シンガポールの石油コンビナートの一郭にある三井フェノールズ・シンガポール、Mitsui Phenols Singapore 略称 MPS を見学する機会があった。この工場は、畏友の坪井正雄氏が創立に深く関わり、1999年7月から2001年10月まで現地法人会社の社長として創立後の育成に尽力された。坪井氏の計らいで、志賀敬之社長を紹介いただき、今回の貴重な見学をさせていただいた。志賀社長は坪井氏の現地社長時代の指導下にあって、共に創立時期に奮励されたとのことであった。
誠に懇切丁寧にシンガポールの現状を含めて、志賀社長に貴重な時間を割いて御説明いただいた。まずは、坪井氏の御配慮に感謝すると共に志賀社長にも深く御礼を申し述べる。
今回の見学は、坪井正雄氏がMPSの創立と育成に深く関わったにもかかわらず、私共の友人には、ほとんど自慢話をすることがなかったこともあり、かえって興味を持ったことが動機になっていた。
MPSの建設には、4~5億ドル投資されているという。日本円にすると単純な為替レート変換によっても400~500億円の投資額になる。どのような工場なのか、個人的に興味を持つのは当然と言えば当然ではないだろうか。
MPSはシンガポールの石油コンビナートに存在する化学工場である。私の化学に関する知識は、50年以上前の高校程度のものしかない。従って、ここに書きとどめる内容は、その程度の知識を基に、門外漢として少しばかり調べた内容で補足し、さらには憶測が加わることがあることをあらかじめお断りする。
三井フェノールズ・シンガポールの製造工程概要
原料となる石油は、シンガポールでは産出しない。輸入される石油原産地はほとんどが中近東である。さらにMPSは直接原油を用いることはなく、粗製ガソリンとも言われるナフサを加工(クラッキング)した原料のベンゼンとプロピレンをシンガポールのジュロン島に展開されている石油コンビナートの他社からパイプを連結して供給される。
MPSの製品は、ベンゼンとプロピレンを加工し、フェノールとアセトン、さらにそのフェノールとアセトンを加工してビスフェノールAを生産している。ビスフェノールAはモノマー、すなわち化学分野では単量体という単体分子構造の固形化したプラスチック原料をトラックで搬出する。液体の製品は別の会社にパイプを通じて供給する。
その加工工程には、電気、天然ガス、さらには高圧高温の蒸気、石油燃料、水などの資源が使用される。
簡潔に表現すると、MPSはパイプで原料を受け取り、パイプで製品を出荷すると言えば解り易い。シンガポールでは自由貿易協定があるから、外資系のShellとかEXXONの会社から原料を仕入れても、製品を外資系の会社に売却しても関税はかからない。ジュロン島の石油コンビナートでは、石油から生成される原油を基にして、多くの会社が、それぞれ得意とする石油製品を製造している。
製品のフェノールとビスフェノールAについて
三井フェノールズ・シンガポール化学工場は、フェノールという化学的資材の名称がついている。この化学工場がフェノールの生産を特化して行っていることを示している。
フェノールは古くは石炭酸とも呼ばれていて、1900年初頭からすでにプラスチックであるベークライトの材料であった。プラスチックは戦後の産物とも思われているが、戦前からベークライトとして製造されていたのである。戦後になってベークライト以外のプラスチックが大量に生産されるようになり、現代にいたって石油を原材料としたプラスチックが文明を支えているといっても過言ではない。
フェノールの原料はベンゼンとプロピレンである。ベンゼンは6個の炭素原子が互いに連結した六角形の分子構造を持っており、各炭素原子に水素分子が一つずつ計6個結びついた有機化合物である。この水素原子の一つだけが水酸基、すなわちOHとなっているのがフェノールである。
このフェノールの生成には、いくつかの製法がある。
いかにエネルギーを効率よく作用させて、しかも原材料からの歩留まりを高めるかという課題があり、化学工場としてのノウハウがかかわる。いわば企業秘密が存在すると憶測する。
MPSでは、ベンゼンとプロピレンを加工して、フェノールとアセトンを生成している。ベンゼンとプロピレンは精製ガソリンにも含まれているが、ナフサのクラッキング、つまりナフサに触媒等を作用させ、高温・高圧で処理して分子構造を分解し精製する過程、でも生成される。フェノールの2009年での世界の需要は780万トンであり、MPSは30万トンの製造を行っている。
