼンは6個の炭素原子が互いに連結した六角形の分子構造を持っており、各炭素原子に水素分子が一つずつ計6個結びついた有機化合物である。この水素原子の一つだけが水酸基、すなわちOHとなっているのがフェノールである。
 このフェノールの生成には、いくつかの製法がある。
いかにエネルギーを効率よく作用させて、しかも原材料からの歩留まりを高めるかという課題があり、化学工場としてのノウハウがかかわる。いわば企業秘密が存在すると憶測する。
 MPSでは、ベンゼンとプロピレンを加工して、フェノールとアセトンを生成している。ベンゼンとプロピレンは精製ガソリンにも含まれているが、ナフサのクラッキング、つまりナフサに触媒等を作用させ、高温・高圧で処理して分子構造を分解し精製する過程、でも生成される。フェノールの2009年での世界の需要は780万トンであり、MPSは30万トンの製造を行っている。
 さらにMPSでは、フェノールとアセトンを加工して、ビスフェノールAを23万トン生産している。2009年のこの製品の世界需要は370万トンであった。
 ビスフェノールAを原料とした製品は、需要が伸びているポリカーボネイト樹脂に68%、エポキシ樹脂に28%が利用されている。
ポリカーボネイト樹脂は、ガラスよりも透明度が高く、しかも耐衝撃力が300倍程度も大きいことから、航空機の窓、DVDなどに用いられている。自動車の窓にも使われ始めているが、現在は側面と後方の窓に限られている。その理由として、自動車の前面の窓は事故時の乗員救出に当たって破壊する必要があり、ポリカーボネイトの窓では、ハンマーなどで破壊できないので安全基準を満たさないからという。一般家屋の扉に採用すれば、防犯上優れているはずである。

製造に関わるエネルギー等について
 当初に書いたようにMPSでの製造工程には、電気、天然ガス、燃料オイル、高圧蒸気等が必要であり、工場外部から購入する。この中で、天然ガスと燃料オイルは、中近東原産地の価格によって変動する。電気と高圧蒸気はジュロン島の中で調達する。
シンガポールではこの売り渡し価格は必ずしも安いとは言えないという。高温蒸気の価格は、韓国とはほぼ同等であるが、タイ、台湾、中国がシンガポールの半値に近い。電気に至っては、韓国、タイ、台湾、中国の方が1/2から1/3程度である。シンガポールでの発電は原油2割、天然ガス8割である。電気、蒸気共にシンガポールでは原油を用いて生産し供給するから、原油価格に依存し、高価になっている。
 シンガポール政府は、原子力発電所の建設も計画していたようであるが、日本の福島第一原子力発電所の災害に伴う事故のために、現在は計画が凍結されているという。
 志賀社長から「シンガポールの蒸気・電気高圧蒸気の価格推移図」の呈示があったがこれを見ると経営する立場から、エネルギー価格高騰に対する悲鳴が伝わってくる。

