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生きる力は弱いけど、世界を変えてみたいのかな・・

弱い自分にしかできないことを見つけよっかな・・・

正体不明の不安がしのびよる・・・

2023-02-13 11:05:15 | 日記

正体不明の不安がしのびよってくるって感じることがある。

他の言い方もしてみる。

空虚みたいなものに包まれる感じ。

寂しさ。悲しみ、に似ているような感じのもの。

果てしなく落ち続けていくような感じ。

 

冬の北風の中で電線とかが鳴る虎落笛(もがりぶえ)のような、

それはやたらと寂しい感じ

 

まだ小学校にあがる前くらいから、

そんな感覚があったような気がする。

突然にやってきて、

包まれてしまったり、

 

しばらく包まれたまま日常を過ごしたり、

 

自分だけの感覚なのか、

他の人にも似たようなことが起きるのか、どうなのかな。

 

で、

ムンクの叫ぶ人みたいな気分でじっと耐える。

今はだんだん慣れて、

たぶんある程度同居させられるようになったのかな。

 

包まれている時は、いろんなことに

何も手がつかないって感じだったりはするけど。

 

 


わからないまま、っていう大切さ

2023-02-11 12:50:24 | 日記

自分のことでいっぱいいっぱいなのに、

息を荒くしながらやっと生きているような

そんな気がしてるのに、それなのに、

 

戦争のことが気になったり、

環境のことが気になったり、

差別のことが気になったり、

 

胸が苦しくなるよう気がしてきたり、

なんかしなくちゃいけないような気がしたり、

 

今は、ただ、じっと

自分が感じる何かに寄り添っていたい気がする。

自分に寄り添っていたい気がする。

 

いろんなことを知りたい。

自分のことなんてほんとはわからないってことを知りたい。

何が正しいかなんてわからないんだってことを知りたい。

すべてを解決する正義なんてどこにもないってことを知りたい。

 

そして自分の中のなにかがゆっくりと動き出そうとしていることに

気づく日があるのかもしれないってことを知りたい。

 

たくさんの矛盾を受け止めることが大切なのか、

そんな必要はないのか、

何もわからないまま、それはそれでいいような気がする。

 


誰かのせいにするって話

2023-02-10 10:49:06 | 日記

ひとのせいにするな!って言われる。

ひとのせいにするのは、人間的にレベルが低いみたいな、

そんなふうに聞こえてくる。

そうかもしれないけど、

いつもいつも、それが悪いなんて思いたくない。

 

だって、ほんとにひとが悪いことだってあるし、

もし、自分が悪いのだとしても、

ひとのせいにしないと、自分の心の逃げ場がないときだってあるんじゃない。

 

ルールとか道徳みたいなこととか、柔軟性があると、

なんか言い訳みたいにつかっちゃうこともあるけど、

柔軟性がないと、すごく行き場がなくなるし、

傷ついてしまうこともある。

 

使い方なんだろうけど、

今自分にとって大事なことって何かなってことが

重要だと思う。

 

今は、誰かのせいにして怒っていることが、

今の自分にとって一番大事なら、それでいいと思うし。

 

もし靴は右足から履くものだなんて、強い道徳みたいなルールがあったとして、

怪我をしているので、左足からじゃないと、すごく大変、だったら、

罪の意識なんか感じることなく、

怪我が治るまで、ルールは一旦停止、って

素直に思うことができて、

周りもそりゃそうだね、って微笑んでくれる。

そんなのがいいな。

 

 

 


生きていくいろんな力 戦うことについても

2023-02-05 09:30:12 | 日記

生きていくのに、いろんな力を使っている人がいるんだろうな。

夢です。目標です。って、きれいな力を使うことのできる人。

いいよね。ほんとはそういうのがいいよね。

 

誰かの悪口ばっかりいってるけど、

それが元気の素みたいな人。

戦って勝つみたいなことが生きる力になっている人。

 

ひとと比べるとつらくなるから比べるな、なんて言われるけど、

他の会社に勝って生き残るには、って考えで社会が成り立っている。

きれいなことを言っても、どこかで戦わなきゃならないし、

どこかで他と比べながら、自分を知る必要があるみたい。

 

戦うんだろうね。絶対的に何かと。

比べることや戦うことや勝つことを否定はできないんだろうね。

 

だったら、何と戦うのか誰と戦うのか、どう戦うのか、

何のために戦うのか、

戦って勝ち負けがわかった時、いったいどうしたいのか?

自分の中にある気持ちとその戦いに矛盾はおきてないか?

 

なんて、そんなことを考える必要があるんだろうね。

負けて悔しいとか、負けて何かを失うとか、

負けた後どうしようとか、

そういうこともちゃんと考えて戦うんだろうね。

 

そして、その戦いで誰が幸せになって誰が不幸になって、

それでもそれは、もっと大きな全体の幸せのために

必要な過程なんだ、なんてきちんと説明できる必要があるんだろうね。

 

勝った方も負けた方も不幸になるとか、

ただ意地で戦っていたとか、それはやめよう。

 

いろんなそれぞれの正義やそれぞれに守るものがあるから、

戦い自体は仕方ない。自分に考えられるのは、そのくらいまで。

 

 

 


子どもの頃の悲しかったこととかトラウマとか

2023-02-03 16:13:50 | 日記

悲しかったたくさんの記憶

子どもの頃に深く傷ついた思い出

それをトラウマだって言ってしまうと、

前に進めない自分の

進めない理由になってしまいそう。

 

なんか、まるで、

進むのが怖いから、

進まなくていい理由を見つけようとしている自分が

いるような気がして。

 

なんかいやだ。

 

なんにも考えなければ、

どんな感情もおきないまま、楽々100m歩けるとしても、

 

青い空の雲を見ると、いじめられた日の記憶がよみがえって、

冷たい風が顔に吹くと、死んでいった家族の笑顔が浮かんで、

遠くの山を見ると、自転車で兄弟を追いかけた後ろ姿が胸をよぎって、

 

そんなふうにして100m歩く人もいる。

そんなふうに時々涙を流しながら

やっと100mを歩ききる人もいる。

 

距離は同じなのに、

その中にたくさんのものを詰め込むみたいにして、

やっと歩いていたとしても、

わきでてきたたくさんの思い出に

疲れ果ててしまっても

それを途中でやめる理由にしたくないな。

 

誰にも気づかれることもなく、

人の何倍ものエネルギーを使って歩いているとしても、

それが自分にとっての歩くということ。

それが自分の歩き方。

ほかのひとの生きてきた日々と比べながら、

歩くのをやめるためのトラウマ探しなんて

したくない。

 

歩いていきたい。

たくさんたくさんエネルギーを使いながら。

たくさんたくさん

悲しみや苦しみや喜びの思い出にうずもれながら。

時々、立ち止まったりしながら。

 

それでもきっと歩いていく。