略さんち

そんな時代もあったよねー的なブログ

ブログシューター翔?

2005-09-17 | 雑記
今、あれですか?

ブログシューター翔を記事にすると、アクセスあがるんですか?
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議論できる人、できない人

2005-09-17 | 雑記
今年に入って、いわゆる「議論したい人」のお話を聞いているうちに、どうやら、議論できる人とできない人、2タイプいるということが分かってきました。

A「俺、朝は毎日納豆に味噌汁だよ。納豆サイコー!」
B「あー、あたしも納豆大好きー。ねぎとか入れるとおいしいよね!」
A「だめだよ。納豆にねぎ入れるなんて邪道。」
B「えー、おいしいのにー。」
C「は?納豆なんて食べれたもんじゃないじゃん。あんなまずいもののどこがいいんだよ。」
A「え?だって納豆うまいじゃん」
C「うまくないよ。腐ってるんだぜ。」

という会話が交わされているとします。

この場合、「納豆はうまいかどうか」「納豆にねぎを入れるかどうか」について話し合われているのであり、

「納豆を食べる人をどう思うか」
「納豆にねぎを入れる人をどう思うか」

について話し合われているのではありませんね。

議論に向いている人というのはつまり、
「自分が納豆を好きである」ということと、「納豆を好きな自分」、また「相手が納豆を嫌いである」ということと「納豆が嫌いな相手」を分けて捉えています。

議論に向いていない人には、“攻撃特性を持っているため向いていない”人と、“異論を受け入れる特性を持ち合わせていないため向いていない”人の2種類があるようです。

攻撃特性を持っているため向いていない人というのは、本人は無意識なんでしょうけど、「相手が納豆を嫌いである」ということと「納豆が嫌いな相手」を混同し、人格攻撃を始めます。
(例)「納豆が好きな人の気が知れない」「納豆が好きな人はおかしい」

これについては気をつけていただくしか方法がありません。きちんと分けていらっしゃる方も多くいますので。異論反論、堂々と書くのは大変結構ですが、人格を攻撃するのは、ほんとにその人となりに問題があるとしか言いようがないときだけに限ったほうがいいですよね。

受動特性を持っていない人は、「自分が納豆を好きである」ということと「納豆を好きな自分」を別なものとして考えていません。おそらくは、「納豆を好きな自分が好き」なんだと思います。自分の好きなものを反論されると、そのまま自分が悪く評価されたと受け止めてしまいます。

これ、僕もそう感じる人なんですけれど、「議論が好きな人」に言わせると、この時点ですでにだめなんだそうです。これを直すには、理解者の手助けと医者の協力が必要だとのことでした。

この手の人に共通した反応の仕方がいくつかあるそうです。
『いつも交流している親しい間柄の○○さんに言われるのならともかく、名無しのお前にそんなことを言われる筋合いはなーい!』と憤慨する人。相手がどうとか言ってる時点でダメだそうです。根本的には受動特性がないが、言われた相手が親しい人だから、権威のある人だから、あるいは女性だからとかなんとかそういう理由で、傷つかないようにキャンセルできるスイッチを心の中に設けているわけです。僕もこのタイプです。

『それはあなたがそう思っているだけでしょう?』と反論する人。いわなくてもよいことなのにこういってしまう時点でダメだそうです。こう発言する前の段階で、相手が発した反論で自分の自分自身に対する評価が揺らいでしまっているため、そうではない(つまり、自分の信じたものは間違っていない)ことを強調したいがためにあえて『それはあなたがそう思っているだけでしょう?』と発言していることになります。自分の評価に絶対的な自信がある、つまり自我が確立されている、而立している人は、そもそも何を言われたところで“自分が自分自身に抱いている評価”は変わらないそうです。

『まあ、ひとそれぞれですから』とお話をオシマイにしちゃう人。これも同類だそうです。それ以上の話を望まないがゆえに、あえて話さなくてもいい、書かなくてもいい、それでおわっちゃう「ひとそれぞれ爆弾」を投下して議論を終結してしまうんですね。

