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後飯塚研の日常

現在地点 東京都心番外地 視界ゼロ 酸素なし 最終地点を目指す あばよ

もう、既に、始まっている。

2013年03月28日 | ノンジャンル
3月も、そろそろ、終わりに近づいてきたが、いつもなら、3月上旬には準備を始めてるところが、今、それをやっていて、例年になく、慌てている。

うちの研究室は、3月末で、修士3名、学部4年生1名、博士3年1名、助教2名、計7人がいなくなって、4月の新年度から、学部4年生1名、新しい助教1名の、計2名が、新たに加わることになっている、規模は小さくなるが、ある意味、リフレッシュして、ソリッドなグループとして、やっていけるんじゃないか、とも、思っている。

何か、大志や野望があるわけじゃないが、目の前の、やるべきことを、少しずつでも、終わらせていくしかない、年度が代わろうが、代わらなかろうが、そんなことには関係なく、もう、既に、始まっている。
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ぐったり、疲れていた。

2013年03月28日 | ノンジャンル
大学には、たとえば、安田講堂のように、正面入り口は1階のように見えるが、裏側から入れば、それは2階で、そして、その円形の建物の中も、裏から表へ、あるいは、右の入り口から入ったら、左へ、行けないように、壁と通路が、迷路のように入り組んだ、建物が、結構ある、ただ、ここは本郷ではなく、駒場のようなのだが、そんな、入り組んだ建物の中を、159番教室を探して、歩きまわっている。

この建物の、どこかにあるはずなのだが、200番代の教室は見かけるが、100番代の教室のある階に行きつかない、途中、透明なグラスのとっくりに、日本酒を入れたりしている、開店準備中の、居酒屋があって、そこの、棟梁らしき男性に、場所を訊ねると、この下の階らしい、気前のいい棟梁のようで、「仕事が終わったら、一杯、奢ってやるよ」、と声をかけてくれるので、帰り、時間があれば、寄ってみることにして、云われたように、下に通じる階段を探すが、そこには、階段も、エスカレーターもなく、滑り台のようなものが、あるだけである。

その天井の低い建物の、下の階に行くには、それを滑って、降りるしかないようで、それも、2-3階下まで、通じているような、先がみえない、長い滑り台もあって、それは、どうも、途中が途切れていて、一回、空中を飛ばなければならないように、なっているようである、しょうがないので、恐る恐る、滑って降りるが、降り着いたところは、建物の外だったりして、意味不明である。

なんで、こんなことをしてるのか、と云えば、159番教室の、試験監督の担当になってるので、そこに向かっているわけである、同じ建物の中だから、距離的には、2-3分で着くまずのところに、なかなか、辿り着けず、気が付けば、試験開始10分くらいになっていて、着いてみれば、教室は、大混乱状態である、つまり、試験開始時間が迫っても、試験監督が来ないせいか、教室は、異常にざわついていて、歩きまわる学生や、あちこちに電話をかけている学生も、かなりいて、、200人くらいは、軽く入るだろう、大教室には、混乱収拾のためか、見覚えのある、学部長クラスの、偉い先生達も、数人集まっていて、遅れてやってきた、こちらを見て、呆れ果てている。

そんな、殺気だった試験会場を、バイトの学生一人と、ふたりで仕切らなければならないらしく、その雰囲気のせいで、ヒステリックになったのか、女の学生、ふたりが、大声で口げんかを始めてしまい、なんとか、それを止めて、問題と解答用紙を配布し終わって、解答の注意を口頭で説明しようとしてると、もう、試験開始時間で、いきなり、「解答、はじめ」、ということで、もう、滅茶苦茶である。

この後も、もう少しあるが、十分だろう、朝起きたら、ぐったり、疲れていた。
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あまり、記憶がない。

2013年03月27日 | ノンジャンル
雨の中を、2号館の守衛室まで歩いていって、宿舎の鍵を返却し、研究所のほうへ、ふらふら歩いていると、もう少しで研究所に到着する、入り口の車の遮断機のあたりで、通りかかった車から、「先生、会議だそうですよ」、宿直明けの柳沼さんである。