MPSでの従業員の動向
 MPSの従業員数は総数167名であり、日本から派遣されている日本人は、社長を含めて僅かに7名であるという。残り160名の従業員は副工場長を含めて現地人である。現地従業員の給与は日本に比べても高い水準にあり、シンガポールの人件費は決して安くない。
 MPSの広大な敷地に展開する反応塔とそれらを連結するパイプの束を見ると、よくぞ167名程度の陣容で運営できるものだと感心する。憶測ではあるがコンピュータの導入に伴い、多くの生産のための制御が自動化されて省力化されており、主として需要変動に伴う生産調整とか保守・点検の業務に従業員がかかわるためと思われた。
 志賀社長は、授業員の転職が頭の痛い課題であると説明された。最近年度の退職者は25名もあり、キャリァを積むとそれを理由に転職するという。いつまで経ってもベテラン層の陣容が整わないと嘆いておられた。
 おりしも2013年4月のアメリカのボストンで、ボストン・マラソンの競技最中に爆弾テロ事件が発生した。今なお動機などについては、FBIにより調査中と報道されているが、犯人が筆談で応じる動機の中にキャリア・アップとマネーというのがあり、志賀社長の嘆きに重なる。
 フロンティア精神は、いまやキャリア・アップと形を変え、転職を繰り返すことで収入の増加を計る欧米諸国の悪弊、じわりとシンガポールにも浸透しつつあることを知らされた。
 コンピュータ化された近代化学工場のベテラン作業員とは何だろうか。いかにコンピュータで高度の自動化を行なったとしても所詮はあらかじめ定められているプログラムに従うに過ぎない。そこには、万全の防護はない。
 生産調整のためのバルブの開け閉めの調整にも微妙な経験に基づくサジ加減があるという。そのバルブ操作は製品の質にも影響し、場合によっては安全性にもかかわる。いかにコンピュータ化による自動化が進んでもベテランの操作員が補佐しなければ近代工場の正常な運営は行えないと筆者は考えている。
 ある工場でキャリァを積んだからといっても、その知識・技能が別の工場で通用するとは限らない。いかなる近代工場にも、工場建設にともない、必ずやクセが存在する筈であり、そのクセを体の中にたたき込むことがベテラン従業員としての使命である。
 近代工場でのキャリアを積むために、シンガポールでの日本の若者の従業体験はいかがなものか。ベテランとまではならなくとも国際感覚を養う修行の場として挑戦する日本の若者が増えれば、日本が国際的に孤立して、再び鎖国状態に陥ることはないであろうと思索した。

 三井フェノールズ・シンガポール、MSP工場見学から得た次世代へのメッセージである。
古賀義亮 記





囲碁礼賛

2011-12-14 17:18:09 | 話題
囲碁礼賛
                               古賀弘彦

 六十五歳で多忙な仕事を終え、工場の一要員となって暇な時間が出来ましたので、何を主力の趣味にしようかと考えた時、現役時代に少々手解きを受けた囲碁にすることにしました。会社から帰ってスカパーのビデオを見る。本や雑誌を読む。プロの実戦譜を並べる。パソコンソフトで習う。友人から借りてきたビデオを見る。土曜日、日曜日には、福祉センターや公民館、図書館等囲碁が出来るところが佐賀市及びその周辺には、二十ヶ所程ありますので、そこへ行って実戦を楽しみました。囲碁は、友人仲間も増えてゆき、七十五歳で仕事を終えた後には、ウイークディーも福祉センターの囲碁部へ通いました。熱心に対応したので今では五段、六段格で打っており、福祉センターの囲碁部と兵庫公民館の囲碁部の会長に祭り上げられて居ります。

 囲碁は、現在世界的に、女性間に、子供達にも、そして老人達の間にも、どんどん広まりだしております。囲碁の道具は、白と黒の碁石で最も単純ですが、コンピューターはアマチュアの初段にも達しておりません。チェスは、コンピューターが世界選手権者に勝っておりますし、将棋はプロと互角に戦って居ります。囲碁は、約千年前、紫式部が書いた源氏物語にも、清少納言が書いた枕草子にも、囲碁を打つ場面が何ヶ所も出てきますし、計算の仕方等も出てきます。紫式部の方が清少納言より少々強かったそうです。
 信長は、囲碁を打って、武将としての能力を高めて行ったとも云われて居ります。三コウが出来た時、本能寺の変が起きたので、三コウが出来たら不吉の兆候だと云われて居ります。川中島の合戦で上杉謙信と数度に渉って交戦し雌雄を決し得なかった武田信玄もよく碁を打ったと云われています。
 徳川家康は、プロの碁打ちを育て、禄を与えて、お城碁といって、歴代殿様の前で囲碁を打たせました。そこで育った家元が、本因坊家、安井家、井上家、林家の四家で、この三百年の間囲碁は、殿様の前で打たれ発展し、道策や秀策はじめ多くの優秀な騎士を輩出しました。

