Richard's Blog

リチャードの雑記帳

南九州―1 鹿児島

2011-08-29 22:47:05 | 国内旅行


旅行社のツアーに参加して南九州を巡りました。 (南九州ツアーレポ Index

ツアータイトル: 名物「砂むし風呂」の指宿温泉と青島温泉。桜島・高千穂峡・日南海岸・知覧 さわやか南九州3日間 (ツアー主催:某旅行社)


1日目:羽田空港~鹿児島空港→仙厳園→知覧・武家屋敷→→ホテル(指宿温泉)

2日目:ホテル→長崎鼻→屋久杉工芸見学→鹿児島港~(フェリー)~桜島港→桜島~日南海岸~鵜戸神宮→ホテル(青島温泉)

3日目:ホテル→青島・青島神社→高千穂峡→阿蘇・草千里→熊本空港~羽田空港




ツアー1日目
朝8時50分に羽田空港に集合して国内線の飛行機で出発。


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雨の中、羽田発9時40分の飛行機で鹿児島空港へ。11時30分頃鹿児島空港に到着。到着ロビーで、添乗員とバスガイドさんが出迎えてくれました。ツアー参加者は40名強。





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参加者の到着を確認したあと、ツアーバスに乗り出発しました。
参加者は夫婦、親子、兄弟、仲間同士など、様々なクループ。






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最初に向かったのが、薩摩藩島津家の別邸である「仙厳園」。
バスを降りる時は一時土砂降りでしたが、一時的ですぐに雨があがりラッキーでした。
入口から入った正面には17代当主島津義弘公の鎧のレプリカが展示されていました。






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さらにすぐ目の前には大きな大砲が。
これは幕末に島津斉彬(島津氏の第28代当主)が鋳造しようとした150ポンド大砲の模型。
薩摩藩では藩内の海岸要衝に砲台を設置し海岸線の守備を固めようとし、薩摩藩では青銅砲ではなく、西欧式の鉄製砲を鋳造。150ポンド砲は当時の最大砲だったという。150ポンド=70キログラムの弾丸を約3千メートル飛ばすことができ、1863年の薩英戦争では2門の150ポンド砲が使われたという

この大砲の後方にとかした鉄板を鋳型に注ぎ、大砲を作るための反射炉後もあります。





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大砲の次に展示されているのが、実物6分の1の昌平丸の模型。
幕末に薩摩藩が建造した洋式軍艦で、後に江戸幕府に献上されて昌平丸と改称した。






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仙厳園の解説。



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島津家:水天渕〔すいてんぶち〕発電所記念碑。





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正門と島津家の家紋。
ポイントをバスガイドさんが説明してくれます。
丸に十の字の紋は瓦の部分と門の屋根内側にもありました。




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園内の松も立派で美しいです。




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庭園から見る雨上がりの桜島。
桜島の山頂は最初は雲で隠れていましたが、雨上がりで一瞬雲が消えて綺麗に見えました。大河ドラマの篤姫でもこの光景を見たような。
左側から北岳(1117m)、中岳(1060m)、南岳(1040m)

噴火口があるのは、南岳。山頂に直径約700mの火口があり、1955年以降活発な噴火活動を続けており、山頂火口から半径2km以内は警戒区域に指定され、立ち入り禁止となっている。南側山腹には安永大噴火の火口、東側山腹には昭和噴火の火口がある。





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磯御殿。
1658年に19代島津光久が御仮屋を建て、その後、南側に一亭を構え、落成の日に鶴が手前に舞い降りたことから、喜鶴亭と名付けられた。明治4年には、廃藩置県がおこなわれ、島津家の居城であった鶴丸城が島津家の手を離れたため、島津家の鹿児島での生活の場は磯に移る。明治17年には、大規模な改築を行い、明治21年には、29代島津忠義が、この御殿に住み、一時本邸として使用されていた。

 現存する建物は明治17年の約2分の1で、25部屋余りとなっています。庭園に面した部分は、当時当主であった忠義が使用していた部屋で、寝室、居間、謁見の間など八部屋余りからなっている。






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左の建物は望嶽楼(ぼうがくろう)
19代島津光久の時代に琉球国王から贈られたと伝えられる建物で、藩主が琉球使節と面接する際に使用されたといわれている。


