稲垣浩監督の日活京都での製作≪江戸最後の日≫を観ていて
《勝海舟の写真と言えばこれが有名・・・・こちらは晩年の写真ですね~・・・・・これから登場する【氷川清話】であります・・》
ふと昔に読んだ【氷川清話】を思い浮べまして・・・ちょっと調べました
手元に残念ながら【氷川清話】の本がありませんので、例によってネットで
やっぱりこの映画の核になる物が・・・この本でとの確信が・・・・
講談社判で、2010年刊となっています、昔読んだのに訂正があるとか
勝海舟の最晩年に語った思い出話を聞き取りしたので、もあるとか
でもまあ、事実に最も近い、貴重な体験談なので、今日に至っている・・・では
西郷と江戸開城談判・・・・から
~西郷なんぞは、どの位ふとっ腹の人だったかわからないよ、手紙一本で、
芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人では出来ない事だ。
あの時の談判は実に骨だったよ。官軍に西郷が居なければ、談(はなし)はとても纏まらなかっただらうヨ。
その時分の形勢といえば、品川から西郷などが来る、板橋から伊地知などが来る。
また江戸の市中では、今にも官軍が乗り込むといった大騒ぎサ。
しかし、おれはほかの官軍に頓着せず、ただ西郷一人を眼においた。
と、まあこの様に話しています・・・≪江戸最後の日≫を観た方は・・・なるほどと
この様な展開でこの章が始まっていくのです・・・ちょっと飛ばして談判のところを
~さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、
その間一点の疑念も挟まなかった。「いろいろむつかしい議論もありませうが、
私が一身にかけてお引き受けします」・・・・西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、
その生命と財産とを保つ事が出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。
もしこれが他人であったら、いや貴様のいう事は、自家撞着だとか、言行不一致だちか、
沢山の兇徒があの通り処々に屯集して居るのに、恭順の実はあるのとか、
いろいろ喧(やかま)しく責め立てるに違いない。万一さうなると、談判はたちまち破裂だ。
しかし、西郷はそんな野暮はいはない。その大局を達観して、しかも果断に富んで居たにはおれも感心した。
なにか、その会談の場に居合わせているような臨場感でしょう
勝海舟の事を、大法螺吹きとか、大風呂敷とか言われていますが
何と言っても、江戸を救った人には違いないのですから、
ましてや、あの時、是だけの事を遣って退ける人が居なかったのも事実です
勝海舟には妹(お順)が居て、佐久間象山の奥さんになっているのはご存知でしょう
《ネットで出て来ましたので、・・・昨年諸田玲子の【お順】が文庫本になりましたので・・是非一読を》
また、勝麟太郎の時代を父親の勝小吉と共に描いた子母澤寛の【父子鷹】があります
昔、テレビで中村竹弥が見事に小吉を演じていたのが懐かしい・・・・調べたら1964年の作品
残念ながらその頃の写真がネットでは出てこない、仕方ないのでこれにてご勘弁を
《中村竹弥・・・三連発亡くなった伯父(母の弟)が言ってました、本当の時代劇役者やって、現代物にも・・・小林旭と》
江戸最後の日を観て、勝海舟について・・・思い出話をブログ、りました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます