ロゴス古書

 年年歳歳 花相似たり
 歳歳年年 人同じからず 

「隈」と「熊」のこと

2013年11月09日 | 随想・日記

             

 ずいぶん前の事である。清六さんの処へお邪魔した時である。熊蔵さんと圭吾さん(圭吾の字が違うかもしれない)の話になり、その時そして「隠し念仏」の話になった。筑摩書房の「31年版」と「42年版」の、「隠し念仏」関連についてであった。

 「憎むべき『隈』辨当を食ふ」と「隈」田を植ゑる」や(隈はしきりにもどかしがって)は、詠んでいる場所と人物が異なることにおよんだ。弁当を食ふの処は外台の川原での出来事で熊さんであるが、しきりにもどかしがっての最後から五行目の「城あとのまっ黒なほこ杉の上には」は小舟渡辺りから花巻城跡を観た作ではないかと云う事になった。小舟渡の佐藤ジッコに人物が改変同化されていると。それから話が進んで清六さんは、文語詩[秘事念仏の大師匠][一]の稿異に『憎むべき「寅」飯をはむかも』とあることなどから、随分気を使っていたようなので、『あまりにもあからさまなので「熊」を「隈」にかえておぎあんすたんすじゃ』ということだった。「31年版」と「42年版」は、そのために「隈」に統一されている。

 十字屋版の第二巻 文語詩稿 壱百篇 に関連(秘事念仏の大師匠)がでているが、「隈」に付いての関連詩稿は、「組合版」にも小倉さんの「角川版」にも載って無い。校本全集で初めて整記にでた。これらの関連詩は「鉛筆できれいに書かれたもの」のようである。

 ツイッターに 

入沢康夫 ‏@fladonogakobuta 11月5日

@fladonogakobuta (続き)なるべき作業で、できるだけ早い時期に、新進気鋭の研究者の中から、「よし、それは自分が(もしくは、自分たちが)やってみせよう」という方が現れて欲しいものだとかねてから願っている。

 入沢康夫 ‏@fladonogakobuta 11月5日

宮沢賢治作品の遺稿群については、校本・新校本全集によって、その逐次変化が厳密に跡付けられているが、それらの作品の作者没後の刊行物(とりあえずは諸全集)における収録本文や異稿の差異・変化を綿密に跡付ける作業は、いまだになされていない。これは、賢治作品享受史の重要な基礎と(続く)

 入沢康夫 ‏@fladonogakobuta 11月3日

@signaless5 またまた念の為に申しあげますが、「隈」・「熊」に関連するどの詩稿にも、賢治以外の人の手による改変の跡は一切存在しておりません。

小生は研究者でも若くもない。入沢氏の記事を拝見してのメモである。清六さんからは色々なものを貰った。写真はその一つである。中身は原稿複写版十二枚である。