(ホテルを出発)
韓国旅行記インデックス
3泊4日の韓国旅行は最終日を迎えました。
ホテルをチェックアウトして朝8時にツアーバスで出発しました。
02
この日の朝食は市内の食堂で韓国式朝定食を頂きます。
03
メニューはシンプルです。
小さなお鍋で火にかけているのは、卵料理であまり具は入っていませんが日本の茶碗蒸しのような感じでもあります。でもなかなかおいしかったです。
あとは揚げた魚(いしもち)、定番の漬物類とわかめのスープにご飯です。
04
朝食後はソウル駅から電車で北に向かいます。
9時7分到着。ソウル駅と言うので、もうちょっと大きな駅舎で駅らしい建物かと思ったらこんな感じ。聞くと、ここは裏側で乗り場に近い入口とのこと。ちょっと残念でした。
05
ホームに入ると、電車が入っていましたが、まだ朝早いのと新正月なので人は少ないです。
06
早めに着いたので30分ほど電車の中で発車を待ちます。
韓国鉄道公社が運行する京義線(キョンウィせん)
ソウル特別市と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)新義州特別行政区(新義州市)とを結ぶ鉄道路線。
国家の南北分断に伴い路線も分断されており、韓国側ではソウル駅から都羅山駅まで運行されている。
日本が当時の漢城(現・ソウル)から北朝鮮と中国の国境の新義州までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3km)が起源。
1905年開通、1906年4月3日京城駅~新義州駅の全線開通。京城の「京」と新義州の「義」を取って京義線と呼んだ。
この京義線に乗って北に走り、分断された地域の近くまで行きます。
07
車窓からは高層の住宅が見えました。
ガイドさんの話では韓国では高層の住宅建設が集中して広大なエリアに一つの町のように建設される事が多いという。日本の広い団地よりも格段広いエリアにたくさんの建物が立てられていると言い、エリア内もパスが運行しているとのこと。
08
ソウル駅を出発して1時間5分で終着の門山駅に着きました。
09
駅から外に出る途中、韓国の美女のお出迎えです。どこかで見たことのありそうな。
10
門山駅を出ると一段と気温が低くなっていて雪が一面に残っています。
乗っている間にツアーバスも移動して我々を待っていてくれました。
バスでも来られるのですが、北へ通じている鉄道への体験ということで鉄道移動になりました。
11
ツアーバスでさらに15分ほど北に走り、臨津江(イムジンガン)にかかる南北をつなぐ自由の橋が見られる臨津閣(イムジンガク)にやってきました。韓国人が制限なく来られるもっとも北の地で、離散家族が北朝鮮にいる家族を思って訪れる場所でもあるます。
臨津閣(イムジンガク)は祖国の統一祈願を狙いに、軍事境界線から7㌔南に位置する京畿道坡州市に設けられた。
12
自由の橋が眺められる展望台に上がりました。
13
写真中央の白い鉄橋のところが臨津江(イムジン川)の南北を渡す唯一の橋。
「1953年7月27日休戦協定締結後12,773名の捕虜がこの橋(自由の橋)を渡り、完全に自由の身になったことから自由の橋と呼ばれています。」橋の向こう側に都羅山駅があります。さらにもう少し向こうは北朝鮮です。
休戦協定が調印された後、共産軍の虜になった国軍と国連軍1万2773人の兵士がこの橋を渡った。板門店の‘帰らざる橋’と共に6・25戦争の悲劇を象徴するこの橋は、7・4共同声明以後、南北会談代表たちが往来した道でした。
14
南北を通る京義線の鉄道路線と道路の案内図。
赤いラインが京義線の鉄道路線。その下に通るのが南北をつなぐ道路。ガイドさんが指さしている上が軍事境界線内で銃撃された列車が止まっていたJangdang駅。
駅を表す赤い丸印の左端から門山駅(Munsan)、雲泉駅(Uncheon)、臨津江駅(Imjingang)、その右の川の手前が今いる臨津閣。川を渡って都羅山駅(Dorasan)、38度線の非武装地帯にある黄色の丸印が長湍駅(Jangdan)、その先非武装地帯の右は北のPanmun駅、Sonha駅、Bongdong駅と続く。
門山駅はここに来る前に我々が降りた駅。ここまでが制限なしに来られる一般市民の生活駅。
臨津江駅はここ臨津閣の南側にある駅で統制区域の都羅山駅に行くための手続きをする駅。
