建設社長の独り言

やはり気持ちの押し付けだったのか?

 ひと昔程前に中学の、同級生が逝った事があった。
私はそんなに懇意にしていなかったが、中学卒業以来遠くに行ったきり一度も逢っていなかったが、何となく懐かしくて、頼まれしもしないのに勝手に遺族に香典とお手紙を書いて送った。だが待てど暮らせどお礼の連絡も貰えず現在に至っている。
 私は中学卒業以来地元に残り仕事場としても地元に残っているため頼まれもしないのに同級生の動向とデータ作りも行っている自称幹事である。
私は子供の頃より、何かして貰ったら「ありがとう」の一言は必ず返すんだよとの環境で育っていたから、この事が不思議で今もって心に蟠(わだかま)りとして残っている。
 勝手にやった事だから何も言えないが、そうではないだろうとの一方の心が常に片隅で囁いていて無性に寂しくなっている。逝った彼の今は亡き親父と同じく亡き我が親父が同級生だったから余計にその心は増幅して苦しい。もちろん逝った彼の環境を考えれば無理もない事と解かってはいたが、何となく寂しい限りである。でも落ち着いて良く考えればやはり気持ちの押し付けだったのかとの思いが取れないのである。
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