海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

鏡よ鏡

2007年01月31日 | Weblog
注文しておいた南部鉄瓶が届いた。
薪ストーブの上に置いてしゅんしゅん蒸気を出させるのだ。
いまは小さなミルクパンがその役目を担っているが、それでは格好が悪いとうちのダンディが言うのである。
南部鉄瓶がいい、南部鉄瓶がいい、と言い続けるのである。
で、ネットで適当なのを探して注文した。
すぐに、ほんとに一日でものは届いた。
ずしりと重い。蓋をとって中をのぞく。カネとカネの触れる音も新鮮だ。
鉄なんだ、ほんとに。
錆止めのために、お茶の葉を入れて湯を沸かせとある。
それを今日やろうとおもっている。
なのに、この暖かさだ。
ストーブは要らないね。
ストーブも鉄瓶も用無しでいいから、このままぬくぬくの日が続きますように。

それにしても、鏡を見なくなった。
朝顔を洗い、夜歯を磨くときに、鏡の前に立ってはいる。
立ってはいるが、鏡に映るものに興味がない。
鏡が嫌いになったみたいだ。
できることなら、鏡なんか見たくない。
あそこに映っているの、だれ?
あたしじゃないわ。
鏡を見ないことに慣れた。
近くのスーパーに出かけても知人に会うことがない。
知りあいと会うというのも、鏡と向きあうのと同じだから、
いよいよ鏡と縁遠くなった。
人は鏡を前にして、何をおもうのだろう。
うん、今日もキレイよ。
わあ、ますます美しいわ。
こんな言葉を投げかけて、エンジン始動するのだろうか。
赤ん坊は一歳半くらいで鏡に興味を持つ、と聞いた(うろおぼえ)。
うちの子も、そのくらいの年に鏡に興味津々だった。
あそこにいるのは何だ?という興味。
付き添っている母は、これがボクよ、なんて言ったかなあ。
このときが、自分を初めて認識するときらしいけれど。
鏡に映る自分が自分である、とだれが決めたんだろ。
泉に映った自分に恋したナルシスの話。
彼は鏡を知らなかったのか。
鏡を見なくなったのが、老いてゆく自分を見たくない心理なのか。
それとも、「自分」にそれほどこだわらなくなったってことなのか。
どうなんでしょ。
鏡の国のアリスみたいに、冒険の旅に出ちゃおうか。
それとも白雪姫の継母のように、鏡よ鏡…と呪いをかけようか。

寝起きの豚

2007年01月30日 | Weblog
干し草の上でまどろんでいると…。
もとい!
干した布団の上でうたた寝していると、
いい気持ちのままあの世に行きかけた。
赤い車が横を向いて前方に…ああっ…目の前に車が迫る…がっしゃーん!!…運転しているかよわき私はハンドルに突っ伏した…ン?風船が膨らむはずなのにヘン…意識がとおのく…胸がく、くるしい…
で、目が覚めた。
夢の話で遊んでいるうちに、あれあれ、なにを書くつもりだったか忘れたじゃないのさ。
なんだっけな。

あ、思い出した。
極楽湯につかっているような昼下がりに私が考えそうなことだけどね。
「躁的防衛」って言葉を先日テレビでおぼえた。
あ、あたしコレだ。
元気を装うことでほんとンとこを隠すってやつ。
エンビイって嫉妬があることもほぼ同じ時期におぼえた。
あたしと同じ調子でおぼえたてのエンビィを使っていたのが神足って名の蝶ネクタイの人。
生半可な知識で知ったかぶりしちゃダメよ、おっちゃん。
浅~い理解だってことが、あたしにも分かるくらいだからさ。
もしかしてこのおっちゃんも、テレビでおぼえたのかもと笑っちゃった。