 さて囲碁とはどんなものか。また魅力はどこに有るのか。囲碁は、手談と云って言葉は通じなくても話しが出来ます。ボケ防止にも役立ちます。囲碁は調和であり現代にマッチしたケームだと云えます。現代は社会的に、ODAその他与える時代で、囲碁は、白黒合わせて100目だとしたら、四十九目与えて五十一目獲得したら勝ちになります。囲碁は、ゴルフにも似ています。布石がドライバーで、中盤の戦いがあって、グリーンがよせであります。個人技でもあります。
 囲碁は、何歳になろうとも、上達したいという気持ちを持っていれば、上達することが出来ます。100歳で囲碁を打っている人もいます。そして上達すればする程面白くなるゲームです。囲碁は、大局観と判断力であります。政治家も、経営者も作家もビジネスマンそして人生が判断の連続だとしたら、囲碁も、どこが大きいか、死なないか、連続するか、型が良いかの判断の連続であります。
 ピンチもあればスランプも有り、いかにその壁を破り好転を計るか、囲碁は人生そのものであり、良い囲碁を打って良い人生を送りたいものであります。囲碁が人生に似ている面で、人生には、親子、師弟、友人の各道があります。それを踏み外してはなりません。囲碁にも、石の進むべき道があり、それを踏み外すと石は、ぼろぼろに崩壊してしまいます。会社の仕事にも通じており戦略戦術が必要であり、これを駆使して戦わねばなりません。弱い時には守り、強い時には戦う。そういう意味では、囲碁は、哲学であり、力学でもあります。
 囲碁には、地を中心にする囲碁と、石の強さを中心にする囲碁があり、どちらにも片寄らずに、バランスのとれた囲碁を、オーソドックスの囲碁といいます。もう一つの囲碁の魅力に、囲碁は、宇宙に似て奥が深く幅が広い。その道を極めるに無限であります。囲碁は、知的ゲームとして世界で一番良く出来たゲームであり、趣味としても至福の時間をもたらしてくれます。
「辛伸」つらい時が伸びる時であります。
「探幽」奥深さを求める。人生は、徳をつみ、仁を学び、誠を実践する事が出来れば、生涯の喜びであります。「旬に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり」自からを励まして生涯を終えるその一瞬まで「道」を求めて新たな決意を持ち続け限りなく学び続けていく事ですが、合わせて囲碁の道を学んで行くと人生の幅が広がります。

 囲碁上達のコツとして、次の二つの事が上げられます。
一、良きライバルを持つ。
二、毎日囲碁に接する。
又囲碁は、強い人のそばにいれば強くなるとも云われて居ります。一般に使われている言葉に囲碁用語から来た言葉があります。「布石を敷く」将来に備え予め用意すること。「一目置く」優れた人に敬意を表して使う言葉。「駄目」好ましくない結果になること。「八百長」明治の初め八百長という人がいて、この人が囲碁を打つといつも一勝一敗でした。前もって打ち合せておき、うわべだけ勝負を争っている様に見せる事です。
 囲碁には、ルールの他に守らなければならないエチケットやマナーがいくらか有ります。自戒の言葉を記して見たい。
 ワースト一は、何といっても「待ったをする事」でしょう。
待ったは、自分の品格を落とすだけでなく、相手にも失礼であるし、上達への妨げになります。心すべき事であります。
 ワースト二は、観戦している時「助言感想を云う」ことでありましょう。
囲碁が佳境に入り、いよいよこれから勝負という時、横からいらぬ口を出されて不愉快な思いをする事があります。分厚い碁盤の四本の脚は見るからに、ゴツイ感じがしますが、これは「くちなしの実」を型取ったもので「くちなし」は「口なし」で暗に助言を戒めたものだという事です。
 裏面の中央には、四角に彫った「へそ」といわれる溝がありますが、これは別名「血溜」と呼ばれる物騒なものであります。昔助言した者の首を切ってここへ乗せ血が流れぬ様にした事からこの様な名がついたとの事であります。勿論これは、盤のくねりをとめたり、乾燥をはやめたり、打った石の響きを高めるために彫られているという事でありますが、助言者への強い憎悪からの作り話しでありましょう。「碁の助言いいたくなると庭へ立ち」「碁会所で黙って見ている強いやつ」。川柳を待つまでもなく観戦する時はじっと見ていて勝負がついてから感想を述べるようにしたいものです。
 ワースト三は「負けとわかっている碁をだらだら打つ」ことです。
さらに「負け惜しみを言わない」「礼を失しないようにする」等対局者について心がけるべき事は沢山あります。囲碁好きを夢中にさせる一つは、無限の変化にあるのではないでしょうか。確かに碁盤の目は19×19=361と有限であります。打たれた種類は361×361×360×359×・・・×1と途方もない数になります。無限に近いものと云う事が出来ましょう。古来どれ程多くの囲碁が打たれたかわからないが、全く同じ棋譜というものはなく今後もないとものと思われます。

