歴史と遊ぶ

歴史の好きな人達の集まりでワイワイと話し合い、美術館・博物館・小旅行へ行きます

王子周辺散策

2020-09-30 13:01:38 | 日記
歴史会で小雨模様の中、王子周辺を散策してきました。

東十条駅


子育地蔵


地蔵坂


名主の滝
江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、
名主の滝の名前の由来もここから来ました庭園として整備されたのは、
明治の中頃で、垣内徳三郎という人の所有になってからでした






王子稲荷神社
〒114-0021 
東京都北区岸町1-12-26
TEL 03‐3907‐3032
御由緒:創建時期は不明 古くは岸稲荷と称した。荒川の岸に鎮座したことが由来という。
康平年間(1058~1065年)には源頼義が「関東稲荷総司」として崇敬していた
江戸期においては近隣の王子神社とともに徳川将軍家祈願所の一つに指定され、1634(寛永11)年、1703(元禄16)年、幕府によるたびたびの社殿造営があり、現社殿は1822(文政5)年十一代将軍家斉により寄進されたものである
当社は有名な落語「王子の狐」の舞台にもなっているほか、大晦日から正月にかけて行われる「王子・狐の行列」や初午祭凧市の祭事には氏子地域外からも多くの参詣者を集める










狐の行列


王子稲荷の坂


王子神社
〒114-0022  東京都北区王子本町1-1-12
TEL  03-3907-7808
御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、
事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます
紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、
世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます
創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、
甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、
領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、
改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます
それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。
二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。




イチョウの木
イチョウは大小2本の幹からなっており、太い方の主幹は見事な直幹です。
戦災で類焼したらしいのですが、その影響はほとんど見られません。


イチョウの木のお守り


音無親水公園


渋沢史料館 旧渋沢庭園
近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一 渋沢史料館は休館中


七社神社
〒114-0024
東京都北区西ヶ原二丁目11番1号
TEL 03-3910-1641
当神社は往昔の御創建ながら、寛成五年(1793)の火災により古文書、古記録等を焼失したため詳らかではありません
翌年9月秋分の日に御社殿は再建され、故にこの日を当社の大祭日と定め現在も賑やかなお祭りが執り行われています
当時は仏宝山無量寺の境内に祀られ、
「江戸名所図会」には無量寺の高台(現・古河庭園内)に「七社(ななのやしろ)」として描かれています 
 七社神社の氏子であった渋沢栄一翁





飛鳥の小径

         →上中里駅へ

飛鳥山の桜




白の曼珠沙華


ごぼうの木