あたしね、プラットホームって言葉をおぼえたのはマンガの「おたけさん」だったの。
プラットホームって、駅の汽車(昔だからね)が入ってくるとこ、あそこよ。
汽車に乗ったことがないわけではなかったのに、プラットホームって言葉をわが親たちは発しなかったのかなあ。
テレビのない時代はまるまる方言の時代だし、親子でこんな外来語?は必要なかったのね。
どうしてだか、このことをしつこく記憶している。
たぶん、マンガなんて低級なとか言う大人たちに抵抗したい気分があったんだわ、きっと。

テレビはいまどこもかしこも、「私は『あるある』とは違いますよ」って弁明にいっしょけんめい。
自分だけは潔白ですって、そりゃないの。
そのいっしょけんめいが、哀れで哀れで笑ってしまう。
正しい報道とか、偏向しないニュースとか、ありっこないってことを、広く国民のみなさまに教えてしまったのよ。だからテレビは各局大慌てで『あるある』うらめしや~。
この問題を、朝日新聞のサンゴの時みたいに皆さんが忘れてくれて、表面なにごともなかった、あれは一孫請け会社の暴走だったってお話をまことしやかに作り上げるのが、これからのテレビのお仕事。
ああ、ここまでニヒルになったあたし。
一杯のかけそばに涙するような純朴な夫と暮らしているせいかしらん。

でもさ、テレビって新しい言葉をおぼえたり、偉そうなおっちゃんが同じ真似してたりっていうのが、見えるからね。捨てがたいの。
今日の国会中継もそんな気分でちら見していた。
青木の爺様が安倍自民党を擁護するかのような質問をしていたけど、どこかに毒が含まれてるんじゃないか…って意地悪目線で見ていたの。
だんなにそう言ったら黙ってしまった。
「ああいうふうにしなくてはいけないんだよ」なんて教育をされようとしていたとこだったから。
うまいこと逃げられたでしょ。ふっ。
どうしてそう教えたがるのさ。
教える、教化院、調教…。
教えるって微妙なことなのね。

何を書きたかったのか、もひとつ思い出した。
あたしが今ほんとに望んでいるもの。
躁的防衛、じゃないと思うんだ、これは。
太らないこと。
老けないこと。
体のあちこちが痛くならないこと。
あーららら。
これがホントだとしたら、健康番組のいんちきを笑えない。
こんなふやけた婆さんが山とおりますからね。
そういう人たちの集合無意識が、あんな番組を生んだんだ、と言ったりして。
太らないこと、やせることがみんなの願いになっていく。
なぜって、おいしいものを食べてごろごろ寝ていられたら幸せだもんね。
それで太らない、病気にならない。
これでよし!
こういったぐうたらを量産して、きみの思い通りに動かそうって魂胆かね、みのくん。森くん。中川くん。エトセトラ。

ランチの後で目覚ましを

2007年01月30日 | Weblog
最近よく耳にする「分相応」「分を知れ」「身の程を知れ」「身の丈にあった」という言葉。
これ、どういうことなの?
格差社会を意図的にこしらえといて、貧乏な人には「分相応に生きよ」と言ってるの?
富が偏る仕組みを自分たちに有利なように作ったその当人が、貧しい人たちに向かって「不満を言うより身の丈に合った生活をして円満にね」などと言うのは、非常におこがましい。
ちょいとランチの後の眠気覚ましに、わたくしのお話を聞いて下さいまし。

ある国でのお話です。
王様たちが、金持ちが儲かるような法律をつくりまくりました。
働く人たちには貧乏に耐える人こそ美しいと洗脳しました。
マインドコントロールにかからないしぶとい大人は牢屋に入れました。
子どもたちの柔らかい脳には、王様の言いなりになる教育を注入しました。
数十年後、王様のためなら死んでもいい、という人たちでいっぱいになりました。
ぼくたちの国の王様をバカにしたという理由で、よその国に戦争をしかけました。
王様のためなら何でもします、と若者たちは勇んで死んでいきました。
無謀な闘いに自滅した国は荒れ果てました。

