3つめの潮流は「倍率案」です。
「倍率案」とは、少ない石数の題図から、少しでも長く四追いを継続して勝つことを意図した作品です。「少ない」とは、おおむね6個から11個の石数です。5個以下では「問題」にはなっても「作品」にはならない(オリジナリティを表現しようがない)し、12個以上では四追い回数が伸びない(盤が狭すぎる)というのが、四追い作家共通の意見です。
「倍率案」も、完全案と同じく、15道四々禁ルールへの移行とともに、爆発的に発展を遂げたという事実があります。19道時代で見るべき作品は、黒白6個から19回の四追い勝ちを達成した、真野目栄石の「稲妻」(「聯珠」誌1952年9月号)が唯一と言ってよいでしょう(四追い軌道はそのままで、黒白の配石を変えたバリエーションがいくつか発表されています)。ところが、1960年のルール移行とほぼ同時に、矢継ぎ早に、内容のある様々な倍率案が発表されるようになったのです。
マイルストーンとすべき作品と作者を、発表年順に記しておきましょう。出典の記されていないものは、すべて「連珠世界」誌上での発表です。市川澄「逗子」(「原稿版詰連珠名作選」1960年1月)、磯部泰山「旧友」(1974年7月号)、古沢悟一郎「ジョー」(1976年3月号)、大賀明夫「霞草」(1976年10月号)、渡辺省三「馬の顔2」(1978年1月号)、古坂学俊「水の戯れ」(1981年12月号)、古坂学俊「紅梅」(1984年6月号)、是枝宏樹「三葉」(1987年2月号)、古坂学俊「真世界」(1988年2月号)、龍鷹「蜻蛉」(1988年10月号)、是枝宏樹「親友」(1989年2月号)、太田剛「春の訪れ」(1993年9月号)。
15道への移行とともに倍率案が次々と発表されるようになった理由は、(少なくとも、本講座の講師にとっては)明白です。19道盤から15道盤への移行は、倍率案の創作可能空間を全く別のものに変えることになった。別の言葉で言うと、飛躍的に作り易くなったのです。これがどういうことかを、解説しましょう。
まず、「夢幻の構想」(龍鷹編著、龍工房、2004年)に発表された、「倍率案の世界」(太田剛著)18ページから、かなり長くなりますが、著者の許可を得て引用させていただきます。
倍率案以外の四追い作品ならば、途中の試行錯誤や余詰修正があったとしても、よほど制約の強い趣向作品でない限り、頑張って続ければ結局は完成品にとどり着くことができ、完全に破棄してしまうということは稀である。(中略)しかし、倍率案の場合は全く違う。つまり、成立しない途中図は「どうやっても完成品にならない」ので、すべてやむなく破棄されねばならない。(中略)
そうなる理由は簡単で、2つに集約される。ひとつは勝ちが出せないからであり、もうひとつは、たとえ勝ちがあっても、防ぎ方の石数が不足して余詰が消せないからである。
(中略)
後者について言えば、防ぎ方の石が余るなどということはまずない。(中略)倍率案以外であれば、石の位置を移動したり、四追い順を変えたり、場合によっては伝家の宝刀を抜く(白黒同数の石を追加する)ことで余詰はなんとか修正できるものだ。ところが、倍率案では宝刀が抜けないのである。
おわかりでしょうか? つまり、倍率案では、防ぎ方の少ない石をなんとかやりくりして綺麗な勝ち形を作る…ことに、作家は皆、苦労しているのです。その場合、盤が広いと、四先が盤の端まで届かないので、防ぎの石だけでなんとかしなくてはいけません。これに対して、盤が狭くなると、盤端の特性(盤端の1路外側に、防ぎ方の石が並んでいるかのように扱える)を利用して、防ぎ方の石を節約できる機会が生まれるのです。
たかが盤端、とあなどってはいけません。上記のマイルストーンとすべき作品のうち、盤端が上下左右にあと1路でも広かったら、「逗子」「ジョー」「蜻蛉」の3作しか成立しません。他の作品はすべて余詰め作と成り果てます。ここに挙げられていないその他の作品であっても、盤端が全く関係ない作品は、(講師の感覚では;数え上げたわけではないので…)高々2割程度のものです。
したがって、盤が狭くなったことをきっかけに、倍率案が飛躍的に発展したのです。