昔のバスの写真

昔の東武バスなどを中心に不定期に書いております。

昔の東武バスの写真(新座団地にて)-追加分

2013-05-03 18:13:52 | 日記

こんにちは。rest2012です。

今から30年くらい前に撮影した東武バスの写真をご紹介します。

写真も残り少なくなってきましたが、今回は新座団地で撮影した写真の追加分になります。

1台のバスを色々な角度から撮影しております。いすゞ+富士重の東武バスです。

その1(新座団地終点)

その2(新座団地奥の折り返し場で待機中)

その3

その4

その5

その6(志木駅南口に向けて出発)

その7(おまけ:西武バス)

今回の写真ですが、いすゞ+富士重のバスですが、私も意識して撮ったわけではありませんが

今の時代で言うところのパラパラ動画のようにもみえますね。

いすゞ車の特徴は全てではありませんがバスの中央に非常口があることです。

またこの頃までのいすゞのバスにはもう一つ特徴がありました。

他のメーカーと違い、後輪の軸の部分に突起があったんです。皆さん知ってました?

シャフトが他社より余分に長かったのかな?(笑)

ところで、バスマニアであった私が今でも良くわからないのが、例えばいすゞのバスを作るにしても

なぜ自社ですべて組み立てないのかということです。例えばこのバスの場合、

エンジンはいすゞですけど、架装(ボディ)は富士重工(FHI)ですよね?

また、同じいすゞでもなぜ、架装を川重や富士重など別々のメーカーに頼む必要があるのか?

やはり納期などの問題なのでしょうか?複数社でやらないと間に合わないとか。

もしfarewell song様、ご覧になられていましたらご解説のほど

よろしくお願いいたします。(笑)


最新の画像もっと見る

19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-05-05 23:41:13
私は30年新座団地に住んでいます。周辺の区画は現状と変わりませんが、(色も含め)当時の車体はとても懐かしいです。

この東武車は青時代の最後に製造されたものと記憶しています。
背景にある給水塔ももうすぐ40年の歴史に幕を閉じるそうです。

志木駅北口(現在の東口)は2000年に区画が大幅に変化したので、その前の写真をもっと拝見したいですね。
返信する
Unknown (farewell song)
2013-05-06 01:21:19
ご指名いただきましたので(汗

車体とシャーシのメーカーが分業化されているのは世界的にバスが形となった時点ではそうなっていたようです。
車体メーカーの事をコーチビルダーと呼ぶのですが、歴史的には馬車の車体を作っていたところが権利として残っていたものが分業の元であり、鉄工所や車両メーカーや航空機メーカーが参入し今に至るようです。

そうすることで上の部分の開発を車体メーカーに任せる事により細かな対応を可能にし、シャーシメーカーは下回りに集中できるメリットがあります。
トラックでも運転席のキャブ部分まではシャーシメーカーで精算するのが普通ですが、荷台は車体メーカーが作成しています。