そのまま、1号館前まで、車で送ってもらって、エレベーターで4階に上がると、もう、その会議は始まっている、朝9時から予定されていた、委員会である、完全に忘れていた、というか、最初は、昨夜の酒が、まだ残っていて、それから、12時半過ぎまで、約3時間半、酔いは醒めたが、気分は最低である。

終わって、外に出ると、雨は、朝よりひどくなっていて、しかたないので、途中、生協に寄って、ビニール傘の安いやつを一本買って、ほぼ満開だろう、キャンパスの桜並木の下を、凍えそうになりながら、歩いて帰るが、そういえば、昨日から、まともなものは、何も食ってないことに気が付いて、固形物を、胃に入れるのも疲れるし、なんか、液体状のものはないか、とも思ったが、薬学部の食堂で、降る雨を、眺めながら、月見うどんを、食べるというよりか、強引に、胃に流し込む。

研究室に戻ると、昨日の、花見兼追い出し兼新歓飲み会の、余りものが置いてある、何でも、突然、思いつきでやってしまうので、昨日も、そうで、結局、教授会が終わった、夕方5時から、最後は、2時ごろまで、やっていたらしい、あまり、記憶がない。
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訊いてみることにする。

2013年03月23日 | 幻街界隈
またしても、横浜にいる、前回は、元町近くの、ホテルだったが、今回は、日本大通りから近い、ロイヤルホールヨコハマ、朝、慌てて、用意して、時間、ぎりぎりに間に合った、待合室には、すでに、警備の、柳沼さんも来ている、新婦側の参列者で、大学関係者は、私も含めて、この二人、ということになる。

最初は、偶然、帰り道で、いっしょになって、日暮里あたりで、飲んだはずである、この日記にも、たびたび登場してるが、ちょうど、その頃読んでいた、小説のタイトルをもじって、品川猿とか、青物横丁、とか、書いてあるはずである、調べたみたが、2007年の12月6、7日の日記にある、ということは、もう、5年近くなるということになる。

それから、つい最近まで、上野、浜松町、品川あたりで、たびたび、飲んでいた、年は二回りほど、違うが、特に、サシで、飲んでも、何も、気を使うことなく、何か、共通の、話題があるわけでもないが、笑いながら、酒が飲める、そんな関係である。

そんなこともあって、あまり、プライベートのことなど、気にせず、飲んでいたが、実は、お父さんを、早くに、亡くしていた、らしい、最後の、お母さんへの、手紙の、朗読で、初めて知った、そして、そんなことも知らずに、今まで、何をやっていたんだろう、少しは、気分転換くらいには、なったんだろうか、また、そのうち、飲むことがあれば、訊いてみることにする。
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桜が、もう、咲いている。

2013年03月20日 | ノンジャンル
飯田橋で、南北線から大江戸線に乗り換えて、東新宿の駅で降りて、明治通を御苑方向に歩くと、右手地下にある、前回、ここに来たのは、昨年の1月、あの時、以来である。

最初に観たのは、いつだったんだろう、というか、最後に観たのは、いつだったんだろう、もしかしたら、一度しか見てないかもしれない、30年くらい前の、8月15日、真夏の、そして真昼の、日比谷野音だったか、それとも、その前の年の、真夜中の、新宿ACB会館だったか、混沌とした、70年代後半の、魑魅魍魎が、跋扈する、ステージの中で、唯一といっていい、音楽らしい音楽、まともな音楽、をやっている、そんな感覚が、ある。

音楽に関しても、アートに関しても、80年代半ばから、90年代にかけて、のことは、すっぽり、抜け落ちている、その時期は、社会から、完全に隔絶された、大学の、キャンパスの中にある、宿舎で、暮らしていた、だから、24時間、そして、ほぼ365日、そこから、外に出ることもなかった、たまに外に出ることがあったとしても、それは、自分の中の、70年代後半が継続されている、だけで、80年代、90年代という現実とは、直接、接触することもなく、それを、すっ飛ばして、生きてきたのかも、しれない。