さらにMPSでは、フェノールとアセトンを加工して、ビスフェノールAを23万トン生産している。2009年のこの製品の世界需要は370万トンであった。
ビスフェノールAを原料とした製品は、需要が伸びているポリカーボネイト樹脂に68%、エポキシ樹脂に28%が利用されている。
ポリカーボネイト樹脂は、ガラスよりも透明度が高く、しかも耐衝撃力が300倍程度も大きいことから、航空機の窓、DVDなどに用いられている。自動車の窓にも使われ始めているが、現在は側面と後方の窓に限られている。その理由として、自動車の前面の窓は事故時の乗員救出に当たって破壊する必要があり、ポリカーボネイトの窓では、ハンマーなどで破壊できないので安全基準を満たさないからという。一般家屋の扉に採用すれば、防犯上優れているはずである。
製造に関わるエネルギー等について
当初に書いたようにMPSでの製造工程には、電気、天然ガス、燃料オイル、高圧蒸気等が必要であり、工場外部から購入する。この中で、天然ガスと燃料オイルは、中近東原産地の価格によって変動する。電気と高圧蒸気はジュロン島の中で調達する。
シンガポールではこの売り渡し価格は必ずしも安いとは言えないという。高温蒸気の価格は、韓国とはほぼ同等であるが、タイ、台湾、中国がシンガポールの半値に近い。電気に至っては、韓国、タイ、台湾、中国の方が1/2から1/3程度である。シンガポールでの発電は原油2割、天然ガス8割である。電気、蒸気共にシンガポールでは原油を用いて生産し供給するから、原油価格に依存し、高価になっている。
シンガポール政府は、原子力発電所の建設も計画していたようであるが、日本の福島第一原子力発電所の災害に伴う事故のために、現在は計画が凍結されているという。
志賀社長から「シンガポールの蒸気・電気高圧蒸気の価格推移図」の呈示があったがこれを見ると経営する立場から、エネルギー価格高騰に対する悲鳴が伝わってくる。
MPSでの従業員の動向
MPSの従業員数は総数167名であり、日本から派遣されている日本人は、社長を含めて僅かに7名であるという。残り160名の従業員は副工場長を含めて現地人である。現地従業員の給与は日本に比べても高い水準にあり、シンガポールの人件費は決して安くない。
MPSの広大な敷地に展開する反応塔とそれらを連結するパイプの束を見ると、よくぞ167名程度の陣容で運営できるものだと感心する。憶測ではあるがコンピュータの導入に伴い、多くの生産のための制御が自動化されて省力化されており、主として需要変動に伴う生産調整とか保守・点検の業務に従業員がかかわるためと思われた。
志賀社長は、授業員の転職が頭の痛い課題であると説明された。最近年度の退職者は25名もあり、キャリァを積むとそれを理由に転職するという。いつまで経ってもベテラン層の陣容が整わないと嘆いておられた。
おりしも2013年4月のアメリカのボストンで、ボストン・マラソンの競技最中に爆弾テロ事件が発生した。今なお動機などについては、FBIにより調査中と報道されているが、犯人が筆談で応じる動機の中にキャリア・アップとマネーというのがあり、志賀社長の嘆きに重なる。
フロンティア精神は、いまやキャリア・アップと形を変え、転職を繰り返すことで収入の増加を計る欧米諸国の悪弊、じわりとシンガポールにも浸透しつつあることを知らされた。
コンピュータ化された近代化学工場のベテラン作業員とは何だろうか。いかにコンピュータで高度の自動化を行なったとしても所詮はあらかじめ定められているプログラムに従うに過ぎない。そこには、万全の防護はない。
生産調整のためのバルブの開け閉めの調整にも微妙な経験に基づくサジ加減があるという。そのバルブ操作は製品の質にも影響し、場合によっては安全性にもかかわる。いかにコンピュータ化による自動化が進んでもベテランの操作員が補佐しなければ近代工場の正常な運営は行えないと筆者は考えている。
ある工場でキャリァを積んだからといっても、その知識・技能が別の工場で通用するとは限らない。いかなる近代工場にも、工場建設にともない、必ずやクセが存在する筈であり、そのクセを体の中にたたき込むことがベテラン従業員としての使命である。