都羅山駅は民間人統制区域内に位置しており、韓国管轄の最北端の駅で自由に当駅を利用することができず、 臨津江駅で手続きをとらなければ入ることができない。この駅から韓国人も含めDMZ(非武装地帯)ツアーに行くことができる。
長湍駅は休戦ラインの非武装地帯にある駅で、後に紹介する銃撃された列車が50数年放置されていた駅。
15
朝鮮戦争で南北が分断され、韓国には北に故郷を持つ人が1000万人といわれています。この付近に、望郷や南北平和統一祈願の碑がいくつかありハングルの中に、日本人にも読める“望郷”や“南北平和統一祈願”の 漢字が見られます。
16
そしてかわいい警備兵が立つ自由の橋を渡ります。
17
足元にはこのようなプレートがありました。
18
この橋はここまでに制限されていて先には有刺鉄線があり進めません。この先が北に続く京義線の線路で臨津江(イムジン河)にかかる唯一の橋です。この先の向こうから1万3千人弱の捕虜が戻ってきました。所狭しと、統一を願う旗などが掲げられています。
19
朝鮮戦争真っ只中の1950年12月31日、この機関車は無数の銃弾を受け穴だらけ。機関車は、そのまま錆付いた古鉄の固まりに化していたのだが、発見されて保存処理が施され2009年6月に展示施設として完成したとのことである。
20
臨津閣の解説はこちら
臨津閣の場所はこちら
21
自由の橋を見学後、30分ほどツアーバスで移動して今度は北を見渡せる統一展望台にやってきました。
いろいろな展示もされている館内に入ると、北と南と国連軍の服を着た人形が出迎えてくれます。
1992年9月にオープンした烏頭山統一展望台。板門店やDMZは外国人しか行けませんが、ここは韓国の人たちが自由に北を眺める事が出来る場所。烏頭山統一展望台は、海抜118mの高地にあります。高句麗や百済が合戦をしたという関弥城址(烏頭山城)があった軍事上の要地のようです。
22
3階に上がると、円形のガラス張りの展望室があり、椅子に座ってビデオを観ながら現状や現状に至った歴史などを勉強します。我々もガイドさんの指示で10分ほどのビデオを観ました。
23
その後、上に上がったところにある展望台から北を眺めます。
この展望台は漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点の韓国側に建てられたもので、川一本をはさんで北です。
写真の左側手前から上に漢江が流れ、中央右側から左に流れている臨津江が、左上で合流して左の河口に流れていきます。
川の対岸は北です。ガイドさんから北の人が見えると聞いて、望遠鏡で見てみると、確かに対岸に点在する建物や家が見え、その近くで人が動いているのがはっきり見えたのにはびっくりしました。まさかこんなに近いところに北があるとは。近くて遠い北。
対岸の見えるところは北朝鮮の宣伝村で、韓国から良く見えるこの場所に近代的な町作りを行っているのだそうです。しかし立派な建物の割りに周囲は舗装もされていない土の道などがあり、そのアンバランスさはやはり北でしょうか。
24
北が見える展望台で記念撮影。そして背の高いガイドさんと一緒にもう一枚記念撮影をしました。
25
2階の展示室に下りてきていろいろな展示を見学します。
イムジン河の手前が韓国。赤い標識がいくつかある川の対岸(上の方)が北です。
北との距離は左の遠いところで3.2km、右の近いところでは400メートルくらいとか。
26
南北関係の歴史を解説したボードなどがある展示室です。
27
こちらは北の品物だけを売っているお店です。
28
これは北の平均的な家庭の家の中だそうです。
北では押し入れなどの収納設備はないとか。
29
北の軍服や貨幣の展示もありました。
烏頭山統一展望台の解説はこちら
烏頭山統一展望台の場所はこちら
韓国旅行-9につづく
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3泊4日の韓国旅行は最終日を迎えました。
ホテルをチェックアウトして朝8時にツアーバスで出発しました。
02
この日の朝食は市内の食堂で韓国式朝定食を頂きます。
03
メニューはシンプルです。
小さなお鍋で火にかけているのは、卵料理であまり具は入っていませんが日本の茶碗蒸しのような感じでもあります。でもなかなかおいしかったです。
