君の友達

日頃思っていること、感じていることを書いていきます。

お休み

2017年03月24日 | 日記

桜つぼみ

 

この頃、我が家は春休みモードです。


太郎君は毎日リーマンのように就活ルックで会社訪問、はなちゃんは家でグータラ、時々塾。

実家の母も太郎君は今年は行けないと承知していますが、はなちゃんがいつ来るのか心待ちにしています。

先日、なるべく春休みの早い段階で神戸のおばあちゃんちに帰るから、塾の春期講習は少しでも3月の早いうちにスケジュールを入れておいてね

と言ってあったのに、塾ではなく学校の部活の送別会が31日にあって、どうしても行きたいというので、

もうこれ以上母を待たせるのはかわいそうだから、私一人で行くことにしました。

明日から、2週間ほど行ってきます。

はなちゃんは後から合流です。


実家にはPCが無いのでしばらくお休みさせていただきます。

4月の10日前には再開したいです。

勝手をいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

<(_ _)>。

 


結腸憩室炎穿孔急性汎発性腹膜炎

2017年03月23日 | 日記

桜つぼみ

 

このところ毎日花粉症で大変です。

私の場合、もう学生時代からの年中行事です。

これからヒノキやカモガヤの花粉になって、最高潮に悪化するのは5月です。

結膜炎、中耳炎、副鼻腔炎/蓄膿症に気を付けなければなりません。

喉にも来るので声が出なくなります。

この時期でしたらまだ寒いので窓も開けませんが、5月になると暖かくなってどうしても窓を開けてしまいますね。


懸案の父の病名、判明いたしました。

『結腸憩室炎穿孔急性汎発性腹膜炎』

どうだっ!!

何回かに分けて母から聞き出しました。もめなかったと言えばうそになりますが、結果オーライという事で。


この病気、日本人はかつては大腸の右半分に多かったそうですが、食事が欧米化し、肉食や油っぽいものを取るようになって、大腸の左側に発生するようになったそうです。

腸壁に袋ができて、そこに便がたまり、袋が風船のように膨らんで大出血することもあるそうです。

父の場合はそこまでではなく、穴が開いた程度でしたが、範囲が広く、大腸のほとんど半分を切取ってしまいました。

手術の内容は簡単で、腸の悪い部分を切り取り、お腹に人工肛門を作るというだけです。


人工肛門というのは、私も始めて知ったのですが、何か人工的に作った肛門の働きをする装置があるわけではなく、

腸の切った切り口をお腹のおへそより少し横あたりに出してきて、そこから常時無意識に便が出てくるのを、お腹に袋を張り付けてそこにためるようにするだけです。

時々トイレで袋の中身を捨てて、袋自体は週に2回取り替えます。

切り取る長さが短いとストマを作る必要はなく、また腸の切り口どうしをつなげば良いのですが、父の場合は切り取る長さが長くて、とても直腸まで届かないので人工肛門(ストマ)になってしまいました。


ストマになると、身体障碍者4級の認定を受けることができるので、ストマ用装具をほぼ無料で買うことができますし、自治体によっていろいろな特典を受けることができます。

神戸では電車、市バスは無料に、タクシーは1割引きだったかな。


ストマに着ける袋は大変良くできていて、便はたまりますが、一緒に出てくるガスは消臭されて抜けるようにできています。

ガスまで一緒にたまってしまったら、袋がパンパンに膨れて袋がはがれて漏れの原因になりますので。

ただ、ガスの量によって消臭しきれず、あたりに匂いが伝わることがあります。


よく乗り物や駅の待合室の閉鎖された空間で、時々におってくることがありますよね。

私、誰かが我慢しきれず失敗したのかな、なんて思ってましたけど、この頃は近くにストマの方がいらっしゃるんだろうと分かるようになりました。

おそらくご本人も肩身の狭い思いをしていらっしゃると思います。


若い方だと元気になり次第、もう一度、ストマから正規の肛門につなぐ方法もあるようですが、

父はもう高齢ですし、体力のこともあって、それはもう無理です。

時々お見舞いに来られた方が、父を励ますつもりでそれをおっしゃるのだけれど、ちょっと困ってしまいますね。

手術から回復して意識がしっかりしてくるにつれて、ストマになってしまった不満を頻繁に母や私にも言うようになりました。


父は私の説明であれば真摯に聞いてくれるので、何度も何度も手術のいきさつや、病状を説明しました。(今でもしています)