近代工場でのキャリアを積むために、シンガポールでの日本の若者の従業体験はいかがなものか。ベテランとまではならなくとも国際感覚を養う修行の場として挑戦する日本の若者が増えれば、日本が国際的に孤立して、再び鎖国状態に陥ることはないであろうと思索した。
三井フェノールズ・シンガポール、MSP工場見学から得た次世代へのメッセージである。
古賀義亮 記
誠に懇切丁寧にシンガポールの現状を含めて、志賀社長に貴重な時間を割いて御説明いただいた。まずは、坪井氏の御配慮に感謝すると共に志賀社長にも深く御礼を申し述べる。
今回の見学は、坪井正雄氏がMPSの創立と育成に深く関わったにもかかわらず、私共の友人には、ほとんど自慢話をすることがなかったこともあり、かえって興味を持ったことが動機になっていた。
MPSの建設には、4~5億ドル投資されているという。日本円にすると単純な為替レート変換によっても400~500億円の投資額になる。どのような工場なのか、個人的に興味を持つのは当然と言えば当然ではないだろうか。
MPSはシンガポールの石油コンビナートに存在する化学工場である。私の化学に関する知識は、50年以上前の高校程度のものしかない。従って、ここに書きとどめる内容は、その程度の知識を基に、門外漢として少しばかり調べた内容で補足し、さらには憶測が加わることがあることをあらかじめお断りする。
三井フェノールズ・シンガポールの製造工程概要
原料となる石油は、シンガポールでは産出しない。輸入される石油原産地はほとんどが中近東である。さらにMPSは直接原油を用いることはなく、粗製ガソリンとも言われるナフサを加工(クラッキング)した原料のベンゼンとプロピレンをシンガポールのジュロン島に展開されている石油コンビナートの他社からパイプを連結して供給される。
MPSの製品は、ベンゼンとプロピレンを加工し、フェノールとアセトン、さらにそのフェノールとアセトンを加工してビスフェノールAを生産している。ビスフェノールAはモノマー、すなわち化学分野では単量体という単体分子構造の固形化したプラスチック原料をトラックで搬出する。液体の製品は別の会社にパイプを通じて供給する。
その加工工程には、電気、天然ガス、さらには高圧高温の蒸気、石油燃料、水などの資源が使用される。
簡潔に表現すると、MPSはパイプで原料を受け取り、パイプで製品を出荷すると言えば解り易い。シンガポールでは自由貿易協定があるから、外資系のShellとかEXXONの会社から原料を仕入れても、製品を外資系の会社に売却しても関税はかからない。ジュロン島の石油コンビナートでは、石油から生成される原油を基にして、多くの会社が、それぞれ得意とする石油製品を製造している。
製品のフェノールとビスフェノールAについて
三井フェノールズ・シンガポール化学工場は、フェノールという化学的資材の名称がついている。この化学工場がフェノールの生産を特化して行っていることを示している。
フェノールは古くは石炭酸とも呼ばれていて、1900年初頭からすでにプラスチックであるベークライトの材料であった。プラスチックは戦後の産物とも思われているが、戦前からベークライトとして製造されていたのである。戦後になってベークライト以外のプラスチックが大量に生産されるようになり、現代にいたって石油を原材料としたプラスチックが文明を支えているといっても過言ではない。
フェノールの原料はベンゼンとプロピレンである。ベンゼンは6個の炭素原子が互いに連結した六角形の分子構造を持っており、各炭素原子に水素分子が一つずつ計6個結びついた有機化合物である。この水素原子の一つだけが水酸基、すなわちOHとなっているのがフェノールである。
このフェノールの生成には、いくつかの製法がある。
いかにエネルギーを効率よく作用させて、しかも原材料からの歩留まりを高めるかという課題があり、化学工場としてのノウハウがかかわる。いわば企業秘密が存在すると憶測する。
MPSでは、ベンゼンとプロピレンを加工して、フェノールとアセトンを生成している。ベンゼンとプロピレンは精製ガソリンにも含まれているが、ナフサのクラッキング、つまりナフサに触媒等を作用させ、高温・高圧で処理して分子構造を分解し精製する過程、でも生成される。フェノールの2009年での世界の需要は780万トンであり、MPSは30万トンの製造を行っている。
さらにMPSでは、フェノールとアセトンを加工して、ビスフェノールAを23万トン生産している。2009年のこの製品の世界需要は370万トンであった。
