海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

上から目線を嫌う人

2008年11月03日 | Weblog
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」について昨日、日記に書いた。
その続きを今日書く。と言っても昨日の分は削除してしまったけれど。

今、テレビで森三中の村上知子さんらが口にしていたワード。
「上から目線」に、私のアンテナがぴぴっと反応した。
三人組のお笑いさんの彼女たちの、誰が上で誰が下か、傍目には分からない。
しかし彼女たちは、お互いに「上から目線」の物言いを拒む。
「あら、そう言うあなたこそ、上から目線じゃないの」といった具合に。

これである。
今、どんな人も「上から目線」の物言いに反発する。
年上の人だろうと、先輩だろうと、上から目線のアドバイス(そう、このアドバイスというのを特に嫌うようだ)をとても嫌がる。
プライドばかりが肥大した人々が増えたのも、たぶん同じ理由からだろう。
多くの人は他人による支配を嫌うのである。
いかに未熟であっても。
例えば相手の弱点を探して(そんなことは簡単だからね)、相手を引きずり降ろして、同じ地平に立とうとする。
自分の経験からよく分かる。
その人が未熟であればあるほど、その未熟なプライドを守ろうとするためか、上から目線のアドバイスを拒否する。
どうも自分のすべてを否定されたと勘違いするところがあるみたいだ。
未熟なプライドとは、そういうことだよね。
現実の自分を受け入れ難い。
あるべき高さに自分がいないことが、逆にプライドを肥大させる。

私が昨日ここに書いて削除した文章は、今日ここにまとめたことで足りる。

あまりの相手の未熟さについお節介をしてしまった自分への不愉快な気分。
いや、それを相手が受け入れていれば、不愉快な気分にはならなかった。
相手が拒んでいることに気づかぬままお節介をしたことで、おしゃべりはキャッチボールとはならず、一方的な、割れたかめに水を注ぐがごとき事態になったということ。
このあたりが私の不快感の主な原因だろう。
人と話して、コミュニケーション不可に陥ると、とても疲れる。
まあ、私に反省すべきところがあるとすれば、話している間に相手の拒否を察知すべきだったというところくらいだろう。
そのほかは、自分に「ご苦労さま」と言ってやろう。

いずれにしても、その人は今自我構築の途上にあるわけだ。
であればこそ、「上から目線」を嫌うだろう。
反抗期の子どものように。
しかし半世紀をこえて生きてきたことが仇になった。
反発を表に出すのは自分にとって不利益であると学習した結果だろう、さも相手のアドバイスを求めているかのような振る舞いをした。
善意はときに野暮である。
私の中の善意の人が、ここにまんまと乗っかった。
まったくね。
なかなかしたたかな人ですよ。
聞き出すだけ聞き出して、肝心要のところは拒むんだもの。
近ごろ、ハウツーだけを求める人が多いという世間のムードと、似たものを感じる。

いずれにしても、おかげですっきり。

「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」とは、反発し拒否する心を表に出さない相手と、上辺だけの会話をした結果、コミュニケーション不全に陥ったことによったのだ。

「上から目線」をきっかけに、ちょっとだけ考えた朝。
これからまたテープ起こしだ。このところ忙しいな。

穴のあいたかめ

2008年11月03日 | Weblog
昨日の日記を削除しました。
でも、
「穴のあいたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」
を感じたことのみ、
書き残すことにしました。

娑婆の風

2008年10月31日 | Weblog
もう10月も終わり。
あっという間の10月だった。
人の出入りがあると、このように私はブログを更新する時間がなくなる。
どうしてもしなくてはいけないことを優先すると、当然だけど。
とはいえ、ずいぶんブログには助けてもらっている。
時間ができたら、またゆっくり書き付けようと思う。

