恋は盲目、パンチラはガン見〜Ryoji Harada〜

元は旅ブログ、海外行ったり、突然自転車で走り出したり、ちょっと自分でもなにすんのかわかりません。パルプンテ!

社会科見学

2021-03-18 21:58:00 | 日記
仕事を始めて10日ほど経過した。



最近は朝日や夕日を見るたびに立ち止まりスマホのシャッターを切るのだけれど、ふと、「もしかして自分は太陽に救いを求めているのでは?」ということに気がついて戦慄した。

早い、早すぎる。

なんて恐ろしいところなんだ東京(?)は。
なぜだ、前回(6年くらい前)は3年ももったのに。まだ10日だぞ!?信じられるか。

そんな、もう限界だなんて信じたくない(コレはコレで面白い)ので、もう少しここに留まる予定ですが。
僕がやらかしたら「コイツ、やりやがった!」と盛り上がって欲しい。そしてそれに僕も混ぜて欲しい。

なんの話かわかった人にだけわかればいい話でした。おしまい。


事のついでなので、社会の話でもしたい。

僕は言葉の力をそこそこ信じているタイプなのだけれど、言葉には大きく希望の言葉と呪いの言葉の2種類にわけられる気がしている。

とてもざっくりだけれど、希望の言葉には、明日が楽しくなるような、心が躍るような、その夜ぐっすり眠れるようなフワフワした気持ちを運んでくる。

呪いの言葉はどちらかというと逆で、見たり聞いたりするだけで陰鬱とした気持ちになる、目の輝きは消えて下を向きがちになる。

これ自体はとてもシンプルな構図なのだけれど、厄介なのが「同じ言葉にも関わらず、一つの言葉がそのどちらにもなり得る」ということだと思う。

「しね!」とかいい例だと思う。

本気で死んで欲しい時に言うしねもあれば、愛してるの裏返しで言うしねもある。

すごいな、と常々思うのが、えてしてその言葉を受け取る相手は、どういう気持ちで使われたか、その言葉の“中身”の方がしっかりと伝わる、と言うこと。

しねに死ね!を込めたらやっぱり死ねが伝わり、

しねに大好き!を込めたなら大好きがしっかりと伝わる。

言葉は気持ちの入れものでしかない。

されど入れものはすごく大事だ、プレゼントする時の包装紙みたいに。

包装紙だけじゃない、気持ちによっては「ある言葉」しか入れることができないものがあると思う。

言葉というのはとても不思議で恐ろしく、しかしこんなに楽しいものもなかなかない。

ごちゃごちゃしてきたので一度まとめに入る。

どんなに取り繕ったり、どんなに柔らかい言葉で包んでも、尖った気持ちは伝わってしまう。

早い話が、マイナスの気持ちを希望の言葉で蓋をするな、どうせ気づかれる。

希望の言葉がもったいないじゃないか。


変なスイッチが入ってしまった、結局全然社会の話をしていない。だから今からする。

社会は恐ろしい、僕には人間社会のことしかわからないが、結論から言うといつも優しい人間が、社会に放り込まれると同時にいきなり冷たくなる。なんて事がザラにある。この辺は学校のいじめにも少し関係があるんじゃないだろうか。

社会の1番恐ろしいところは、分断が起きることだと思う、早い話がその社会で使える人間か、使えない人間かを判断して評価をする。
使える人間はどんどん優遇し、使えない人間は排除、または使える人間に更生させようとする。

「この社会に居たいのならこうなれ、さもなくば攻撃するぞ」というように。

使えない人間はそこで選択を迫られる。

更生か、反抗ないし逃亡か。

逃亡できるのは良い、その人はその社会の外にも世界がたくさん広がっていることを知っている。「今、自分のいる世界がこの世の全てではない」ということを感覚で理解している人間は強い。だから逃げよ、ね。

それと、僕は更生できるんならしちゃっていいと思う派で、新卒の学生とかが最初に入った会社で生き残るパターンの大部分がここで更生に成功をして出世街道に乗るか否か、みたいな感じなんだと思う、そこから先はもう好きにしなって感じだ。


