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天装戦隊ゴセイジャー VS シンケンジャー エピック on 銀幕

2011年01月24日 22時54分11秒 | 特撮(劇場版)
 (以下、ネタバレと勝手な解釈が在ります)

 外道衆のマダコダマが地上に現れた!

 偶然居合わせたアラタが変身して戦うが、マダコダマには天装術が通じず、逆に 「倍返し」 によって反撃され、窮地に陥ってしまう。

 そこへ現れたのが、シンケンレッド・丈瑠。

 圧倒的な剣技でマダコダマを圧倒して水切れを起こさせ、撤退させてしまう。

 他のメンバーが散り散りになっている事を知ったアラタは、外道衆退治への強力を申し出、丈瑠も承諾。

 天地家を拠点に活動を開始するが・・・

 どうも、サムライたちの雰囲気と天使たちの雰囲気は微妙に噛みあわない。

 そんな時、再び外道集が出現。

 マダコダマと共に現れたのは、血祭ドウコクの姿をしたブレドラン・・・血祭のブレドランだった。

 ブレドランは圧倒的な力でアラタたちを圧倒し、シンケンレッドを捕獲して連れ去ってしまった。

 アラタは、落ち込む龍之介と千秋に 「諦めなければ、なんとかなる」 と励ますが、その言葉が二人の癇に障ってしまい、二人はアラタたちの元から去ってしまう。

 アラタは、まだ合流していないシンケンジャーのメンバーと合流し、なんとか共闘しようとするが・・・

 そこへ黒いスーパーモードとなったシンケンレッドが現れ、ゴセイジャーとシンケンジャーに無差別に攻撃を仕掛けてきた。

 シンケンレッドが敵となった事で浮き足立ち、窮地に陥るシンケンジャー。

 そして、変身が解除されたシンケンジャーたちに、黒いシンケンレッドによる 「大火炎斬」 が放たれ、皆が死を覚悟した時・・・

 シンケンジャーの4人を守るため、ゴセイレッドが自分の身体を楯にして強大な火炎攻撃を受け、倒れてしまった。

 その後、駆けつけたゴセイナイトとシンケンゴールドの防御技を放った隙に、一時撤退を敢行する一同。

 丈瑠が敵となった事に動揺する龍之介達だったが・・・

 自分達が責めてしまったアラタに身を挺して守られた事により、アラタの真の強さと優しさを感じ始めていた。

 ゴセイジャーの面々も、天装術が効かない相手に勝つには、シンケンジャーとの共闘の必要性を感じ、それぞれの力の属性が同じメンバー同士による、連携攻撃の訓練を申し出る。

 最初は息が合わなかった一同だったが、猛特訓の末、連携攻撃を完成させる。

 その頃、ブレドランは マダコダマと黒いシンケンレッドの力を使い、「三途の川の水」 を護星界へ送り込み、護星界を滅ぼすことを画策。

 外道衆が利用されている事に気付いた骨のシタリはブレドランに反旗を翻すが、ブレドランによって退けられてしまう。

 そして、ブレドランの計画が実行されたが・・・

 ゴセイジャーとシンケンジャーの連携攻撃により、護星界への道を封じ込める事に成功。

 その隙に、アラタは薫から授かった 「火炎の力」 を身に纏い、黒いシンケンレッドへ特攻!

 大火炎に焼かれた黒いシンケンレッドは、邪気をすべて清められ、元の丈瑠に復帰。

 封印の力で三途の川の水を封印したシンケンジャーとゴセイジャーは、遂にブレドランとマダコダマに決戦を挑む。

 巨大化したブレドランとマダコダマは、強力な攻撃でシンケンオーとゴセイグレートを苦しめるが・・・

 アラタたちは、ハイパーゴセイグレートにゴセイナイトを合体させ、コクピットにシンケンジャーたちを呼び寄せて対抗!