妹夫婦が母を連れてきてくれたおかげで、集中親孝行ができた。つもり。
わが夫さんも、今回は完璧にもてなしてくれたね。
その後、バラの咲きが悪いのでご機嫌がいまひとつ。
相手が私だけとなると、正直に表情に出る。
それでも私は言い続ける。
「なんか、怒ってるの?」
すると彼は見事に、不機嫌を返上し、マナーがよろしくなる。
そう、夫婦間でもマナーは必要なのよ。
彼に問いかける一言が大事なようだ。
おっそうか、自分は今不機嫌な顔をしているのか、と気づかせる役目である。
しょうがないわ、まただ、なんて諦めて放っておいては、問題は先送り。
親切に言ってそしあげるべきなのである。
もちろん、言葉を発するということは、反撃の可能性も予測しなくてはいけない。
ねえ、なかなか緊張感のある暮らしでしょ、老夫婦にしては。
ほどよい緊張と弛緩、これが理想。
そういう意味では、外の世界から、つまり娑婆からの訪問者は大歓迎だ。
娑婆とはやはり若さに価値を置く社会であるらしい、なんてことを改めて知るしし機会だから。
とにもかくにも、今日、明日と、まだ忙しい。
夫のバラの展覧会である。
そりゃう協力しなきゃ。
私の母たちにあれだけやさしく接してくれたんだからね。
なので、ゆっくりブログは、もう少しあとで。

不測の事態に対応する能力

2008年10月18日 | Weblog
自己チュー人間は、ボケと鬱へとひた走る!?

年を取ると体が硬くなるのはどなたもご承知のとおり。
しかし硬くなるのは体ばかりではないぞ。
そう、脳ミソも固くなる。
老人性の抑鬱とか、痴呆などは、私に言わせれば固くなった脳の段階の違い。
(相変わらず大ざっぱですみませんが)
老人介護の経験もないまま自らの老いに直面する日々を送っている60歳の私。
その母が80歳で、なかなか元気にしている。
しかし本人の申告によると、どうも最近抑鬱に傾きがちのようだ。
時間を守るとかの事柄がやけに気になる。
悲観的になり、自責傾向が強くなっている。
具体的な話を聞いていると、ははあんと思い当たった。
近々、妹夫婦に伴われて(一人で来るのは不安だと言う)わが家へやってくる。
これはチャンスとばかり、おいでいただいた上で親孝行する予定。
私にできるのは、脳のマッサージだ。
で、先ほど気づいたことを実行に移す。
つまりね、年老いた人は、道を歩いていても、車を運転していても、常ならぬ状況の前にパニックになるでしょ。
思わぬ障害物につまづいて転倒したり、飛び出してきたウサギをよけられず崖下に転落したり。
これはね、やはり不測の事態に対処する柔軟さが失われているということ。
体ももちろんだけど、やっぱり脳。
イレギュラーな事態に対応するのはいつだって簡単ではないけれど、年を取るまま放っておくと深刻な状況が訪れる。
母の抑鬱というのか、気にしすぎというのは本人もやや過ぎていると感じている。
話すことより聞くことのほうが、脳をよく使うと聞いたことがある。
なぜなら、話を聞くためには、いつも自分が使っている脳の範囲を超えることが多いからだ。
つまり脳の行動半径が広がる。
逆に話すことは、自分がいつも使っている脳の部分を何度も叩くようなもので、広範囲に活性化することにはならない。
新規な出来事、不測の事態を適度に生活に織り込むことが、脳の機能低下の予防になるというわけだ。
適度、というのが難しいと反論されそうだな、うちの母親に。
例えば母は自ら老人会の班長を引き受けた。
当時はしゃきっとしてなかなかいい、と言っていた。
ところが抑鬱に傾くと、良いような悪いような、だと言う。
少し負担がかかり過ぎているのかもしれないが、母には期待しよう。
呆けたくない、寝たきりになりたくない。
そう言い募る母に提案をしようと思う。
気ままな独り暮らしの母ではあるが、出かけていく先々で交友はある。
しかしどうもこの手の交友、一定の時間だけ集まってじゃあね、と別れるアソシエーション的な交友は、自分に都合のいい脳を使うことに終始しがちである。
歩き慣れないはじめての道を歩く、ことにはならない。
母の愚痴を聞いているとと、そのあたりがよく見えてくる。
忙しい妹に頼りたいのは分かるけれど、どこまで頼るべきかのさじ加減がわからない。
忙しい妹にはメールを送り、自分が頼みたいことのぎりぎりを依頼して返事を待つ。都合がつかないときはそれなりに対応する。切羽詰まった用事は別。
このくらいのマナーは親子でも持ちたいものだ。
私が妹に対してやっているようにね。
このことを母は「あんたも気を遣ってたいへんだねえ」と言うけれど、全然。
この程度のことで気を遣うというのは、ちょっと違う、いや大いに違う。
生活のリズムも違うのだから、配慮はあって当然なのである。
相手の出方にあわせて柔軟に対応するというのは、やさしいようで難しい。
自分はここまではやるが後はいかようにも、というゆとりが必要だからだ。
お金にはゆとりがないが、時間にゆとりがある私は、時間はいくらでも相手に合わせるとかね。
自分が主体となって周りをコントロールして生きてきた人ほど、このやり方は難しいのだろうか。
聞く能力をむしろ育てたほうが、人間関係うまくいくんじゃないか。
今の人はとにかく表現したがる。話したがる。人のこと言えない。私もしゃべりたがり、自慢したがり。
だけど一歩引いて考えると、しゃべりたがりの人にしゃべらせて、しかもきちんと聞くという作業を続けると、かなり脳は達者になる。
そう考えて、自分のエネルギーを「聞く」役割に少し注ごうかと思った。
母の老いを見ながら自分の老いの準備、ということ。
もちろん、母が来たらそのあたりの話もしてみようと思う。
新規なものに好奇心が強い母である。
きっと抑鬱気分を解消する何かを感じてくれるだろう。
遠く離れて妹に母をまかせっきりだけれど、私にもできることはあるのよ、というお話でした。

