今日、前妻から2通の手紙が届いた
前妻とは離婚後、復縁するだしないだ何だかんだと連絡は取っていた。
昨年の夏頃にはちょくちょく娘と3人の生活?も数日間続けてみたり、
保育園の行事にも何回か参加させていた。
それは又3人で一緒に居る楽しさや娘と暮らす嬉しさなどを前妻に味わって
もらい、戻って来て欲しいと言う願いを込めての事でもあった。
何よりジュジュの為にも戻って来てやり直せないか?と言う願いが一番
大きかった。
しかし、離婚して去年の時点で2年の月日が流れお互いの感情や想いは
空回りするばかりだったのだと思う。
私は私で「なぜここまで俺が譲歩して色々良かれと思い、してあげてるのに」
と言う苛立ちにも似た感情が芽生える時もあったし、前妻にじてみれば「今頃
になって撫ぜ?」と言う感情も芽生えていたのかもしれない。
前妻は前妻で「もし戻って以前と同じ事を繰り返すのであれば」と言う不安も
沢山あっただろうし、その当時付き合っていた彼氏に対する感情も捨て切れな
かったのかもしれない。
私は昨年末までに「戻るか戻らないか」をはっきりさせようと提案していた。
なぜならこのままどちら付かずの関係はジュジュにとっても、お互いの為にも
良いとは思わなかったからだ。
1年生になる前にきっちりと決めておかないと学校に入ってから戻っただの
何だのと言うのはジュジュの為にも良くない。
結局年が明けて早々、二人で夜から朝方まで話し合いあれこれと妥協案が
生み出された。しかしそれも一長一短で結論が出ないまま朝を向かえ、最終的には
ジュジュにも聞いてみようとなった。
「ママはもう戻っては来ない。3人で一緒に暮らしたいと言うジュジュの願い
は無理に成った。 だけど、ママが家の近くに住んで学校帰りにママの家で
パパの帰りを待っていたり、会いたい時に会える環境も作れるがジュジュは
どうしたい?」と分りやすく訪ねた。
すると、ジュジュの口から私が思ってもみなかった言葉が飛び出した
「一緒に住めないなら会わなくて良い」
6歳のジュジュがここまで言うとは思ってもみなかった。
要は、ジュジュは3人で前の様に仲良く一緒に暮らしたい、でもそれが無理なら
ばママに会う必要性が無いという事なのだ。
前妻とジュジュと私と3人で過ごす時間を作る事で前妻の情に訴え掛ながら
ジュジュの願いでもあるベストな形に成ればと思い、私は会う事を提案して
きた。 ジュジュも同じだったのだ。
何度か会っていればママは戻って来てくれるに違いないとジュジュも考えて
いたのだ。
しかし、最終的に戻らないと言う結論を前妻が出した以上、ジュジュはそれなら
会う必要性が無いと考えた様だ。
そんな訳で、その日を境に一切の縁を切るとお互いに約束した。
メールはおろか、電話も会う事も一切無用。 一切の連絡を絶ち他人に成る
事を前妻は選んだのだ。
それから数ヶ月、ジュジュの卒園式、入学式が終わった頃、私は常に考えて
いた事を実行に移した。
きっと前妻も卒園式に出たかったに違いないし、入学式にも出たかったに
違いない。 幸い、卒園式の模様はプロのカメラマンにお願いしてビデオで
撮影し、私とその方で編集して卒園児達全員に配布していた。
そこで私はそのDVDとジュジュの近況を写したデジカメ画像をCDに落とし、
前妻に送ってあげた。 丁度、母の日と前妻の誕生日が近く、最後のプレゼント
として送ってあげたのだ。
そして今日、前妻から私とジュジュ宛に手紙が届いた。
私への手紙は離婚した事、復縁を選ばなかった事は後悔していないと言う内容
で、ジュジュ宛の手紙にはジュジュの事をいつでもどこでもいつまでも愛して
居る、ごめんなさいと言う内容だった。
この文面からするときっと前妻は今は幸せなのだろう。
ジュジュに「ママからジュジュへお手紙だよ」と読んであげた。
私も読みながらウルウルしてしまったが、ジュジュは涙を浮かべ、私に抱き付き
ながら聞いていた。
私はあえて前妻の話題や「ママ」と言う言葉を封印なしていない。
ジュジュは時々「ママの話したらパパ嫌でしょ?」と聞く時もあるが、私は
