不思議な川辺を見ていた瞳は同じだった。小石を投げつけた水面の、ひろがる波紋のようなわたしの影に重なっていたあなたの霊魂。それは、まぎれもなくあなただったわたしが、波紋を濁らせていた。聴こえていたのに、あなたであったことを置き去りにした場所を、わたしに生まれ変わることで憶い出すことができずにいた。あなただったわたしは、なりたかったわたしを呼んでいた。生まれる前のわたしが、わたしを探す声に木霊のように返事をしながら、うつろに、生まれ変わったわたしの水脈(みお)に宿っていた。
わたしが今のわたしの形象(かたち)を持つまえから、あなたはわたしが生まれることを待っていた。あなただった過去世に、わたしがあなた抱きしめることを予感した唄を、白い夢に残して―― 死の自覚をしたくなかったのは、わたしだった。あなたを苦しめていたのは、水底よりも深いところに沈んでしまったあなたではなくて、あなたの言葉を知っていながら、あなたの言葉に深く漂うことのなかったわたしだった。ほんの少し気づいていながら、鉛の洞窟に眠らせた数々の旋律の鍵を開ける勇気が持てるまで、わたしはわたしの無数の転生を水に流していた。
あなたが書き記した言葉の引き換えに、わたしが此処に在ると言っても過言ではない。あなたが見ていた川辺の向こうには、数え切れないほどの茨が迷いの森のように覆っていた。だから、たいていの人は前世の自分には逢いにいけない。それでも幽界で彷徨うあなただったわたしを迎えに行けるのは、わたしでしかなかった。あなたが待ち望んでいた光になれるまで、無我夢中に茨を切り裂き、傷痕を棄てて、行く手が火を浴びる煉獄だったとしても、あなたの見た不思議な川辺を、あなたの瞳を通してではなく、わたしのこの眼で見ることで、あなたの死が浄化されていくと分かったから、わたしのなかでもう一度生きることを、わたしもあなたに呼びかけた。あなたの書き記した言霊のように、わたしは別の涙を流しながら、あなたを抱きしめていた。涙は、わたしのものではなく、あなたのものだった。
真綿色のオーロラのなかに、いくつもの煌めく粒子が輝いて、そこに太陽の光を受けると、プリズムのように乱反射した稲妻のような虹の閃光が明滅している。それが、あなたとわたしの霊的なエネルギー。純白の魂になるほど、あたたかくなる。そのぬくもりから、あなたは明るい調和の緑を発光して、わたしに答えていた。ほとばしる光のしらべは、あなたであり、わたしであり、虹色の水晶を解き放つ足跡を創作するために、あなたとわたしは地球の呼吸がこぼれ落ちる場所へと昇華していく。
不思議な川辺には、もう誰もいなかった。
コールサック74号 投稿作品 掲載をありがとうございました。
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ルビンの壷
絵のなかの、両側の顔を見ると壷は空間になり、壷にみると両側の顔が空間になります。壷と両側の顔とを同時に見ることはできているのですが、同時に両側の顔と、中心の壷を見えことはできない、と何かに書かれていました。確かにその通りで、顔に見ると壷は見えないし、壷を見ると顔は見えなくなります。
しかし、オーラを見る訓練をしてから、このルビンの壷の絵の、両側の顔と中央の壷を同時に見えるようになりました。同時に見えると言うことは、同時に壷は壷であり、顔は顔であるという認識ができるということです。
その秘密は網膜にあります。網膜の錘状体と桿状態(かんじょうたい)と呼ばれるところは筋肉で、この筋肉を鍛えることにより、人は機微な光の放射よりいっそう感知できるようになります。目の筋肉は想像以上に視覚をコントロールするのに役に立っています。また、この筋肉を鍛えると、平面図が立体的に見えるようになってきます。輪郭の影をくっきりと鮮明に映し出すような感じで見え、背景が後方に見えるようになってきます。
その鍛えた筋肉でルビンの壷を見ると、両側の顔の輪郭は後方になり、中央の壷の輪郭が前方に飛び出してくるため、壷と見詰め合った顔とが、同時に認識できるようになります。
このルビンの壷が立体的に見えてくるのは、ひとつの発見でした。オーラを見るとき、光が飛び出すように現れてくるのですが、それは、この空間には次元がいくつも重なっているからなのだと改めて認識することができました。人のオーラはこの空間では見えないのは、アストラル界で輝いているからなのです。目の筋肉の状態を、ルビンの壷を立体的に見るような状態にしていると、アストラル界から光が飛び出すようにオーラが現れてきます。この光が完全に見えるようになるまで、わたしは訓練したいと思っています。
目の筋肉だけを鍛えても、必ずしもアストラル界からオーラが飛び出すように見えるとは限りません。第7チャクラ(頭頂のチャクラ)が開いてなければ見えないのです。アストラル界が視界の全体に入ってくればいいのですが、今のところ飛び出す絵本のように突然、残照だけがしゃぼん玉のようにふわりと浮かんできます。視界の全体にアストラル界が入ってくるまで、もう少し訓練が必要のようです。
オーラを見ると人それぞれの生き方や感情まで分かるようになってきます。それは、見える人のものではなく、あくまで他者のものなので、他者のオーラからの情報を見ても口外せずに秘密を