不測の事態に対応する能力を身につけるには、自己チュー返上が一番!
おわかりかな?
これって、年寄りだけの話ではありませぬぞ。

追伸。
それにしても、自分で地図を描く能力もたいしたものだと思うけど、それ以前の、荒れ地をかき分け道を作っていったご先祖たちのことを思うと、道なき道を歩く能力というのはそれ以上なのだとつくづく思う。だから簡単ではないのよね。

闘争心の行方

2008年10月17日 | Weblog
ブログは記録でもあるので、書き留めておきたい。
カラオケで泣いた事件以来、私は久しぶりに夫と腹を割った話をした。
いろんなアドバイスが耳に残っていて、あまりに近すぎる関係はまずいとばかりに、夫と一定の距離をとることにしていた。
つまり何でもかんでもしゃべらないとかね。
一心同体ほど恐いものはない、という話も納得だし。
だからと言って、話せることも話せず疑心暗鬼を内に秘めて暮らしているのは馬鹿馬鹿しい。
まあそんなことを考えて実行に移したというわけではないのだけれど、この数日でずいぶん話をした。
そして分かったことがいくつかある。
夫は私が彼を怖がった一件のディテールを覚えていなかった。
サルサのことは一言も言ったことがないと言いきった。
そんな。サルサのことから蛇か蝎になったような嫌がらせを言ったこと、忘れたの。
そう、忘れているのである。
彼の中では、今後一切私がフィットネスに行くことに関して何も言うまいと決めた、という自分の決意としてのみ残っていた。
それは彼の記憶の隠蔽だから、はっきりそう言ったけど、彼が納得したかどうかは分からない。
ただ私が彼を怖がっていることは分かっているらしい。
そのことが彼と私の生活に暗雲を招く。だから彼は私のフィットネスに関しては「見ない言わない聞かない」に徹しようと決めたのだ。
その態度こそが私に恐怖につながる何かを直感させるというのに。
サルサの件で別人になったことを、夫自身が分析していた。
その数日前、彼はバラの会に突然乱入してきた60歳の男に闘争心をかきたてられていた。
乱入といっても、殴りかかったわけではない。
ただ夫の自尊心を傷つけるやり方で接近してきたのである。
リタイアして間もない男の側にもそうなる理由があった。
海辺で静かに隠遁生活を送っている彼の前に現れた中年男。
退職したばかりで身の置き場に困っていた男は、現実の社会をひっさげて夫の前にやってきた。
夫の闘争心に火がついた。
社会にあって常に闘う人であった夫の闘争心は半端じゃない。
この男は、その後グループから「正当なやり方で」はじき飛ばされてしまった。
正当なやり方で、というところが夫の凄腕である。
そのような闘争モードにあったから、私にとばっちりがいったのだろう。
夫はそのように妥協案を提示した。
私はそれを呑んだ。
そんな感じはしなくもなかったしね。
それに夫は私を怖がらせるようなことはするまい、と努力している。
闘争心に火がついたおかげで、彼は半歩ほど社会に身を乗り出して活動を始めた。
それも私への異様な嫉妬あるいは執着を緩和することになった。
だから私はこの人を見直したのである。
なかなかやるじゃない。
ところが、先日わが家を訪ねた友人は、どうも私の話を信じていない様子である。
私のほうに問題がある、と見ている節もある。
彼女の現在の立ち位置からしてそうだろうなとは思う。
娘にしても、夫がそういう性格と分かっていてサルサをやるなんて言うから、と言い放つ。
私としてはここで「サルサ」が必要だったと言うしかない。
サルサをきっかけに彼の怖さを今一度味わわなければならなかった。
そして再度ノーと言う必要があったのだ。
自分の「爆発」がどれほど人を恐怖に陥れるか、夫は知る必要があった。
先日来の話のなかでは、そのあたりを冷静に見ていた。
彼が一旦「敵」とみなした相手には、たとえ女性だろうと氷のような態度で接する。無視することも厭わない。徹底しているのである。
「そんな年をとった人に、きつく言わないでね。あなたが怒ると怖いんだから」と私が言うと、少し抑えるふうが見えるようになった。
私の言い分(私から見た彼)を少しであれ認め、受け入れているようである。
半年前の事件の収穫である。
その一件のとき、私はくだんの友だちに電話をした。
もう滅多なことでは電話しなくなって久しいが、このときばかりは助けを求めた。
「ウソをつくな、ごまかすな」と詰問され、冷たい拒否にあい、ほとんど殴られ続けたようなダメージを心身に受けた。
この状態を、私は夫の豹変に脅えたと言い、おそらく夫は妻がヒステリーを起こしたと言うだろう。
見方というのはそういうものだ。
しかし「怖い」と感じた私は、現にここにいる。
それが間違っていると言われて、人は生きていけるのだろうか。
かつて夫はそう言い募った。私が病んでいると決めつけた。
同じような見方を、じつは今回友人も娘もしたように思う。
今の私がとても明るく快活だから。
現在の夫がやさしく柔和だから。
あの一件について娘は言う。
「母さんが抜けているからだよ」
友だちは…。
そこここでもらした言葉をまとめると、どうも「何ぜいたく言って」というところだろうか。
この反応は、私自身おぼえがある。
人のことは言えないのであるが。
じつは助けを求めたくせに私は彼女に「その後」の説明をしなかった。
電話で聞いた話の端々から分かってもらえないな、と感じたからだ。
しかしその一件のあった翌日にたまたま会った地元の友人は、私の様子の変化に驚いたと言う。
彼女を証人としなくては、私自身が崩れていく。
周りの誰もが私の感じた恐怖を否定するとしたら。
私は狂うしかない。
だから証人がいる。
そういうことは現に起きたのだから。