反抗するタイプも大丈夫だと思う。

「おまえは間違ってる!直せ!」

「いやだ!俺は俺だ!」

…ホラ、もう思う存分やって?な?
って感じだ。


…じゃあ全部大丈夫じゃねぇか、と一瞬僕も思ったが、違う。

「更生したい、でもできないタイプ」がいるじゃないか。

このタイプの1番厄介なところは「この世にはこの社会しか存在しない」と思い込んでいるところではないかと思う。

せっかく新卒で入った会社だから、
せっかく正社員になれたから、
せっかく憧れの業界に入れたから、

みたいな「勿体無い精神」は世界への視野を狭めてしまう気がする。

まわりと同じように出来ないのは自分がダメだから、そう思い込ませてくる社会の人々の言うことを鵜呑みにして、「自分はダメな人間なんだ….」と思い込む。

…もう見てらんない、言ってやる、もうね、俺が言ってやる。

おまえはダメじゃない。そもそもダメな人間なんていない。ダメなのはおまえをダメな人間だと思い込ませてくる社会の方だ。

よーし、言った。僕は言ったった。

自分はダメな人間だと思っているのなら、それは自分のいる社会を変えるタイミングなのだと思う。

あなたを必要とする社会は必ずある。

そんな社会はない。なんて事は絶対にない。一切ソースはないけど、たぶん社会なんて地球上に30億個くらいある、いや、きっともっとあると思う。100億個くらいあるかもしれない。

会社とかだと、「俺はダメだ…」なんて思うタイミングでいつも厳しい上司が「飲みにでも行くか」なんて言って話をして、その上司が一対一ならものすごく良い人で…「やっぱり、やっぱり僕頑張ります!」

なんて事もあると思う。

別に良い、別にそれでもいいのだけれど。

けれど騙されてはいけない、人は社会に入った途端冷たくなる生き物だ。(仮説)

本当に不思議だ、一人一人は良い人なのに、社会に入った途端に恐ろしくなる。そんな人が一定数いる。このメカニズムは僕にはわからない、でもきっと本当だ。


とても長くなってしまった。

会社に入ったら入ったで、こういう事が見つかったりするから案外面白い。

いつまで続くかわからないけど、しばらくパンチラの社会人編(激レア)となります。

昨日後輩に就職した話をしたら「残念です…」と言われてなぜか嬉しくなった。

少なくとも、僕のこれまでの生き方を応援してくれる人が1人でもいた、という事は希望になる。

他にも残念がってくれる人がいるのかはわからないけれど、残念がってくれて構わない、ただ、いずれ期待に添えるのではないかと思っている。

その時「就職したなら次は婚活ですね!マッチングアプリ登録しましょう」と言われたりしたが、どちらかと言うと婚活なんてクソ喰らえだ!と思うタイプなので絶対にしない。とても個人的な意見になってしまうが、婚活アプリとか、言葉を選ばないで言えば、終わっているだろ、と思う。

オヨメさんは、自分で探す。




忘れていた、今回の読者プレゼント(言いたいだけ)は板野博行著「眠れないほど面白いやばい文豪」です。

こちら、釧路の本屋でノリで買ったのですが面白かった。

文豪といえば「立派な人」と言うイメージがありましたが、ここに書いてある文豪たちは紛れもなく「クソ人間」もしくは「アホ」になります。もうね、僕が可愛く見えます。

そうか、後世に名を残す人はみんなアホなのかもしれない、そんなことを思うと安心しますね。

こちらも先着もしくは僕の独断で郵送ないし手渡しにて差し上げます。

じゃ。あした仕事だし、寝よ。
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二兎を追うあなた応援するようにと

2021-03-13 19:44:00 | 日記


自然の力はすごい。

このように枝をちょん切られても、進路を金網が邪魔しようとも、「障害なんてどこにもない」なんて言わんばかりに進んでいく。

すごい、感動した。僕もこんな風に生きていけたらと思う。

はい、それでは原田、おまえは目の前に金網が張り巡らされていたら、それを体に取り込んででも進むのか?

と聞かれれば。


…イヤに決まっている。痛そうだしなんならこの枝に関しては既に切られてて痛いし。突き抜けるくらいならなんとかして違う道探す。

今日はここ一年くらいでは1番って言うくらい雨が降っているので、鹿児島ぶりにギターを触って遊んでいる。葛飾ラプソディを練習していたら、何年も弾けなかったBのコードが鳴っていることに気づいて驚いた。

ちょう、どうでもいい話をしてしまった。

今思えばチャリンコで西日本を回っている時はネタの宝庫だった。

しかしそんなことを言っていても仕方がない、別にブログなんて書かなくったってかまわない。じゃあなんで書くか、わからないけれど書きたいと思ってしまうからだ。
趣味です。広告も貼ってません。どっちにしろお金にはならないだろうけれども。

話が脱線してしまった。

しかし、話のネタなんて生きていればいつでもどこでも手に入る、ということを僕は証明したい。その証明がとても無駄なのはわかっているけど、無駄に証明がしたい。無駄って最高。