が、幸いにも?認知症の父はすぐに忘れてしまって、

「なんでこんなもんがついとるんや」

と、すぐに怒り出します。

「はぁ  また、最初から説明~ (--〆)」

今までに数十回は説明しましたね。母は説明が大の苦手なので、その話になると逃げています。

なので父の前ではストマに関しての話はタブー。

時々そういう事情を知らない方が、父の前でストマの話をされて、励ましてくださるのは良いのだけど、

(その時は、母も私も心の中で顔をしかめながら黙っていますが)

その話に父が乗ってしまって、ストマに関する不満をその方にぶつけてしまい、その方もいやな思いをされるし、

またその後に父をなだめなければいけなくなってしまいます。

ストマというのはとてもナイーブな話なので、身内以外の方が、ご自分や身内にいらっしゃらないにもかかわらず、その話をご本人の前でされるのは控えた方が良いと思います。


手術をして一つ良くなったことがあります。

父はここ10年くらい、腰痛に悩まされていました。

手術前は腰痛がひどくて、100メートルも歩くことができませんでしたが、手術をして腸の悪いところを取ったとたん、ぴったりと腰痛が無くなってしまいました。

腰痛、腸の病気から来ていたのですね。


10年ほど前に亡くなった叔母(母の姉)は、無くなる5年ほど前から一度食べたものがまた戻ってくるようになりました。

気分が悪いわけでもなく、食欲がないわけでもなかったのですが、なぜが一度胃に入ったものが戻ってくると言って、少しづつ長い時間をかけて食事をしていました。

どこかが悪いのだろうと何度も検査をしましたが、いつも答えは「逆流性胃炎」。

何か腑に落ちないものを感じてはいたのですが、亡くなる半年前に大腸に大きな癌が見つかりました。

その時には肝臓にも肺にも転移をしていて手遅れでした。

その叔母はとても慎重な性格で、毎年一回は人間ドックに入っていましたが、あいにく腸だけは調べて無かったのでしょう。

なので、初めに見つかったのが肝臓の癌で、精密検査の結果、大腸に直径5センチだったか10センチだったか忘れましたけど非常に大きな癌が見つかりました。

最初の大腸癌だけの時に処置をしていたら、亡くなることはなかったのではと思います。


大腸の病気はなかなか自覚症状がないので見つけにくいですが、全く関係のないところでシグナルを出していることがあります。

その叔母は都内に娘夫婦(私のいとこ)と同居していましたので、私も自分の実家のようにお邪魔したり、

叔母も太郎君やはなちゃんの面倒も見てくれたりして、第2の母のような存在だったので、亡くなったときはほんとに悲しかったです。

もうちょっと早く、癌が見つかっていれば・・・と少しお医者さんを恨みましたね。

腸の検査、とても大切。


・・・というわけで、私が神戸の病院で受けた説明は上記のようなことでした。


また、術後にもいろいろあったので、それも書くつもりです。

 


雑談1

2017年03月21日 | 日記

桜つぼみ

 

今日はこちらは久しぶりに雨ですが、昨日は良い天気で空気も乾燥し、花粉が空中で飽和状態だったのではないでしょうか。

目と鼻が家族で大変な状態でした。

雨が降ってなんとなくほっとします。

 