一人の人間に寄り添うのは難しい。
知らず、自分の価値観で相手を裁いてしまうのが人の常である。
苦境にある人を目の前にしたとき、評価や裁定の目で見るより、寄り添うのが一番だと実感する。

今回は意外なところで夫が私に寄り添って見せた。
友人はカウンセラーではあるけれど、あえて評価の目で私に刺激を与えた。
そういう意味のある人々との出合いで私は今ここにいる。

夫の自尊心の憤怒、あるいは闘争心の爆発、その行く末やいかに。

偉そうな女、の理由。

2008年10月17日 | Weblog
暇な女はしゃべらずにいられない。
愛さずにいられない、なんて歌があったよなあ。
レイチャールズやプレスリー。
わが夫の十八番はプレスリーのほう。英語で書こうとしたがコンマ?が見つからないのでやめた。
やめられない止まらない的タイプであるから、私。
私と夫は12歳も年が離れている。
それなのに、いやそれだから(だろうな)、私は彼に負けじと突っ張りたい妻、のようである。
彼も負けず嫌い、だから私も負けず嫌い。
相手が張り合わなければ、こちとらだって張り合わない。
攻められる恐れが皆無ならこちらから戦争したりはしないものだ。
何ごとも相手あってのもの。
このごろ思うけれど、私の相方はたしかに私の何十倍も勉強した人だ。
体を壊すくらい勉強したみたいで、知識の集積は見上げるばかり。
歴史、特に現代史など私は全く歯が立たない。
仕事にしても半端じゃない精進をした人だ。
そのあたりは認めている。
ただね、少々過去の栄光自慢する癖がある。
自己顕示というのか、「俺が俺が」が目に余ることがある。
彼の過去の仕事や努力を消してしまうほどではないが、まあがっかりなのだ。
しかしこの「俺が俺が」は、ある種の人には魔法のように効果がある。
「スランプは?」と記者に聞かれて「悪いことが起きたら人のせいにするタイプだからない」と言ったノーベル賞学者のようであれば、私は得心がいく。
自慢話にはオチが必要だと思うから。
悪いことが起きたら人のせいにしがちな人なのである。わが夫も。
しかしノーベル賞の方と違って、自分をクールに突き放して見るということがない。
ノーベル賞さんと比べるなんて、私の要求レベルが高いの?
そんなことはないよね。
ノーベルさんでなくとも、自分をクールに見る目を持っている人は多い。
お笑いの人たちはそういった知性を持った人たちじゃないのかな。
私なりの知性の定義は、自分を突き放して見るもう一人の自分を持っていること、のようである。
今思ったので、ようである、である。
で、何の話?
そうだ、私が「偉そうに」したがるわけについて。
夫が「偉そうに」私を従えようとするから、私もどこかで「偉そうに」したくなるのである。
周りを見渡して偉そうにしたがる女性がいたら、まあだいたい年の離れた亭主がいると思うわ。
偉そうにされた人は、自分もそうしたくなるの。
そうう相手を必要とするのよ。
だってバランスとれないでしょ。
いつも「参りました」ばっかりやっているとね。
いつだったか精神科医の小田晋さんが言っていた。
「お笑いのボケのほうがストレスかかるでしょうね」と。
たとえバカなふりであっても、人の自尊心というのは苦しむのである。
そう、何を書きたかったかがわかったぞ。