 その究極のパワーで、ブレドランを葬り去る事に成功して・・・


 お開きです。

 ゴセイジャーとシンケンジャーの個性が際立つ、なかなかの秀作です。

 世界観は、「サムライの宿命」 と 「天使の使命」 の対立。

 殿の指揮の下、一丸となって敵に当たるスタイルがシンケンジャーならば、メンバーの個性を最大限に発揮して敵に当たるスタイルがゴセイジャー。

 このスタイルの違いが、初期の諍いの原因となり、様々な葛藤とドラマが展開します。

 また、このシンケンジャーのスタイルが、彼らの弱みとなる点も、キッチリ描かれています。

 丈瑠がいなくなると行動の軸を失ってしまうため、シンケンジャーは組織としての弱点を露呈してしまいます。

 そこへすかさず協力を申し出る事ができるのが、柔らかい交渉力を駆使するアラタです。

 当初はアラタの 「軽そうな一面」 が誤解され、仲たがいしてしまいますが・・・
 アラタの、最後まで決して諦めず、イザと言う時に自分を犠牲にして仲間を守る姿勢が、サムライの姿勢と同じであると認められ、以後、連携はスムーズに。

 部下の命を預かり、その巨大な責任感のもと、使命を果たすために揺るがない強さを保つのが丈瑠。

 そして、いつも笑顔でみんなを和ませ、仲間を信じ、守り、最後まで諦めずにがんばり続けるのがアラタ。

 この二人の個性の違いが、温かい視線で描かれている点は、好印象です。

 近年の「VSシリーズ」 の中でも、屈指の出来栄えだと思います。

 劇場の子供達も、みんな最後まで静かに見ていたので・・・
 子供達も、その面白さに引き込まれていたのでしょう。

 秀作です。


 そうそう。

 次回作の 『海賊戦隊 ゴーカイジャー』 も登場!

 でも・・・

 必殺技が、過去の戦隊の技・・・って、どうなの・・・?

 しかも、過去の戦隊の姿になったとき、自分達で 『海賊版』 なんて言ってます。

 活躍の様子は、まんま 『ディケイド』 です。

 盛り上がるかな・・・?


 海賊船が核になって変形・合体する(らしい)ロボ (劇場版には出てません) には、ちょっと魅かれますが・・・

ウルトラマン ゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国

2010年12月26日 00時33分46秒 | 特撮(劇場版)
 (以下、ネタバレと勝手な解釈が在ります)

 昨年末に公開された 『大怪獣バトル ウルトラ超銀河伝説』 の続編的映画です。

 主人公は、前作では 「怪獣使いのレイ」で、ウルトラマン ゼロはメインキャラクターの一人だった訳ですが・・・

 今作の主人公は、ウルトラマン ゼロにバトンタッチされています。

 内容は・・・

 突然、光の国に謎の巨人たちが送り込まれ、大規模な破壊活動を巻き起こす。

 その姿は、「黒いウルトラマン ゼロ」。

 本物のゼロやウルトラセブンたちの活躍により、黒い巨人を倒すことが出来たが・・・


 別の宇宙で再び悪の陰謀が強まっている事を察したウルトラの父は、光の国の全エネルギーを使い、ゼロを送り込む事を決定。

 セブンから、3回分のエネルギーチャージが可能なウルトラブレスレットを授かったゼロは、別の宇宙にある悪の本拠地へ向かう。

 そこは・・・

 以前に倒したはずのカイザーベリアルが、暗黒の軍団を築き上げ、多くの惑星を踏みにじり、宇宙制圧のためのエネルギー採取と侵略を推し進める暗黒の世界だった。

 ある惑星で、ベリアル軍に襲われていた兄弟を救ったゼロは、瀕死の兄・ランに憑依し、弟・ナオと共に、ベリアル打倒の切り札を探す旅に出る。

 途中、星を侵略されたエメラナ姫とジャンバード、ベリアルに反抗する宇宙海賊とグレンファイヤー、ベリアルによって傷つけられたミラーナイトと出会い、心を通い合わせる事で、共にベリアルと戦う事を誓い合う。

 そして、遂に開始されるベリアルとの最終決戦。

 それまでの旅と戦いで、ブレスレットのエネルギーを使い切ったゼロは、消滅の危機に陥るが・・・

 仲間の絆と支援を得て復活。

 さらに巨大化し、パワーを増したカイザーベリアルに対し、ゼロは伝説のウルトラマン ノアから託された 「バラージの楯」を発動!

