私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

※#5 今晩は藍河進吾です

2014-09-22 22:32:36 | 日記
今 中国や韓国の問題でヨ-ッパやアメリカでも何故、日本をそんなに攻撃をするのだ嘘つき韓国 間抜けな中国と世界の声が聞こえている日々で私は戦争の作品を創って見ましたが中国や韓国の嘘で固めたネタで日本から又又 金と土地を奪い取る根性と嫉(ねた)みの腐った誠心は日本人として許せませんが私は色々と複雑で荒れていた 十代の頃に其れは其れは仲の良かった中国人と韓国人がいて俺たちは同じ人だと言う言葉を合言葉の様にして韓国人の晃を袋叩きにする日本人、暴走族を私たち日本人が恨みを晴らし何故に差別で同じ人間を虐めるのだと声にしていました 私が7人の韓国人と乱闘に成り1対7の喧嘩で個々で遣らなくては明日には倍の人数で俺は殺されると思い多勢に無勢の喧嘩をしている時に晃や中国人の仲間たちが駆けつけて韓国人が私、日本人の為に中国人が私の為に喧嘩をする こんな十代で私たちには信念が有りました俺たちは暴走族では無い あんぱん(シンナ-)は禁止 廻し(婦女暴行)などは禁ずると誓い喧嘩は売らない そして絆を深めていました あの頃30年以上前は今よりも日本では差別が激しく私たち心が淋しく貧しく親の愛情を探していた日々の地図には想像と己たちの行き先は書かれて居なかったイャ読み取り知る必要が無かったのです 其れが今では・・・
晃の父と母はくず鉄屋を営み町でリヤカ-を引き仕事をしていると日本の子供たちが石を投げ朝鮮人オイ乞食などと罵声(ばせい)を殴り付ける教育をして居た日本人の姿を私は子供ながらに淋しく憎みました・・・
金子晃と私たちの話しは追々と作品、詩の合間に書いて行きたいと思います
そして私の愛棒で逢った絵美が19才で自ら命を亡くした物語 トホホと海老フライの中にも書かれて居ますので私の記憶と感性そして下書きのない日記が終わった後に この私自身の物語を投稿して行きたいと思います
今回 戦争と言うテ-マで11作品を投稿させて貰い6作品が観覧人数一位に成り 有り難う御座いました

で 次の作品は一つ展示してから後書きを読んで頂ければと思います

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