「全然嫌じゃないよ、ママはパパが愛した素敵な女性だし、何よりジュジュの
ママでしょ?だから無理して話すの止める必要は無いんだよ」とその都度話し聞かせている。
正直に言えば前妻の事を恨んだり憎んだりして居ない訳では無い、しかし、それは
前妻とて同じことだろう。
離婚をした事で私は役員まで上り詰めた会社を辞めなければならないはめになり、
生活は一変し、日雇いバイトに明け暮れる生活を余儀なくされた時期もあった。
でも、離婚を切り出したのは前妻だが、そこまで追い詰めてしまったのには私の
責任でもある。
最近では離婚をした事で様々な良い経験をしたとも思える様に成った。
反対に離婚してよかったのかな?とも思える様にも成った。
それは、普通の父親が味わえない様な娘を独り占め出きる喜びや、ジュジュと
長い間二人だけで過ごせる幸せな時間を造れていると言う点かもしれない。
自分で言うのも変だが人間的にもだいぶ成長出来たのではとも思う。
人への感謝の気持ちや思いやりの気持ちなど、離婚するまでは欠けて居た
事なのかもしれないからだ。
人間的に丸くなったのかも
昔は誰からも「怖い」とか「怖そうで話かけられない」と言われ、新宿など
繁華街などを歩いて居ても一度もビラすらもらった事が無いほどだった。
しかし今は良く人に声を掛けられる。道を尋ねられたり、助けを求められたり
と色々だ それにいちゃもんや文句を付けられる事もあったかな。
昔では考えられない
しかし、変わらないのはいちゃもんや文句をつけた奴には、きっちりと
人生の厳しさを教え込んであげてます
もし、もしも前妻が戻って来たいと言えば私は全てを白紙に戻し受け入れると
思う。 それはこれから先もそうじゃないかな。
それはジュジュの為でもあるし、私の前妻への想いからでもある。
申し訳無かったと思えば思う程、悔い改め、前妻との3人の時間を取り戻せたら
と言う何とも言えない感情からかもしれない。
しかし、その様な事は地球が破滅する確立に等しいだろう
前妻とは離婚後、復縁するだしないだ何だかんだと連絡は取っていた。
昨年の夏頃にはちょくちょく娘と3人の生活?も数日間続けてみたり、
保育園の行事にも何回か参加させていた。
それは又3人で一緒に居る楽しさや娘と暮らす嬉しさなどを前妻に味わって
もらい、戻って来て欲しいと言う願いを込めての事でもあった。
何よりジュジュの為にも戻って来てやり直せないか?と言う願いが一番
大きかった。
しかし、離婚して去年の時点で2年の月日が流れお互いの感情や想いは
空回りするばかりだったのだと思う。
私は私で「なぜここまで俺が譲歩して色々良かれと思い、してあげてるのに」
と言う苛立ちにも似た感情が芽生える時もあったし、前妻にじてみれば「今頃
になって撫ぜ?」と言う感情も芽生えていたのかもしれない。
前妻は前妻で「もし戻って以前と同じ事を繰り返すのであれば」と言う不安も
沢山あっただろうし、その当時付き合っていた彼氏に対する感情も捨て切れな
かったのかもしれない。
私は昨年末までに「戻るか戻らないか」をはっきりさせようと提案していた。
なぜならこのままどちら付かずの関係はジュジュにとっても、お互いの為にも
良いとは思わなかったからだ。
1年生になる前にきっちりと決めておかないと学校に入ってから戻っただの
何だのと言うのはジュジュの為にも良くない。
結局年が明けて早々、二人で夜から朝方まで話し合いあれこれと妥協案が
生み出された。しかしそれも一長一短で結論が出ないまま朝を向かえ、最終的には
ジュジュにも聞いてみようとなった。
「ママはもう戻っては来ない。3人で一緒に暮らしたいと言うジュジュの願い
は無理に成った。 だけど、ママが家の近くに住んで学校帰りにママの家で
パパの帰りを待っていたり、会いたい時に会える環境も作れるがジュジュは
どうしたい?」と分りやすく訪ねた。
すると、ジュジュの口から私が思ってもみなかった言葉が飛び出した
「一緒に住めないなら会わなくて良い」
