~
~
~
?(ノ゜ ̄ω ̄゜。o〇o。?(;´ω`;)?。o〇o 。゜ ̄ω ̄ )ノシ?
?≫ゑ(・ω・ノ;)ノ?\(;\・ω・)ゑ≪?
?(´ω`人;)?拜?(;人´ω`)?
?(;・ω・)))) ――――… * …―――― ((((・ω・;)?
?〇o。(;´ω`)?(;´ω`;)?(´ω`;)。o〇?
?(・ω・;)?(;・ω・;)?(;・ω・)?
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yagisanyubin.html
「山羊(やぎ)さんゆうびん」
まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲
白やぎさんから お手紙(てがみ) ついた
黒やぎさんたら 読(よ)まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事(ようじ) なぁに
黒やぎさんから お手紙 ついた
白やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なぁに
戻 る
http://www1.odn.ne.jp/mushimaru/bakaessay/goats.htm
【講座:ペンとともに考える】
『やぎさんゆうびん』の謎様HPより一部抜粋
--------------------------------------------------------------------------------
まずここで、「やぎさんゆうびん」(作詞:まどみちお)なる童謡の歌詞を提示しておく。
1 白やぎさんからお手紙着いた
黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに
2 黒やぎさんからお手紙着いた
白やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに
以下無限に続く
さて、ここで私が論じようとしているのは、この歌詞に秘められた謎である。いや、謎などというと誤解を招くかもしれない。
不可解な点と言い直す。
つまり、
「なぜ《白やぎさん》及び《黒やぎさん》は、《お手紙》を読まずに食べてしまうのか」
という点に関する疑問である。
そしてもう一点、
「《白やぎさん》による第一通目の手紙には何が書かれていたのか」
という疑問である。
これらをできるだけ論理的な形で論じてみたいと思う。
まず、この歌詞がいささかなりとも牧歌的ないしは童話的な光景として成立しうるために想定されている(あるいは想定されるべき)背景について考える。これは、なにも必要以上に回りくどくするための手段ではない。
論理的に事物を把握しようとする場合には決して等閑にされてはならない手続きのひとつである。
たとえば、
「『おまえはあほか』という言葉の意味は何か」
という命題を与えられたとき、
そ♪
の♪♪♪
言葉が、
甲が乙を罵って発したものであるのか、
あるいは横山ホットブラザースの長男によってノコギリ芸の折に発せられたものであるのか
によって
まったく違った意味をもつものであることは容易に察せられよう。
話がそれた。
「やぎさんゆうびん」における所与の条件についてである。
だらだら書き連ねる煩を避けて、個条書きとする。
1.やぎは文字の読み書きができる。
2.手紙および郵便制度が存在し、かつ機能している。
3.白やぎさんと黒やぎさんを結ぶコミュニケーションの手段は手紙に限られる。
4.やぎは手紙を食べる。
とりあえずここでは以上の4点が条件として与えられていると考えておく。
さて、本論に入る。
まず、「読まずに食べる」から最も容易に導かれるのは、
「やぎたちは飢えていた」
という
仮説♪♪♪♪♪♪♪
である。
これはなかなか説得力をもつように見える。
これは二番目の疑問にも答えてくれている。
つまり、白やぎさんによる第一通目の手紙は、
食料の無心もしくはそれに類する内容のものであったであろうということである。
しかしこの
仮説♪♪♪
には
大?
きな傷がある。
手紙を読まずに食べるほど飢えているのなら、
(白やぎさん及び黒やぎさんは)
なぜ自分の手持ちの白紙の便箋を食べないのかということである。
かりに
そ♪♪♪
れが好き嫌いによるものであったとしよう。
即ち、白やぎさんは手持ちの食料をすべて食べてしまい、大嫌いな(あるいは体質的に受けつけない)紙質の便箋と封筒を残すのみとなったのかもしれない。
そ♪♪♪♪♪♪♪
して
「これを食べるくらいなら、恥を忍んで黒やぎさんに食料を分けてもらおう」と考えたのである。
しかし、食糧不足は黒やぎさんにとっても同様である。
黒やぎさんは
そ♪♪♪
の♪
手紙を見るなり(空腹に耐えかねて)食べてしまい、仕方なく(自分のところにも残っている大嫌いな紙質の便箋に)手紙を認めたのである。
こう考えると、先の疑問は
解決したように???
見える。
「読まずに食べた」
の♪♪♪♪♪♪♪
は、
空腹のせいであり、
そ♪♪♪
れでも便箋を持っているのは
自?