右は獅子乗大石灯篭
畳八畳ほどの大きな笠石の上に、逆さの獅子が乗った大きな灯籠。29代島津忠義が明治17年、御庭方小田喜三次に造らせた燈籠。






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左は鶴灯篭。
鶴が羽を伸ばしたように見えるところから鶴灯籠と呼ばれ、日本で初めてガス灯を点した灯籠。28代島津斉彬は、蘭学者らにガス灯の用法を書いた蘭書を翻訳させ、安政4年(1857)8月に磯別邸の浴室付近にガス室を設置し、園内の鶴灯篭をはじめとする石灯篭に点火しました。

右は、園内で、かわいい女性が名物の「おさつほっこり」はいかがですかと。
種子島産「安納芋」を使ったお菓子。
かわいらしい笑顔につられて、ついつい、買ってしまいました。





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13時50分頃、仙厳園をあとにして、知覧に向かいますが、途中バスの車窓からガイドさん案内で、西郷さんの銅像を見ました。上野の西郷さんとは服装も顔立ちも違うようでした。






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14時50分ころ、次の観光地、知覧にやってきました。
現在は市町村合併で南九州市となっていますが、以前は知覧町だったところに、薩摩の小京都と呼ばれた知覧武家屋敷が保存されています。

また知覧に太平洋戦争末期、陸軍知覧飛行場が作られ、本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。その関係で、知覧には知覧特攻平和会館があり、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示しています。

このツアーでは、武家屋敷の観光か、特攻平和会館の見学か希望をとり二組に分かれました。我々は武家屋敷を選びました。




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江戸時代は島津氏の傍流、佐多島津氏による統治が行われた。主に享保年間に島津久峯の統治下で上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねた武家屋敷が築かれた。武家屋敷群の18.6haが昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、7庭園は国の「名勝」に指定されました。そして図にある7つの庭園が見学できるようになっています。



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昔ながらの生け垣と石垣がよく残っている知覧武家屋敷群の通り。軍事上でも攻め込まれにくくするために、真っ直ぐな道ではなく通りの奥が見渡せないように作られています。石垣の石が四角と丸がありますが、四角は上級武士で丸石は下級武士と識別できるようになっています。

また生け垣が高く作られ外から中が見えにくく中からは外が見えやすく作られています。




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屋敷の入口の門。門の中には屋敷内が直接見えないように、入るとすぐに屏風岩がある。





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門から中に入り、庭園を見学します。
最初に佐多民子氏庭園に入りました。最初にバスガイドさんが説明してくれます。大半が池のない枯山水の庭園。敷地の北西隅に立石の枯瀧が組まれ、書院から枯瀧へ向かって飛び石が配置してある。庭は縁側のある客間などに面しているようです。 


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7つの庭園の中で、唯一この森重堅氏庭園だけが、池や流れる水が美しい池泉式庭園で曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴している。

16時頃、知覧武家屋敷の自由散策を終えこの日の観光を終え、ホテルに向かいました。




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17時頃、指宿温泉のホテルに到着。
部屋から見た南国らしい植物とホテルの中庭。海のすぐそばで海岸近くを電車が通っています。

夕食は19時なので、その前に名物の砂むし風呂に初挑戦。
まずは浴場の入口でチケットを渡すと、砂むし風呂専用の浴衣をくれ、説明がありました。裸の上に専用の浴衣を着て砂むし風呂へ。終わった後は途中にある洗い場で砂を落とし浴衣を専用の入れ物に脱いでから、すぐ隣の浴場に入り、普通の温泉に入浴という手順。

砂むし風呂に行くと、首の後ろからタオルをつけてくれて、そのタオルを口ではさむように言われ順番に奥から砂の上にあおむけに寝ます。寝ると係の人が砂をかけてくれ、顔だけ出して体が砂に埋もれます。昔、海で同じように砂をかけられた事を思い出しました。やはり砂の重みも感じ、意外に熱いのでびっくりしました。サウナよりも早く全身に汗が吹き出ます。目安は10分と書かれていましたが、やはり10分以上はつらいところ。慣れている人はもっと長くやっていましたが、私は10分でやめました。こうして初めての砂むし体験を終えました。






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夕食は和食。黒豚しゃぶや豚の角煮など。おいしく頂きました。


1日目終わり

2日目に続く

南九州ツアーIndex
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