紀伊が出たあとのホームに残り構内を見渡すと留置線に
数両のDF50の姿があった。朝の普通京都行きまでの間
バルブ撮影に興じることに。
すでに運用離脱したのかよくわからないが、手当たり次第にバルブを
決行した。
DF5054,53,24の3両が連結されて留置されていた。
24号機はこのあと四国へ渡った。53,54は廃車になってしまった。
この留置線も奥にある庫も今はもうない。
左に写っている客車に乗って京都へ行った。
23号機 こちらも四国に行くことなく廃車になった。
30号機 巻き上げ不良でとなりのコマと重なってしまった。
庫の中でピカピカの状態だった64号機 このあと四国へ渡った。
なかなかこういう綺麗なDF50に遭遇したことはなかった。
紀伊を含めて、亀山のDF50は、23、24、30、53、54、63、64の7両で
終了してしまった。その後、紀勢本線を訪れることはなかった。
今考えたらもったいその一言に尽きるが、中高生の行動範囲などはそうそう遠征
などできるわけもなく、そしてこの時代にはまだまだ他にも魅力ある被写体も
あったことも一因でだったのだろう。
すべて、亀山駅 1979年8月11日