私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

ネルソン・マンデラ氏  私たちアフリカ人が何を 遣りましたか?・・・

2015-12-24 15:13:23 | 日記

人類 生命の始まりは 今 現代科学でアフリカの一部から産まれたと科学者たちが研究の上に言われている今日です
我々アフリカ人が自然に育ち他の民族よりも感性を貯え活きついで生きて来た 肉体 骨 バネは勝れている事を様々な
スポ-ツやオリンピックで世界の人々は 知っている事です でも今だに差別は・・・



南アフリカ共和国 元大統領 ネルソン・マンデラ

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ
(コサ語: Nelson Rolihlahla Mandela)
1918年7月18日生まれ
南アフリカ共和国の政治家、弁護士
南アフリカ共和国での愛称はマディバ

【賞歴】
ネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞
国際検察官協会名誉章受章など称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。



ダーバンビーチ条例第37節に基づき、この海水浴場は白人種集団に属する者専用とされる」と英語
アフリカーンス語 ズールー語で併記された1989年撮影の標識「ダーバンビーチ条例第37節に基づき 
この海水浴場は白人種集団に属する者専用とされる」と英語、アフリカーンス語ズールー語で併記された1989年撮影の標識



昔 昭和天皇の料理版をして居た村上シェフが大正時代にフランスに料理の修業へ行って公園の芝生に犬と日本人は
立入禁止と絵と言葉で書かれて居た相です



アフリカでヨ-ロッパが行なっていたアパルトヘイト人種差別政策




アメリカの刑務所で行なわれていた黒人囚人に対する事です


アフリカで捕らえられて他国へ売られて行くアフリカ人です



s10683726@ybb.ne.jp








何時までも一人      何げなく 一人 だったのですかね

2015-12-04 10:44:31 | 日記


気が就くと三十路、四十路を迎えてしまう女性が多い今の日本ですが彼氏が欲しいけれど結婚は 嫌だメンドクサイ
束縛ソクバクされたくない他人の御飯を作りたくない子供は 可愛いが自分の子供は いらない
一人で働いてお金を自由に使いたい 効した女性の言葉が聴かれる今 当然 人口も減りますね
そして 日本の社会が悪いから子供なんか産みたく無い産めないと社会のせいにする女性が多いそうです

古くから学生の街だった 数々の青春を知っていた

城跡の石段に腰おろし 本を読み涙する人もいた

そんな話をしてくれる

コーヒーショップのマスターも

今はフォークのギターをひいて

時の流れを見つめてる

服装や髪型が変っても 若いこはいつの日もいいものだ

人生の悲しみや愛のこと うち明けて~       あべ静江  コ-ヒ-ショップで



短大在学中に東海ラジオの人気DJとなり、1973年5月25日“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、
「コーヒーショップで」でデビュー。同年には「みずいろの手紙」が大ヒットし、第15回日本レコード大賞の新人賞を受賞した 
翌年には『紅白歌合戦』に初出場し、清純派美人歌手として、シングル16枚、アルバム8枚を発表した

当時 彼女にしたい女性№1の歌手でした

a10683726@ybb.ne.jp