 ベリアルの侵略に苦しむすべての人々から託された 「光のエネルギー」 を集めたゼロは、渾身のエネルギー弾をカイザーベリアルに向けて叩き込み・・・

 遂に、カイザーベリアルは光と共に消滅した。

 青年ランの身体から離れたゼロは、宇宙へと帰還。

 そして・・・

 ジャンボット、ミラーナイト、グレンファイヤーと共に、新たな宇宙警備隊・ウルティメイトフォースゼロを組織するのだった。


 これで、お開きです。

 
 年末年始の子供向け・家族向け映画としては、かなり出来が良かったと思います。

 少なくとも、昨日観た 『トロン レガシー』 よりは、圧倒的に面白かったです。

 なにしろ、子ども達が騒がない。
 みんな、作品に夢中になってました。

 これは、ウルトラマン・・・という馴染みのあるキャラクターの映画というだけでは無く、ストーリーとドラマの展開がかなり練りこまれ、大人の干渉にも耐えうる作品として仕上がっていたためと思われます。

 なにしろ・・・既に公開中の 『仮面ライダー×仮面ライダー』 では、途中で飽きてた子どももいましたので・・・

 内容は、非常にオーソドックス。

 宇宙を救うため、異世界へ旅立った勇者が、苦難を乗り越え、仲間と新たな武器を得て、巨大な敵を打ち倒し、帰還する・・・ という筋立てです。

 展開もシンプルで、仲間たちとのエピソードもメリハリが効いてます。

 別の宇宙では、ゼロのエネルギー供給が困難で、変身できる時間と回数が限られている・・・という設定も、好印象。

 敵に対して、圧倒的に見劣りする戦力とパワーを、仲間達との絆・友情と相互支援で乗り切る・・・という展開も、メッセージがストレートに伝わってきて、良い感じです。

 
 多少アクションが軽く、早すぎて、巨大感と重量感が損なわれていたのが、ちょっと気になりましたが・・・

 惑星を直接捕獲できる 『超巨大宇宙要塞』 の 「巨大な手」 のようなデザインも・・・
 往年の特撮番組 『宇宙鉄人キョーダイン』 の終盤に出てきた 『宇宙要塞ガブリン』 に雰囲気が似てる所を除けば、なかなか面白い趣向です。

 しかも、ハリウッド大作と違い、ちゃんと 「子ども目線」 で作られている点は、かなり好印象。

 日本の特撮映画は、ある意味、これで良いと思われます。

 小さい子ども連れの家族みんなで、楽しめますから・・・

 映画の興行収益にも貢献度大です。

 
 と言う事で、本作は年末映画のイチオシです。

 久々に、素直に楽しめる映画でした。 

トロン レガシー

2010年12月25日 00時52分32秒 | 特撮(劇場版)
 (以下、ネタバレと勝手な解釈が在ります)

 1982年にディズニーが製作した、実写SFアクション映画の続編。

 前作の主人公や一部主要キャラクターも、引き続き登場してます。

 しかも、前作で主人公を演じたジェフ・ブリッジスや、アラン & トロンを演じたブルース・ボックスライトナーが同じ役で出演しているので、作品としての継続性はバッチリ・・・なのですが・・・

 個人的には、ちょっと物足りない感じです。


 内容は・・・

 前作の主人公で、巨大ソフトメーカー・エンコム社の経営者になっていたケヴィンが、突然失踪して20年が経過して・・・

 息子のサムは、父親同様に凄腕のプログラマーにして、ドカティを華麗に操る天性のライダーとして成長していたのだが・・・

 ある日、父の友人・アランに届いたメッセージの真意を確かめるべく、かつて父が運営していたゲームセンターを訪れたサムは、起動していた 「物質転送機」 によってコンピューター内部の電脳世界へと飛ばされてしまう。

