インターネットをはじめたのは 娘の不登校がきっかけだった
不登校の母親の作るホームページとしたら ネット界で三番目くらいだった
「セルフアサート」「天使の道草」家族や子育てのことを書き綴った
その中の一つが私の「虹の架け橋」だった
子育てのことや家族との関係のことを書いていくことで
結局は自分の育った家族のことに思いがいたっていった
ホームページで知り合ったお母さんたちと励ましあったりした
それが あの頃の私の支えになっていたことは 間違いがない
10年近く色々に形を変えて そのホームページは進化したけれど
もう子育てというのが申し訳ないくらい 子供たちが成長したし
不登校をつらく思う親子さんも大分 減ってきて
私にとって そのホームページの存在理由がなくなっていった
それからは並行して作っていた「虹の美術館」を中心にネットを楽しんだけれど
次第にブログの時代がやってきて ホームページの更新などしなくなってしまった
そう ・・・あの頃のように 彼らのことをあれこれ書くのは
なんだかもう気恥ずかしく また本人たちに申し訳ないきもするけど
なんとなく この一年の子供たちに対する私の思いを書いてみたいかなと思った
年に 一回くらいはいいよね・・・・
ちょっと精神的にも物理的にも疎遠になっている娘
初めの頃は 離れてしまったのがつらかったけれど
時がたつにつれて 意味のない不安や過剰な心配が消えて
私と娘にはこの距離が大切なんだと受け入れられるようになった
今年は 娘にささやかなクリスマスプレゼントを直接渡せたし
彼女からも バイト先のスタジオの案内状をもらったりして
今までと ちょっと違った空気が流れた感じがしている
あくまで私の 希望をこめた「感じ」なのかもしれないけど・・・
長男は 大学院受験でずいぶん苦労した年だった
一時はどうなるかと思ったけれど おおむね希望の院に決まって
今は 南部陽一郎の論文を卒論研究にして大学生活を過ごしている
すぐに胃が痛くなったりするような気の細さがあるけれど
色々な意味でバランス感覚の良い青年になったと思う
最近は諭されることの多い母だけれど それが少しうれしいかも・・・
次男はまだまだ 発展途中(誰だって発展途中だけれど 特に年齢的にね)で
私はついつい 子ども扱いしてしまって いやというほど彼を傷つけてしまった
一時はまったく口も利かず 半家出状態だったけれど
彼の誕生日をきっかけに ふわっと心がほどけてきて
また 色々な話をしたり 普通の関係に戻ることができた
あの二ヶ月の間 私も色々反省もしたし 譲れないものもあると考えた
きっと 息子も同じように色々と考えたんだろうと思う
ふてくされていたその二ヶ月も やけにならずにちゃんとバイトに行って
ほんと (甘いながらも^^;)自分のやるべきことをみつめていたと思う
ついついゆるやかに接しすぎてしまったため甘さのある子なのだけれど
年齢なりの自覚をもって 甘さも淘汰されていくように感じられた
三人の子供 いや三人の若者を見ていると
当たり前のことだけど 私よりずっと道が 前につながっている
今まではその石ころをどけてあげたり 必要以上に長靴を差し出したりした
でももう 自分たちでどう歩けばいいのかを考えて歩いている
彼らのその選択をはらはらしていた私だけれど
きっと もうそのはらはらは邪魔なだけなんだろう
陳腐だけれど ほんと陳腐だけれど
彼らを信じて ただ見守っていればいいのだろう
・・・まだまだ道は始まったばかりだ
必要とされたならば いつでも手を貸そう
何年か先 本当にひとり立ちしている彼らであってくれるように・・
いつまでも 私は彼らの最低にして最高の応援団でいたい
不登校の母親の作るホームページとしたら ネット界で三番目くらいだった
「セルフアサート」「天使の道草」家族や子育てのことを書き綴った
その中の一つが私の「虹の架け橋」だった
子育てのことや家族との関係のことを書いていくことで
結局は自分の育った家族のことに思いがいたっていった
