仕事を始めて10日ほど経過した。
最近は朝日や夕日を見るたびに立ち止まりスマホのシャッターを切るのだけれど、ふと、「もしかして自分は太陽に救いを求めているのでは?」ということに気がついて戦慄した。
早い、早すぎる。
なんて恐ろしいところなんだ東京(?)は。
なぜだ、前回(6年くらい前)は3年ももったのに。まだ10日だぞ!?信じられるか。
そんな、もう限界だなんて信じたくない(コレはコレで面白い)ので、もう少しここに留まる予定ですが。
僕がやらかしたら「コイツ、やりやがった!」と盛り上がって欲しい。そしてそれに僕も混ぜて欲しい。
なんの話かわかった人にだけわかればいい話でした。おしまい。
事のついでなので、社会の話でもしたい。
僕は言葉の力をそこそこ信じているタイプなのだけれど、言葉には大きく希望の言葉と呪いの言葉の2種類にわけられる気がしている。
とてもざっくりだけれど、希望の言葉には、明日が楽しくなるような、心が躍るような、その夜ぐっすり眠れるようなフワフワした気持ちを運んでくる。
呪いの言葉はどちらかというと逆で、見たり聞いたりするだけで陰鬱とした気持ちになる、目の輝きは消えて下を向きがちになる。
これ自体はとてもシンプルな構図なのだけれど、厄介なのが「同じ言葉にも関わらず、一つの言葉がそのどちらにもなり得る」ということだと思う。
「しね!」とかいい例だと思う。
本気で死んで欲しい時に言うしねもあれば、愛してるの裏返しで言うしねもある。
すごいな、と常々思うのが、えてしてその言葉を受け取る相手は、どういう気持ちで使われたか、その言葉の“中身”の方がしっかりと伝わる、と言うこと。
しねに死ね!を込めたらやっぱり死ねが伝わり、
しねに大好き!を込めたなら大好きがしっかりと伝わる。
言葉は気持ちの入れものでしかない。
されど入れものはすごく大事だ、プレゼントする時の包装紙みたいに。
包装紙だけじゃない、気持ちによっては「ある言葉」しか入れることができないものがあると思う。
言葉というのはとても不思議で恐ろしく、しかしこんなに楽しいものもなかなかない。
ごちゃごちゃしてきたので一度まとめに入る。
どんなに取り繕ったり、どんなに柔らかい言葉で包んでも、尖った気持ちは伝わってしまう。
早い話が、マイナスの気持ちを希望の言葉で蓋をするな、どうせ気づかれる。
希望の言葉がもったいないじゃないか。
変なスイッチが入ってしまった、結局全然社会の話をしていない。だから今からする。
社会は恐ろしい、僕には人間社会のことしかわからないが、結論から言うといつも優しい人間が、社会に放り込まれると同時にいきなり冷たくなる。なんて事がザラにある。この辺は学校のいじめにも少し関係があるんじゃないだろうか。
社会の1番恐ろしいところは、分断が起きることだと思う、早い話がその社会で使える人間か、使えない人間かを判断して評価をする。
使える人間はどんどん優遇し、使えない人間は排除、または使える人間に更生させようとする。
「この社会に居たいのならこうなれ、さもなくば攻撃するぞ」というように。
使えない人間はそこで選択を迫られる。
更生か、反抗ないし逃亡か。
逃亡できるのは良い、その人はその社会の外にも世界がたくさん広がっていることを知っている。「今、自分のいる世界がこの世の全てではない」ということを感覚で理解している人間は強い。だから逃げよ、ね。
それと、僕は更生できるんならしちゃっていいと思う派で、新卒の学生とかが最初に入った会社で生き残るパターンの大部分がここで更生に成功をして出世街道に乗るか否か、みたいな感じなんだと思う、そこから先はもう好きにしなって感じだ。
反抗するタイプも大丈夫だと思う。
「おまえは間違ってる!直せ!」
「いやだ!俺は俺だ!」
…ホラ、もう思う存分やって?な?
って感じだ。
…じゃあ全部大丈夫じゃねぇか、と一瞬僕も思ったが、違う。
「更生したい、でもできないタイプ」がいるじゃないか。
このタイプの1番厄介なところは「この世にはこの社会しか存在しない」と思い込んでいるところではないかと思う。
せっかく新卒で入った会社だから、
せっかく正社員になれたから、
せっかく憧れの業界に入れたから、
みたいな「勿体無い精神」は世界への視野を狭めてしまう気がする。
まわりと同じように出来ないのは自分がダメだから、そう思い込ませてくる社会の人々の言うことを鵜呑みにして、「自分はダメな人間なんだ….」と思い込む。
…もう見てらんない、言ってやる、もうね、俺が言ってやる。
おまえはダメじゃない。そもそもダメな人間なんていない。ダメなのはおまえをダメな人間だと思い込ませてくる社会の方だ。
よーし、言った。僕は言ったった。
自分はダメな人間だと思っているのなら、それは自分のいる社会を変えるタイミングなのだと思う。
あなたを必要とする社会は必ずある。
そんな社会はない。なんて事は絶対にない。一切ソースはないけど、たぶん社会なんて地球上に30億個くらいある、いや、きっともっとあると思う。100億個くらいあるかもしれない。
会社とかだと、「俺はダメだ…」なんて思うタイミングでいつも厳しい上司が「飲みにでも行くか」なんて言って話をして、その上司が一対一ならものすごく良い人で…「やっぱり、やっぱり僕頑張ります!」
なんて事もあると思う。
別に良い、別にそれでもいいのだけれど。
けれど騙されてはいけない、人は社会に入った途端冷たくなる生き物だ。(仮説)
本当に不思議だ、一人一人は良い人なのに、社会に入った途端に恐ろしくなる。そんな人が一定数いる。このメカニズムは僕にはわからない、でもきっと本当だ。
とても長くなってしまった。
会社に入ったら入ったで、こういう事が見つかったりするから案外面白い。
いつまで続くかわからないけど、しばらくパンチラの社会人編(激レア)となります。
昨日後輩に就職した話をしたら「残念です…」と言われてなぜか嬉しくなった。
少なくとも、僕のこれまでの生き方を応援してくれる人が1人でもいた、という事は希望になる。
他にも残念がってくれる人がいるのかはわからないけれど、残念がってくれて構わない、ただ、いずれ期待に添えるのではないかと思っている。
その時「就職したなら次は婚活ですね!マッチングアプリ登録しましょう」と言われたりしたが、どちらかと言うと婚活なんてクソ喰らえだ!と思うタイプなので絶対にしない。とても個人的な意見になってしまうが、婚活アプリとか、言葉を選ばないで言えば、終わっているだろ、と思う。
オヨメさんは、自分で探す。
忘れていた、今回の読者プレゼント(言いたいだけ)は板野博行著「眠れないほど面白いやばい文豪」です。
こちら、釧路の本屋でノリで買ったのですが面白かった。
文豪といえば「立派な人」と言うイメージがありましたが、ここに書いてある文豪たちは紛れもなく「クソ人間」もしくは「アホ」になります。もうね、僕が可愛く見えます。
そうか、後世に名を残す人はみんなアホなのかもしれない、そんなことを思うと安心しますね。
こちらも先着もしくは僕の独断で郵送ないし手渡しにて差し上げます。
じゃ。あした仕事だし、寝よ。