結局、お金が無さすぎて一時的に地元で就職をした。6年ぶりくらいに。

結果、今週からは毎日のように電車に乗っているのだけれど、上の写真のような光景を見て反射的に写真を撮ってしまった。
スーツ姿の男たちが、横一列、虚ろな目でスマホを眺めている。

目撃当時は「なんだ、この夢も希望もないような光景は」なんて思っていた。

しかし昨日、全然関係のないところで母親に「笑いたくても笑えない人だっているんだよね」なんて話を聞いた時にハッとなった。

そうだ、虚ろな目でスマホを眺める事は決して悪いことではない。天の神様はそれを罰することはしないだろう。

そんなことを思ったら急にこの写真に対して、「わかるよ」なんてことを思った。

僕も虚ろな目でスマホに救いを求め続けた日々が確実にあった、その時間が無駄だったかどうかそれはわからないけれど、無駄だったとて、それはそれで一切構やしない、無駄も最高なんだということを僕は知っているじゃないか。

別に綺麗な夕日に目がいかない日々が続いたところで、それがなんだ、そんな時間もきっと大事なのだ。

楽しいか寂しいかじゃない、両方取りに行きたい。

陰か陽かじゃない、どっちもだ、陰キャで陽キャ、結構じゃないか。

楽しいことだらけの毎日が例えばタダで配られて、美味しいご飯ばかり食べることができて、アップテンポの音楽ばかり聴いて、お酒でも飲んでファー!!!なんて、

僕はそんなのいらない。

クソまずいコンビニ飯でも頬張りながら、真っ暗な部屋でずーっと、生きてることが辛いならとか、あまざらしの曲とかを聴いていた。そんな過去があった人なら、僕はきっとその人を信用するんじゃないだろうか。

信じるから、帰っておいでよ。と思う。

や、別に帰らなくても良いのだけれど。

暗くてジメジメした道を知っているから、陽のあたるカラッとした道が楽しくなる。

嫌いな人しか喜ばないような仕事をした経験が、大好きな人が喜ぶような仕事を増やしていくのではないだろうか。

そんなことを思った。


先日、「超芸術トマソン」という本を家の本棚に眠らせるのはもったいないな。
ということで、「読みたい人!」と募集したら「送って!」と言ってくれる人がいてものすごくテンションがあがった。

こんな楽しみ方もあるのかと思った。
お金はないけど幸い本ならたくさんある。


という事で読み終えた(読み返した)本たちをどんどん回していきたいと思う。

今回は原田マハさん著「あなたは誰かの大切な人」です。

これはロックダウン中のセネガルで読んでいた短編集で、人間何をやったかで価値なんか決まらない、あなたが生きている、それだけで嬉しいと感じる人がいるんだよ。

なんてことを思い出させてくれるんじゃないかな、と個人的におもう。

ねぇ、マナミ。人生って悪いもんじゃないわよ。
神様はちゃんとひとりにひとつずつ、幸福を割り当ててくださっている。
誰かにとっては、それはお金かもしれない。別の誰かにとっては、仕事で成功することがもしれない。
でもね、いちばんの幸福は、家族でも、恋人でも、友達でも、自分が好きな人と一緒に過ごす、ってことじゃないかしら。
大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする。
笑ってしまうほど単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが、ほんとうは、何にも勝る幸福なんだって思わない?

『月夜のアボカド』より

欲しい方はコメント、LINE、メッセンジャー、どんな方法でも構いませんので、ご連絡ください。先着、もしくは僕の独断にて手渡しもしくは郵送でお送りします。


別に本を読むことが良いことだとは思わない。本を読まなくたって死にはしないし、読書以外にも楽しいことはたくさんある。

ただ、本を読んでいると不思議なことが起こるもので、電車で知り合いにばったり会ったり、ふと活字から目を上げた瞬間に奇跡的に建物の隙間から夕日がのぞいているのが見えたりする。

…ような気がしている。

今回のは短編集でとても読みやすいので、読書から離れていた方も是非チャレンジしてみて欲しい。





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トマソン

2021-03-06 12:53:00 | 日記



超芸術トマソンという本がある。
1985年(僕が生まれる3年前!)刊行、赤瀬川原平さんによって書かれた本で、僕も先日京都で譲り受けたばかりなのだけれど、コレが面白い。
どんな本かと言えば、ひたすら「トマソン」と名付けられた物体を紹介して、それに対する著者考察を記すというだけなのだけれど、僕には目から鱗だった。

ではトマソンとは何か。

“この超効率化社会、ないし実用重視社会において、見事にその枠からすり抜け、無用の長物として未だ俗世に留まり続ける物体”