ビスフェノールAを原料とした製品は、需要が伸びているポリカーボネイト樹脂に68%、エポキシ樹脂に28%が利用されている。
ポリカーボネイト樹脂は、ガラスよりも透明度が高く、しかも耐衝撃力が300倍程度も大きいことから、航空機の窓、DVDなどに用いられている。自動車の窓にも使われ始めているが、現在は側面と後方の窓に限られている。その理由として、自動車の前面の窓は事故時の乗員救出に当たって破壊する必要があり、ポリカーボネイトの窓では、ハンマーなどで破壊できないので安全基準を満たさないからという。一般家屋の扉に採用すれば、防犯上優れているはずである。
製造に関わるエネルギー等について
当初に書いたようにMPSでの製造工程には、電気、天然ガス、燃料オイル、高圧蒸気等が必要であり、工場外部から購入する。この中で、天然ガスと燃料オイルは、中近東原産地の価格によって変動する。電気と高圧蒸気はジュロン島の中で調達する。
シンガポールではこの売り渡し価格は必ずしも安いとは言えないという。高温蒸気の価格は、韓国とはほぼ同等であるが、タイ、台湾、中国がシンガポールの半値に近い。電気に至っては、韓国、タイ、台湾、中国の方が1/2から1/3程度である。シンガポールでの発電は原油2割、天然ガス8割である。電気、蒸気共にシンガポールでは原油を用いて生産し供給するから、原油価格に依存し、高価になっている。
シンガポール政府は、原子力発電所の建設も計画していたようであるが、日本の福島第一原子力発電所の災害に伴う事故のために、現在は計画が凍結されているという。
志賀社長から「シンガポールの蒸気・電気高圧蒸気の価格推移図」の呈示があったがこれを見ると経営する立場から、エネルギー価格高騰に対する悲鳴が伝わってくる。
MPSでの従業員の動向
MPSの従業員数は総数167名であり、日本から派遣されている日本人は、社長を含めて僅かに7名であるという。残り160名の従業員は副工場長を含めて現地人である。現地従業員の給与は日本に比べても高い水準にあり、シンガポールの人件費は決して安くない。
MPSの広大な敷地に展開する反応塔とそれらを連結するパイプの束を見ると、よくぞ167名程度の陣容で運営できるものだと感心する。憶測ではあるがコンピュータの導入に伴い、多くの生産のための制御が自動化されて省力化されており、主として需要変動に伴う生産調整とか保守・点検の業務に従業員がかかわるためと思われた。
志賀社長は、授業員の転職が頭の痛い課題であると説明された。最近年度の退職者は25名もあり、キャリァを積むとそれを理由に転職するという。いつまで経ってもベテラン層の陣容が整わないと嘆いておられた。
おりしも2013年4月のアメリカのボストンで、ボストン・マラソンの競技最中に爆弾テロ事件が発生した。今なお動機などについては、FBIにより調査中と報道されているが、犯人が筆談で応じる動機の中にキャリア・アップとマネーというのがあり、志賀社長の嘆きに重なる。
フロンティア精神は、いまやキャリア・アップと形を変え、転職を繰り返すことで収入の増加を計る欧米諸国の悪弊、じわりとシンガポールにも浸透しつつあることを知らされた。
コンピュータ化された近代化学工場のベテラン作業員とは何だろうか。いかにコンピュータで高度の自動化を行なったとしても所詮はあらかじめ定められているプログラムに従うに過ぎない。そこには、万全の防護はない。
生産調整のためのバルブの開け閉めの調整にも微妙な経験に基づくサジ加減があるという。そのバルブ操作は製品の質にも影響し、場合によっては安全性にもかかわる。いかにコンピュータ化による自動化が進んでもベテランの操作員が補佐しなければ近代工場の正常な運営は行えないと筆者は考えている。
ある工場でキャリァを積んだからといっても、その知識・技能が別の工場で通用するとは限らない。いかなる近代工場にも、工場建設にともない、必ずやクセが存在する筈であり、そのクセを体の中にたたき込むことがベテラン従業員としての使命である。
近代工場でのキャリアを積むために、シンガポールでの日本の若者の従業体験はいかがなものか。ベテランとまではならなくとも国際感覚を養う修行の場として挑戦する日本の若者が増えれば、日本が国際的に孤立して、再び鎖国状態に陥ることはないであろうと思索した。
三井フェノールズ・シンガポール、MSP工場見学から得た次世代へのメッセージである。
古賀義亮 記