70年代後半の、東京は、60年代の、アナログで、リアルな猥雑な暗闇と、80年代の、デジタルで、バーチャルな、大量消費される、眩しい光の、狭間にあって、地下では、巨大な渦が、逆流している、そんな、季節だったような気もする、そして、今夜は、あのとき、見た、コクシネル、というバンドの、メンバー、今井次郎さんの、追悼コンサートである。

帰りの、夜道には、街灯に照らされて、桜が、もう、咲いている。
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ありがたいことである。

2013年03月14日 | 理科大界隈
ここんところ、わさわさしていて、そのわりに、体調がグタグタだったりして、飲み会なんかでは、申し訳ないことになって、しまっている、ということで、思い出しながら、書くことにするが、どこまで、戻ればいいんだろう、16日は、六本木の国際文化会館で、GOI-Iの結婚式だったし、昨日、18日月曜は、卒業式で、いつものように、九段で修了証書授与式に出て、そのあと、謝恩会で、飯田橋で飲んで、最終的には日暮里で飲んでいた、もう、こうなったら、怪しい記憶だが、14日木曜まで、戻ってしまうことにする。

その日は、丸ノ内の、日本工業倶楽部会館、という、経団連関係の、モニュメンタルな、場所で、文部科学大臣賞の、授賞式がある、ということで、夫婦揃って、出席せよ、という通知があったらしく、さすがに、文部科学大臣賞では、なにも、文句を言える立場にはないので、場違いなのは、承知で、その会に出席することにした、東レ財団の、大学ならびに、高等学校教育における、科学分野の業績に対する、助成金とか、褒賞、の会である、殆ど、男ばかりの、会の中で、唯一、女性として、文部科学大臣賞を受賞した、ということで、その、伴侶として、同伴出席しているわけである。

最初は、なんか、片身が狭い、思いもあったが、そんなのは、自業自得の、勝手な、我儘な思い込みで、実際は、素直に、喜んで、お祝いしてあげれば、いいだけのことで、そういう気持ちになれたということだけでも、よかったのかもしれない、一番最後に、スピーチという、結構、プレッシャーかかる立場だったが、「最後に、場違いだって、言ってましたけど、今日、ここに、いっしょに来てくれた、旦那に感謝してます」、という言葉には、泣けてしまった、そして、ここんところ、思うが、なんで、みんな、こんなに、優しくしてくれるんだろう、いずれにしろ、ありがたいことである。
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まだ、これからである。

2013年03月13日 | ノンジャンル
今年に入って、最初の2か月で、お通夜に、計4回、でも、目出度いことも、既に1回はあって、これから、3月終わりにかけて、さらに2回、5月に予定されてるものまで入れれば、計4回、トータル8回で、引き分け、ということになる。

それでも、酔って転んだり、とか、論文が、なかなか、アクセプトされなかったり、とか、いまいち、運はよくないような気がする、こういうときは、どうすればいいんだろうか、そういえば、初詣にも行ってない、時間があれば、神社で、おみくじでも、ひいてみることにするか、吉とでるか、凶とでるか、いずれにしろ、今年は、まだ、これからである。
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お経のようなもんである。

2013年03月12日 | ノンジャンル
いろんなことが、縺れ合って、混乱している、特に、年度末の、この時期は、でも、そのうち、落ち着くはずである、ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリの『千のプラトー~資本主義と分裂症~』、いつ読んだのか、忘れてしまったが、文庫本に、線が引っ張ってある個所を、引用、羅列しておく、お経のようなもんである。

狼、狼たち、それはもろもろの強度、速度、温度、可変的で分解可能な隔たりである。それは蟻集であり、狼瘡化である。

中間で、中間から出発して、入ったり出たりするのであって、始めることも終えることもない。

事物のあいだとは、相互に一つのものからもう一つのものに及ぶ定位可能な関係を指すのではなく、一つともう一つを両方ともまきこんでいく垂直的方向、横断的運動を指すのだ。始めも終わりもなく、両岸を浸食し、真ん中で速度を増す流れなのだ。