とでも言えばいいのか。

コレだけじゃ意味がわからないと思うので写真で例を挙げたい。

例①
JR亀戸駅前にあるアトレから少しだけ路地に入った所にあるこの写真。
看板を裏側から撮った物なのだけれど、お分かり頂けるだろうか。

看板が完全にビルに隠れて誰にも読めない状態になっている。

頑張って読みに行ってみたが、下の写真のところまでしか行けなかった。


かろうじて「カラオケ」と読めたが、本当に頑張らないと読めないこの看板はもう完全に看板として役立っていない。(そもそもここはもうカラオケ店ではない)

なんの役にも立っていないのに、堂々とそこにある物。これがトマソン、のはず。

例②
カラオケの看板はかなり稀な例だと思うので、身近な例をもう一つ。

上は錦糸町駅近くの路地裏の写真、建物自体がもう壊れかかっているが、この中に完全に本来の役目を果たせていないものがある。

興味ある方も決して多くないと思うので書いてしまうと、真ん中の樋(とい、円柱型の水を通す管)が上下ともに割れて無くなり、どこにも繋がっておらず、雨水も排水も流さない文字通り「無用の長物」と成り下がっている。

それなのにどうだろう、壊れた樋は堂々と建物にくっついてそこに留まっている。

この超効率化、実用重視社会においてもなお、こういった物が街にはある。

ここはニューデリーではない(失礼)、東京だというのに、適当に歩いていれば10分足らずでこういった物に出会える。

トマソンはちょっと古い町とか、昭和に栄えた商店街とか、そういう所では必ずと言っていいほど見つかる。

トマソンという楽しみ方を知っているだけで、毎日世界の見え方がちょっとだけ変わるので、興味ある方はぜひ探してみて欲しい、そして、僕に教えてほしい。よかったらコーヒーでも飲みながらトマソンで盛り上がりましょう。

ちなみに「トマソン」の名前の由来は、1981年頃、読売ジャイアンツに外国人助っ人として来ていたゲーリー・トマソンという選手らしい。

期待のホームランバッターとして高年俸で入団したは良いものの、勢いよく回るそのバットには一切ボールが当たらず、翌年日本を去ったという。

シーズン中は4番バッターとしてバッターボックスに立ち続け一心不乱にバットを振り続ける、しかしボールが当たらない、全くと言えるほどの役立たず。

それはまるで町にある無用の樋や看板のよう。

という事で、これらの芸術を超えたものには「超芸術トマソン」という名前がついた。

超芸術については手短に書く、芸術は意図して作ったもの、一方、超芸術は、別に意図していない、やりたくてやったわけではない、経費削減なのか、建物の構造上撤去不可能なのか、さまざまな可能性が考えられるがいずれにせよ、「仕方なく」そこにあることになってしまったもの、それはもう芸術を超えた芸術、つまり、超芸術。

ということらしい。

稚拙な説明になってしまった感は否めないが、興味のある方はぜひ赤瀬川先生のこの本を読んでいただきたいので、お声掛けください。いただいたものだけれど、こういう本は家の本棚で埃をかぶって眠っているよりも、どんどん人の手に渡って読まれてほしい。必要であればまた自分の手元に返ってくるはずだ。

と、そう考えているので、「その本欲しい!」という方はご連絡ください。先着で手渡し、もしくは郵送します。


前回の記事で「東京は人口が多いけど人間は少ない気がする」ということを書いた。

今となれば半分本当で、半分は違うかもしれないと思っている。

みんな人間だけれど、時々人間であることを忘れてしまっているだけなのかもしれない。

めちゃくちゃ厳しい会社の部長も、一日一時間しか眠れない映像制作ディレクターも、今まさに地下鉄の線路に飛び込もうとしている広告営業も、かつては草むらや公園を走り回って、転んで泣き叫んで、気になる異性にドキドキしたりしていたのだと思う、今だってしているかもしれない。

東京には春の風が吹いている。

春の風とかそういうものに触れると、忘れたことを思い出させてくれる。


可愛かったあの子とか、傷つけてしまったあの人とか、気がつけば忘れてしまっていたお世話になった方々とか、そんな人を思い出す。

忘れることは一種の防衛本能だろうから、思い出すと少しは辛くなるんだろうけれど、それでも思い出すとあの頃の懐かしい気持ちになれたりするから、ちょっと思い出してみようかな、なんて思ったりする。