 そこは、父が築きあげた世界だったのだが・・・若い頃の父に瓜二つのプログラム・クルーによって支配される暗黒の世界だった。

 命がけのバトル・ゲームに巻き込まれたサムは、ディスク二刀流の謎の戦士プログラムに殺されそうになるが・・・

 謎の美女プログラム・クオラによって救出され、父の元へと案内される。

 クオラは父が生み出したプログラムでは無く、電脳世界に自然発生した 「人格プログラム」 らしい。

 父と再会したサムは、父がクルーの地上侵略を阻止するため、電脳世界に留まっている事を聞かされる。

 父が持つディスク 「マスター・キー」 が無いと、人間もプログラムも地上世界へは行けないのだ。

 なんとかして父を地上に連れ帰ろうとするサムだったが・・・

 クルーに活動を察知され、クオラは機能停止されてしまい、父はマスター・キーを奪われてしまう。

 困難を乗り越え、クルーの拠点に潜入したサムたちは、マスター・キーを奪回。

 地上との接点である 「ポータル」 へと急ぐ。

 途中、クルーの追撃を受けたサムたちが窮地に陥ったとき、謎の二刀流戦士が助けてくれた。

 彼こそが、若い頃の父が電脳世界で出会っていた 「トロン」 だったのだ。

 だが、トロンはクルーに倒されてしまう。


 ポータルに到着したサムたちは、先回りしていたクルーと最後の決戦に挑む。

 一瞬の隙を突いてポータルの内部へ入り込んだサムとクオラは光につつまれ、地上へと帰ってゆく。

 サムたちを追おうとしたクルーは、「ユーザー」 の力を発動した父ケヴィンに吸い込まれ・・・

 クルーと同化したケヴィンは全てをリセットするため、光となって電脳世界ごと消滅してしまった。

 地上に戻ったサムは、暗黒の景色しか見たことの無かったクオラに、夜明けの美しい景色を見せて・・・


 お開きとなります。


 このように、一応、「勇者が異世界を冒険し、世界を変革して帰還する・・・」

 という物語の原則に沿った内容にはなっているのですが・・・


 イマイチ、「薄い」 内容です。

 原因の一つは、「暗黒の電脳世界」 が、思ったほどの地獄では無い事。

 サムの父ケヴィンも、クルーから追われる身ではありますが・・・

 ケヴィンが暮らしている地域へはクルーは侵入できないため、差し迫った命の危険は無かった模様で・・・

 地上に帰れなかっただけで、普通に贅沢なゴハン食べて生活してました。

 しかも、美女つき。

 クルーは、ケヴィンの 「暗黒面」 を象徴するキャラクターで、結構残酷な一面も持っているのですが・・・

 狂気は感じられないので、「恐い」 という印象は無し。

 なので、サムやケヴィンが何と戦っていたのかが、見えにくい・・・


 例えば・・・

 現実世界におけるネット環境が突然機能しなくなり、社会生活が破綻し、人類存亡の危機が迫っていて・・・

 その原因が、父ケヴィンが構築した 「電脳世界」 にあるらしい・・・

 という事になれば、サムが電脳世界に赴いて、父を救出しつつ、父が生み出してしまった管理プログラム・クルーを倒さねばならない・・・という説得力が出てくるのですが・・・

 そこらへんが何も無く、サム自身は、電脳世界に行って、父を連れ帰れないまま帰ってきただけ・・・ なので・・・

 感動できないんですよ・・・

 
 せめてサムが、暗黒の電脳世界に 「夜明け」 を作り出してみせたら・・・

 それこそ、「父を超えた偉業の達成」 になったのに・・・


 あと、タイトル名にもなっているキャラクター 「トロン」 が、ほとんど活躍してないのは、大問題でしょう。


 監督と脚本家が、この作品の描き方やテーマについて、深く掘り下げないまま動き出してしまった事が、元凶だったと推測します。


 それに・・・

 今更、ろくな工夫もないまま 「電脳世界」 を描いても、インパクト無いです。

 1982年当時ならともかく・・・

 既に、『マトリックス三部作』 などが、世にでてしまっているのですから・・・

 加えて、「電脳世界で自然発生した、自我プログラム」 は、劇場版『攻殻機動隊』 からの引用と思われますので・・・

 この作品、SF的な新しいアイデアは皆無なところが、最大の失敗要因と言えそうです。

 しかも、飛び出して見えるシーンもほとんど皆無だったので、「3D」 の意味無し。

 色彩情報が失われる分、画面が劣化してました・・・


 『ヤマト』 同様、観客動員は好調らしいですが・・・


 時間のやりくりして高いお金出して観るほどの作品では無かったのが、残念です・・・

  

仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat. スカル MOVIE大戦 CORE

2010年12月18日 23時39分56秒 | 特撮(劇場版)
 (以下、ネタバレと勝手な解釈が在ります)