 もう一つの囲碁の面白みとして、囲碁川柳というものがあります。全国では、囲碁川柳のサークルというものが有りますが知人の作った川柳をいくつか上げて見ます。

  ルンルンと家路も楽し五連勝
  ボケ防止詰碁のノルマ日に五問
  人の碁に口も手も出す弱いやつ
  一目差座布団のけて確かめる
  お浄土でケリをつけるという弔辞
  勝った日は妻に聞かせる碁の話
  何よりの見舞いでしたと碁の相手
  小娘にころっと負けてもう止めた
  殺す筋ビッシと決めて反り返り
  碁を打っているのは俺だ口出すな
  いつ来ますか約束迫る碁の相手
  二刀流囲碁の腕でより口達者
  入門書囲碁開眼は夢の夢

       了

私の歴史学 -人こそ歴史の主役-

2011-11-29 19:50:15 | 話題
人こそ歴史の主役
                                  吉村久夫

技術を開発するのは人である。技術の基になる科学を研究するのも人である。時代を造る技術を開発するのが人であるから、歴史の主役はあくまで人である。

技術は日進月歩する。止まることを知らない。昨今はとみにそのスピードが加速している。ドッグイヤーといわれるゆえんである。では、技術の主役である人はどうか。人もまた日進月歩するのであろうか。

今日の女流作家は紫式部を超えているだろうか。今日の俳人は芭蕉を超えているだろうか。どうもそうは思えない。紫式部から千年、芭蕉から三百年も経っているというのにである。

人は今も昔も「生老病死」から逃れられない。寿命という限られた命を生きている。赤ん坊はいつの世も赤ん坊だし、老人もまたそうである。人は限られた時間を生きることを繰り返しているから、一代でなし得る業績にも限りがある。紫式部から千年も経って生まれたから、簡単に紫式部を超えられるというわけにはいかないのである。

だが、人は人を生み育てる。その血脈は世代を超えて永く流れる。人は血脈を受け継がせることによって、限られた人生を永遠のものにするのだといってもいい。

先祖のことはよく知らない。父方は八女地方の和紙の職人だったこと、母方は松浦地方の郷士だったことぐらいである。しかし、私がこの世に出現するまでに、原始時代以来、連綿と夥しい数の先祖がいたことは紛れも無い事実である。

この連綿たる血流が技術やシステムを進歩発展させてきた。だから、私は先祖が知り得なかったことを知っている。同じように、今日の女流作家は紫式部が知らなかったパソコンを知っているし、俳人は芭蕉が知らなかったインターネットを知っている。

このことは一体なにを意味するのだろうか。

人は世代を重ねながら、時に天才を生み出しながら、新しい技術やシステムを造りだし、世の中を変えてきた。文明開化である。科学技術には歴史的な蓄積がある。人々は先人の業績に上に成果を築くことができる。科学技術が日進月歩するゆえんである。

しかし、人の一生は原始時代も今も「生老病死」という条件の中に閉ざされたままである。人間そのものの本質はなんら変わっていない。だから、パソコンを知っているからといって、紫式部になれるわけではないし、インターネットに詳しいからといって、芭蕉になれるわけではない。

むしろ、現代人はパソコンやインターネットを駆使することによって、かえって字を忘れたり、計算能力を損なったりしている。その結果、感受性や想像力など人間本来の能力を損ないつつあるともいえる。とすれば、現代人からは紫式部や芭蕉は出現すべくもないということになってしまう。

