お盆、すぎちゃいましたけどね^^;
まんま、どっかのサイトのパクリ、というわけではないです。
般若心経BLOG?
MY 般若心経
<導入部>
舞台は霊鷲山。お釈迦さまは、普段はここで聴衆に対して説法をお行ないになるのですが、この日に限って、お釈迦さまはいつまでも静かに瞑想に入ったままです。
粛然としたその場で、お釈迦さまの瞑想に感応するかのように、聴衆の一人である観自在(かんじざい)という名の菩薩(修行者)さまも瞑想に入ります。そこで観自在菩薩は、『大いなる知恵の修行(般若波羅蜜多:はんにゃはらみた)』を完成するに至りました。
そこに居合わせたお釈迦さまの弟子、舎利子(しゃりし:シャーリプトラ)は大いに驚き、観自在さまのもとに近づいてお尋ねになりました。
『どうか後学の者のためにお教えください。今あなた様には、何がお見えになるのですか?またどのように修行をすれば、その境地にたどり着けるのでしょう?』
はい、こっから先が、いつもの「かんじーざーぼーさつ、ぎょうしんはんにゃー云々」です。
↓
観自在様は、『大いなる知恵の修行』を完成するにあたり、我が身は五蘊(ごおん)※ で表すことが出来るが、その五蘊は空である(何もない)、と照見するに至ったのでした。
観自在様はいいます。シャーリプトラさん、この世の物事には実体がないのです。実体がないからこの世は移り変わりつづけるのです。
実体がないとはいえ、何もない、というわけではありません。この世のすべての物事の周りには、空なるもの(スペース)が存在しているといえます。そのスペースをして物事である、ともいえるのです。あなたの感覚、それを知覚すること、意思を働かせること、認識すること、それらもみなすべて空である、と私には見えるのです。
シャーリプトラさん、この世の因果はすべて空であるように見えるのです。何も生じず、何も滅せず、何も汚れず、汚れないという事もない。増えもせず、減りもしないのです。
シャーリプトラさん、それゆえに、この空の中では、物質もなく、感覚、知覚、意思、認識もないのです。
目もなく耳もなく、鼻も舌も体も、心もなければ、見ることも、聞くことも、匂うことも、味わうことも、触ることも、感じることもないのです。
目に映る世界もなければ、感じる世界もないのです。悟りもなければ迷いもなく、悟りが尽きることもなければ、迷いが尽きることもありません。
そして老いることもなければ、死ぬこともありません。老いと死が無くなることもありません。苦集滅道の四つのことわり※でさえも、この空の中には存在しないのです。
ですから、悟りに至るということも無ければ、得ることもありません。
そして、シャーリプトラさん、その何も得ないということのために、私たち修行者の唱える、この大いなる知恵の修行である般若波羅蜜多のご真言によって、心にさまたげがなくなるのです。さまたげがないから、恐れもないのです。
そして誤った考えから遠く離れ、永遠の平安である涅槃に入ることができるのです。
現在・過去・未来の三世におられます御仏さまは、この般若波羅蜜多のご真言により、すばらしい究極の涅槃(アノクタラ・サンミャクサンボダイ)にたどり着く事が出来たのです。
それでは、シャーリプトラさん、そのすばらしい般若波羅蜜多のご真言を、あなたに授けることにしましょう。
これは大いなるご真言であり、大いなる覚り(さとり)のご真言であり、この上ないご真言、比べるものなきご真言なのです。
この一切の苦しみを取り除くご真言は、偽りもなく、真実であると知ってください。それが、般若波羅蜜多のご真言なのです。
ではそのご真言を申し上げます。
ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラサンギャテイ ボーディソワカ
<結部>
それを聞いていたお釈迦さまは、観自在さまに向かって「すばらしい!」とお言葉をかけてくださいました。「すばらしい。すばらしい。シャーリプトラよ、その通りであるぞ。その通りであるぞ。観自在の言ったように、この『大いなる知恵の修行』を行なうべきである。如来も喜んでいる。」とおっしゃいましたので、シャーリプトラも、観自在様も、ほかの聴衆たちもみな、お釈迦さまの申されたことを褒め称えたのでした。
※五蘊(ごおん)・・・色(しき):この世に見えることがら、受(じゅ):それを感じ、受け止めること、想(そう):それを自覚すること、行(ぎょう):それに意思を働かせること、識(しき):意志を働かせたと認識すること・・・花が咲いている(色)のを見つけて(受)、これは花だと感じ(想)、採って帰りたい(行)、これきれいだなあと感じる(識)、世の中のこの一連の動作を五つに分解したものです
※苦集滅道・・・仏教の基本の教えとされているのだそうです。
①苦(く):世の一切は苦であるということわりです。八つの苦があります。人生の苦悩の根本である、生きること(生)、老いること(老)、病にかかること(病)、死すること(死)の四苦、愛別離苦(あいべつりく):愛するものと分かれることの苦しみ、怨憎会苦(おんぞうえく):嫌な人とでも会わなければならない苦しみ、求不得苦(ぐふとくく):欲しいものが手に入らないことの苦しみ、五陰盛苦(ごおんじょうく):人に元来備わる好奇心旺盛であるが故に生まれる苦しみ、これらを合わせたのが『四苦八苦』なのだそうです。
②集(しゅう):苦の生まれる原因をさかのぼると、渇愛(かつあい):むさぼるほどの欲望にたどりつく、ということわりです。
③滅(めつ):その渇愛さえ断ち切ることが出来れば、苦も消滅するということわりです。
④道(どう):苦を滅するために、『八つの正しい道(八正道)』がある、ということわりです。八正道とは、正見(しょうけん):正しく見ること、正しい見解をもつこと・正思(しょうし):正しく考えること・正語(しょうご):正しく言うこと、真実を語り有益な事を言うこと・正業(しょうぎょう):正しく行動すること、善行をすること・正命(しょうみょう):正しく生活すること。規則正しく生活すること・正精進(しょうしょうじん):正しく理想に向かって努力すること、の八つをいうのだそうです。