今週からはなちゃんが春休みで家に張り付き状態になります。

このパソコン、パパさんとはなちゃん共有で、日常モードでは時間差で住み分けができていますが、

休日モードのパソコン使用優先順位は

1位:はなちゃん、2位:私、3位:パパさんになります。

パパさんは、1位:はなちゃん、2位:パパさん、3位:私にしたいようですが、差別は許しませんよ、差別は。

うちのパパさんは、はなお嬢様の奴隷ですので、はなお嬢様の付き人である私よりも身分が低いのであります。


はなお嬢様も誰のDNAか時々話題になりますが、国語が大の得意です。

中学受験時、国語と数学の偏差値の差はいつも30はありました。時には40とか。。。

いくら国語が得意といっても、特にサピ偏差値で65以上は出ませんからね。

数学がどんだけ悪いんじゃぁ!!!という事にもなります。

いえいえ、その話は致しません。


はなちゃんの趣味は小説を書くことです。

PCの小説サイトに投稿しているみたいです。(詳しくは知りません)。

先月後半あたりからパソコンの前で、夜なべor徹夜することが多くなっていました。

期末試験も近いし、彼女はPCで音楽を聴きながら勉強するので、てっきり期末試験のお勉強をしているものと思っていたのですが、

期末1週間前にもなったある日、

「お母さん、どうしよう」

と、半分涙ぐみながら相談されました。

内容を聞くと、2月14日、バレンタインの日に、

「あなただけのストーリーをプレゼントします。」

とサイトで募集したら、数十件の依頼が来たと。((((◎_◎;)。。

何でも、花を選んでちょっとした自己紹介を送ってくれたら、花言葉をテーマにその方オリジナルの短い小説を書いて送るつもりなんだけど、

件数が多くて間に合わない・・・何に間に合わないのかは不明ですが・・・という事でした。

私「まず期末の1週間前だしあなたは学生なんだから、この1週間はお勉強を最優先にしなさい。

小説は期日が決まっていないから、相手の方にちゃんと事情を説明して、いつになるかはわからないけれども必ず送るから、と

言いなさい。相手の方も時間がなくてとりあえずのストーリーよりもちゃんと練られたストーリーの方がうれしいと思うよ。」

という事で、落着しましたが、

私の心の声「はぁ~?花言葉をテーマに小説を数十件?・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・私には無理」ですね。

私、おしゃべりおばさんなので、気の合う相手であれば延々としゃべり続けることができます。

何せ、電話でおしゃべり最長記録11時間の記録保持者ですから。

相手は電話かけホーダイパックに加入していなければならないという条件付きですけれど。

でもあるテーマをもとに架空の小説を作れと言われると、途端に

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

となります。


昔(昔話ばかりで恐縮ですが)、新婚当初パパさんの実家で、まだお義父さんもご存命だったころ、内々の句会がありました。

テーマが「お正月」。

皆さんすらすらと紙に書いておられる中、私だけ数十分うんうん言いながらひねり出したのがこれ。

「お正月 おせち料理と 除夜の鐘」

・・・・・季語ばっかり。

お義母さん「ROKOさん、一つの句に季語は一つでいいのよ、もう少し自分の気持ちを込めた方がなお良いわね。」

トホホ・・・・雅子さまのご苦労がしのばれます。


ここまで読んでいただいた方、誠に申し訳ございません。

ひょっとして、「介護」の話の続きを心待ちにしておられますよね。

もったいぶっているわけでも意地悪をしているわけでもございません。

私もここまで書いたのだから、父の病名を正確に書きたいのでございます。

父の病名 『急性結腸性穿隗痢捌性刺鴛杼賜腹膜炎』

大体こんな感じの病名です。

正確な病名、病院で先生の説明時に何度も聞き返しながら紙に書いたんですが、その紙が実家にありまして、

いかにしてその正確な病名と漢字を母から聞き出そうかと3日間思案したのですけどね。

母はメールしませんし、携帯も、やいやい言ってやっと持つようになったはいいものの、かかってきた電話に出るのが精いっぱい。

80を越してから携帯をもったので無用の長物化しています。

これを電話で聞きだすと、全部平カナで

『きゅうせいけっちょうせいがかいりべつせいしがかいしふくまくえん?????」

大体こんな感じになってしまって、なんのこっちゃ?の世界になってしまいます。

あんまり何度も聞き返すと母も怒り出すしなぁ・・・。

というわけで、病名が分からないまま話、進めるかもしれません。


とりあえず、今日はこの辺で。

 


認知症中期1

2017年03月17日 | 日記

つくし

 

久しぶりに介護の話。

といっても今は父母ともかなり落ち着いていて、平穏な毎日を過ごしています。

先日は確定申告をやってきたという母の話。

2年前までは父がやっていましたが、もうそろそろ無理っぽくて、昨年からは母がえっちらおっちらとやっています。

今年はスムーズにクリアしました。


一昨年、何があったかと申しますと、父が大病をしまして、生死の境をさまよいました。

介護状態になったのはその時からでした。

認知症の症状はありましたが、基本的に自分のことは自分でできていたし、その日1日分くらいの記憶はありました。


病名は1度聞いただけでは覚えられない、いえいえ何度聞いても覚えられない、漢字10文字ほどのむつかしい病気です。

平たく言えば、大腸の病気。(平たく言い過ぎ?)


一昨年の2月末頃から、母から何回も電話がかかってきました。

「おじいちゃんが食べない。」

熱もない、気分も悪くない、どこもおかしいところがないように見えるのだけど、食欲だけがない。

私もいろいろ考えて、まずは風邪をひいたのではないかと思いました。

高齢者は風邪をひいても熱が出ないと聞いていましたから、母ともいろいろ話をして近くの診療所で診てもらって、風邪薬をもらってきました。

それでも食べない。

 

覚えているのが、3月3日に母が作ったちらしずしを最後に、全く食べ亡くなりました。

(実際に起こっている出来事はすべて母からの電話での報告です。)

