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先生のための「ミニネタ博物館」新館

先生のために役立つミニネタを掲載していきます。

社会「歴史の授業に使えるネタ」パート11

2010年07月17日 | 授業に役立つネタ(国・算・社・理)
大日本帝国憲法は泥棒に盗まれたことがある

 明治20年、横浜の東屋旅館で、金子堅太郎、伊東巳代治、伊藤博文らは、憲法の文案を作成していました。その年の8月、思いの他作成が進み、気を良くしたメンバーは、ある夜宴会を開き、酔いつぶれてしまいました。そこへ、泥棒が忍び込み、草案の入ったカバンを盗み出したのです。しかし、文章しか入っていなかったため、カバンは中身の入ったまま塩田に捨てられていました。運良く発見された憲法の文案は、それ以後、一般人の入れない密室で作成が続けられ、明治22年に完成したのでした。当時の憲法が、国民の総意ではなく、一部の人間によって書かれたことを示すには、よいエピソードかとも思います。事実、ベルツというドイツ人の手記によれば、大日本帝国憲法発布のお祝いに皇居の周りに駆けつけた人々のだれもが、その内容を知らなかったといいます。

「正露丸」は日露戦争当時「征露丸」だった

 あの薬「正露丸」は、今でこそ「正」という字を使いますが、第二次世界大戦までは「征」の字を使って「征露丸」と書いていました。そもそも「征露丸」が登場したのが、1902年のこと。中島佐一という人が「忠勇征露丸」という名前で製造販売したものでした。日露開戦のムードにのったネーミングでした。当時、日本の軍隊は、戦闘による死者よりも、病気による死者のほうが多かったのです。そこで、征露丸も軍隊の薬として配られました。しかし、実際には脚気による死者が多く、征露丸では死者は減らなかったそうですが、その後下痢や腹痛に効くことが認められ、一般的に広まりました。第二次世界大戦後、厚生省により「征露丸」は好ましくないという指導が入り、「正露丸」と改められました。(まだ、1社だけ征露丸という字で販売している会社があるようですが)ちなみに、コマーシャルで流れる、ラッパのマークのテーマ音楽は、軍隊で使われていたものだそうです。

消えた日の丸事件


 1936年のベルリンオリンピックの男子マラソンの優勝者は孫基禎(ソンキジュン)という日本の選手です。もちろん、名前からわかるとおり、日本人ではなく韓国人です。しかし、1910年の韓国併合いらい韓国人も日本としてオリンピックなどに出場しなくてはならなかったのです。
 子どもたちに、孫さんの写真を「この人が1936年にベルリンオリンピックで1位になった韓国人の孫さんだよ」といって見せました。2枚目の写真は、走り終わった孫さんの写真を見せました。孫さんは、満足そうな顔を浮かべています。その胸に日の丸があります。子どもたちにその日の丸に気づかせ、「なぜ韓国人の孫さんの胸に日の丸があるのか」という疑問から学習をさせます。「表彰式で君が代が流れるのに驚き、涙を流す孫さん」の気持ちを話し、当時の日本と世界の状況をつかませます。
 次に、東亜日報という韓国の新聞社が載せた2つの記事を並べて見せます。1枚の記事には、胸に日の丸をつけた孫さんの写真がありますが、もう1枚の記事には同じアングルでありながら、孫さんの胸の日の丸はありません。だれかがわざと消したのです。「だれが日の丸を消したのか」という疑問がでてきます。実際には、消したのは東亜日報の記者で、これはすぐ日本にばれて、東亜日報は発刊停止処分を受けてしまいます。わざと日の丸を消した記者の思いを考えてみるのもいいかもしれません。
 この授業に関しては、岩波ブックレットの『日の丸抹消事件を授業する』をご覧になることをおすすめします。




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