僕にとって、メジャートーナメントは最高峰のスポーツだ。
先日の全米プロでも、期待の新人C・モリカワの劇的な優勝に感動したところ。ゴルフに興味を持ったころから、日本人のメジャー
優勝を思ってはいても、恐らく日本人の勝利はないんじゃないかと思うこの頃でもある。
日本人プロゴルファーに限らず、コロナ禍の中でも「経済優先」の日本では企業はCMで選手のやる気を無くしているのじゃないだろうか?
アグレッシブさが失われてるのかも?ゴルフ中継を見ていても、日本人ゴルファーのウェアには複数の企業のロゴがあり、一方トップ10のスコアの選手たちには、ウェアにゴルフのスポンサー以外のロゴは少ない。
今日でも、ハングリーな世界なのに、日本人プレーヤにはそこが感じられない。あそこに出場してる選手の技術面での差はスコア程の差はない。戦う意欲とアグレッシブさの差しかないだろう。
ある選手など、スポンサーの腕時計をつけたままプレーをしている、コロナ禍でのマスク同様、時計を外してプレーをしてもいいと誰も思わないところに問題がある。
今回の全米プロ優勝のモリカワ選手の通常は341ヤードの16番ホールで、その時ワンオン可能な距離294ヤードに恐らく彼にとって
生涯でも唯一のショットを放ち、イーグルで勝利をほぼ確定させている。自分自身にもあの時のショットは生涯忘れれらないものになった。久しぶりの西海岸、サンフランシスコでの大会でもあり、地元の選手として戦えたという、有利のなかでも大きなプレッシャーの中で戦った優勝は見事である。
9月には全米オープンが1925年に創設された名門、ニューヨーク、ママロネックにあるウィングド フットGCで開催されるが、今年で6回目のコース、創設2年目の全米オープンでは球聖ボビー・ジョーンズが294ストロークで優勝している、
歴代の優勝者をみても、1959年のビリー・キャスパー(282+)や1974年には華麗なスイングで知られた、ヘール・アーウィン(287+7)がウィナーになっている。その後1984年にファジー・ゼラー(276̠̠)で最後の2006年には豪州のジェス・オギルビー(285+5)が勝っている。
話は変わるが、今度の全米プロでも活躍したモンスター、B・デシャンボウが最終日に自身が尊敬する自家用機で事故死した、全米オープンのチャンピオン、ペイン・スチュアートを偲びハンチングでプレーしていた。
スチュアートは1991年ミネソタ州チャスカのヘーゼルタインで282(̠̠-6)でチャンピオンになっている。
次の全米オープンでのコリン・モリカワの活躍を期待したい。
何時だったか、子供のころ家の兄の部屋に映画のポスター「カーネギーホール」があった。
そして、中学生時代田舎の二軒しかなかった映画館に「カーネギーホール」の上映があって、早速観にいった。クラシック音楽に興味を持っていた頃で興奮して観た思い出がある。
ピアニスト「A・ルヴィンシュタイン」や「J・ハイフェッツ」など、当時の最高峰の演奏家が次から次に出て来る作品でもう一度大きな画面で見てみたい気がする。
たしか最後のシーンではチャイコフスキー本人が指揮をするといった設定であったような記憶であった。当時100万ドル・トリオと言われていた、ルヴィンシュタイン、ハイフェッツ
それにチェロリストのG・ピアティゴルスキーも登場していた。
ソプラノのリリー・ポンス指揮者のブルーノ・ワルター、レオポルド・ストコフスキーといった
演奏家にも目を食いいれ映画に夢中になってた自分が思い起こされ、懐かしい。
Carnegie Hall 1947 Heifetz, Piatigorsky, Rubinstein, Reiner, Walter
コロナ・ウィルスによる、世界的な騒動が早、半年以上になる今日。
い今更な時期になって、投稿してみた。「パンダミック」という言葉は大概感染事故の場合に使用されるものだけである。
毎日毎日同じニュースがあふれる中で、僕自身が思う印象を投稿してみた。今日の科学の進歩の時代に世界的に手こずっている
のに不思議なことと変に感心しているのだ。
「神」の存在を信じてるわけじゃないが、地球規模で騒いでいる現象はそんなには多くない。人類滅亡のシナリオを考えてみると、
コロナなどは、たかが知れている問題であると認識している。
シナリオの中でも、小惑星の地球への接近、地球温暖化などによる破滅の方がよほど恐怖を感じるのに、人々は意外と意識しない
のには時間的なスケールも違いがあるのだと思う。
恐竜の絶滅や氷河期の歴史が実際にあった事実の時間的なスケールの違いから問題にしないだけだ。
人類はまだ本当に危機を感じていないのだ。「コロナ」に関してでもだ。
神は人類に対して、警鐘を鳴らすことなどは決してないのだが人間は勝手にそのように思い込むことはありうる。
「泰然自若」であれ、と言いたいのだ。
ただ、作家カミュの言葉には無神論者の自分でも、洞察力を若干感じている。
「おそらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらす為に、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを
死なせに差し向ける日が来るであろうことを.......」
"Perhaps someday ,the day will come when the plague will wake up the mice again and send them to some happy city to die
in order to bring miserry and lessons to humans."