そこから私も何となく胸がざわついて、母と相談してもう一度お世話になっているお医者さんに診てもらうことにしました。

精密検査をしてもらったのですが、結果が1週間後だと言われて帰ってきました。

1週間後って言われても、父は全く食べない、一口も食べない状態ですからね、1週間も待てないですよ。

母に「レントゲンでもCTでももうその場で結果は出てるはずだから、明日すぐに行って、結果を聞いてきてほしい。

全く食べないという事もちゃんと言ってね。」と念を押しました。

翌日またお医者さんに行ったのですが、先生曰く「原因がわからない。」

とりあえずまた紹介状をもらって大病院へ行けと言われて帰ってきました。また一から検査のし直し・・・。


母の話だと、父が食べ無くなりだしたのは1か月ほど前。

いつもはかなり食事の量も多くて小太り気味だったのが、だんだん食が細くなって、体重も10キロ以上は減ったという事でした。

お茶を含めて水分は取っているので、カロリー不足を少しでも解消するために、甘い系のポカリスエットやカルピスなんかを飲ませた方がいい

といって、一度は電話を切りましたが、またすぐ電話がかかってきました。

「おじいちゃんが変なしゃっくりをしている」

なんか子犬がきゃんきゃん泣くようなそんな音のしゃっくりだと言います。

そんなしゃっくり、聞いたこともなかったので、救急車を呼んだ方がいいかもと思いましたし、明日は私も行かなくちゃいけないかともと思いましたね。

ただもう、救急車を呼ぶ判断はそこにいない私にはできない。おばあちゃんを信頼するしかない。

何度も様子が変だったらすぐに救急車を呼ぶように言いましたけど、その夜はそれ以上のことはなく、しゃっくりもおさまりました。


一夜明けて、朝から二人で大病院に向かいました。バスで40分ほどです。

その時の話は私もほとんど聞いていないので、推測ですが、また一から検査をしたのだと思います。

終わったのがもう夕方近くになっていたはずです。(私の逆算で)

結果はまた「原因がわからない」でした。

とりあえず今日はこれで・・・と言われて、母は思わず、

「この1週間、一口も食べてへんのです。もう私、よう連れて帰れません。家でなんかあったらどないしたらええんですか?

入院させてください!!」と叫んだそうです。

今では笑い話ですが、その時の母は必死だったと思いますね。

それでとりあえず入院が決まり、色々手続きをして母が家に着いたのが夕方5時でした。


家に着いた矢先、病院からまた電話がかかってきました。

内容は今から即手術をするので、また病院の方に戻ってほしい。

開腹手術でかなり体力を使うから、体力が落ちている現状を鑑みてひょっとするかもしれないので、近しいご家族には一言伝えた方がいいかもしれない

・・・と。それで母はコートも脱がずにまた病院にUターンしたそうです。

病院では何枚も何枚も内容を確かめもせずに次から次にサインをしたと。サインを待っていたように手術が始まったそうです。・・・夜7時。


私に電話がかかってきたのはそれからでした。私としては今日は大病院だし、おそらく原因もわかるだろうと電話を待っていた状態でしたが、

7時になってやっと電話があったと思ったら、今から手術で命も危ないと言われて、びっくりしました。

取るものもとりあえず、八重洲の南口から夜行バスに乗りましたが、母は携帯を持っていないので直接連絡ができない。

せめて私が行くまでは父の命が持ちますようにとバスの中で真剣に祈りましたね。


すみません、また長くなりそうなのでこの辺で。

この続きは何もなければ月曜ですが、もうはなちゃんが春休みですし、仕事の期限が間近に迫るしで、なかなか書きづらいです。

春休み中は何とか短くても続けるよう頑張ります。



会社訪問

2017年03月16日 | 日記

つくし

 

今日は現実に戻って就活の話です。

 

3月に就活が解禁されて、リクルート会社経由だった活動も、学校経由や、直接のコンタクトに代わり、毎日忙しく歩き回っている太郎くんです。

家の方にもどんどん会社のパンフレットが送られてきて、

「どんだけエントリーしてんの?」

というくらいパンフレットがたまってきています。

私の知っている名前の会社もありますが、全く知らない会社の方が多いかな。

カタカナの名前の会社が多くて、何をやっている会社なのかちょっと読んだだけではわからないところもあります。


話題の電通もありました。

広告会社なので、自社PRなんてお手の物だと思って、手に取ってみました。

他社と比較しても素晴らしく、立派な紙質で画像もセンス良く斬新と思われるかもしれませんが、

いえいえ、紙質は上質のわら半紙程度、大きさも小さくて、B5の3分の1程度、厚さは2cm位。

ちょうど洋書のペーパーバックに似ています。

メインは300ページ弱に及ぶ文章。

テーマが表向き「前例のない」でした。私は隠れたテーマが「人」と取りました。

封が切られてなかったから太郎君は興味がないようです。


会社からのメッセージと、ちょっとした会社の概要の後、ほとんどが社員さんの成功体験でした。

最初はAUのコマーシャルを作った方の話。

あの桃太郎、金太郎、浦島太郎が出てくるコマーシャル、私も実家で見て印象的だったので覚えています。面白い(^▽^)