守る義務があります。他者のすみずみまで解かってしまうため、オーラを見るというのは、神さまの領域に入っていくことにもなります。オーラを見る力は決して悪用できないようになっているのです。悪用すると、第7チャクラが閉じて、オーラを見る力は無くなってしまいます。オーラは神さまの信頼のもとで、見える力が与えられているのでしょう。この力は、他者の幸福への願いのために使っていきたいと思っています。
わたしが今のわたしの形象(かたち)を持つまえから、あなたはわたしが生まれることを待っていた。あなただった過去世に、わたしがあなた抱きしめることを予感した唄を、白い夢に残して―― 死の自覚をしたくなかったのは、わたしだった。あなたを苦しめていたのは、水底よりも深いところに沈んでしまったあなたではなくて、あなたの言葉を知っていながら、あなたの言葉に深く漂うことのなかったわたしだった。ほんの少し気づいていながら、鉛の洞窟に眠らせた数々の旋律の鍵を開ける勇気が持てるまで、わたしはわたしの無数の転生を水に流していた。
あなたが書き記した言葉の引き換えに、わたしが此処に在ると言っても過言ではない。あなたが見ていた川辺の向こうには、数え切れないほどの茨が迷いの森のように覆っていた。だから、たいていの人は前世の自分には逢いにいけない。それでも幽界で彷徨うあなただったわたしを迎えに行けるのは、わたしでしかなかった。あなたが待ち望んでいた光になれるまで、無我夢中に茨を切り裂き、傷痕を棄てて、行く手が火を浴びる煉獄だったとしても、あなたの見た不思議な川辺を、あなたの瞳を通してではなく、わたしのこの眼で見ることで、あなたの死が浄化されていくと分かったから、わたしのなかでもう一度生きることを、わたしもあなたに呼びかけた。あなたの書き記した言霊のように、わたしは別の涙を流しながら、あなたを抱きしめていた。涙は、わたしのものではなく、あなたのものだった。
真綿色のオーロラのなかに、いくつもの煌めく粒子が輝いて、そこに太陽の光を受けると、プリズムのように乱反射した稲妻のような虹の閃光が明滅している。それが、あなたとわたしの霊的なエネルギー。純白の魂になるほど、あたたかくなる。そのぬくもりから、あなたは明るい調和の緑を発光して、わたしに答えていた。ほとばしる光のしらべは、あなたであり、わたしであり、虹色の水晶を解き放つ足跡を創作するために、あなたとわたしは地球の呼吸がこぼれ落ちる場所へと昇華していく。
不思議な川辺には、もう誰もいなかった。
コールサック74号 投稿作品 掲載をありがとうございました。
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ルビンの壷
絵のなかの、両側の顔を見ると壷は空間になり、壷にみると両側の顔が空間になります。壷と両側の顔とを同時に見ることはできているのですが、同時に両側の顔と、中心の壷を見えことはできない、と何かに書かれていました。確かにその通りで、顔に見ると壷は見えないし、壷を見ると顔は見えなくなります。
しかし、オーラを見る訓練をしてから、このルビンの壷の絵の、両側の顔と中央の壷を同時に見えるようになりました。同時に見えると言うことは、同時に壷は壷であり、顔は顔であるという認識ができるということです。
その秘密は網膜にあります。網膜の錘状体と桿状態(かんじょうたい)と呼ばれるところは筋肉で、この筋肉を鍛えることにより、人は機微な光の放射よりいっそう感知できるようになります。目の筋肉は想像以上に視覚をコントロールするのに役に立っています。また、この筋肉を鍛えると、平面図が立体的に見えるようになってきます。輪郭の影をくっきりと鮮明に映し出すような感じで見え、背景が後方に見えるようになってきます。
その鍛えた筋肉でルビンの壷を見ると、両側の顔の輪郭は後方になり、中央の壷の輪郭が前方に飛び出してくるため、壷と見詰め合った顔とが、同時に認識できるようになります。
このルビンの壷が立体的に見えてくるのは、ひとつの発見でした。オーラを見るとき、光が飛び出すように現れてくるのですが、それは、この空間には次元がいくつも重なっているからなのだと改めて認識することができました。人のオーラはこの空間では見えないのは、アストラル界で輝いているからなのです。目の筋肉の状態を、ルビンの壷を立体的に見るような状態にしていると、アストラル界から光が飛び出すようにオーラが現れてきます。この光が完全に見えるようになるまで、わたしは訓練したいと思っています。
目の筋肉だけを鍛えても、必ずしもアストラル界からオーラが飛び出すように見えるとは限りません。第7チャクラ(頭頂のチャクラ)が開いてなければ見えないのです。アストラル界が視界の全体に入ってくればいいのですが、今のところ飛び出す絵本のように突然、残照だけがしゃぼん玉のようにふわりと浮かんできます。視界の全体にアストラル界が入ってくるまで、もう少し訓練が必要のようです。
オーラを見ると人それぞれの生き方や感情まで分かるようになってきます。それは、見える人のものではなく、あくまで他者のものなので、他者のオーラからの情報を見ても口外せずに秘密を
守る義務があります。他者のすみずみまで解かってしまうため、オーラを見るというのは、神さまの領域に入っていくことにもなります。オーラを見る力は決して悪用できないようになっているのです。悪用すると、第7チャクラが閉じて、オーラを見る力は無くなってしまいます。オーラは神さまの信頼のもとで、見える力が与えられているのでしょう。この力は、他者の幸福への願いのために使っていきたいと思っています。