![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b9/0d355e442052a8adcca82df58cbaf1fe.jpg)
列車が小本に着いた時点で、すでに発車時刻を過ぎている。これではホームから改札に降りるヒマもなく、すぐに乗り直すことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/cc/0f21a9f5c259a5f05244c3fb5872e251.jpg)
駅は集落よりかなり内陸側にあり、海沿いの様子も分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7d/45c029f284247e9619ed4af4d0ae3289.jpg)
列車は行先表示を変える間もなく、宮古行の乗客を乗せはじめる。帰りも時間がかかるのは避けられないが、それでも一抹の希望を持って、私も乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/32/787b32e130278d58a534233f45765dbf.jpg)
見ると、車内にあったオーディオ機器。カラオケ用だろう。いくらなんでも、ここで1曲という気分ではないが。
そして、列車は小本に着いてから7分ほどで発車。なぜか最初は逆向きの久慈方向に車両1両分移動して、無線で連絡してから宮古に向かい始めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/99/db028f1dd404bb497a334659c0c9133c.jpg)
12分ほどで田老の手前に着く。ここからの信号がおかしくなっていて、係員から先程のタブレット(この場合は指導票か)を運転士が受け取る。
そして、運転士は宮古から盛岡行の人数を確認した。あるいは、JRに連絡して接続待ちをしているのかも知れない。希望が一抹から否応なく膨らんでいく。
列車は3分程で田老を発車し、行きにタブレットを受け取った一の渡駅の駅手前の信号(場内信号)が赤になっているところで停車。すると、その場にいた係員が乗り込み、その案内で赤信号のまま駅の停止位置へ。
駅に着いて、その係員がタブレットを回収して列車を降りると、駅ホームそばの信号(出発信号)が青に変わって発車した。ここからは宮古まで順調に走れるはずだ。
そして、宮古には9分遅れで到着。はたして盛岡行はわれわれを待っていてくれた! 運転士や駅員の案内で、大急ぎでJRは1番線ホームへ。こんなところで写真を撮っていても鉄ヲタ叩きの材料になるだけ、とにかく急ぐ。
無事列車に乗り込むと、1両だけのディーゼルカーはそのまま盛岡に向けて出発。宮古からは2分遅れの発車となった。
一息ついてみると、どうも様子が違う。普通ならワンマンのところ、若い女性車掌と年配気味の乗務員がいる。どうやら若い方は見習い中で、指導役の下で訓練を受けているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/d2/ac85632637c0f1ac657c0715dede1881.jpg)
列車は途中の茂市に着いた。ここで降ろしてもらって、ようやく列車の写真を撮る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9d/01885c860f5244c4506afb83d5295971.jpg)
この茂市からは、北の岩泉に向かう岩泉線が分岐しているはずだった。1日3本しかない超ローカル線は、鉄道の旅を愛するものにとって挑戦に値する難関のはずだった。
しかし、2010年夏以来、鉄路は閉ざされたまま。鉄道より時間もかかれば接続も悪いが、客を捌くという機能だけなら十分果たせる代行バスが、すっかり定着してしまっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/99/0b64cc5e0ef7ca0f22eeb63395304626.jpg)
もっと早く来られたかも知れない。その悔いだけが残る。
たとえお金で無理をしようと、家を長く空けようと、今の鉄道があるうちに、この国の多様な風土が消える前に、せめて訪れるだけでもしなければならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f6/528b3f52aee79ed7ab890ff4f1a1a416.jpg)
もうすぐ発車の時間だ。再び列車に乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/aa/6e3ccabbea88ae9623abb84cc9d47781.jpg)
列車は区界に着き、再び長時間停車となる。ここでも降ろしてもらって撮影だが、既に日が暮れて、駅の様子が分かるというものではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/26/1320ef48d05589994affd3f404cc0c34.jpg)
行き違いの列車がやってきた。また盛岡行に乗車し、ここからは一路終点を目指す。
盛岡からは3分で一ノ関行に乗り換え、夜のラッシュの電車から次第に乗客が降りて行き、静けさが訪れたところで一関着。夜食を調達してホテルに入ると、既に22時半近くなっていた。
【5日目】→青森→八戸→鮫→八戸→盛岡→宮古→小本→宮古→盛岡→一ノ関