こんなことにならないためには、政治を人任せにしないことです。

ありがとう柳沢大臣

2007年01月30日 | Weblog
よくぞぽろりと言ってくれました、柳沢大臣。
最近敵はなかなか巧妙になってきて、問題の核心が見えにくくなる傾向にありましたからね。
わたくしの言う敵のお一人、宮崎哲哉氏は正直にこう語っておりました。
「産む機械、ってNGワードなんですよ。外国だったら即罷免ですよ」
なんてね。だからあなたも気をつけて喋っているのよね、そのあたりちゃんと見えてますけど。
柳沢大臣のぽろり本音発言に女性たちが怒っている(とテレビが報じている)。
どこまで恣意的に編集されているかは知りませんが、わたくにしは「へえ」でした。
これは言葉の使い方とか例え方が不適切とかの話じゃない、と問題の本質を分かっている人が意外に多いのにびっくりしたのです。あの丸山弁護士なんて、「役目」と言い換えてもおんなじこと、と言い切った。あら、男性にも分かっている人はいらっしゃる。
しかし「あの年頃の男の人はみなそう思っているんじゃないですか」なんて言う冷めた若い女性もいた。「だれにも間違いはありますから」なんてことを言う可愛い女子もいた。
みのもんたは最近見ていないけど、おんなじ頭をしている。分かってないことをさも分かっている風にやる演技、いい加減にやめてよね。
おばあさんのためのホストクラブを経営すれば成功しますって、言ってるでしょ。だから、テレビから消えて、おねがい。
あっ、そうね。私が見なきゃいいんですよね。はい。
すぐに話がそれてしまいます。
柳沢大臣が見事にツボをおさえて発言してくれたことで、女性たちが久々に怒っている。これが私は嬉しいのです。
最近なんだか、つまり安倍政権になってから、女性がじわじわとせまい牢獄に追い込まれている感じがしていたわたくしとしては、感謝感激雨あられ。柳っちにですよ。
さてその安倍くんですが、あの人の実像が最近よく見えてきました。
彼はとっても気がちっちゃいね。強い者にはぺこぺこし、弱い者には居丈高になる典型的タイプとみました。
例のNHKの従軍慰安婦問題を扱った番組に事前に圧力をかけたのは、だれあろう安倍官房長官(当時)なのですよ(高裁の判決は、圧力に過剰に反応したNHK他に200万円の賠償をせよというものでした)。
こういうテレビ局に圧力なんてときはとっても強いあべちゃんなのに、この件で記者に訊ねられると「政治家の圧力はなかったと認められました」だって。
「私の…」でしょうが。
はっきり言いましょうね。
ごまかしばっかりで、やんなっちゃう。
いい加減ずっこくて意気地なし男の見本みたいになってますよ。
じつはわたくし、安倍さんの組閣と、この発言「女は産む機械」がぴったり重なるとおもっています。出るべくして出た失言、もとい本音です。
安倍さんの頭の中も柳沢さんとおなじです。
わかってる人は分かっていると思うけど。
だからホントによかった。
ありがとう、柳沢大臣。
そして、さようなら柳沢大臣。ついでにあべっちも。

ばあさんの追伸。
正直に言うと、ええのぅ、都会の女性たちは。
う、うらやましいぞ、ばあさんは。
地方と都会の格差は、経済ばかりじゃない。
情報格差、意識の格差、場の格差…。
地方じゃ、こないだの鉾田市議みたいなじいさんが跋扈しとる。
ごくごくあたりまえに、爺さんたちがいばっとるンじゃ。
婆さんたちは哀れなものよ。
産む機械だってぇ、あったりめえじゃろ。
ちっかごろの若い娘は子も産まんと遊び歩いて。
てな会話は日常茶飯事。
こんな地域に住むってことは、どういうことか。
とほほのほ、じゃ。
都会に住めて高学歴、しかも裕福な女性たちと、
地方に住んで低学歴、しかも貧乏な女性たち。
これも格差じゃのう。
貧乏はいかん。
女がただの産む機械に逆戻りじゃ。
鶏みたいにつぎつぎに子を産むマシンにの。
安倍よさらば。自民党よさいなら。