何かが形態化されるのは、何かが形態を得るのは、もろもろの集団によってであり、進歩が生じ、速度が得られるのは、喪失によってなのである。

突然変異に関する現代の理論は、どんなふうに一個のコードが、本質的に脱コード化の周縁を含んでいるか、ということを明らかにしてくれた。

冗長性は二つの形態をもつ。頻度と共振である。

どんな外部的な結末によっても中断されず、どんな頂点にも向かわないような連続的強度の地域を「プラトー(高原)」と呼ぶ。

卵はしかし退行を示すものではない。

科学と神話が、発生学と神話学が、生物学的卵と精神的あるいは宇宙的卵とが、ある根本的な収束をとげる。つまり、卵は、いつもこの強度的現実を示していて決して未分化ではなく、この中では物や器官が、ただ勾配や移動や、近傍域によって区別されるのだ。

欲望が裏切られ、呪われ、その内在野からもぎとられるたびに、そこには僧侶が姿を現す。
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壊れかけのPCが、誤作動しているだけである。

2013年03月11日 | ノンジャンル
飛び回る花粉と、この、錯乱した、春の気候のせいか、頭の中を、黄色い救急車が走り回っているようで、かなり、やばい、ような気がする、じっとしていたほうがいいか、とも、思って、静かに、していたが、このまま、じっとしていると、逆に、ますます、おかしくなるかもしれない、ような気もして、とりあえず、なんとか、生きてるので、アリバイとして、なんか、意味のないことでも、書いておきます。

何をしているか、というと、何もしていない、魂を抜かれた人柱のようである、フリーズした、壊れかけの、PCである、酔ってるときは、かろうじて、動いている、それも、気が遠くなるような、スローモーションである、そういえば、酔って、駅の階段を、走り下って、そのまま、地下のコンクリに、頭から激突してしまった、おかげで、右肩、腰を痛打して、この一週間ほど、右腕を肩より上に上げようとすると、激痛が走るわ、腰骨は痛むわ、である、なかなか、治らない、もう、治らないかもしれない、で、なにを書いていたか、というと、魂を抜かれた人柱は、瞳孔は開きっぱなしで、外のことが見えているのか、見えていないのか、傍からはわからない。

じゃあ、何をやっているのか、そういうときは、だいたい、なにか、取るに足らない、つまらないことを、じーっと、考えている、考え始めると、一日中、ずっと、同じことばかり考えている、夜も、眠って夢を見てるのか、考えてるのか、区別がつかなくなるので、ためしに、瞼を開けてみると、暗闇に、爛々とした目玉が現れたりする、なので、いったん、そういうモードになると、そこから、離脱するのが、なかなか、難しく、強引に、他のことを考えようとしても、迷路のように、同じところに、帰結する、ことになる、ただ、考えている、といっても、答えに向かって考えているわけじゃなく、奇想天外なことばかりで、考えているとも、いえないかもしれない、ただ、狂った、壊れかけのPCが、誤作動しているだけである。
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今も、終わることがない。

2013年03月05日 | 新宿界隈
ここのところ、行き帰りの電車で、表表紙から裏表紙、そして、ページの外まで、真っ黒な本を、読んでいる、先日、隣の本屋で、買った、月曜社から刊行された、間章著作集、『時代の未明から来たるべきものへ』、である。

30年ほど前、イザラ書房から刊行された時に、友達から借りたか、どうかして、一度は、目を通しているはずである、でも、なぜか、初めて読んでいるような、気がしないでもない、ジャズの死滅に向けて、とあるが、そこにあるのは、絶え間なく、廃墟としてありつづける、肉体であり、解体されつづける、音楽であり、生である、そして、それは、彼が、逝ってしまった、今も、終わることがない。
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