自我があやふやで、何かを信じるあるいは誰かを信じる、そしてそれに依存し、その上に自分自身を置いている人、たとえば自分の乗っている車を否定されて怒る人、自分の彼女の悪口を言われて怒る人、そういう人は、「議論できない人」に分類されるようです。
コメント (27)
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詭弁

2005-09-15 | BLOGについて?
世の中には、検索トラックバックが嫌だという人がいる。最近そういうエントリが多いようだ。しかし考えてみて欲しい。もし届いた言及なしトラックバックが非常に有益なものであったらどうだろうか*1。悪い気はしないと思う。

そして時には、そういった言及なしトラックバックからはじまる交流だってあるかもしれない*2。最初はTBありがとうございま~すなんて感じで訪れる人も、数ヶ月であなたのブログの熱心な読者にならないとも限らないはず*3だ。

アクセスアップしようとしていることが見え見えというが、誰しもそうではないだろうか。大体、ブロガー自身がアクセスアップに興味ないなんて思うわけがない*4
なにしろブログ界では、ブロガー同士の交流を深めるために、言及のあるなしを問わずトラックバックは積極的に活用すべきという見方が一般的*5だ。

また、トラックバックを多用するとSEO的見地から検索エンジン利用者にとって不利益だという意見がある。しかしこれを最初に言ったのは、検索エンジンを改良できずにヒーヒー言ってるエンジン提供会社だ。彼らが画策したネガティブキャンペーン*6に踊らされているだけだということに気づいて欲しい。
こうして傍から見ていると、「なにトラックバックごときでマジになってんの?こいつら。」というのが率直的な感想*7である。
言及なしトラックバックはうざい?アクセスアップ厨は消えろだと?そんなこと言うのは、自分がせっせと築いたアクセス数を、他人に取られたくないだけに決まっている*8。もっと現実を見よう。いまどきのブロガーなんて、どんどん新しいトラックバック企画にチャレンジしている。人の批判ばかりで建設的なことが書けないのは、社会に出ていない証拠*9ではないだろうか。

それでもトラックバック厨がうざいというのなら、そんな機能不全のサービスはさっさと辞め、トラックバックを認可制にできる、自分で自分の納得のいくブログエンジンを作る*10事をお勧めしたい。
ここ数日、そんなこんなで言及なしトラックバック否定論者のブログを巡回したのだが、そもそも言ってることが理屈っぽすぎて最初の2行ぐらいしか読めなかった。改めて聞きたいのだが、そもそもなぜ言及なしトラックバックがいけないのか、3行以内で説明してもらえないだろうか*11

言及なしトラックバックを禁止している人は、それをサイトのトップに、誰にでも理解できるように書いてあるのだろうか。そもそも、数多あるブログポータルの利用ガイドなんかに、『そういうブロガーもいますからよく注意しましょう』なんて書いてるのだろうか。僕は見たことがない。それ以前に、ブログがそんなものを読まなければ使えないようなツールであるならば、ブログの今後に未来はない*12といえる。
知り合いじゃない人からの言及なしトラックバックにいちいち反応して、やれスパムだスパムだ、と返している人を見た。それはいかがなものか。個人がアクセスアップだけを純粋な目的として送ってきたトラックバックは、スパムの範疇ではないだろう。もっと勉強したほうがいい*13と思う。

結論。ブログにトラックバックという仕掛けがある限り、無断リンクを禁止出来ないのと同じで無断トラックバック禁止なんて出来ない。当たり前だよね*14。わはは。

ところで、むだづかいにっきってランキング非公開なの、知ってる*15


*01:[事実に対して仮定を持ち出す]
*02:[ごくまれな反例をとりあげる]
*03:[自分に有利な将来像を予想する]
*04:[主観で決め付ける]
*05:[資料を示さず自論が支持されていると思わせる]
*06:[陰謀であると力説する]
*07:[知能障害を起こす]
*08:[レッテル貼りをする]
*09:[自分の見解を述べずに人格批判をする]
*10:[ありえない解決策を図る]
*11:[決着した話を経緯を無視して蒸し返す]
*12:[新しい概念が全て正しいのだとミスリードする]
*13:[細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる]
*14:[勝利宣言をする]
*15:[一見関係ありそうで関係ない話を始める]

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むだづかいにっき♂:くたばれ 検索トラックバッカー
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