いずれにしても、僕の関心は現在のところ小惑星探査で「ハヤブサⅡ」と「オシレス・レックス」の今後の状況である。

「ON WINGS OF EAGLES」 by Ken Follett
当時、1978年 エレクトロニック・データ・システムズ・コーポレーション(EDS)会長ロス・ペロウのイランに於ける、社員の
人質事件に関する救出劇の物語である。
1992年には、米大統領選で「妖怪」などと言われながらジョージ・ブッシュを人気では上回っていた人物でもあった。
............................................................. 序 ................................................................
これは犯しもしない無実の罪に問われ、それが為に自らの手で裁断を下す決意をした人々のことを語った実話である。
一切が終わった後、公判が行われ、全員が無実の判決を受けた。裁判はこの本の関知するところではないが、それが彼らの無実を
証拠だてているので、法廷の判決文を巻末に記載してある。
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これは小説でもなければ、ノン・フェクション・ノヴェルでもない。作者が勝手に創作した部分は一箇所もない。
これは実際に起こった事実そのままである。(KF)
わが鷲の翼をのべて、汝らを負いて我にいたらしめたり .... 旧約聖書 ”出エジプト記” 第19章第4部
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ワルサーPPKの射撃訓練は、ガーランド・パブリック射撃場へ行って行った。射撃場の係員には、彼らはダラスでの講習に
全国から集まってきたガードマンだと話した。そのコースに射撃訓練も入っているのだと言う事にしたのだが、係員は信用しなかった。
しかもT・J マルケスが上着に黒の帽子という、まるで映画のマフィアの親分のような恰好であらわれ、黒塗りのリンカーンの
トランクから、ワルサーPPK 10丁と弾薬5千発を出してきたので、なおさら胡散臭い目で見られる事になった。
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ある日の夕方、サイモンズは湖畔の別荘で、迅速且つ音を立てずに人を殺す方法を、皆に教えた。彼はマーヴ・ストウファーに
言いつけてガーバー・ナイフを購入させ、それを全員に渡した。細身の両刃のナイフで、短い刺殺用のナイフである。
「ずいぶん小型だな」と、ディヴィスがつくづく見ながら言った。「これで十分なのかな?」
「串刺しにして、その切っ先に砥石をかけようと言うのなら別だがね」と、サイモンズは言った。それからグレン・ジャクスンの
背中を借りて、腎臓の位置を皆に示した。「ここを一突き、それで致命傷だ」 「叫び声を上げませんかね?」とディヴィス。
「ひどい痛みで声など出ないよ」サイモンズが実演して見せているとき、ストウファーが入って来て、両手にマクドナルドの紙袋を
さげたまま、ポカンと口を開けて入口に突っ立っていた。それを見てサイモンズが言った。
「ほら、彼を見ろ.....声も出せないでいる。まだ刺されてもいないのにな」マーヴは笑い出してみんなにハンバーガーを配った。
「客の一人もいない店で、私がハンバーガーを30個にフライを30個頼んだら、マクドナルドの女の子が何と言ったかわかるかい?」
「なんと、言いました?」
「いつもの科白だ......『ここで召し上がりますか、お持ち帰りですか?』だとさ」(Certainly,Eat in or take away?)