 オーズ、ダブル、スカルの三者競演の特別編です。

 内容は・・・

 ① 竜と亜樹子の結婚式当日に、忽然と現われた 「プテラノドン・ヤミー」 との戦いに巻き込まれた亜樹子の意識が10年前の過去に飛び、父・鳴海荘吉の仮面ライダースカルとしての戦いを知るエピソードと・・・
 
 ② 時を同じくして、鴻上が 「ヤミータイプ・クローン」 として復活させた織田信長と、火野映司との葛藤を描いたエピソードと・・・

 ③ 過去の仮面ライダーの 「メモリー」 を得て、暗黒と破壊の権化として誕生した 「仮面ライダー コア」 と、ダブル&オーズとの激闘を描くエピソード・・・です。


 という事で・・・

 主役は、まさかの鳴海亜樹子。

 自分の結婚式の最中でも、戦いに飛び出していく竜、翔太郎、フィリップが許せず、仮面ライダーとしての生き方を否定してしまう亜樹子でしたが・・・

 父・荘吉が愛する娘・亜樹子のために命がけで戦う姿を見て、最後まで会いに来てくれないまま亡くなってしまった父を許し、竜、翔太郎、フィリップも許し、仮面ライダーとしての生き様や宿命も許せるようになる・・・というお話です。

 この亜樹子の変化を描く中で、前述の三つのエピソードが語られる・・・という入れ子構造の物語になっています。

 よって、どうしても 「オーズ」 のエピソードが浮いてしまうわけです。
 子ども達も、このエピソードの途中で、飽きちゃってたみたい・・・

 でも、そこはしっかりと、最後に 「ファンサービス」 が組み込まれています。

 一つ目は・・・ 「仮面ライダー バース」 のお披露目。

 そして二つ目は・・・ 
 仮面ライダー コアとの戦いで、遂に 「赤色コンボ」 のお披露目です!

 「タカ・クジャク・コンドル」 ・・・の 「タ・ジャ・ドル」 コンボ!
 飛翔能力と空中でのスピードに優れた形態を生かし、ハイスピードでのキックを放ちます。
 
 この新ライダーと新コンボを見るだけでも、劇場へ行く価値はあるでしょう。

 テレビ本編でのお披露目が待ち遠しいですね。

SPACE BATTLE SHIP ヤマト

2010年12月01日 14時27分03秒 | 特撮(劇場版)
 (以下、かなり真相に迫るネタバレと、かなり勝手で辛辣な解釈が在ります)

 西暦2199年、地球は謎の艦隊ガミラスの遊星爆弾による大規模無差別攻撃を受け、滅亡の危機に瀕していた。

 放射能汚染によって人類が滅亡するまであと1年。

 その時、謎の飛行物体により、14万8千光年かなたにある惑星の座標と、ワープ航行可能なエンジンの設計図がもたらされた。

 その物体が地球に落ちた地点は放射能が浄化されていた事から、歴戦の艦長沖田は、放射能除去装置の存在を信じ、惑星イスカンダルへと旅立つ事を決意。

 古代ら一癖も二癖もある乗組員を率い、新造宇宙戦艦ヤマトは、イスカンダルを目指して発進した。

 多大な犠牲を払って辿り着いた惑星イスカンダルは、なんと「ガミラス」の母星でもあった。

 ガミラスの猛攻をくぐり抜け、目的地点に辿り着いた古代たち。

 突然、雪の身体に何者かが表意。

 その「意識体」こそ、設計図の送り主だった。

 彼女(?)も「ガミラス」と同族の「意識体」だったが、「デスラー」の侵略に心を痛め、地球にメッセージを送ったと言う。

 そして、彼女の能力で、放射能は除去可能と語る。

 「意識体」を雪に表意させたまま、古代はヤマトへ帰還。

 真田と斉藤は、ガミラス本星中枢の破壊工作を敢行し、戦死を遂げる。

 そして・・・

 地球へ帰還したヤマトの前に、ガミラスの意識体「デスラー」が操る超巨大ミサイルが立ちはだかった。

 デスラーは、自らの死と引き換えに、地球を破壊すると宣言。

 既にヤマトには武器弾薬は無く、撃墜する事が出来ない。

 古代は雪を含む乗組員全員を退艦させ、一人でヤマトを操縦し、デスラーの超巨大ミサイルへと特攻し、自爆!