6歳のジュジュがここまで言うとは思ってもみなかった。
要は、ジュジュは3人で前の様に仲良く一緒に暮らしたい、でもそれが無理なら
ばママに会う必要性が無いという事なのだ。
前妻とジュジュと私と3人で過ごす時間を作る事で前妻の情に訴え掛ながら
ジュジュの願いでもあるベストな形に成ればと思い、私は会う事を提案して
きた。 ジュジュも同じだったのだ。
何度か会っていればママは戻って来てくれるに違いないとジュジュも考えて
いたのだ。
しかし、最終的に戻らないと言う結論を前妻が出した以上、ジュジュはそれなら
会う必要性が無いと考えた様だ。
そんな訳で、その日を境に一切の縁を切るとお互いに約束した。
メールはおろか、電話も会う事も一切無用。 一切の連絡を絶ち他人に成る
事を前妻は選んだのだ。
それから数ヶ月、ジュジュの卒園式、入学式が終わった頃、私は常に考えて
いた事を実行に移した。
きっと前妻も卒園式に出たかったに違いないし、入学式にも出たかったに
違いない。 幸い、卒園式の模様はプロのカメラマンにお願いしてビデオで
撮影し、私とその方で編集して卒園児達全員に配布していた。
そこで私はそのDVDとジュジュの近況を写したデジカメ画像をCDに落とし、
前妻に送ってあげた。 丁度、母の日と前妻の誕生日が近く、最後のプレゼント
として送ってあげたのだ。
そして今日、前妻から私とジュジュ宛に手紙が届いた。
私への手紙は離婚した事、復縁を選ばなかった事は後悔していないと言う内容
で、ジュジュ宛の手紙にはジュジュの事をいつでもどこでもいつまでも愛して
居る、ごめんなさいと言う内容だった。
この文面からするときっと前妻は今は幸せなのだろう。
ジュジュに「ママからジュジュへお手紙だよ」と読んであげた。
私も読みながらウルウルしてしまったが、ジュジュは涙を浮かべ、私に抱き付き
ながら聞いていた。
私はあえて前妻の話題や「ママ」と言う言葉を封印なしていない。
ジュジュは時々「ママの話したらパパ嫌でしょ?」と聞く時もあるが、私は
「全然嫌じゃないよ、ママはパパが愛した素敵な女性だし、何よりジュジュの
ママでしょ?だから無理して話すの止める必要は無いんだよ」とその都度話し聞かせている。
正直に言えば前妻の事を恨んだり憎んだりして居ない訳では無い、しかし、それは
前妻とて同じことだろう。
離婚をした事で私は役員まで上り詰めた会社を辞めなければならないはめになり、
生活は一変し、日雇いバイトに明け暮れる生活を余儀なくされた時期もあった。
でも、離婚を切り出したのは前妻だが、そこまで追い詰めてしまったのには私の
責任でもある。
最近では離婚をした事で様々な良い経験をしたとも思える様に成った。
反対に離婚してよかったのかな?とも思える様にも成った。
それは、普通の父親が味わえない様な娘を独り占め出きる喜びや、ジュジュと
長い間二人だけで過ごせる幸せな時間を造れていると言う点かもしれない。
自分で言うのも変だが人間的にもだいぶ成長出来たのではとも思う。
人への感謝の気持ちや思いやりの気持ちなど、離婚するまでは欠けて居た
事なのかもしれないからだ。
人間的に丸くなったのかも
昔は誰からも「怖い」とか「怖そうで話かけられない」と言われ、新宿など
繁華街などを歩いて居ても一度もビラすらもらった事が無いほどだった。
しかし今は良く人に声を掛けられる。道を尋ねられたり、助けを求められたり
と色々だ それにいちゃもんや文句を付けられる事もあったかな。
昔では考えられない
しかし、変わらないのはいちゃもんや文句をつけた奴には、きっちりと
人生の厳しさを教え込んであげてます
もし、もしも前妻が戻って来たいと言えば私は全てを白紙に戻し受け入れると
思う。 それはこれから先もそうじゃないかな。
それはジュジュの為でもあるし、私の前妻への想いからでもある。
申し訳無かったと思えば思う程、悔い改め、前妻との3人の時間を取り戻せたら
と言う何とも言えない感情からかもしれない。
しかし、その様な事は地球が破滅する確立に等しいだろう