あとは揚げた魚(いしもち)、定番の漬物類とわかめのスープにご飯です。
04
朝食後はソウル駅から電車で北に向かいます。
9時7分到着。ソウル駅と言うので、もうちょっと大きな駅舎で駅らしい建物かと思ったらこんな感じ。聞くと、ここは裏側で乗り場に近い入口とのこと。ちょっと残念でした。
05
ホームに入ると、電車が入っていましたが、まだ朝早いのと新正月なので人は少ないです。
06
早めに着いたので30分ほど電車の中で発車を待ちます。
韓国鉄道公社が運行する京義線(キョンウィせん)
ソウル特別市と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)新義州特別行政区(新義州市)とを結ぶ鉄道路線。
国家の南北分断に伴い路線も分断されており、韓国側ではソウル駅から都羅山駅まで運行されている。
日本が当時の漢城(現・ソウル)から北朝鮮と中国の国境の新義州までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3km)が起源。
1905年開通、1906年4月3日京城駅~新義州駅の全線開通。京城の「京」と新義州の「義」を取って京義線と呼んだ。
この京義線に乗って北に走り、分断された地域の近くまで行きます。
07
車窓からは高層の住宅が見えました。
ガイドさんの話では韓国では高層の住宅建設が集中して広大なエリアに一つの町のように建設される事が多いという。日本の広い団地よりも格段広いエリアにたくさんの建物が立てられていると言い、エリア内もパスが運行しているとのこと。
08
ソウル駅を出発して1時間5分で終着の門山駅に着きました。
09
駅から外に出る途中、韓国の美女のお出迎えです。どこかで見たことのありそうな。
10
門山駅を出ると一段と気温が低くなっていて雪が一面に残っています。
乗っている間にツアーバスも移動して我々を待っていてくれました。
バスでも来られるのですが、北へ通じている鉄道への体験ということで鉄道移動になりました。
11
ツアーバスでさらに15分ほど北に走り、臨津江(イムジンガン)にかかる南北をつなぐ自由の橋が見られる臨津閣(イムジンガク)にやってきました。韓国人が制限なく来られるもっとも北の地で、離散家族が北朝鮮にいる家族を思って訪れる場所でもあるます。
臨津閣(イムジンガク)は祖国の統一祈願を狙いに、軍事境界線から7㌔南に位置する京畿道坡州市に設けられた。
12
自由の橋が眺められる展望台に上がりました。
13
写真中央の白い鉄橋のところが臨津江(イムジン川)の南北を渡す唯一の橋。
「1953年7月27日休戦協定締結後12,773名の捕虜がこの橋(自由の橋)を渡り、完全に自由の身になったことから自由の橋と呼ばれています。」橋の向こう側に都羅山駅があります。さらにもう少し向こうは北朝鮮です。
休戦協定が調印された後、共産軍の虜になった国軍と国連軍1万2773人の兵士がこの橋を渡った。板門店の‘帰らざる橋’と共に6・25戦争の悲劇を象徴するこの橋は、7・4共同声明以後、南北会談代表たちが往来した道でした。
14
南北を通る京義線の鉄道路線と道路の案内図。
赤いラインが京義線の鉄道路線。その下に通るのが南北をつなぐ道路。ガイドさんが指さしている上が軍事境界線内で銃撃された列車が止まっていたJangdang駅。
駅を表す赤い丸印の左端から門山駅(Munsan)、雲泉駅(Uncheon)、臨津江駅(Imjingang)、その右の川の手前が今いる臨津閣。川を渡って都羅山駅(Dorasan)、38度線の非武装地帯にある黄色の丸印が長湍駅(Jangdan)、その先非武装地帯の右は北のPanmun駅、Sonha駅、Bongdong駅と続く。
門山駅はここに来る前に我々が降りた駅。ここまでが制限なしに来られる一般市民の生活駅。
臨津江駅はここ臨津閣の南側にある駅で統制区域の都羅山駅に行くための手続きをする駅。
都羅山駅は民間人統制区域内に位置しており、韓国管轄の最北端の駅で自由に当駅を利用することができず、 臨津江駅で手続きをとらなければ入ることができない。この駅から韓国人も含めDMZ(非武装地帯)ツアーに行くことができる。
長湍駅は休戦ラインの非武装地帯にある駅で、後に紹介する銃撃された列車が50数年放置されていた駅。