 その後・・・放射能が無くなった地球には、緑の自然と平和が甦った・・・


 これでおしまい。


 アニメ原作の筋を追いつつ、第1作と第2作をブレンドし、実写リメイクを果たしていますが・・・

 ただ筋を追っているだけで、「テーマ」 や 「メッセージ」 は皆無。

 「人類愛」 「宇宙愛」 「隣人愛」 など、原作が持っていた重要なメッセージは、完全に排除された形の物語になっています。

 
 つまり、「得たいの知れない敵に攻撃されたから、やりかえした!」 ・・・というレベルのお話へと、劣化されてしまっています。


 しかも、「ヤマト」 本体のデザインはアニメ版のコピーでしかなく、戦いの描写も、『スターシップトルーパーズ』 などの描写の劣化コピー。

 「安易な飲酒シーン」 があったりする割には・・・

 「重力」 「無重力」 「強烈なG」 などの物理的な描写はまったく無し。

 SF考証の痕跡も感じられません。

 円谷特撮最盛期に製作された、往年のTVドラマ『スターウルフ』よりも数段劣化しています。

 ここまで何も無いと、何のために作った映画なのか、何を語りたかったのか、まったく意味不明としか言いようがありません。

 たしかに、いくつかの人間ドラマはあります。

 ツンデレで、当初は古代のやり方をを認めていなかった 「雪」 とか・・・

 「雪」 は命賭けで助けたのに、「第三艦橋」 の部下達はあっさり見捨てて切り捨ててしまった 「古代」 とか・・・

 この古代の 「切り捨て」 規準は、まったく納得いかないものです。

 最初は、「切り捨て」であれだけ沖田艦長に反発していたのに・・・

 いざとなると、「雪」 に命令して 「第三艦橋」 を切り離しています。

 「第三艦橋」 の部下達への詫びも、一切無し。

 「必ず助けるから!」 と伝えた後・・・ 
 戦闘機で外に出ていた 「雪」 に 「第三艦橋をミサイルで切り離せ!」 と命令。

 人でなしです。

 本来ならば、最後まであきらめずに救出努力をして、結局間に合わず、更に大勢の被害が出てしまい・・・ 
 自分の不甲斐無さを嘆く古代・・・が正しいあり方ではないでしょうか?

 そこで初めて、責任者としての 「部下を切り捨てる」 非情さと悲しさを学び、成長する・・・という描写ができるハズなのですが・・・

 結局、雪に実行させ、気まずい思いを紛らわせるため、「雪とSEX!」という暴挙に!

 この、古代という人間の 「弱さ」 を描きたかったのでしょうか・・・?

 だとしたら、逆効果。

 この映画の古代は、その後、切り捨てた部下の事をすっかり忘れ去っています。

 で、最後の特攻に際しても、島に命じてさっさと雪を脱出させれば良いものを・・・
 いつまでも名残を惜しんで、時間を浪費しています。
 地球壊滅の瀬戸際にです!

 ちぐはぐな描写に、あいた口がふさがりません。


 大金と大勢のスタッフを使ってこの程度の映画しか作れないとは・・・

 正に、「器作って、魂入れず・・・」 

 日本映画もハリウッドに劣らず、劣化の極みに達しているということでしょうか。

 安易なリメイクを作るくらいなら、「多少荒削り」でも、もっと 「現代社会」 へのメッセージ性の強い、オリジナル作品で勝負すべき・・・と考えます。

 ほんとうに、残念でがっかりな映画です。

 まだ『ヤマト復活編』の方が、駄作でマスターベーションな作品ですが、西崎 氏の「怨念」 「執念」 が感じられただけ、マシと言えます。


 じゃあ、どうすれば良かったのか・・・?


 伊武雅刀 氏の顔を青く塗った、リアルな 「デスラー」 を登場させる。

 そして、沖田艦長との生身での直接対決や、古代との生身での直接対決を描く。

 「対立」 と 「和解」 を描くには、直接対面し、「命がけで戦いあう」 しかありません。

 今回の 「ヤマト」 では、この 「人と人の異文化交流」 が切り捨てられており、失敗しているのです。

 欲張って 「3D」 で公開しなかったことだけが、せめてもの救い。

 観客に余計な料金を払わせなくて済んだので・・・