他社のパンフレットがそれこそ電通の方が作ったようなものの中で、そう来るか・・・という感じです。

さすが電通、人の興味を引くのはお手の物ですね。


その中、表紙と2ページ目の間にぺらっと紙が一枚、あの事件に触れた、申し訳程度の、無味乾燥なコメントが入っていました。

その紙一枚で、力のこもったこのパンフレットが台無しです。入れない方が良かったかも。

世間をかなり騒がせた事件だったので、もし公、といっても会社のパンフレットに挟む程度でも、コメントするのであれば、

特にこれから新入社員として入ってくるかもしれない学生の不安を思いやってのことならば、

どんなにちょっとしたコメントにも誠実さと反省を、文章の中だけでも込めてほしいと思うのは

50の叔母ちゃんの繰り言でしょうか。

「結局、新入社員の自殺なんて、他の社員さんにとっては関係のないことなんでしょうね。」

私はそう取ります。もう少し文章力のある方に書いてほしかったです。


ふと我に返りました。

話がかなり脱線してますね。


繰り返しになりますが、3月に入って時々企業から直接連絡が来るようになりました。

先日もとある保険会社から電話をいただいた太郎君、

始めはめんどくさそうに

「はい」

と、スマホを取っていましたけど、

相手の方が大会社の人事部の方とわかるや、スマホを片手に頭をペコペコ下げていて、思わず笑っちゃいました。

「今からリーマンやってる。」

リーマンとは若者言葉でサラリーマンのこと。


直接人事部の方からお電話をいただいて、断り切れなかった太郎君、会社説明会に参加しました。

そこにはやはり電話で呼ばれた学生が数十人ほど集まっていて、普通の総合職でなく、幹部候補生として受験してほしいという話でした。

入社してからのいろいろな研修や訓練、やはり幹部候補生のその後は厳しく、3年後には3分の1がやめてしまうそうです。


毎日毎日、今年は合宿もキャンセルして、あちこち会社説明会に参加している太郎君ですが、

驚いたのが、スマホ狂だった太郎君が手書きの大きなスケジュールノートを使っていて、

中は小さな手書きのスケジュールでびっしり埋まっています。ここでももうリーマン風。

黒の就活スーツが妙にはまってきていますね。毎日嬉々として会社訪問しています。

 

夜は毎日、その日一日の報告をします。

私にではなく、パパさんにですけど。私は横でそれを聞いています。

これだけ回ったので、かなり的が絞られてきたみたいで、金融関係の会社に行きたいと言っています。

金融といっても、銀行だけではなく、証券、信託、不動産、商社、保険も金融に入るのかな。商社も金融に入るっていうのは知りませんでした。

その中で、大企業から中小、縁のあるところはすべて回っているようです。

それを夜に逐一報告してくれるのですけれど、話を聞きながら、私なんて口を出したくてうずうずしてしまうのですが、

パパさんは全部黙って聞いています。そして時々褒めます。最後にひとこと、

「明日行く会社は君にとって物足らないかもしれないけれど、就職をしてしまうとこういう経験はできないから、どの会社もしっかり見てきなさい。」

私の心の声「それだけ?もっと社会人の経験から、いろんな知恵を教えてあげてほしいんだけど・・・。」


いやいや、この頃ね、私若いっていう意味が分かってきました。

私なんて、直球ストレートど真ん中、という子育てしかできなかったので、子供に良かれと思う事はすべてぶつけてきてしまいましたが、

子供は子供なりに色々考え、一つ一つ経験しています。いきなり100個ではなく一つ一つです。

子供の認識力が育つのは、親の入れ知恵やお説教ではありませんね。経験です。

特に太郎君は自分で壁にぶつかって、自分で考えるタイプ。

就活を通してどんどんと大人になっていくのがわかります。


昨日話をした先輩のお母さんがおっしゃってました。

「男の子ってね、何歳になったらこうしようと心の中で決めていて、太郎君は就職は本気で取り組む、という事を、

おそらくは高校生時代、浪人時代から決めていたんだと思うよ。

だから今(学生時代)はちゃらんぽらんやってもいい、一線さえ越えなければ悪たれてもいいと思ってたんじゃない?」

ん~なるほどと思ってしまいました。思い当たる節があります。

太郎君の人生は太郎君のもの。親は祈るのみ!