う~む、まとめも長くなりそうやな・・・
他所のお祭の見学に行きだして、特に新居浜や西讃の大型太鼓台を見て、最初に印象に残ったのが、ゴマを付けて練るという行為があることでした。
ゴマを付けたままで、回ったり、シーソーみたいにギッコンバッタンしたり、肩を入れて小刻みにゆすったり、掛け声があったり、替え歌なんぞを歌ったり・・・・etc
琴平では、町廻りの時、つまりゴマを付けている時は、それらの練るような所作は全く存在しません。
ゴマを初めて付け出した頃のことは知りませんが、少なくとも私が小学生の頃、昭和40年代には、「とばした」と呼ばれる早打ちの太鼓を叩き、子供がいっぱいたかって押すだけでした。その頃からすでに現在と同じことをやってたんですね。
これは想像ですが、なんぼ昔の人が肩力が強かったいうても、ずっと「えじゃないか」はなんぼなんでも無理だと思うんですよ。
おそらく、少しの距離を「えじゃないか」で練っては、ちょうさを落とし、そこでみんなで酒飲んみながら休憩して、また「えじゃないか」して、御花くれたらその家の前で「さした」して・・・そんな感じでやってたんじゃないでしょうか?
そういうことをやってた人らにとっては、ゴマ付けたちょうさなんて、アホらしくてたかる気にならなかったんじゃないでしょうね。ちょうさにゴマ付けるなんぞは邪道じゃ!と思ったことでしょう。
ゴマを付けたちょうさに何の魅力も感じなくなったら、男衆達がだんだん離れていくのも仕方が無かったことかもしれません。
・・・・まだ続く
他所のお祭の見学に行きだして、特に新居浜や西讃の大型太鼓台を見て、最初に印象に残ったのが、ゴマを付けて練るという行為があることでした。
ゴマを付けたままで、回ったり、シーソーみたいにギッコンバッタンしたり、肩を入れて小刻みにゆすったり、掛け声があったり、替え歌なんぞを歌ったり・・・・etc
琴平では、町廻りの時、つまりゴマを付けている時は、それらの練るような所作は全く存在しません。
ゴマを初めて付け出した頃のことは知りませんが、少なくとも私が小学生の頃、昭和40年代には、「とばした」と呼ばれる早打ちの太鼓を叩き、子供がいっぱいたかって押すだけでした。その頃からすでに現在と同じことをやってたんですね。
これは想像ですが、なんぼ昔の人が肩力が強かったいうても、ずっと「えじゃないか」はなんぼなんでも無理だと思うんですよ。
おそらく、少しの距離を「えじゃないか」で練っては、ちょうさを落とし、そこでみんなで酒飲んみながら休憩して、また「えじゃないか」して、御花くれたらその家の前で「さした」して・・・そんな感じでやってたんじゃないでしょうか?
そういうことをやってた人らにとっては、ゴマ付けたちょうさなんて、アホらしくてたかる気にならなかったんじゃないでしょうね。ちょうさにゴマ付けるなんぞは邪道じゃ!と思ったことでしょう。
ゴマを付けたちょうさに何の魅力も感じなくなったら、男衆達がだんだん離れていくのも仕方が無かったことかもしれません。
・・・・まだ続く
今日の『多事争論』は内容が重いんと柄にもなくセンチなんで読まんとってください。
何か始めは「駄洒落で攻めよう!」とか思いよったのに全然ですわ。
因みに今日やか5人しか見に来てないし・・・。
早くも存続の危機か・・・。