幸恵の Factory Space  変な奴の変な日記篇

永田 幸恵〓 女性を演じたい 魁) 漢製の....写ブログ
様々なシチュエーションで女装を楽しみたい、ただの個人写日記

紫電改 始めよっかな~

2011年06月11日 23時20分59秒 | お出掛け/買い物
南レクまで着たなら、馬瀬山公園に展示されてある「紫電改」を観に行かなくては!ってことで、10年ぶりの自身2回目となる紫電改を観に行きました。
チョッとこのスカート。雨で湿気って少し透け具合が気になってまして、会場に2000人くらい来てたら恥ずかしいなぁ…っと思ってましたが、来場者はありませんでしたぁ



wikiより転載
1978年11月、愛媛県南宇和郡城辺町(現・南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1機の紫電改が発見され、翌1979年7月に引き揚げられた。この機体は、1945年7月24日に約200機のアメリカ軍を迎え撃つために発進した、日本軍約20機のうちの1機である。
着水した機体としては機種部分を除き損傷のない状態で発見されているので、パイロットは戦闘中に機体の不調によって着水を決意し、波の静かな久良湾に見事な操縦で着水を成功させたものの、機体もろとも水没してしまったと推定される 豊後水道上空で交戦した三四三航空隊の未帰還機6機の内の1機であり、戦闘301隊の所属機体とされる。



フットバーの位置が一番手前にあることから搭乗者の身長は低く、「空の宮本武蔵」と言われた武藤金義中尉(戦死後昇進)機もしくは米田伸也上飛曹機の可能性があるが決定的証拠はなく、特定には至っていない。
武藤夫人は未帰還パイロット6名共通の遺品とすべきと述べている。引き上げ時、操縦席に遺骨はなかった。この紫電改が沈没した7月24日、附近の横島で20歳前後の日本軍搭乗員の遺体が回収されたが、関連性は不明である。




気になる取説を見つけて、真剣に見入ってました。






なるほど!
ゼロ戦より大きく見えた紫電改だけど、殆ど大きさは一緒みたい。まぁチョッとメタボなゼロ戦ってとこでしょうか。


紫電改より大きな私の顔・・・





この紫電改とパイロットの慰霊に敬礼! ってカメラに敬礼してどうすん・・・




              敵機?抜け毛来襲??

              そろそろ薬用紫電改始めようかなぁ・・・