ダークエイジ・ロマン 「大聖堂」
最近ラリーの世界で、トヨタの「ヤリス」が注目されている。
ヤリスについては、このブログでも最近書いたが、僕はいまでも1970年代ベルトーネのスタンドに現れた「ランチャ...ストラトス」が
最高のラリーカーだと信じている。小柄ながらアグレッシブに走行する姿は今でも目に焼き付いている。モンテカルロであったり
他のレースでもひと際目立つ車であった。フェラーリのディーノV6エンジンを搭載した小さなモンスターでもある。何時だったか
手に入れた精巧なダイキャストモデルのストラトスは今でもベッドの頭の上に飾ってある。
そして、時々YOUTUBEの動画サイトでストラトスの走行サウンドを楽しんでいる。ピレリのチュンチラートを履き、フェレロのステアリングを操る、ワルデゴウルド達の姿は今も思い出される。
枕もとのランチャ・ストラトスのカラーリングもアリタリア航空のあの色であり、マールボロカラーのも好きだ。
手に入れたい車はと聞かれたら、すかさず「ストラトス」と答えるだろう。

Lancia Stratos rally | Historic rally video
太陽は、現在と同じ調子でエネルギーを放射している限り、地上の生命を支えている事が出来ると思う。
ただそれがどの位の長さかと言う事となると、自らの限界が幾つか考えられる。太陽の放射線は水素が核融合を起こしてヘリウム(HE)
に変わっていくプロセスで生み出される。太陽が降り注いでいる全放射線を作り出すには、膨大な量の核融合反応が必要となる。
実際、太陽の中では、毎秒約6億3千万トンの水素が、6億2千5百40万トンのヘリウムに変換されていると推定される。
その差460万トンが放射エネルギーとなって、永久に太陽から失われる事になる訳だ。このうち、たまたま地球表面に降ってくる極く微量の
エネルギーでも、地球の生命を支えてなお余りあるのだ。
これだけ膨大な量の水素が毎秒消費されていても、太陽の途方もない大きさ、即ち太陽は全体で、2,200,000,000,000,
000,000,000,000,000トン(22億トンの10億倍の10億倍)の質量を持っているからである。
この内訳50%が水素だから現在太陽は1,100,000,000,000,000,000,000,000,000トンの水素を
持っている事になる。(念の為に言っておくと、太陽の残りの質量の殆どはヘリウムという訳だ。)
全質量の0.1%以下がヘリウムより複雑な構造を持つ原子から成っている。
ご存じのようにヘリウムは水素よりも密度の大きい原子で、理想的なコンディションのもとでは、ヘリウム原子1は、水素原子4の
質量に匹敵する。言い方を変えればヘリウムは水素に比べて少ない場所しか取らない事が出来る。
体積からだと、太陽の凡そ80%が水素によって占められている。太陽は第二世代の星で、かって何十億年か前に燃え尽き爆発して
果てた幾つもの太陽のなれのはての宇宙ガスや宇宙塵から生まれたものでもある。
従って、太陽の原料は元々かなりの量のヘリウムをを含んでいた。これは太陽が天文学的には比較的短い時間しか輝いてこなかった
事を意味している。つまり、元の水素の量がたいして減っていないからである。
太陽の年齢はせいぜい60億年だと考えられ、それに太陽が今後ずっと現在と同じ率で輝き続ける訳でもないのだ。
太陽の中の水素とヘリウムは平均的に混じっている訳ではなく、ヘリウムは太陽の中心部分に集まり、核融合反応は、この芯の表面
部分で行われているのだ。
太陽が更に燃え続けるとヘリウムの芯は次第に大きくり、中心部の温度は次第に上昇して、必然的にその温度はヘリウム原子より
複雑な原子へと変えるほど高くってくる。この時点まで、大体において今までと同じ様な燃え方をするが、ヘリウムの核融合が
始まると同時に大きく膨張はじめ、次第に、大きな星ー赤色巨星になる。
すると地表の温度は耐えられない程に熱くなり、我々の知っている限りの生命の住める所でなくなってしまう。
天文学者の計算よると、太陽がの段階に突入るのは、凡そ80億年後ということらしい。

公明党の進言を受けて、安倍晋三総理大臣が国民一人当たり、10万円の支給を指示のニュースが
有ったが実現はどうだろうか?
期待しないで待とう。
※「コロナ危機」という一文を別の、僕の ブログにあるので、
そちらも宜しく!
URL:
http://bit.ly/ce1jzn