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明ちゃんの徒然日記

思いつくまま、気のつくまま・・・

高林家

2006-06-12 17:46:23 | Weblog
NHK大河ドラマ 功名が辻 前半の節目である「本能寺」が昨夜放映された。
司馬遼太郎の原作では「本能寺の変が起こった。信長が死んだ」とわずか二行の描写とあるが。脚本家の大石静の手にかかると見ごたえのあるワンシーンへと変わる。
「時(とき)は今(いま) 雨(あめ)が下(した)しる五月(さつき)哉(かな)」は、光秀が出陣前に詠んだ時世の句である。このとき天正10年6月2日(1582年6月21日)今から424年前の出来事である。
ドラマでは主役もさることながら脇役の演技が冴える、舘ひろしの信長・坂東三津五郎の光秀 対象となる二人の演技力も迫るものがある。

話は、全く変わるが先月の28日に6年ぶりに一般公開された堺市百舌鳥(もず)八幡宮(はちまんぐう)近くの「高林家住宅」を見学してきた。
明治維新まで大鳥郡11か村(現在の百舌鳥駅周辺から鳳駅周辺一帯)の大庄屋を努めた。ルーツを遡れば千早赤阪城の楠正成の家臣であった。当時は林家を名乗っていた。
昭和44年に国の重要文化財に指定された「高林家」は、昨夜の大河ドラマと時代が同じく天正時代。屋根は 切妻造(きりづまつくり)の茅葺屋根この屋根は「大和棟(やまとむね)」ともいわれ、大阪府と奈良県北部にかっては数多くみられ特徴的な民家の姿、現在は保存修理によって手が加えられたが、主屋は(1573~1592)に建てられた。そして増改築を重ね18世紀末に完成した。

土間には「へっついさん」と呼ばれるかまどがあり、見上げると直径50cmにもおよぶ大梁が柱間にかかっている。部屋を仕切る狩野派の襖絵、家紋の三面扇の意匠を施した欄間など現存している。
特筆すべきは高林家のみなさんが、今もこの家で生活をしていること、そして、かってこの地域全体の年末年始の行事であった「百舌鳥精進」の伝統を守っていることだろう。今でも大晦日からは精進に入り、元旦にはその「へっついさん」で柴をくべて大根や餅、小芋、豆腐を具としたお雑煮を炊き、家紋の施された漆器の膳を囲む、
それらの、賄いはすべて当主 男衆で執り行う。大晦日から正月3日昼まではだしも含めて一切の魚・肉類は断つそうです。ご当主 永統氏は26代目、伝統を絶やさずここまで受け継がれてきたこと、たいへんなご苦労であったと思う。昨夜のテレビのドラマと違ってこちらは天正時代が今日まで連綿と続いているのである、そしてこれから先も。

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