にわか日ハムファンのブログ記念館

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【2013北海道・東日本の旅】(26)小本から宮古へ

2014-01-07 07:31:07 | さすらいブロガー旅情編
 列車が小本に着いた時点で、すでに発車時刻を過ぎている。これではホームから改札に降りるヒマもなく、すぐに乗り直すことになる。



 駅は集落よりかなり内陸側にあり、海沿いの様子も分からない。



 列車は行先表示を変える間もなく、宮古行の乗客を乗せはじめる。帰りも時間がかかるのは避けられないが、それでも一抹の希望を持って、私も乗り込む。



 見ると、車内にあったオーディオ機器。カラオケ用だろう。いくらなんでも、ここで1曲という気分ではないが。
 そして、列車は小本に着いてから7分ほどで発車。なぜか最初は逆向きの久慈方向に車両1両分移動して、無線で連絡してから宮古に向かい始めた。




 12分ほどで田老の手前に着く。ここからの信号がおかしくなっていて、係員から先程のタブレット(この場合は指導票か)を運転士が受け取る。
 そして、運転士は宮古から盛岡行の人数を確認した。あるいは、JRに連絡して接続待ちをしているのかも知れない。希望が一抹から否応なく膨らんでいく。
 列車は3分程で田老を発車し、行きにタブレットを受け取った一の渡駅の駅手前の信号(場内信号)が赤になっているところで停車。すると、その場にいた係員が乗り込み、その案内で赤信号のまま駅の停止位置へ。
 駅に着いて、その係員がタブレットを回収して列車を降りると、駅ホームそばの信号(出発信号)が青に変わって発車した。ここからは宮古まで順調に走れるはずだ。
 そして、宮古には9分遅れで到着。はたして盛岡行はわれわれを待っていてくれた! 運転士や駅員の案内で、大急ぎでJRは1番線ホームへ。こんなところで写真を撮っていても鉄ヲタ叩きの材料になるだけ、とにかく急ぐ。
 無事列車に乗り込むと、1両だけのディーゼルカーはそのまま盛岡に向けて出発。宮古からは2分遅れの発車となった。
 一息ついてみると、どうも様子が違う。普通ならワンマンのところ、若い女性車掌と年配気味の乗務員がいる。どうやら若い方は見習い中で、指導役の下で訓練を受けているらしい。



 列車は途中の茂市に着いた。ここで降ろしてもらって、ようやく列車の写真を撮る。



 この茂市からは、北の岩泉に向かう岩泉線が分岐しているはずだった。1日3本しかない超ローカル線は、鉄道の旅を愛するものにとって挑戦に値する難関のはずだった。
 しかし、2010年夏以来、鉄路は閉ざされたまま。鉄道より時間もかかれば接続も悪いが、客を捌くという機能だけなら十分果たせる代行バスが、すっかり定着してしまっている。



 もっと早く来られたかも知れない。その悔いだけが残る。
 たとえお金で無理をしようと、家を長く空けようと、今の鉄道があるうちに、この国の多様な風土が消える前に、せめて訪れるだけでもしなければならない。



 もうすぐ発車の時間だ。再び列車に乗り込む。



 列車は区界に着き、再び長時間停車となる。ここでも降ろしてもらって撮影だが、既に日が暮れて、駅の様子が分かるというものではない。



 行き違いの列車がやってきた。また盛岡行に乗車し、ここからは一路終点を目指す。
 盛岡からは3分で一ノ関行に乗り換え、夜のラッシュの電車から次第に乗客が降りて行き、静けさが訪れたところで一関着。夜食を調達してホテルに入ると、既に22時半近くなっていた。

【5日目】→青森→八戸→鮫→八戸→盛岡→宮古→小本→宮古→盛岡→一ノ関


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2 コメント

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岩泉線 (ちょり)
2014-01-08 09:48:22
実は私、岩泉線に乗った事があります(2005年ぐらいに)。
その時の岩泉線は既に寂れたローカル線という感じでしたが、まさか2010年に休止、そして廃線となってしまうとは思いませんでした。
つくづく列車は乗れる時に乗った方がいいと思いました。本当に…。
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ちょりさん (ルパート・ジョーンズ)
2014-01-09 06:36:08
乗ったことがあるんですか!羨ましいですよ。
岩泉線だけが不通になっているのであれば、まだ復活の道はあったかも知れないんですが、
その後の大震災で、JR東日本が他の路線の復旧を優先せざるを得なくなったというのが……
つくづく、この辺りの路線に乗るのを後回しにしたのが悔やまれます。
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