りんりんりたーん

りんりんも、きっと帰りますとの思いを込めて…

Reg?:常日頃 ??? 異端 パスカル 宗 派争 ???????

2008-04-28 02:16:39 | Weblog
?〇o。(;´ω`)?(;´ω`;)?(´ω`;)。o〇?


?(・ω・;)?(;・ω・;)?(;・ω・)?


http://secondlife.yahoo.co.jp/health/master/article/d102tkuni_00026.html
人間のほんとうの尊厳とは
掲載日:2006年12月14日 テーマ:パスカル , 虐待 , モラル


もう一度パスカルを


最近の世の


中の出来事、とりわけ、いじめ、虐待、自殺といったことを見聞きするにつけて、あらためて噛みしめている言葉があります。


パスカル(1623-1662)の『パンセ』(瞑想録)のあの有名な


「考える葦」についての断章です。


「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、


宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。


だが、たとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。


なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。


宇宙は何も知らない ?


だから、われわれの尊厳のすべては、


考えることのなかにある。われわれは


そこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが


満たすことのできない空間や時間からではない。


だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」


この文章はあまりにも有名であるために、


それがかえって禍いして、何となく分かった気になってしまい、私たちはそれを耳にしても瞬時にして通り過ぎてしまうという傾向があります。


「人間は考える葦である」という名文句だけが「教養」の一つになって倉に収められるようなものです。私にとっても長いことそういう程度のことでした。


しかし、パスカルのこの言葉はもっともっと深く味わうべきではないでしょうか。


パスカルは暇にまかせてこの名文句を生み出したわけではありません。これは、晩年の、といってもわずか30代の後半、激しい病苦に襲われる


中で、血のにじむような思いで書き留めた覚書でした。


パスカルは少年時代に母親に死別したのをはじめとして、


戦争の悲惨、


人間関係の欺瞞、






宗派争い、






そして何よりも若いときからの病苦に苛まれていました。
… 中略 …


自分の小ささを知る


田辺保氏は『パスカル 痛みとともに生きる』(平凡社、2002)という著書の中で、パスカルのこうした病苦と彼の思想の密接な関係を論じながら、『パンセ』は


終末期の苦痛の緩和(パリアティフ)のために書かれたのではなかったかとも言っています。


確かにパスカルは


痛みに耐え、死を見つめていたからこそ、


人類の至宝ともいうべき深い言葉の数々を遺し得たのだし、また、それに聞き入るものにとって、








言葉は





生苦の緩和となるのだと思います。


さて、ここで改めて「考える葦」の断章を読み返してみましょう。


ここでは、まず





ざっぱに見れば、





間の物体的な意味での、つまり宇宙





中での物体としての小ささ(葦であること)と、





れにもかかわらず、





は考えることによって宇宙よりも尊いのだ、と述べているよ


うに


思われます。


しか


し、もう少していねいに読んでみると、尊厳のゆえん、偉











理由は、


ただ「考える」ということにある





ではな


く、「彼が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知る」ことにある


と言っていることが注目に値します。つまり、





間の「弱さ」や「小ささ」を知ることができる


とい


うことのうちにこ


そ、





間の考えることの素晴らしさがあるのだと言って ♪♪♪


いるのです。


だから彼の思考の倫理は「謙遜な思考」ともいうべきものであり、したがってまた、


ただ知性が優れていて、論理的思考や科学的思考ができれば、





れで





間に尊厳があるということを言っているわ


けではないのです。


天才的な科学者であり、同時に論理性と情感性に富んだ思想家であったパスカルが、こうした謙遜な思考者であったことの意味は





きいと思います。私たちの時代の知識や情報は、





間の死にゆくことと宇宙から見た小ささをどれだけ





覚している





でし


ょうか。


モラールの源泉とは


ところで、





分が死ぬことと、宇宙








分に対する優勢を知ることが、どうして





間の尊厳につながる





でし


ょうか。


それは「死」という限界に目を留め、そして物体的な意味での自分の小ささを自覚することによって、私たちは、空しい誇りや、期待してはならないものへの依存をやめ、立ち上がるべき本来の立脚点が何であるかを考えることになるからです。それこそは「考える」という〈精神〉の可能性です。パスカルが言うように、


