「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」について昨日、日記に書いた。
その続きを今日書く。と言っても昨日の分は削除してしまったけれど。
今、テレビで森三中の村上知子さんらが口にしていたワード。
「上から目線」に、私のアンテナがぴぴっと反応した。
三人組のお笑いさんの彼女たちの、誰が上で誰が下か、傍目には分からない。
しかし彼女たちは、お互いに「上から目線」の物言いを拒む。
「あら、そう言うあなたこそ、上から目線じゃないの」といった具合に。
これである。
今、どんな人も「上から目線」の物言いに反発する。
年上の人だろうと、先輩だろうと、上から目線のアドバイス(そう、このアドバイスというのを特に嫌うようだ)をとても嫌がる。
プライドばかりが肥大した人々が増えたのも、たぶん同じ理由からだろう。
多くの人は他人による支配を嫌うのである。
いかに未熟であっても。
例えば相手の弱点を探して(そんなことは簡単だからね)、相手を引きずり降ろして、同じ地平に立とうとする。
自分の経験からよく分かる。
その人が未熟であればあるほど、その未熟なプライドを守ろうとするためか、上から目線のアドバイスを拒否する。
どうも自分のすべてを否定されたと勘違いするところがあるみたいだ。
未熟なプライドとは、そういうことだよね。
現実の自分を受け入れ難い。
あるべき高さに自分がいないことが、逆にプライドを肥大させる。
私が昨日ここに書いて削除した文章は、今日ここにまとめたことで足りる。
あまりの相手の未熟さについお節介をしてしまった自分への不愉快な気分。
いや、それを相手が受け入れていれば、不愉快な気分にはならなかった。
相手が拒んでいることに気づかぬままお節介をしたことで、おしゃべりはキャッチボールとはならず、一方的な、割れたかめに水を注ぐがごとき事態になったということ。
このあたりが私の不快感の主な原因だろう。
人と話して、コミュニケーション不可に陥ると、とても疲れる。
まあ、私に反省すべきところがあるとすれば、話している間に相手の拒否を察知すべきだったというところくらいだろう。
そのほかは、自分に「ご苦労さま」と言ってやろう。
いずれにしても、その人は今自我構築の途上にあるわけだ。
であればこそ、「上から目線」を嫌うだろう。
反抗期の子どものように。
しかし半世紀をこえて生きてきたことが仇になった。
反発を表に出すのは自分にとって不利益であると学習した結果だろう、さも相手のアドバイスを求めているかのような振る舞いをした。
善意はときに野暮である。
私の中の善意の人が、ここにまんまと乗っかった。
まったくね。
なかなかしたたかな人ですよ。
聞き出すだけ聞き出して、肝心要のところは拒むんだもの。
近ごろ、ハウツーだけを求める人が多いという世間のムードと、似たものを感じる。
いずれにしても、おかげですっきり。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」とは、反発し拒否する心を表に出さない相手と、上辺だけの会話をした結果、コミュニケーション不全に陥ったことによったのだ。
「上から目線」をきっかけに、ちょっとだけ考えた朝。
これからまたテープ起こしだ。このところ忙しいな。
その続きを今日書く。と言っても昨日の分は削除してしまったけれど。
今、テレビで森三中の村上知子さんらが口にしていたワード。
「上から目線」に、私のアンテナがぴぴっと反応した。
三人組のお笑いさんの彼女たちの、誰が上で誰が下か、傍目には分からない。
しかし彼女たちは、お互いに「上から目線」の物言いを拒む。
「あら、そう言うあなたこそ、上から目線じゃないの」といった具合に。
これである。
今、どんな人も「上から目線」の物言いに反発する。
年上の人だろうと、先輩だろうと、上から目線のアドバイス(そう、このアドバイスというのを特に嫌うようだ)をとても嫌がる。
プライドばかりが肥大した人々が増えたのも、たぶん同じ理由からだろう。
多くの人は他人による支配を嫌うのである。
いかに未熟であっても。
例えば相手の弱点を探して(そんなことは簡単だからね)、相手を引きずり降ろして、同じ地平に立とうとする。
自分の経験からよく分かる。
その人が未熟であればあるほど、その未熟なプライドを守ろうとするためか、上から目線のアドバイスを拒否する。
どうも自分のすべてを否定されたと勘違いするところがあるみたいだ。
未熟なプライドとは、そういうことだよね。
現実の自分を受け入れ難い。
あるべき高さに自分がいないことが、逆にプライドを肥大させる。
私が昨日ここに書いて削除した文章は、今日ここにまとめたことで足りる。
あまりの相手の未熟さについお節介をしてしまった自分への不愉快な気分。
いや、それを相手が受け入れていれば、不愉快な気分にはならなかった。
相手が拒んでいることに気づかぬままお節介をしたことで、おしゃべりはキャッチボールとはならず、一方的な、割れたかめに水を注ぐがごとき事態になったということ。
このあたりが私の不快感の主な原因だろう。
人と話して、コミュニケーション不可に陥ると、とても疲れる。
まあ、私に反省すべきところがあるとすれば、話している間に相手の拒否を察知すべきだったというところくらいだろう。
そのほかは、自分に「ご苦労さま」と言ってやろう。
いずれにしても、その人は今自我構築の途上にあるわけだ。
であればこそ、「上から目線」を嫌うだろう。
反抗期の子どものように。
しかし半世紀をこえて生きてきたことが仇になった。
反発を表に出すのは自分にとって不利益であると学習した結果だろう、さも相手のアドバイスを求めているかのような振る舞いをした。
善意はときに野暮である。
私の中の善意の人が、ここにまんまと乗っかった。
まったくね。
なかなかしたたかな人ですよ。
聞き出すだけ聞き出して、肝心要のところは拒むんだもの。
近ごろ、ハウツーだけを求める人が多いという世間のムードと、似たものを感じる。
いずれにしても、おかげですっきり。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき虚しさ」とは、反発し拒否する心を表に出さない相手と、上辺だけの会話をした結果、コミュニケーション不全に陥ったことによったのだ。
「上から目線」をきっかけに、ちょっとだけ考えた朝。
これからまたテープ起こしだ。このところ忙しいな。