思い出すと今度は、ちょっと怖いけど会ってみたいなとも思ったりもする。

そうか、散々僕が悪口を叩いたこの街は、1番僕の思い出が散らばっている街だったな。

そんなことを思い出す。

忘れてしまうのなら、何度でも思い出せばいい。

そう思った。








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時は金じゃない

2021-03-04 18:49:29 | 日記
千葉県浦安市の実家に帰って来た。
しばらく関東界隈で定住する事になりそう。


先日電車に乗ったら、電車内の雰囲気が相変わらずで笑ってしまった。

誰も顔を上げていない。
揃いも揃って背中を丸めおんなじような黒い物体を覗き込んでいる。

だから、車窓の真下に広がる、海のように激しく唸り暴れる川より面白いものが、向かいのドアの前で踊り狂う幼稚園児の姿よりも美しいものが、あなたたちの持つその黒い物体の中に写っているのか。


東京にいると「人口は多いが人間は少ない」なんてことを思う。

人口の多くがミヒャエル・エンデの「モモ」という小説で言うところの灰色の人たちで、誰かの人の時間を奪わないと生きていけないのではないか、そう錯覚してしまう。
ちなみに「パパラギ」という本にも似たようなことが書いてあったりするのだけれど、それはまぁいいや。



東京に身を置いていると思い出す。
「時間を無駄にするな」とか、「時は金なり」とか、いままでそんな言葉を耳にタコができるほど聞いてきたけれど、「月曜から金曜までを潜水で(息もしないで目を閉じて)なんとか乗り切って、土日だけ息継ぎができるような生活」を送っている人たちの方がよっぽど時間に対して不誠実だと思う。

そもそも時は金ではないじゃないか、だって時と金はどう考えたって釣り合わないじゃないか。

仕事をしている時、自分を消して、思い出にも残らないようなやり方しかできないで、ただただ時間が過ぎることだけに希望を見いだしている、そんな時間を「生きながらにして死んでいる」と言うのだと思う。

自転車に乗っている時に会った人たち、ゲストハウスで声をかけてくれてお話をする人たち、彼らはみんな人間だったなぁと思う。

自分以外の何者にもならず、苦しいとかかなしいにちゃんと向き合っているように見えた。

僕は油断するとこういう所にすぐに染まってしまうので、こうやって文章にして強い言葉を使わないとあっという間に灰色人間になってしまうような気がする。

これからしばらくこの街で生きていくのだけれど、それは生きていくためではなく、喜びに出会うためなのだということを忘れないでいたい。

そんなことを思った。







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偽ポジティブ

2021-03-01 19:31:00 | 日記
自転車での移動生活にも一区切りがついた。大阪南港から奈良へと向かい、数日のんびりしてから京都で「トマソン」を探したりして遊び、現在は京都から東京へと向かう新幹線の中でこのブログを更新している。




奈良に帰ってからは、ありがたいことに色々な人と話をした。

当たり前だけれど、人の数だけドラマがある、ケタケタと愉快に笑っているその笑顔の裏に、その実壮絶なドラマが詰まっていたりするからたまらない。

爽快に笑う人ほど、その裏側には悲しみが張り付いているのではないか、そう思わずにはいられない。
悲しみを吹き飛ばして笑うその人に、叶わない願いなんてあってたまるか。

そう信じることにしている。

奈良ではずっと近鉄奈良駅前のゲストハウス「スローハウス」に泊まっていた。

この宿は自由だ。

「他人から自由に見られる」のと、「本当に自由」というのは違う、真逆と言っても良い。

個人的な感想になるが、「みんなの居場所を作りたい」という信念のもとできた場所が僕の居場所になったことはない。

僕はたぶん、「誰かを救いたい」という思いに、本当の意味で救われたことはない。

きっと自分がやりたいようにやっていたら、なんだかよくわからないけれど勝手に誰かの居場所になっていた、というのが理想だ。

居場所なんて作らなくて良い、ただ、面白がれ。

あなたの面白がるは、あなたにしかできない、どうか何者かになろうとしないでほしい、たいしたことを何もして来なかったとあなたがどれだけ言い張っても、あなたじゃなきゃ通用しない瞬間が必ず来る。

何者かになろうとすること、本当の幸せにそっぽを向いて、他人に幸せだと思われようとする行為を僕は、「偽ポジティブ」と呼ぶ。

クソ喰らえだ、なんだってんだ、偽ポジティブがいちばん終わっている。

そんな、ロックンロールな感情がスローハウスでは芽生えます。(原田調べ)



今日から千葉にある実家に帰る。

年明けに出てきたのに、もう戻る。
仕事は見つからない、お金は減る一方だ。

自転車で関西から九州を駆け抜けた結果、何が変わったかのはわからない、何も変わっていないかもしれない。

ただ自転車に乗っていて、人が優しいことと、お願い事は大抵ギリギリ叶う。という二つのことを思い出した。

今はそれで良いや、って。

そんなことを思っている。









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