歴史と遊ぶ

歴史の好きな人達の集まりでワイワイと話し合い、美術館・博物館・小旅行へ行きます

国立歴史民俗博物館・宗吾霊堂 佐倉市

2022-07-02 10:16:14 | 日記
歴史会で千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館・宗吾霊堂へ行ってきました

京成佐倉駅


国立歴史民俗博物館
歴史学、考古学、民俗学の資料を展示し、日本最大級の規模を誇る国立歴史民俗博物館。
佐倉城址の北側にある、日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する、国立の歴史民俗博物館です。
広大な敷地には、先史・古代から現代に至るまでの資料がテーマ別にたくさん展示されています






パンフレット・券


第1展示室(先史・古代)~第6展示室(現代)




博物館は佐倉城址公園の北側にあります


〒285-8502
千葉県佐倉市城内町117
TEL 050-5541-8600
https://www.rekihaku.ac.jp

城南五山巡り

2021-12-19 15:12:34 | 日記
歴史会で城南五山巡りに行ってきました
品川区と港区にまたがるJR山手線の「品川」駅から「五反田」駅、「目黒」駅を結んだエリアには、「城南五山」と呼ばれる高級住宅街が広がっている
「城南五山」はその名の通り、島津山、池田山、御殿山、八ツ山、花房山と山が付く地名の場です
大名や明治・大正期の政財界人が愛した城南五山  武蔵野台地の突端の地形を体感しながら、目黒から品川まで古くからの高級住宅地を歩きます


目黒駅


➀花房山
花房山(旧播磨の国三日月藩森家上屋敷跡)
目黒駅より徒歩約10分 明治になり敷地の一部が花房義質邸になったことからこの辺の高台が「花房山」と呼ばれるようになった




②池田山公園
江戸時代初期に備前国岡山藩池田家の下屋敷となり、次第に“池田山”と呼ばれるようになり、現在は池田山公園として起伏に富んだ地形を生かし、高台から池を覗き見るような形に造られた池泉回遊式庭園です








ねむの木の庭
この公園は皇后陛下美智子様のご実家があった場所を整備して作られました
美しい植栽がきちんと手入れされた様子はいつ訪れても心を癒やしてくれます






ミチコプリンセス


雉神社
「雉子ノ宮」の名で親しまれている古い神社(文明年間=1469~87の創建と思われる)で、江戸時代までは「大鳥大明神」
と呼ばれていました。3代将軍徳川家光が鷹狩りをしていたとき、1羽の白いキジがこの神社に逃げ込んで見えなくなったことから、家光が神社の名を「雉子ノ宮」と呼ぶよう命じたと伝えられています








③島津山
島津山(清泉女子大学)
仙台藩伊達家の下屋敷地を明治初期の島津家が引き継ぎ“島津公爵邸”としたことが由来となっています
旧島津公爵邸は大正6年(1917)に建築されたイタリア・ルネサンス様式の洋館で、現在は清泉女子大学本館として使われています コロナ禍で見学は出来ませんでした




目黒川




④御殿山
御殿山の由来は、徳川歴代将軍が鷹狩の折に休んだ“品川御殿”があったことに因みる
昔は東京湾を見下ろすことのできた海沿いの高台で、徳川吉宗の時代は多くの花見客が訪れる桜の名所と知られていました
2つの人工滝と水路、回遊庭園風の池と, 水との調和を考えて設計されている庭園です








⑤八ツ山
品川宿最北端の緑豊かな丘陵 麓の海岸には、大きな船繋場があり、多くの旅客や往来者が利用したといわれる
初代総理大臣・伊藤博文の邸宅があったところだが、いまは緑深い林になっている。