女の味方

2007年01月29日 | Weblog
今日気になったニュース。
「老後に夫と同居→妻の死亡確率2倍」
http://www.asahi.com/life/update/0129/001.html
テレビがちらっと紹介した新聞記事を「ほら、やっぱり」と私、喜んだ。
夫はというと、「ぼくたちは、二度目だし」なんてとんちんかんな答えをする。
いえいえ結婚している年数の話じゃないんですよ、旦那様。
もしかして、ぼくたちはまだ新婚でラブラブだから、って言いたいの?
げっ。
意見の相違は明らかなので、それ以上追及はしなかった。

「夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と記事はまとめている。
ふう。
ま、そう言ってしまえば簡単ですけどね、何が一番ストレスかって、妻の行動が縛られることですよ。24時間! うちの場合は荒縄じゃなくて、真綿でじわじわ縛るって戦略に途中から変えられたようです。
なかなか巧みなのですよ。ぐすん。
私がブログで吐きだしてバランスをとらねばならないほど、ストレスは妻により強くかかる。
なにしろ男どもは、古~い価値観を錦の御旗にできるのである。
わが夫婦の場合、その保守的な田舎に移り住んだ時点で、敵の勝ち。
田舎ほど古いタイプの男たちの天下なのだから。

私のストレス解消法。
もう少し磨きをかけなくては、と思案中である。
どなたかいい知恵をお貸し下さい。

もう一つニュースから、厚生労働大臣の柳沢氏の発言。
女性を産む機械と言ったらしい。
私は街頭で人々が怒っているほどの怒りはない。
だって、この人に限らずおおかたのおっさんたちの頭の中は同じだってことを、知っちゃってるから。
わが夫さまだって、もちろん表だって言えば私に噛みつかれるので言わない。が、前妻のことを自分のDNAを繋いでくれた(孫に繋いだもんね)なんてことをのたまったことがある。
本人は記憶にないかもね(人間は都合の悪いことは忘れる動物です)。
もともと男も女も自分の遺伝子を残そうと戦略的に生きている(のらしい)。
なので、残したもの勝ちなのである。
私は、まだ孫の誕生どころか、二人の子供たちが相手にめぐりあえるかどうかというところであるので、生物として旦那に負けておるのだ。
なぜかこういう具合に、夫さんとどっちが損した論争に陥りがち。
しかし何処も同じ秋の夕暮れだ。
西村京太郎さんと山村美沙さんの不思議な関係においても。
「俺の青春を返せ!」「あたしの家庭を返してよ!」
(※西村氏は独身、山村氏は夫と子二人ありという状況で恋に落ちたらしい)
上のような激しい喧嘩をしたと、西村氏本人が語っていた。
喧嘩するときは、みんな同じことを口走るものらしい。
しかし、どっちもどっちなのよ。
ちなみに、このカップルの場合は、女性、山村氏が62歳という若さで先に亡くなった。夫も愛人(西村氏)もまだ健在である。
しかし思うに、どっちが先に死のうが、どのように生きたかが問題じゃないの。
先の朝日の記事のもっていき方は、「長生きが善である」という前提が、まずありきの話だよね。
一人で膝を抱えて寝る暮らしを続けて長く生きるのも、同居の老父と喧嘩したり慰め合ったりして早く死ぬのも、どっちがいいかって話じゃないもの。
もっと言えば、「女の味方!」朝日新聞的取り上げ方。
わが旦那さまに言わせれば、それは朝日の営業戦略、つまり新聞を売らんかなの迎合である、とのこと。
おっとっと、これはその他の媒体にも同じことが言えるのじゃないの。
テレビが視聴率ほしさにねつ造をするのも、根っこは同じ。
それにしても、宮崎の街頭でインチビューに答えていた70代80代のおばあさん、手放しで信じすぎ。
東国原知事を「爽やかでステキ!」って。
みんな目くらましに弱いんだな。
騙されたがっているとしか思えない。
そういや「~騙し続けて欲しかった~」なんて演歌があったわ。
そのくせ後で「騙されただまされた」と大騒ぎ。

この高齢者たちをなんとかしないと、為政者の思うままにもっていかれますよ。だって、さびしい年寄りはやさしい口上に弱いんです。
自民党はそのあたり、ちゃーんと心得ているからね。
票につながるばあさんたち。
その一人にならないように、はい、気をつけます!