分には食べ難い紙質であったせいである、
ということになる。
しかし、
そ♪♪♪
れでも解決し難い疑問は残る。
第一に、白やぎさんと黒やぎさんの嗜好が、それほど食い違うものかということである。
第二に、「読まずに食べた」といいながらも、「お手紙書いた」ということは、差出人をはっきりと確認しているのである。
それだけの余裕が仮にもあるなら、
「開封して目を通すぐらいのことはせよ」と私は言いたい。
第三に、草食動物であるところのやぎが、そこまでの飢餓に追い込まれるという状況が、はたしてありうるのかどうかということである。
そ♪♪♪♪♪♪♪
れでも飢餓論者は強弁するかもしれない。
嗜好の食い違いは、体色があれだけ違うのであるから、あっても不思議はないと。
また、差出人を確認するくらいは一瞬でことが足りる、
わざわざ開封して読む作業の煩雑さに較べられるものではないと。
そ♪♪♪
してまた、
第三の疑問についてもこう言うかもしれない。
「この二匹のやぎは、北極点付近に取り残されたのかもしれない。
たとえば、白やぎさんは英国隊の観測基地に、黒やぎさんは米国隊の観測基地に、
そ♪
れぞれ(タロやジロのように)取り残されていて、間をつなぐのはシベリアン・ハスキー犬の郵便屋さんだけなのかもしれない」と。
もしほんとうに
そ♪♪♪
う考えるなら、これはなかなか説得力がある。
そ♪♪♪♪♪♪♪
ういった極限状況のなかでも「やぎさんゆうびん」という牧歌的な表現が成立しうるのかどうかはさておき、
これはこれでひとつの結論と見なしうるかもしれない。
しかしやはり、私は飢餓論には
懐疑的にならざるをえない。
そ♪♪♪
れは、
そ♪
れほど
の♪♪♪
極限状況の中にあって
「さっきの手紙のご用事なあに」
などという
悠長な文体???????
で
手紙を書く余裕があるのかといった疑問や、
郵便制度というものがあるなら、なぜそれほどの飢餓に追い込まれているやぎさんを放置しておくのか
といった疑問だけによるものではない。
まだ私が幼かった頃、温かい母の膝に抱かれて見た絵本には、手紙を食べてしまって当惑している白やぎさんと家の外に広がる風薫る初夏の草原が描かれていたのである。
そ♪♪♪
れは決してブリザードの吹き荒れる氷原の風景などではなかった
の♪
である。
そ♪♪♪
の♪♪♪♪♪♪♪
温かなほのかに甘みすら感じられる記憶が、
私を懐疑的にさせる
の♪♪♪
である。
もちろん、
そ♪
の♪♪♪
ような曖昧な幼時の記憶をもってしてのみ、飢餓論を否定するのは誤りである。
また
そ♪♪♪♪♪♪♪
の♪♪♪
記憶が正確なものであったとしても、誰とも知れぬ三流画家の論理的でない直感によって描かれた挿絵によって、
議論の行方を決定するという
誤謬は犯すべきではない。
けれども私は
自?
分
の♪♪♪
懐疑に忠実でありたいと思う。
そ♪♪♪♪♪♪♪
の♪♪♪
ため、以下では飢餓論によらず「やぎさんゆうびん」
の♪
謎に挑んでみたい。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yagisanyubin.html
「山羊(やぎ)さんゆうびん」
まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲
白やぎさんから お手紙(てがみ) ついた
黒やぎさんたら 読(よ)まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事(ようじ) なぁに
黒やぎさんから お手紙 ついた
白やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なぁに
戻 る
Protect Your PC Mow ? - 0 yen Security??? Campaign???????
HSIUT G派 複伏福歓拝
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?(ノ゜ ̄ω ̄゜。o〇o。?(;´ω`;)?。o〇o 。゜ ̄ω ̄ )ノシ?
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?(;・ω・)))) ――――… * …―――― ((((・ω・;)?
