平和ボケしていた僕の頭は、3月11日より東北への関心で一杯になっている。
今だに、震災関係以外のメディアを見る気がしない…
実際に被災地を訪れてもいないのに胸が痛み、これほどまでに自分が日本人であることを意識したことは、かつてなかった。
この最悪な一大事によって、日本は間違いなく「縁」「絆」「つながり」「コミュニティ」というものを回復するであろう、と本能的に感じる。それほどまでに失ったものや今後失うであろうものが多すぎる。西日本が東日本を救う意識で臨まねば。
僕が臨もうが臨まなくとも、事象は発生し続けて、時は過ぎ行く。僕たちはその流れの一部であり、僕たち自身も事象の発生と時の経過によって成り立っているのだと思う。
崩れ去ってまた再建してという営みを受け入れる覚悟や悟りは僕の中にはない。
悪あがきの涙とともに、手を取りあう道を選ぶか。