「空間や時間」をどんなに拡張しても、そこに自分を満たすことはできません。


空間は無限ともいうべきほどに広がっていて、私を不安にしますし、


時間もまた限りなく伸びゆくように見えるのに、





は死の壁にぶつかるので、決して私のものにはなりえないものだからです。


ただ一つ私たちが立ち上がることのできる場は


「考える」ということです。「だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある」と。


繰り返しになりますが、「考える」ということは、難しい理屈をこねることではなく、


自らの死と


物体的な小ささという限界を見すえ、








上で





間の本当の可能性はどこにあるのかを深く思うことです。パスカルは


そこに「道徳(モラール)の原理がある」と言うのです。


今日、諸分野でのモラールの衰退は目を覆うものがあります。


たとえばマンションの耐震構造偽装問題とか飲酒運転といったことに象徴的なことですが、それによって結局は人間の命が軽んじられることになります。


勉強して学歴を身に付け、ある程度の立身出世ができても、


自分の限界を深く考えないような知識や力の獲得は、知らず知らずのうちに、他人の命を傷つけ、


あるいは殺すまでになるということは恐ろしいことです。


いじめとか虐待という問題も、人間のおごりとつながっています。


パスカルのような謙遜な思考が養われなくてはならない


でし


ょう。
http://www.seitosi.org/lecture/inochi.html
生と死を考える会
様HPより一部抜粋


田畑邦治先生プロフィール


上智大学大学院哲学研究科修了
聖母女子短期大学教授、東京カトリック神学院講師、東京医科歯科大学講師、山梨医科大学看護学部講師などを経て現在、白百合女子大学教授
2002年度より、NPO法人・生と死を考える会理事 2003年度より理事長
著書:
ケアの時代を生きる(看護の科学社1990)
出会いの看護論・人間の尊厳と他者の発見(看護の科学社1994)
新訂ケアの時代を生きる─かかわりと自己実現(看護の科学社1990)
http://blog.livedoor.jp/ikegogo1/archives/2005-09.html?p=20
特得匿督?
金言・名句集様讃歌


◇徳の高さは


人が何か特別に頑張った時に


判断すべきではない


日頃の行いで


判断すべきである


パスカル


◇可能な手段だ


けでなく安易な手段や誰もが考えつく手段だ


けでなく困難な手段


不可能と思われるような手段まで


考えておくことだ


チャーチル


Imp. )


パッ パッ パスカルパパパスカっ
パッ パッ パスカル
パパパスカっ
チャチャチャチャ チャーチっ
チャチャ チャーチ
チャチャチャチャ チャーチっ
チャチャ チャーチ
http://blog.livedoor.jp/ikegogo1/archives/2007-12.html?p=21
ReD?:金言・名句集様讃歌
◆人???????
間は
自???

の♪
ことを一向に知らないから、多く
の♪♪♪
人???????
々は、健康である
の♪♪♪
に死んでいくように思い、また、多く
の♪
人???
々は、死にかけている
の♪♪♪♪♪♪♪
に健康であると思う。


パスカル


◆行動は


そ♪♪♪


の♪


人の信条の図鑑である。


エマーソン


メルマガ情報
http://m.mag2.jp/M0013080
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ブレーズ・パスカル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ブレーズ・パスカルブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの数学者、物理学者、哲学者、思想家、宗教家。早熟の天才で、


その才能は多方面に及ぶため、カテゴリー分類するのが困難な人間である。「人間は考える葦である」という『パンセ』の中の言葉によって広く知られている。ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。
… 中略 …


有名な「人間は考える葦である」とは、人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える、というパスカルの哲学者としての宣言を表している。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく


小粒子である人間の有限性をも受け入れている。パスカルにとって人間とは天使でも悪魔でもない。
クレオパトラの鼻
… 中略 …
『プロヴァンシャル書簡』
ジャンセニスムがイエズス会から批判されたとき、匿名でジャンセニスムを擁護した。
… 中略 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A0
ジャンセニスム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャンセニスム(Jansenisme)は17世紀以降流行し、カトリック教会によって


異端的とされたキリスト教思想。
ヤンセニズム、ヤンセン主義ともいわれる。人間の意志の力を軽視し、腐敗した人間本性の罪深さを強調した。低地諸国出身の神学者コルネリウス・ヤンセン(1585年-1638年)の著作『アウグスティヌス』の影響によって、特にフランスの貴族階級の間で流行したが


その人間観をめぐって激しい論争をもたらした。
概説
ジャンセニスムのルーツは16世紀のルーヴァンの神学者ミシェル・バイウス(Michael Baius,1513年-1589年)の唱えた教説にあるといわれる。バユスとも呼ばれたバイウスの説の特徴は神の恩寵の意味の絶対化と人間の非力さの強調であった。同地で活躍していたイエズス会員たちはそこにジャン・カルヴァンの影響を感じ取り、すぐに反論した。


その後、同じくネーデルランド出身の神学者で、イプルの司教コルネリウス・ヤンセンが生涯の研究の成果として完成させた著作『アウグスティヌス~人間の本性の健全さについて』(Augustinus;humanae naturae sanitate)が、彼の死後の1640年に遺作として発表された。ヤンセンはバイウスの説に影響を受けており、同書ではアウグスティヌスの恩寵論をもとに、バイウスと同じように人間の自由意志の無力さ、罪深さが強調されていた。
ここにいわゆる「ジャンセニスム」がはっきりと姿を現した。
… 中略 …
ジャンセニスムの精神は20世紀初頭に至るまでフランスのみならず全ヨーロッパのカトリック信徒に影響を及ぼした。


その証左として20世紀の初頭になっても、ジャンセニスムの精神の影響によって信徒が秘跡からはなれ、ひいては教会から離れていくことを危惧した教皇ピウス10世の回勅によってジャンセニスムの禁止が徹底されていることがあげられる。


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HSIUT G派 複伏福歓拝

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