松戸散策 ③戸錠邸

2020-11-17 16:07:33 | 日記
歴史会で松戸の東漸寺・本土寺・戸錠邸へ行ってきました

戸錠邸
〒271-0092
千葉県松戸市松戸714−1
TEL 047-362-2050
明治17年に幕府最後の将軍徳川慶喜の弟、徳川昭武が建設し、後半生を過ごしたのが戸定邸です
ここ戸定邸には慶喜公もたびたび訪れ、趣味の狩猟や写真を楽しまれました
徳川家の住まいが公開されているのは全国でもここだけです。昭和26年に市に寄贈され、
平成3年に周囲の敷地2.3ヘクタールが「戸定が丘歴史公園」として整備され一般公開されました
昭和61年、芝生を使い、洋風を取り入れた戸定邸の庭園は県の名勝に指定され、
平成18年7月には、明治前期の上流住宅の姿を伝えていることから国の重要文化財に指定されました
平成30年(2018)年6月から公開が始まった東屋庭園からは、空気の澄んだ日に富士山が見えます








西洋式庭園




庭からの戸錠邸


富士山が見えるそうです


慶喜からの電報文








イイギリ




松戸散策 ②本土寺

2020-11-16 11:18:57 | 日記
歴史会で松戸の東漸寺・本土寺・戸錠邸へ行ってきました

北小金駅 常磐線


長谷山 本土寺
〒270-0002
千葉県松戸市平賀63
TEL:047-346-2121
当山は、源氏の名門平賀家の屋敷跡であり、建治三(1277)年、日蓮大聖人の篤信者である時の領主曽谷教信公の協力を得て、
領内の地蔵堂を当地に移して法華堂としたことに始まり、大聖人よりご直筆の御本尊・
ご愛用のお袈裟・お数珠の三箇の霊宝と共に「長谷山本土寺」の寺号を授かった事により開山と致します
また当平賀の地は平賀家の三兄弟、すなわち日蓮大聖人の直弟子で師孝第一の日朗聖人、京都弘通という日蓮大聖人の遺命を全うされた日像聖人、そして池上・比企ヶ谷両山の第三世である日輪聖人の三聖輩出の聖地でもあります


仁王門


弁天堂








本堂






紫陽花寺で有名です





松戸散策  ①東漸寺

2020-11-15 18:06:11 | 日記
歴史会で松戸の東漸寺・本土寺・戸錠邸へ行ってきました

小金宿
現在の千葉県松戸市小金にあたる。中世において小金城の近くまで迫っていた太日河河岸からの城下に向かって形成された小金宿(こがねしゅく)を原点として、水戸街道の整備とともに宿場町を形成していったと考えられている。宿場は南北に約1キロ程度の範囲に広がっており、北端で屈曲して東に向きを変えている。屈曲点からは更に北に本土寺への参道が伸びており、追分の石がある


佛法山 東禅寺(とうぜんじ)
〒270-0014
千葉県松戸市小金359
TEL 047-345-1517
東漸寺は、今から約540有余年前の文明13年(1481)、
経譽愚底運公上人により、当初、根木内(この地より1キロ北東)に開創いたしました。
この後約60年後の天文年間、現在地に移され、江戸初期に関東十八檀林の1つとされた名刹です
檀林となった東漸寺は、広大な境内を持ち、多くの建物を擁するようになりました
大改修が成就した享保7年(1722)には本堂、方丈、経蔵(観音堂)、
鐘楼、開山堂、正定院、東照宮、鎮守社、山門、大門その他8つの学寮など、20数カ所もの堂宇を擁し、末寺35カ寺を数え、名実ともに大寺院へと発展しました。明治初頭に、明治天皇によって勅願所(皇室の繁栄無窮を祈願する所)となりました
江戸時代に幕府の擁護を受けた東漸寺も、廃仏毀釈等で、神殿、開山堂、正定院、浄嘉院、鎮守院などの堂宇を失ってしまいました また、学寮およびその敷地は、地域青少年の育成のために寺子屋として利用され、後に黄金小学校(現・小金小学校)となりました






紅葉すると綺麗です                              HPより写真借用