柳沢氏の発言に戻る。
これは少子化の問題をどう考えるかが、すけすけで見えた発言だったのだ。
頭数増やしてもらうしかない、だって。
こっちの方が問題でしょうが。
機械という言葉を使わなくても、これで充分、あなたのお考えはわかります。
人間を「数」としてしか見られないお人。
しかし、今朝のみのもんたは本性が出てきた。
みのは、「これはわかりやすく話さんがため」という柳沢氏の言葉に問題を見事にずらした。そしてボクが聴衆の一人だったら怒った、なんて言う。柳沢氏の問題の捉え方には言及したのかどうか、チャンネル変えたのでわからないが。
本質から問題をそらすのはこの人の得意技だから、おばあさま方気をつけてよ。
埼玉のおじょうさん、とか言われて喜んでるんじゃないの!
ほんと、最近つくづく思う。
みのもんたは年取ったホスト。
年寄り向けのホスト、でもいい。
年寄りを喜ばせるのはいいよ。どんどん喜ばしてあげて。
でもその技でコトを起こそうと企むのは、やめてね、みのさん。

太田光が遠ざかる

2007年01月28日 | Weblog
あるある大事典の不始末について、爆笑問題の太田くんがしゃべっている。
やけに熱く。
でもわけわかんない。
そして思った。
ああ、太田光も過去の人になる。
(彼は奥ちゃまに頭が上がらないから、こういう方向に向かうのだ。私の偏見)
テレビも、過ぎ去っていく景色。
そうよ、私たちは特急列車に乗ってどこへとも知れず走っている。
窓外の景色は後ろへ後ろへ遠ざかる。
テレビも太田くんも遠ざかる、遠ざかる。

ま、少しお先っ走りの私だけど、遠からずそうなるよね。

それにしてもにっぽん人、信じやすいにっぽん人。
だけどだけど、忘れっぽいし、すぐ忘れるのもにっぽん人。
だからいいのさー、なんて。
いいのかなあ。

あはっ。
私も、とっくに「過去の人」!
てへっ。

あれあれ、キムタクの「華麗なる一族」をだんなが見てる。
革カバンの持ち方がなってない!なんて、野暮なことを言いながら。
でも私も最近、キムタクの魅力、感じないんだけど。
私の感度が鈍いのか。

クレパスの匂い

2007年01月28日 | Weblog
いきなりだけど、このあいだから妙に感度があがっている。
めったにどきどきワクワクしなくなったわたくしなのに、このときばかりはうずうず、ばくばく、内臓がうごめくのである。
どこで?
いつ?
うん。
言いにくいけれど。
クレパスの前。
クレパスって、さくらクレパスとかギタークレパスとかいう、アレね。
匂いがあるのか。
その前に立つと、心ざわめくのである。
胸がキュンとなるのである。
嘘じゃない。ほんと。
キュンとなるこの感じ、ああ、いいな~あ。
たぶん、想像だけど、クレヨンやクレパスで絵を描いているとき、わたくしはとても幸せだったのねえ。
それも屋外のイメージ。
せっせと画用紙に景色を再現する単純作業。
この時間が私には至福だったのだ!と確信した。
ああ、描きたいなあ。
写生したいなあ。
先生にほめられるとか、関係なく楽しかったんだとおもう。
だって私、絵を誉められたこともないし、いいお点をもらったわけでもない。
純粋に幸せだったんだと思う。
だれにも指図されず、良いも悪いもない、ただ描く楽しみ。
そうだ、行こう。
すぐそこに、私が描きたい風景がある。
川原に春が来るのだ。あの景色。春の小川。
ここにだんながついてきたらダメなんだな。無理だけど。
彼はものごとを難しくしすぎる。
単純に楽しむ私の前に評価する他者として立ちはだかる。
ま、しかたないか。
子どものころには戻れないね。

今ごろ反抗期!?