納期については確かに遅れる原因として受注が立て込む事は考えられますが、ユーザーの見解(例えば東武にキュービックが入らなかった理由)や、車体メーカーの取引関係などもあると推測できます。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-05-06 07:49:16
Unknown様、初めまして。新座団地にお住まいの方からコメントを頂けるなんてとてもうれしいです。私の親戚が以前新座団地に住んでいたこともあり、ベランダから撮影した写真もあります。私は子供心に新座団地が大好きでした。特に朝日の入り方がとてもきれいなんです。また当時としては画期的な子供用プールも目の前の庭にあり、この団地に住みたいと思っていました。また今はテナントが変わってしまったようですがチサンストアも復活して欲しいです。ただ、地産グループが歴史に名を残すのみというのが残念です。私にとっては新座団地は良い思い出ばかりです。
返信する
Unknown (rest2012)
2013-05-06 07:59:45
Unknows様、たびたびすみません。
1つ目に投稿しましたコメントに名前を付けるのを忘れてしまいました。ご紹介遅れましたが私はrest2012といいます。よろしくお願いいたします。東武バスの青車ですが、Unknown様と同感です。この型のバスの次はオレンジ車となり黒バンパーに角目2灯ずつというバスになったと思います。後部側は当時まだはやりの三角形を90度回転させたようなテールランプとウィンカーランプの混合体でした。(でっぱりはあまりない薄い感じでした)このオレンジ車はコックピット的にはトラックのいすゞ810と同じだったのですが、残念ですがこのオレンジ車を境にバスマニアから少し遠のいてしまった感じです。でもUnknown様がうらやましいです。毎日私の大好きないすゞ車をご覧になることができておられたのですから。(笑)そしてその後私的にはさらにサプライズがありました。いすゞ専門にやってきた新座車庫が突然全車日野製になったんです。しかもJBUSに統合する前のお話です。いろいろと書かせて頂きましたが今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (rest2012)
2013-05-06 08:07:23
farewell song様、コメントありがとうございました。大変助かります。コーチビルダーという言葉はかっこいいですね。初めて知りました。またトラックのお話もでましたが確かにそうですね。いすゞのトラックとかを見てもIBEとかPABCOとか名前が貼ってありますからね。また東武バスがキュービックを入れなかったというお話もぜひお聞きしたい点でした。国際興業バスが普通に導入していたキュービックバスですが、私的にはどうもあの高級観光バス的ワイパー(全面ガラスの正面でワイパーがクロスしてしまい運転者が見づらいなど)
が気に入らなかったのでは?という見解ですがいかがでしょうか。東武バスも顔的にキュービック系のバスを見かけたことがありますがワイパーは旧式(ガラスを半分ずつにわけてワイパーする形)でしたのでどうもこの点が気になっております。farewell song様のお時間のあるときで良いですが、コメントお待ちしております。
返信する
Unknown (farewell song)
2013-05-06 10:40:04
東武がキュービックを入れなかった理由は元々富士重との関係が強く川重と疎遠になっていて(貸切は昭和53年が最後だったはず)、
いすゞ投入営業所の減少(この時点で茨城県の境が日野に切り替わっています)、東武自体が新車購入を抑制した時期に突入していることから
いすゞは大原則富士重で賄いきれたと想像されます。
また、キュービックはワイパーの件の他、フロントが大きな一枚ガラスであり破損交換の場合大がかりになる事、
サイドの縦に長いエキストラウインドウ(OKウインドウと呼んでいたはず)を嫌っていたという話も聞いています。
確かOKウインドウそのものは途中で切ってしまうカスタマイズも出来たはずなのですが…。
もしこの頃に中型化も選択肢になり狭隘区間や閑散区間に中型車を導入していれば
一部のLRは川重車体になったかも知れませんね(もっとも富士重もすぐに6Eボディを対応させるようになりましたが)。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-05-06 12:41:01
farewell song様、たびたびご解説ありがとうございます。やはり私とは全然視点や知識の量が違いますね。私も今回話題となりましたキュービックバスの頃を境にバスマニアから疎遠になってしまいましたが、キュービックの東武バスを見てみたかったという思いはあります。写真も残りわずかとなりましたが、また気づいた点がありましたがご解説のほどよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (farewell song)
2013-05-06 21:36:12
では、rest2012さんの夢(?)を叶えましょう(笑)。
ttp://motor.geocities.jp/gophilnet/image/0211.jpg
(リンクを張ろうとすると「不正なURLが含まれているため、コメントできません」というエラーが発生して書き込めませんのでURLの頭にhをつけて下さい)

フィリピンでは日本の中古バスのハンドルと前扉位置を交換し使用していますが、
先に導入した中古車のカラーリングが気に入ったりすると後から入ってきた中古車にその色で塗り替えてしまうケースがあります。
関東バスの色などはバリエーションが豊富ですが、こんなケースもあります。
返信する
Unknown (rest2012)
2013-05-06 21:48:00
farewell song様、コメントありがとうございます。今確認しまして、拝見することができました。東武バスのカラーでキュービックですね。このような形で見れるとは思いませんでした。ありがとうございます。
返信する
Unknown (tobu_shirei)
2013-05-23 02:16:52
ROM専でしたが、懐かしい写真の数々に感動させて頂きました。この場ですがお礼申し上げます。
新座団地の給水塔前にある転向場は私も以前良く写真を撮りに行きました。
あの給水塔も無くなってしまうんですね。

今回の写真の車はいすゞのCJMですかね。
この時代はまだ車体メーカーを選べる時代でしたから、東武に限らず面白い組み合わせが沢山ありましよね。
東武の場合はシャーシが日野、いすゞに殆ど統一されていたので、どちらにもFHIを架装するパターンを見る事が出来ましたが、国鉄にはいすゞのシャーシに帝国(日野車体)を架装する車がいましたね。

何でも乗車定員に関係があると何かの本で見た覚えがあるんですが、シャーシメーカーが異なっても車体メーカーを統一すれば定員等を気にせず車両の運用をも区別せず効率的に運用が出来るとか・・・

記憶が定かでないので、間違いでしたらご容赦下さい。

富士重工がバス車体製造を撤退する前に、7Eと言う車体を架装したワンステップ、ノンステップ車が東武にも大量荷導入されましたが、最終ロッド近くでは、東武や京成など限られた一部会社にのみ特例でいすゞ+FHIで納入されたそうです。

そんな歴史を刻み、現在の「エルガだらけ」時代が到来して現在に至る訳です。

また懐かしい写真が拝見出来ます事、機体しております。
返信する

コメントを投稿