自尊心ってね、死ぬまで残る最後の砦。
砦というと聞こえがいいけど、じつはとても厄介な代物だったりする。
ほんと、豊かな時代になって自尊心もダイエットが必要なのかもしれないね。
みーんな、自尊心肥大だと思う。
私もその一人だから、「偉そうに」したいのだ!
ちぇっ、この厄介な自尊心め。
なんて言うと、この自尊心くんは怒るのよねえ。
自尊心の怒りは、怒りなんてもんじゃない。爆発だよ。
爆発するからゲージュツも生まれ、犯罪も生まれる。
ああ自尊心!
昔「ああ結婚!」という映画があったな。

というわけで、私のブログ日記は自尊心調整装置。
当分止められそうにない。
私の自尊心は死ぬまで共に生きるつもりのようだから。

知性って可愛くないのよ。

2008年10月15日 | Weblog
知性って何?てなことを、高く昇った太陽で下半身浴をしながら考えた。
考えたからって、結論が出るわけではない。
思ったのは、「考える」にしろ、「読書」にしろ、暇がないとできない。
生きるのに忙しい人は、本を読んだり、哲学したりする暇はない、と言うかもしれない。
目の前の仕事をこなすのに精一杯、あとは酒でも飲んで寝るしかない。
仕事とは穴を埋めることだ、と養老さんは書いていた。
現実に今穴があいているところを埋めること、それが仕事だ。
自分はこんな仕事がしたいだの、こちらから求めるものじゃないとね。
大学までは自分の適性や好みを考えて選んでいた若者が、いざ就職となると切り替える必要に迫られる。これがなかなか出来ない人が多いみたい。
30までは自分の夢を追いかけてよし、とパラサイトを許している親も多い。
バンドをやりたいとかダンスをやりたいとかの自己表現の類ね。
先日テレビで高学歴難民の話が出たが、40近い大学院卒の博士号を持つ男性が未だ非常勤講師で年収140万円という。
えええーっ?である。
まあ実家で暮らしているようなので食べるには困っていない様子。講義に必要な書籍を買うのにお金が足りぬとテレビが伝える。
総人口に対して高学歴の人間が増えたら、そりゃ満足できる収入を得る職はなかなか見つからないだろう。
それでもこの道で、正規の職を得るべく頑張るつもりらしい。
どう考えても、やはり首をかしげる。
食べるに困れば収入を得る方向を探るだろう。
それをしないで「大学教授」のポストをひたすらめざしている39歳。
その人の能力がどうとかの問題ではない。
(もちろん制度に問題があることは想像できる。それはそれで別に考える必要がある)
豊かになった日本では、こういう事態があちこちで起きているのだろう。
価値観も時代とともに変わっている気がするのよね、私は。
末は博士か大臣か、なんて、今や死語じゃないの、と私には思える。
たとえば、自分がやりたい仕事についてはオファーがない、ならば無給でもいい、安い対価でもいいから研究(理系はなかなか難しいのかな)しよう。一方でお金がほしいのなら、お金を出してくれる仕事に就けばいい。
このような柔軟な思考ができれば、もっと違った労働環境が生まれるかもしれない。
金銭的な報酬が最高位にある時代は、そろそろ終わりにしようよ。
だって「報酬」ってお金だけじゃないからね。
お金以外の報酬のほうを、人は欲しているのじゃないかしら。