2007年01月28日 | Weblog
私が人生で思い残すことといえば、娘と息子のことしかありませぬ。
で、このブログも半ば伝えたいと思い、しかしその残りは「うーん、見てくれるな」の思いで書いております。
おじょうさま、おぼっちゃま、言っておきますけどね、ここに書いてあることは額面通りに受け取らないように。
語るは騙るに通じる、とか申します。
もともと私は幼き頃より、「父の大事にしていたヒヤシンスを引っこ抜いてしまった」などと嘘八百の作文を書いて先生にほめられるような子どもだったのですよ。そう、う・そ・つ・きだったの。
なぜそのような嘘を書いたのかは、わかりませぬ。
ほんとのこと、ってのが何だかわからなかったのか。
求められていることに、サービスたっぷりに答えたと言いましょうか。
だから、私がここで書いている愚痴とか、だんなの悪口は、フィクション、または狂気の沙汰とお考えくださいね。
虚構をつくりあげることで、バランスをとる性質の人間というのは、いるもんでございます。
しかしこうういったタイプの人間が許せない、という極めてスクエアな人もいるわけで。
わが両親は、そういった組み合わせであったのかもと、いま推理しました。
わが母親は私という子どもがどうにも理解できず、つまり支配できず、いつも小言を言っておりました。言うことを聞かない子どもだったわけです。
母は言いました。「反抗期がずっと続いている」と。
未だに、と言うべきですか。
二度も結婚した懲りない女のわたくしですが、選んだ男が常に私を「だめな女だな」と見下ろしつつ可愛がる?タイプだなんて、どういうことなんでしょ。
私の脳が失調しているときは、いつも自分を責めていること、彼らは知っているでしょうか。
この傲岸不遜な女がそんなことするわけあるめえ。
ところがどっこい、母に理解不能と投げ出された子どもは自分をよしよしする能力がひどく低いのです。
やっぱり私はいくつになっても私。だめな私…と、うなだれているのです。
なんでこんな真面目で几帳面で「正しい」男を相手に選ぶのか。
彼が「正しい」からではないのです。
正しい位置にいたがる人だからなのです。
正しい位置から「お前は間違っている」と言われることに慣れすぎているから、そんな人をついつい選んでしまう。
さすがに半世紀も生きてくると、そうじゃあんめえ!とする図々しさもわずかばかり身に付いてきます。
なので、こんな年になって夫に反抗期!
わがだんなさま、ご迷惑さまね。
でも彼は彼でそんな境遇を必要としている、ってとこもあるから、人生おもしろい。
どんな性格だろうと、正しくなかろうと、楽しく生きていいのよ、皆さん!
それを言うために、お茶わん洗いを後回しにして書き込みました。
じゃね。

来客歓迎!