ホームページで知り合ったお母さんたちと励ましあったりした
それが あの頃の私の支えになっていたことは 間違いがない
10年近く色々に形を変えて そのホームページは進化したけれど
もう子育てというのが申し訳ないくらい 子供たちが成長したし
不登校をつらく思う親子さんも大分 減ってきて
私にとって そのホームページの存在理由がなくなっていった
それからは並行して作っていた「虹の美術館」を中心にネットを楽しんだけれど
次第にブログの時代がやってきて ホームページの更新などしなくなってしまった
そう ・・・あの頃のように 彼らのことをあれこれ書くのは
なんだかもう気恥ずかしく また本人たちに申し訳ないきもするけど
なんとなく この一年の子供たちに対する私の思いを書いてみたいかなと思った
年に 一回くらいはいいよね・・・・
ちょっと精神的にも物理的にも疎遠になっている娘
初めの頃は 離れてしまったのがつらかったけれど
時がたつにつれて 意味のない不安や過剰な心配が消えて
私と娘にはこの距離が大切なんだと受け入れられるようになった
今年は 娘にささやかなクリスマスプレゼントを直接渡せたし
彼女からも バイト先のスタジオの案内状をもらったりして
今までと ちょっと違った空気が流れた感じがしている
あくまで私の 希望をこめた「感じ」なのかもしれないけど・・・
長男は 大学院受験でずいぶん苦労した年だった
一時はどうなるかと思ったけれど おおむね希望の院に決まって
今は 南部陽一郎の論文を卒論研究にして大学生活を過ごしている
すぐに胃が痛くなったりするような気の細さがあるけれど
色々な意味でバランス感覚の良い青年になったと思う
最近は諭されることの多い母だけれど それが少しうれしいかも・・・
次男はまだまだ 発展途中(誰だって発展途中だけれど 特に年齢的にね)で
私はついつい 子ども扱いしてしまって いやというほど彼を傷つけてしまった
一時はまったく口も利かず 半家出状態だったけれど
彼の誕生日をきっかけに ふわっと心がほどけてきて
また 色々な話をしたり 普通の関係に戻ることができた
あの二ヶ月の間 私も色々反省もしたし 譲れないものもあると考えた
きっと 息子も同じように色々と考えたんだろうと思う
ふてくされていたその二ヶ月も やけにならずにちゃんとバイトに行って
ほんと (甘いながらも^^;)自分のやるべきことをみつめていたと思う
ついついゆるやかに接しすぎてしまったため甘さのある子なのだけれど
年齢なりの自覚をもって 甘さも淘汰されていくように感じられた
三人の子供 いや三人の若者を見ていると
当たり前のことだけど 私よりずっと道が 前につながっている
今まではその石ころをどけてあげたり 必要以上に長靴を差し出したりした
でももう 自分たちでどう歩けばいいのかを考えて歩いている
彼らのその選択をはらはらしていた私だけれど
きっと もうそのはらはらは邪魔なだけなんだろう
陳腐だけれど ほんと陳腐だけれど
彼らを信じて ただ見守っていればいいのだろう
・・・まだまだ道は始まったばかりだ
必要とされたならば いつでも手を貸そう
何年か先 本当にひとり立ちしている彼らであってくれるように・・
いつまでも 私は彼らの最低にして最高の応援団でいたい
いつもアクティブに前向きな姿勢に
感嘆しております
私の方はお預かりしたコミュを放りっぱなしで
(新規参加者の承認ばかりで・・・)
申し訳なく思っています
親は心配するのが仕事とわかっていても
それでも手が出てしまいましたよね
うちは虹さんのところより
まだ少し幼いので
実際、まだ「長靴用意」の段階です
最低で最高の応援団、ステキです
ありがとうございました
ユーリエンクさんは ジャストフィットの長靴を
お子様方にさしあげていらっしゃることでしょう
私はどうもセンスがなくて 子供たちから返品ばかりでした(苦笑)
さて 今年もあとわずかです
よい年を迎えられますよう
お互い 大掃除に精をだしましょう
来年もよろしくお願いいたします