あれあれ、話が別のほうに行ってしまって。
生きるのに精一杯の人は暇など、余裕などない、と書いた。
大多数の人は学ぶなんて余裕はなくて走り続けている。
戦地にあって本を読む余裕はない、ということだ。
新聞記者はなぜ本を読まないか、というところから考え始めた。
わが夫がそうであったから。
あるイデオロギーの下で働くということは、自らに思考停止を命ずること。
企業戦士にしたってそうだ。
大学闘争のあと髪を切ってサラリーマンになったと、団塊の男たちは揶揄されるけれど、それだけのこと。
企業だって一定の方向をもって動いているのだ、批判ばかりしていては仕事にならぬ。
考える人、知的である人の多くは、窓ぎわにいる場合が多い。
権力闘争の真っ只中で闘っている人は、知的になる気がない。
忠実なる僕(しもべ)として生きることが、生存戦略上有利だからだ。

あーあ、こういう物の見方をする人間は、あんまり可愛くないな。
けどね、知性ってこういう場所から生まれてくるんじゃない?
知性って可愛くないものなのよ。

突然ぶちっとちぎれたみたいで申し訳ないけど、これでおしまい。

もう本気で日記を書くのやめようかと思っているのよね。ぶっちゃけた話。
暇だから書いているだけみたいでね。
以上。

コレクターを観た。

2008年10月10日 | Weblog
夜中に映画を観た。
隣に寝ている夫がごそごそと起き出したので目が覚めた午前2時。
夫がチャンネルを合わせたのは「コレクター」という古~い映画であった。
聞いたことのある題名だなあと思いつつ観る。
とても有名な、何度も映画化されたテーマではなかったか。
それも実際に起きた事件をヒントにしたものでは?
それはともかく、現代のストーカー殺人という病理の前駆症状を見せてくれるような映画だった。
映画人というか犯罪者は、一足先に時代を表現するもののようだ。
美しき美大生をクロロホルムを嗅がせて誘拐した男の異常性がこれでもかと描かれていた。

男が女を誘拐し、穴蔵に閉じこめる。
しかし閉じこめていることを除けば、見事に丁寧なもてなしで尽くすやさしい男である。至れり尽くせりである。
男は社会に適合できない自分を知っており、
ピカソの絵を間にして、世の中が認める価値というものに異議を申し立てる。
女とのコミュニケーションは、時にこういうかたちを取った。
「ぼく」を認めない母親に怒りをぶつけるように。
「ぼく」を認めない母親への愛憎相半ばする思いがあったのか。
社会に適応できないということは、社会が自分を認めないということだ。
男の自尊心は限りなく肥大していた。
最近そんな人間が増えたね。
男は片思いのストーキングを続け、思いを募らせる。
彼は女を所有したいと思った、たぶん。
だからさらった。
相手の自由を奪った上で、ひざまづく男。
相手が屈服の姿勢を見せるや、憎しみを爆発させる男。
お前は娼婦かと罵る男。
どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たようなシーンだ。
男は自分の思い通りになる人形であることを、女に求める。
人形はセクシャリティを持ってはいけないというのである。
あれこれのやりとりがあり、精神の均衡を失った女はついに死ぬ。
最後のシーンでの男の独白が秀逸。
「自分の失敗は高望みしたことだ。小賢しい女を選んだのが間違いだった」
そう言いながら次の標的と思われる看護婦の後を追う場面で、映画は終わる。

涙のドア

2008年10月08日 | Weblog
本日は八重粉さんの投稿です。

昨日わたくし、泣きました。
涙って、止めようとしても止まらないものですね。
わがまま放題で、言いたい放題。
感情も表に発散し放題。
もともと自由奔放、天真爛漫。
他人様からはそう思われているわたくしでございます。
我慢強いなどとは自分でも思っておりません。
でもねえ、昨日泣いたわたくしを振り返ると。
かなり堪えていたのでしょうか。
呑気に生きているように見える人も、
気丈に見える人も、
クールに見える人も、
いえ、そういう人に限って案外…。