2007年01月28日 | Weblog
日曜日のお昼まぢか。
夫さんと波長が合わない状態でふたりきりは、ちと辛い。
そこへ外界からの訪問者。いえ、メールですけど。
夫の留学時代のおともだちが、二人も遊びに来るというのです。
老夫婦のまったりした気分は、ほとんど「暇すぎ」が原因。
なので一気にメートルが上がりました(古っい表現。しかも意味、あってる?)。
どうやって案内しようかと、老夫は自分の世界に入り込み、おかげでわたくしは気楽にネットを歩き回る。ほんと、きがねなく、らんらん。
運転しない夫さんの代わりに私が運転してご案内することは、もともと決定なのですが、おともだちが二泊するお宿で三人のおっさんが旧交をあたためる宴会はパスしたい旨のお話が、きちんとできました。
おともだちだって、女房がついてきたらびっくりだよ。
(私だって、ちっとも楽しくないもん)
あなたが私のことを気遣ってくれるのはありがたいんだけどさ、おともだちのことを考えると、ね。
ほら、上手に言えたでしょ。
彼のおともだちは彼のおともだち。
わが家でのおもてなしはおもてなし。
そう、わが家でもおもてなしをするのですよ。
それでも話は尽きないだろうから、ご主人さまどうぞ泊まりがけでいらっしゃいませよ、おともだちがお泊まりになるお宿へ。私、送り迎えいたしますから。
うふふ。
なんだか、昔はあたりまえだった二重構造の奥さまみたいなことが、できるようになりましたわ。おほほ。
それにしても…。
わがVitsの後部座席に、おそらくはでっぷり太ったおじさまたちが二人。
窮屈でしょうねえ。申し訳ないわよねえ。

おともだちが来るというので、夫さんは機嫌がよい。
それがいちばん、ららっら、ららら(鼻歌でスキップする私)。
どしん、いたっ(椅子の足に躓いた私)。
お昼ご飯ですね。そろそろ。

懲りない女

2007年01月27日 | Weblog
遠い昔にも似たような感じがあった。
20代の前半だったようにおもう。
「きみのために帰ってきた」という言葉が重たかった。
そう言ったのは、就職して何ヶ月もたたずに故郷に帰ってきた男。
就職先が意に添わなかっただけだろう、と冷たいきもちになった。
やさしい男だった。
別れたあとはずいぶん荒れたと聞く。
この一件とこのたびの件で、私は妹から白い目で見られている。おそらく。
男は、実母が結核で入院したために、幼い頃からその姉夫婦のところで育てられ、ほどなく養子になった。
そんな生い立ちが、初めての恋人であった私への傾斜をより強くした。
嫉妬も束縛も、「愛」という名のもとに行われた。
私はどんどんくすんでいった。
それを彼が望んだことも分かった。
自分だけのものにするには、相手の魅力は消すに限るのだ。
「愛しすぎる男」に懲りない私である。
その男と別れた後、おもった。
恋人は、私にのめりこまない男がいい。
自分なりの目標があって、そこに向かって邁進している男がいい。
ドンキホーテが好き、と言っていたのはそのころである。
風車に向かってアホでもいい、黙々と歩く男がいい。
そのあとをサンチョパンサのように、とことこついていく。
縛られないのがいい。
きみはぼくの太陽だ!なんて押しつけられるのはご免だった。
聞きかじりの文学を引用したり、愛の詩…これもご免だった。
そこへ、とてもクールな男が現れた。
理系の男。数学が得意との噂。
健康優良とはほど遠いやせっぽちで、ジーンズがやけに似合った。
前の男がフォークなら、こちらはロックとジャズ。
ちょっと不良っぽい雰囲気で、毒も吐く。
私にたいした興味はない、という素振り。
熱い目で口説いてくる男たちのなかで、ひとり背中がクールな男だった。
追われるより追うほうが、心が燃える。
女だって狩猟時代のDNAを持っているのだ。
私はこの男と結婚した。
20年間一緒に暮らした。
化粧しないと外を一緒に歩かないぞ、と脅した。
彼は美しいつれあいであり続けることを、私に求めた。
私は努めて自分に磨きをかけた。
そして、別れた。
嫌いになったわけじゃないようだ。
何が別れの原因か、ほんとはよく分からない。
何を話しかけても返事がないと、不満を言い募っていた。
磨きをかけた私の前に、熱い男が現れた。
私のからっぽの心に、際限なく愛情を注ぐと言ってはばからない男が。
愛しすぎる男は嫉妬し、独占する。
女の魅力は剥ぎ取らねばならない。
私は日々くすんでいく。
20代のあのころとおんなじだ。
わかっているのに繰り返す。
学習能力がないことをあらためて知る。哀しい。
哀しいことは、もう繰り返さない。