物事にはすべて両面がある。人はどうやら新しい知識や利便を得る代わりに、みずみずしい感性や想像力その他、人間本来の特性を失いつつあるように思われる。自動車が発達して足腰が弱くなり、コンピュータが発達して思考力が弱まるといったぐあいである。

人はこれからも歴史の主役であり続けられるだろうか。SF映画ではないが、ロボットや微生物や怪物が人類の存在を脅かすようなことはないだろうか。平衡感覚を失った同じ人間が人間の脅威になることだってありうる。そのいい例が原理主義者による無差別テ
ロである。

人類は利便と同時に不便を作り出した。コンピュータの誤作動一つで人類が破滅に瀕するかも知れないのである。いまこそ人類の叡知を全開させなければならない。叡知という名の神の力でもって、戦争とテロを排除して世界の平和を確保し、経済と自然、技術と人間の調和を造り出さなければならない。

そのためにいま必要なのは教育改革である。世界中で教育の重要性が叫ばれているのはこうした世界史的大激変の背景があってのことである。教育改革に成功する国が将来の世界を救う国となろう。そう考えて私は、自由企業研究会の二十周年企画「日本再生への提言」(『沈んでたまるか!』のタイトルで日経BP社から出版)の中で、教育改革の提言を担当した。
 
教育改革の提言は十一項目からなっており、知育・体育・徳育の三位一体教育の推進、読み書き算盤の幼少時教育の徹底、六三三制に替わる四四四制の導入、卒業試験と社会参加制度の導入、学校・教師への評価制度の導入、科学文部行政の自由化などを訴えたものである。元来、教育は有史以来、社会全体が担ってきた最大の課題である。

ところで日本は古来、山紫水明に恵まれ、すべての宗教を包容する、和の国である。排他主義を排し、自然破壊を回避し、物心両面からの世界の調和を希求するのに最適の資質を持った国である。世界史の中で日本と日本人の果たすべき役割は大きいものがある。

日本経済団体連合会が生まれ、その初代会長に就任した奥田トヨタ自動車会長が「二十一世紀は心の世紀だ」と語った。よくぞいったりである。歴史、とりわけ二十世紀までの近代史は、物を追求し過ぎた。結果、いろいろな歪みを生み、ついには人々の心を蝕んだ。人類はいままさに心を取り戻さなけれ危機に瀕する瀬戸際に立つ。

日本の近代史は「富国強兵」で始まった。敗戦によって「量産民主」に切り替わった。だが、それは物心双方のバブルとその崩壊をもたらした。いま日本は「美国開知」へ進むべき時である。

美しい国を造る。そのために皆の知恵を開発するのである。例えば、環境技術の開発である。日本がもう一度、山紫水明の国を創り出すことができれば、日本は初めて本当に世界中から感謝される国になることができるだろう。

『私の「歴史学」』は私の経営者としての仕事を大いに助けてくれた。経営者としての私の判断基準は縦軸が歴史観、横軸が世界観だった。引退したいま、私はもっと本格的に歴史を学びたいと思っている。それに国内外を問わず、未知の土地を尋ねたいと思っている。
企業は人こそ全てだといわれる。歴史こそはまさに人そのものである。人は未知なる小宇宙であり、その叡知は神をも創造する。叡知には限りはない。人の叡知がもたらす無限の可能性を信じて、人類の未来に希望を持ち続けたい。そう信じることが、私が「生老病死」を超えて永遠に生きる途でもあるからである。(了)

2002年6月10日


卓上置き燈

2011-11-03 20:22:39 | 話題
 この写真は知人が作成した卓上に飾る置物の電灯である。
はてさて、この作品はどのような材質か、次の4択から選んでほしい。
正解できれば、あなたの眼力は素晴らしい。
1.木彫(鎌倉彫)
2.鋳物(彫金加工して着色)
3.色ガラスを複合溶融
4.陶芸(着色陶土)
5.パンフラワー(着色は油性絵の具を練り込む)
6.紙粘土(整形後塗料にて着色)

参考: この写真は電灯が点灯している状態である