どこで泣いたかって?
カラオケを歌いながら、です。
歌が歌えなくなるのですね。泣いてしまうと。
音楽が、いつも閉じられている涙のドアを開けたのでしょう。
そういつもは閉じられているのです、涙のドアは。
泣いちゃいけない、泣き言を言うまい、なんてしっかり鍵をかけていたなんて。
自分でもびっくりいたしました。
きっかけはあったのですよ。
例によって六さん、わたくしのご亭主でございますが、口論をいたしました。
喧嘩というのはどっちもどっちでございますから、売り言葉に買い言葉。
揚げ句わたくしの自尊心がいたく憤慨いたしましてね。
そういう感情の応酬があったのでございます。
怒りの度合いがわたくしの方が勝っていたのでしょう。
じきに鎮まった六さんのようなわけにはいかず。
歌っているうちに、こみあげてきたのでございます。
号泣などいたしません。
亭主の前で号泣するといったデモンストレーションの涙ではなかったのですから。
六さんに背を向けて、泣いているのを悟られぬよう必死でございました。
でも、やっぱりばれてしまいましたわ。
涙で声が震えますものね。
すると六さん、何を思ったか、おもむろに立ち上がり、肩を抱きにまいりました。
紳士でございましょう?
わたくしはするりと身をかわし、彼の手を払いました。
情け無用でございます。
あなたとは一切関係ございません。
「~飾りじゃないのよ、涙は~」中森明菜さんの歌も歌いました。
井上陽水の作る歌は、好きですね。
「煙が目にしみる」などは3回も歌ったかしら。
そうやって、夫婦でかわりばんこに歌いながら、わたくしは一人、わが身を愛おしみ続けておりました。有に3時間を超えて。喉が疲れましたわ。
いつもなら二人の思い出の曲「ケセラセラ」を歌うのですが、昨日はあえて封印いたしました。六さんもそれに気づいておりましたけれど。

今思いますに、わたくしの毎日が、役割に、つまり妻という役割や母という役割です、仕事も同じですよね、こちらに傾きすぎていたのでしょうか。
六さんの気に入るわたくし、に傾きすぎていたということでございます。
そうすることは、役割を演ずるわけですから、当然自然な感情はドアの奥にしまいこんでしまいます。
知らずさまざまなことを諦め、恨み言ももう言うまいと心に決め、六さんの妻に徹している日々だったのでしょうか。
それなのに、
とっても幸せ、泣いたりなんか、わたし、必要ないわ。
「わたくし」が少しばかり酸素不足を訴えたのかもしれません。

もう一つ、きっかけがございました。
娘の怒りでございます。
職場で理不尽な仕打ちをされたと電話をかけてきた娘が、わたくしの感情のドアを開けるきっかけになりました。
娘というのは、やはり自分の体の一部、もちろん比喩的な意味でございますが、なのですよ。
娘が怒っている話を、わが身の痛みのように感じたのでございます。
ああこんな苦労をさせて母であるわたしに何ができるの。
娘と同時に友人が久々に訪れました。
外の世界が一気にわが家に入り込みました。
心地よい風だわ、と思っていたのでございましたが。
無意識はめまぐるしくわたくしと友人を比較しておりましたね。
友人も同様でしたでしょう。
わたくしが持っているものを彼女は持っていない。
彼女が持っているものをわたくしは持っていない。
羨ましがるのは大人げない。どうすることもできないものだから。
そんな思いを言葉にすることなく、わたくしと友人は別れました。
早々と引退者となった自分に言い聞かせる呪文のようなものは、なんとか身につけておりました。
「富や財産や情報や権力を持つ者のみに価値があるわけではない」といた呪文でございます。
でもこれが「酸っぱい葡萄」だなんて。
言ったのはブログのオーナーですけれど。
呪文は、涙のドアの向こうには届かなかったようでございます。
隠遁者の庵はまだまだ堅牢とは参りませんでした。
柱につかまって、涙が止まるのを待ちました。
六さんがいたおかげで、涙も節度を保つことができたようでございます。
すっきりした顔で、夕暮れの町を帰りました。夫婦二人、仲良く。

それにしても、
かちかちになった鉢の土がほっこりしたような心持ちでございます。
土を耕して空気を入れたら、それまでしみこまなかった水がすーっと入っていきますでしょう。
そんな感じでございました。