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朝鮮戦争で南北が分断され、韓国には北に故郷を持つ人が1000万人といわれています。この付近に、望郷や南北平和統一祈願の碑がいくつかありハングルの中に、日本人にも読める“望郷”や“南北平和統一祈願”の 漢字が見られます。
16
そしてかわいい警備兵が立つ自由の橋を渡ります。
17
足元にはこのようなプレートがありました。
18
この橋はここまでに制限されていて先には有刺鉄線があり進めません。この先が北に続く京義線の線路で臨津江(イムジン河)にかかる唯一の橋です。この先の向こうから1万3千人弱の捕虜が戻ってきました。所狭しと、統一を願う旗などが掲げられています。
19
朝鮮戦争真っ只中の1950年12月31日、この機関車は無数の銃弾を受け穴だらけ。機関車は、そのまま錆付いた古鉄の固まりに化していたのだが、発見されて保存処理が施され2009年6月に展示施設として完成したとのことである。
20
臨津閣の解説はこちら
臨津閣の場所はこちら
21
自由の橋を見学後、30分ほどツアーバスで移動して今度は北を見渡せる統一展望台にやってきました。
いろいろな展示もされている館内に入ると、北と南と国連軍の服を着た人形が出迎えてくれます。
1992年9月にオープンした烏頭山統一展望台。板門店やDMZは外国人しか行けませんが、ここは韓国の人たちが自由に北を眺める事が出来る場所。烏頭山統一展望台は、海抜118mの高地にあります。高句麗や百済が合戦をしたという関弥城址(烏頭山城)があった軍事上の要地のようです。
22
3階に上がると、円形のガラス張りの展望室があり、椅子に座ってビデオを観ながら現状や現状に至った歴史などを勉強します。我々もガイドさんの指示で10分ほどのビデオを観ました。
23
その後、上に上がったところにある展望台から北を眺めます。
この展望台は漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点の韓国側に建てられたもので、川一本をはさんで北です。
写真の左側手前から上に漢江が流れ、中央右側から左に流れている臨津江が、左上で合流して左の河口に流れていきます。
川の対岸は北です。ガイドさんから北の人が見えると聞いて、望遠鏡で見てみると、確かに対岸に点在する建物や家が見え、その近くで人が動いているのがはっきり見えたのにはびっくりしました。まさかこんなに近いところに北があるとは。近くて遠い北。
対岸の見えるところは北朝鮮の宣伝村で、韓国から良く見えるこの場所に近代的な町作りを行っているのだそうです。しかし立派な建物の割りに周囲は舗装もされていない土の道などがあり、そのアンバランスさはやはり北でしょうか。
24
北が見える展望台で記念撮影。そして背の高いガイドさんと一緒にもう一枚記念撮影をしました。
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2階の展示室に下りてきていろいろな展示を見学します。
イムジン河の手前が韓国。赤い標識がいくつかある川の対岸(上の方)が北です。
北との距離は左の遠いところで3.2km、右の近いところでは400メートルくらいとか。
26
南北関係の歴史を解説したボードなどがある展示室です。
27
こちらは北の品物だけを売っているお店です。
28
これは北の平均的な家庭の家の中だそうです。
北では押し入れなどの収納設備はないとか。
29
北の軍服や貨幣の展示もありました。
烏頭山統一展望台の解説はこちら
烏頭山統一展望台の場所はこちら
韓国旅行-9につづく
韓国旅行記インデックス
突然のコメント失礼します。
私は、韓国旅行ポータルサイトハイコリアの推薦ブログ担当の者です。
このブログの記事を拝見させて頂いたのですが、韓国旅行の情報としてとても参考になる記事なので当社の推薦ブログにあげさせて頂きたく思い、コメント致しました。
当社サイトのURLはこちら http://www.hikorea.jp/ になります。
この記事を添付させて頂いたぺージはhttp://www.hikorea.jp/tour/tongil です。
もし、ご不便がある場合はこちら social@hikorea.jp のメールアドレスまでご連絡下さい。