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http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yagisanyubin.html
「山羊(やぎ)さんゆうびん」
まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲
白やぎさんから お手紙(てがみ) ついた
黒やぎさんたら 読(よ)まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事(ようじ) なぁに
黒やぎさんから お手紙 ついた
白やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なぁに
戻 る
http://www1.odn.ne.jp/mushimaru/bakaessay/goats.htm
【講座:ペンとともに考える】
『やぎさんゆうびん』の謎様HPより一部抜粋
--------------------------------------------------------------------------------
まずここで、「やぎさんゆうびん」(作詞:まどみちお)なる童謡の歌詞を提示しておく。
1 白やぎさんからお手紙着いた
黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに
2 黒やぎさんからお手紙着いた
白やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに
以下無限に続く
さて、ここで私が論じようとしているのは、この歌詞に秘められた謎である。いや、謎などというと誤解を招くかもしれない。
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つまり、
「なぜ《白やぎさん》及び《黒やぎさん》は、《お手紙》を読まずに食べてしまうのか」
という点に関する疑問である。
そしてもう一点、
「《白やぎさん》による第一通目の手紙には何が書かれていたのか」
という疑問である。
これらをできるだけ論理的な形で論じてみたいと思う。
まず、この歌詞がいささかなりとも牧歌的ないしは童話的な光景として成立しうるために想定されている(あるいは想定されるべき)背景について考える。これは、なにも必要以上に回りくどくするための手段ではない。
論理的に事物を把握しようとする場合には決して等閑にされてはならない手続きのひとつである。
たとえば、
「『おまえはあほか』という言葉の意味は何か」
という命題を与えられたとき、
そ♪
の♪♪♪
言葉が、
甲が乙を罵って発したものであるのか、
あるいは横山ホットブラザースの長男によってノコギリ芸の折に発せられたものであるのか
によって
まったく違った意味をもつものであることは容易に察せられよう。
話がそれた。
「やぎさんゆうびん」における所与の条件についてである。
だらだら書き連ねる煩を避けて、個条書きとする。
1.やぎは文字の読み書きができる。
2.手紙および郵便制度が存在し、かつ機能している。
3.白やぎさんと黒やぎさんを結ぶコミュニケーションの手段は手紙に限られる。
4.やぎは手紙を食べる。
とりあえずここでは以上の4点が条件として与えられていると考えておく。
さて、本論に入る。
まず、「読まずに食べる」から最も容易に導かれるのは、
「やぎたちは飢えていた」
という
仮説♪♪♪♪♪♪♪
である。
これはなかなか説得力をもつように見える。
これは二番目の疑問にも答えてくれている。
つまり、白やぎさんによる第一通目の手紙は、
食料の無心もしくはそれに類する内容のものであったであろうということである。
しかしこの
仮説♪♪♪
には
大?
きな傷がある。
手紙を読まずに食べるほど飢えているのなら、
(白やぎさん及び黒やぎさんは)
なぜ自分の手持ちの白紙の便箋を食べないのかということである。
かりに
そ♪♪♪
れが好き嫌いによるものであったとしよう。
即ち、白やぎさんは手持ちの食料をすべて食べてしまい、大嫌いな(あるいは体質的に受けつけない)紙質の便箋と封筒を残すのみとなったのかもしれない。
そ♪♪♪♪♪♪♪
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「これを食べるくらいなら、恥を忍んで黒やぎさんに食料を分けてもらおう」と考えたのである。
しかし、食糧不足は黒やぎさんにとっても同様である。
黒やぎさんは
そ♪♪♪
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手紙を見るなり(空腹に耐えかねて)食べてしまい、仕方なく(自分のところにも残っている大嫌いな紙質の便箋に)手紙を認めたのである。
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しかし、
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第二に、「読まずに食べた」といいながらも、「お手紙書いた」ということは、差出人をはっきりと確認しているのである。
それだけの余裕が仮にもあるなら、
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第三に、草食動物であるところのやぎが、そこまでの飢餓に追い込まれるという状況が、はたしてありうるのかどうかということである。
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れでも飢餓論者は強弁するかもしれない。
嗜好の食い違いは、体色があれだけ違うのであるから、あっても不思議はないと。
また、差出人を確認するくらいは一瞬でことが足りる、
わざわざ開封して読む作業の煩雑さに較べられるものではないと。
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第三の疑問についてもこう言うかもしれない。
「この二匹のやぎは、北極点付近に取り残されたのかもしれない。
たとえば、白やぎさんは英国隊の観測基地に、黒やぎさんは米国隊の観測基地に、
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れぞれ(タロやジロのように)取り残されていて、間をつなぐのはシベリアン・ハスキー犬の郵便屋さんだけなのかもしれない」と。
もしほんとうに
そ♪♪♪
う考えるなら、これはなかなか説得力がある。
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ういった極限状況のなかでも「やぎさんゆうびん」という牧歌的な表現が成立しうるのかどうかはさておき、
これはこれでひとつの結論と見なしうるかもしれない。
しかしやはり、私は飢餓論には
懐疑的にならざるをえない。
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悠長な文体???????
で
手紙を書く余裕があるのかといった疑問や、
郵便制度というものがあるなら、なぜそれほどの飢餓に追い込まれているやぎさんを放置しておくのか
といった疑問だけによるものではない。
まだ私が幼かった頃、温かい母の膝に抱かれて見た絵本には、手紙を食べてしまって当惑している白やぎさんと家の外に広がる風薫る初夏の草原が描かれていたのである。
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れは決してブリザードの吹き荒れる氷原の風景などではなかった
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誤謬は犯すべきではない。
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謎に挑んでみたい。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yagisanyubin.html
「山羊(やぎ)さんゆうびん」
まど・みちお作詞/團伊玖磨作曲
白やぎさんから お手紙(てがみ) ついた
黒やぎさんたら 読(よ)まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事(ようじ) なぁに
黒やぎさんから お手紙 ついた
白やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なぁに
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