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/cc/0f21a9f5c259a5f05244c3fb5872e251.jpg)
駅は集落よりかなり内陸側にあり、海沿いの様子も分からない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7d/45c029f284247e9619ed4af4d0ae3289.jpg)
列車は行先表示を変える間もなく、宮古行の乗客を乗せはじめる。帰りも時間がかかるのは避けられないが、それでも一抹の希望を持って、私も乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/32/787b32e130278d58a534233f45765dbf.jpg)
見ると、車内にあったオーディオ機器。カラオケ用だろう。いくらなんでも、ここで1曲という気分ではないが。
そして、列車は小本に着いてから7分ほどで発車。なぜか最初は逆向きの久慈方向に車両1両分移動して、無線で連絡してから宮古に向かい始めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/99/db028f1dd404bb497a334659c0c9133c.jpg)
12分ほどで田老の手前に着く。ここからの信号がおかしくなっていて、係員から先程のタブレット(この場合は指導票か)を運転士が受け取る。
そして、運転士は宮古から盛岡行の人数を確認した。あるいは、JRに連絡して接続待ちをしているのかも知れない。希望が一抹から否応なく膨らんでいく。
列車は3分程で田老を発車し、行きにタブレットを受け取った一の渡駅の駅手前の信号(場内信号)が赤になっているところで停車。すると、その場にいた係員が乗り込み、その案内で赤信号のまま駅の停止位置へ。
駅に着いて、その係員がタブレットを回収して列車を降りると、駅ホームそばの信号(出発信号)が青に変わって発車した。ここからは宮古まで順調に走れるはずだ。
そして、宮古には9分遅れで到着。はたして盛岡行はわれわれを待っていてくれた! 運転士や駅員の案内で、大急ぎでJRは1番線ホームへ。こんなところで写真を撮っていても鉄ヲタ叩きの材料になるだけ、とにかく急ぐ。
無事列車に乗り込むと、1両だけのディーゼルカーはそのまま盛岡に向けて出発。宮古からは2分遅れの発車となった。
一息ついてみると、どうも様子が違う。普通ならワンマンのところ、若い女性車掌と年配気味の乗務員がいる。どうやら若い方は見習い中で、指導役の下で訓練を受けているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/d2/ac85632637c0f1ac657c0715dede1881.jpg)
列車は途中の茂市に着いた。ここで降ろしてもらって、ようやく列車の写真を撮る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9d/01885c860f5244c4506afb83d5295971.jpg)
この茂市からは、北の岩泉に向かう岩泉線が分岐しているはずだった。1日3本しかない超ローカル線は、鉄道の旅を愛するものにとって挑戦に値する難関のはずだった。
しかし、2010年夏以来、鉄路は閉ざされたまま。鉄道より時間もかかれば接続も悪いが、客を捌くという機能だけなら十分果たせる代行バスが、すっかり定着してしまっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/99/0b64cc5e0ef7ca0f22eeb63395304626.jpg)
もっと早く来られたかも知れない。その悔いだけが残る。
たとえお金で無理をしようと、家を長く空けようと、今の鉄道があるうちに、この国の多様な風土が消える前に、せめて訪れるだけでもしなければならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f6/528b3f52aee79ed7ab890ff4f1a1a416.jpg)
もうすぐ発車の時間だ。再び列車に乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/aa/6e3ccabbea88ae9623abb84cc9d47781.jpg)
列車は区界に着き、再び長時間停車となる。ここでも降ろしてもらって撮影だが、既に日が暮れて、駅の様子が分かるというものではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/26/1320ef48d05589994affd3f404cc0c34.jpg)
行き違いの列車がやってきた。また盛岡行に乗車し、ここからは一路終点を目指す。
盛岡からは3分で一ノ関行に乗り換え、夜のラッシュの電車から次第に乗客が降りて行き、静けさが訪れたところで一関着。夜食を調達してホテルに入ると、既に22時半近くなっていた。
【5日目】→青森→八戸→鮫→八戸→盛岡→宮古→小本→宮古→盛岡→一ノ関
その時の岩泉線は既に寂れたローカル線という感じでしたが、まさか2010年に休止、そして廃線となってしまうとは思いませんでした。
つくづく列車は乗れる時に乗った方がいいと思いました。本当に…。
岩泉線だけが不通になっているのであれば、まだ復活の道はあったかも知れないんですが、
その後の大震災で、JR東日本が他の路線の復旧を優先せざるを得なくなったというのが……
つくづく、この辺りの路線に乗るのを後回しにしたのが悔やまれます。