六さんは、「ぼくが泣かせたんだろう。可哀想に。ごめんね」とご機嫌です。
おほほ、ご機嫌ですのよ。
可哀想、って言われてもねえ。「同情するなら金をくれ」とは申しませんでしたけど。
わたくしが泣いたのは、六さんをご機嫌にするためではなかったのですよ、もちろん。
でもねえ、殿方というのは、やっぱり女の涙がお好きみたい。
弱々しい女を助ける男、泣いた女の肩を抱く男。
そういう役回りに喜びを感じるのでございましょうか。
うふふ、ちょっと陳腐な絵でございますわね。
でも、六さんの思いたいように思わせておきましょう。
このあたり、さすが年季の入った女でございましょう?
なかなか長けてまいりましたわ、わたくし。おほほほ。


酸っぱい葡萄

2008年10月07日 | Weblog
何かというと思い出すのがイソップ。
箴言というのか何というのか。
酸っぱい葡萄とキツネの話でしょ?
それからくわえていた肉を川に落とした犬の話でしょ?
諫められるのが好きなのかなあ。

昨日はめずらしく娘が電話をしてきた。
会社での腹が立った話。
それを聞いてほしいというのであった。
いったんは、節度ある母としての対応がまずまずできた。
しかし後に考え出したら心配というか、あれこれお節介したくなった。
「もっと話したいことがあったんじゃない?」
まあお定まりのコースである。
息子との間でさんざん失敗した追っかけママの再来。
まあね、娘が大人でね、
「聞いてほしかっただけなんだよ」と言われて素直に引っ込んだ。
素直に?
いや、一言も二言も発した。
私の口は猛スピードでさまざまな言葉を発するから、記憶していないものもあるやもしれぬ。
余計なことであった。
が、電話を切った後もなお「あれも言わなきゃ、これも…」と際限なく溢れてくる。
これを「母の愛情よ(ハートマーク)」と押しつける愚は避けたい。
しかしそれをしたい欲望に、どうしても駆られる。
アドバイス、忠告をしたいのである。もっと言うなら説教をしたいのであろう。
いかんいかん。
ホント、母親とは因果な商売よの。

と、自分の隠された欲望に気がついた私、いよいよまたまた新しいスタートの季節がやってきたようだ。
娘に説教する言葉を考えているうちに「昇華」という言葉が浮かび、教えるためには調べようとネットで検索。まあウィキペディアでお勉強したところ、「昇華」も防衛規制のひとつとある。
ぬぬぬ?
今度は「防衛規制」を調べる。
あらあらまあまあ。
そこで「酸っぱい葡萄」と久々の対面をしたのである。
「合理化」ってやつ、よくやりますね、私。
亭主の妄想はこれ「投影」かあ。
私が浮気するのではと疑う彼は、じつは自分がその手の欲求を持っているということ。
これは、ぺぺんぺん!
心理学のしの字も知らない母が、同じ事を言っていたことを思い出す。
そう、亭主の妄想から逃げ出してしばらく実家にいたときのこと。
消耗しきった私がはじめて母に実状を話したとき、母はそう言ったのだった。
ご自分にそういう欲求があるんじゃないの?
そうよねえ。
彼の防衛規制の犠牲になっているというわけだ。
ふん!だわ。

ところで。
そういった知識の断片は私の頭にも入っちゃいるが、はてさて娘に説教するには心もとない。
私の「説教したい欲望」かなんか知らぬが、まあ「抑圧」された欲望は、「昇華」されねばならない。
説教したい欲望=他人を動かしたい欲望ね。
さて、社会的に認められた行動とは何だろう。
「酸っぱい葡萄」を地で行っているかもしれないと気がついた私は、またまた動き出す。
するとそれを無意識にキャッチした亭主が荒れるんだな。
ホント、厄介な男なのだが、誰にもそうは見えないらしい。
友人にしても娘にしても、よく働く素敵な夫と見ている。
私の骨粗鬆症の原因である女性ホルモンの激減は、あるいは私の無意識の抑圧によるものかもしれないと、じつは思っている。しばらく前からね。
女であることを、自分の前以外では認めない夫の手前、無意識に女性ホルモンの分泌を抑えたのではないかと。
実際運動を始めて、女性ホルモンが出てきた。
まさか、とお思いだろうが、ホント。
まあね、骨のお薬が女性ホルモンに似せた薬だから、そういう若返りの作用もあるのかな。
しかし人間の心と体は、私が思う以上に密接に繋がっている。
ああ、亭主がパソコンでSOSだと呼びにくる。
この後、運転してフラッシュメモリーを届けに行く。

いろいろ書きたいことは山ほどあるけれど、これで一旦終わり。
覚えていたら、また書きます。
では。