
【MOVIE "HOW I WON THE WAR"】
初期の「マッシュルームカット」から成長し、後期の「ヒゲ」へと
変貌したビートルズ。初めてビートルズを知り、赤盤と青盤の写真を
見て「これって本当に同一人物なの?」と驚いた方も多いことと推察
する。
この激しい風貌の変化、特にジョン・レノンの「境界線」はどこで
あったのだろうか。私は、1966年の 9月の第1週にあるとみている。
1966年 8月29日。4人はサンフランシスコのキャンドルスティック
パークで結果的に最後となるコンサートを演じた。「もう、ビートル
ズを演じなくていいんだ」とコメントした彼らはそれぞれどんな思い
で9月を迎えたのであろうか。
"NOT" 'Knows Not Where He's Going To'
「最後のコンサート」から1週間後、ジョンはある映画に出演する。
それは「反戦映画」"HOW I WON THE WAR "であった。ジョンの風貌は
・・・。一兵卒の役柄を演じるために髪は短く切り揃えられ、そして
後期の彼のトレードマークとなった「丸眼鏡」(註)の姿が、そこに
あった。この変化は、「彼の内面的変化の表れだ」との見解が多い。
その考えに私は同意する。
(註)厳密に言えば、この映画の時にかけていた眼鏡のフレームは
「丸」ではなく「逆三角形」に近い。
ジョンは初期の頃から'There's A Place 'に象徴されるような内面
的な詞を書いている。元来の性質の上に、ボブ・ディランとの出会い
ベトナム戦争のニュース、LSD体験等が加わり、彼の「平和主義的
思想」はさらに確立へ向けて前進していくのである。
1966年はビートルズにとって、ジョンにとって様々な意味で重要な
転換期であった。思えば、"HOW I WON THE WAR"は「キリスト論争」
や「ブッチャー・カヴァー」とともに当時という時代を象徴している
と言えよう。インタビューでの言論統制を受けていた「アイドル・バ
ンド」から「アーティスト」への無意識なイメージの転換を試み、実
現した年であった。ベトナム戦争に代表される社会情勢について、自
分の考えを自由に語り始めたのもこの年である。
最後のコンサートを迎える1966年 8月29日までに、ジョンはすでに
内面的変化を遂げていた。あとは外面的変化(あえて遂げる必要は無
いのだが、彼は実行した)である。その契機は"HOW I WON THE WAR "
の仕事を自分の意思で選択したことであった。
貴重なご意見ありがとうございました♪
う~む、深い。
「風貌の変化に境界線をひく」自体無理がありますね。
変化は徐々に進行するものですから。
それを承知の上で、あえてひとつの「仮説」を
ご披露させていただいた次第です。
日本公演の頃についてのご指摘、おっしゃる通りだと思います。
映像を通して観るジョンの風貌は、「年老いたライオン」
のように見えます。
体重についてもおそらく『ヘルプ』の頃が最大(肥えてみえていた)であったのでしょう。
unknownさんのおっしゃる通り
内面的な変化だけではなく、身体的変化が外面的変化を引き起こしている
という観点で論じれば
確かに『僕の戦争』を境界線とするのは「間抜け」でしょう。
しかし、私の論点はもっと浅い論点です。(^^;
つまり、外面といっても身体的なものではなく
「丸眼鏡」やら「ひげ」という
表面的なものなのです。
表現力が拙く、この場で補足せざるをえないの
ですが
「内面的変化はずっと前から発生しており
外面(表面)的変化の決定的な契機が
最後のコンサートと『僕の戦争』の間である」
というのが趣旨です。
unknownさんの論点で論じるのであれば
「風貌の変化は既に1966年6月の下旬から始まっている」
とコメントされていますが
極論すれば、私はもっと遡って1965年春から風貌の変化が
始まっていると考えます。
・・・というわけで
このような議論、大歓迎です。
では。(^^)
以上
なるほど、1966年6月が境界線なのですね。
あなたの見解をご確認いたしました。
他人の「風貌」という抽象的な事象をどう評価するかは
その人の主観・審美眼によって異なってくるでしょう。
例えばあなたは、レインとペーパーバックライターの
プロモーションフィルムのジョンの「風貌」を見て
「若々しい」「初期のころのイメージ」と評価して
います。
これもひとつの見解です。
当然ひとつの見解には賛成意見と反対意見があります。
私はあなたの見解をいきなり否定はしません。
また、自分の見解を一方的に押し付ける気も
ありません。
限られた「場」ではありますが
意見交換ができればよいと思っています。(^^)
1965年~1967年にかけての映像・写真を確認できる
史実を以下にご紹介いたします。
(周知のこととは思いますがご参考まで。)
1965.11.23 'Day Tripper/We Can Work It Out'の
プロモーションフィルムを撮影
1965.12.03 UKで"RUBBER SOUL"がリリース
(アルバム写真の撮影は1965年秋)
1966.03.25 『ブッチャー・カヴァー』の写真を撮影
※1965年のウェイブリッジや1966年のチェルシー、
そして日本公演等、この頃のジョンの風貌が
ロバート・ウィティカーが撮影した写真で確認
できる
1966.05.01 NMEポールウィナーズ・コンサートに
出演。ライブ演奏。
1966.05.19 'Paperback Writer/Rain'の
~20 プロモーションフィルムを撮影
1966.06.05 『エド・サリバン・ショー』で上記
プロモーション・クリップが流れる
1966.06.16 『トップ・オブ・ポップス』に生出演
'Paperback Writer/Rain'を擬似演奏
1966.06.24 西ドイツ(当時)公演
~26
1966.06.30 日本公演
~07.02
1966.07.04 フィリピン公演
1966.08.12 アメリカ公演
~29
1966.09.06 『僕の戦争』撮影開始
1967.01.30 'Strawberry Fields Forever'の
プロモーションフィルムを撮影
1967.02.05 'Penny Lane'の
07 プロモーションフィルムを撮影
この流れ(史実)の中で
ジョンの風貌の変化をどのように考えるか
他の方の意見もぜひお聞きしたいところです♪
私も初めて考えてみたのですが、65年?月~8月最終公演まで、BEATLESデビューしてから、最初の、変化が窺えます。JOHNについてですが、GUitarを今まで愛用してきた、Ricken325→ストラトキャスター、カジノ、等に換えました。Ricken325とはR&Rしか似合わないGuitarですから、アーティストにとって幅が広い音楽を志していこうとしている意思を感じますし、RUBBER SOUL中『Word』という曲にも変化を感じます。音楽アルバム的流れでは、HELPまではアイドル期ですから、定義するなら、RUBBER SOULの65年秋から、境界線”だと理解し易いと感じます・・・・。
それから、リボルバー、サージェント・・・とアルバムの詩、雰囲気を察すれば、JOHNの変化が分るとは思ってますが・・・どうでしょうか?それにともなって外観も変化している様に見えます・・・・・
はじめまして。
ご多忙な活動の中、お越しいただきありがとうございました。
HNからもジョン・レノンへの「熱い思い入れ」を
感じる次第であります。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて。ご披露された見解は、まことにもって的確であるかと
存じます。
やはりその人物の風貌を語るには
内面的なものや外部からの影響を考慮せずには
いられませんね。
私はあえてドラッグ体験・常用の件を「直接」触れませんでしたが
"RUBBER SOUL"からの作品の素晴らしい発展性を
考えると
やはりとも考えます。
ご指摘の'The Word'については同感です。
CASINOの使用もこのあたりからですよね♪
追伸:
他にもBEATLESに関する拙い考察を公開させていただいております。
ご興味があり、お時間が許せば、ぜひご覧になってみてください。