また17歳の少年の父殺しのニュース。
また、と書いたけれど、そんな感じだから。
父を好きだけれど好きではない、といった書き込みがあったらしい。
うむ。
よく分かる。
自ら110番した彼は、警官が到着したとき玄関で震えていたと言う。
何とかできなかったのだろうか、と思う。
10年近く父と子で支え合って生きてきたのだろう。
支え合う…もっとはっきり言えばよりかかりあって。
よりかかりあって暮らしている老夫婦である私たち。
その片割れである私だから分かる話なのだけど。
もたれあい=依存しあう人間関係がいけないとは言わない。
しかし子どもが大人になるときは問題だ。
子どもは親から自立して、社会に出ていく。
このときこそ親が幸福であることが重要になる。
そう「幸福」だ。
不幸な親は子どもを自らのつっかい棒にしようとする。
もちろん無意識にね。
子どもだけが生きがい、なんてセリフには気をつけたほうがいい。
子どもへの親の愛が、まるで真綿で首を絞められるような苦しみとなる。
父親を好きだけれど好きではない。
この感じ、わかる人は多いのではないか。
巣立とうとすると、危ないからと引き止められ、
外に出るのをためらっていると、巣立てよと言われ…。
二人の間でシーソーごっこが展開する。
おそらくはこの息苦しさから脱出することの必要性を感じていたのだろう。
少年は父親を殺すつもりなんかなかったのだろうに。
このように一対一の人間関係は、外に向かって閉じてしまうから怖い。
二人だけのシーソーごっこには、終わりがこない。
引きこもりを打開したかった、と彼は言った。
誰かに助けを求めろよな。
わが夫婦の二人暮らしも、なんとか落ち着いた。
しかしやはり出てくるのである。
当然だろう。
人は自らの力で生きていく。
誰の指示でもなく。
人と人は、奴隷と主人ではないのだからね。
しかし時に、密着しすぎた関係は、相手の領域に踏み込みすぎるのである。
わが夫婦にとって、訪問者もない、外出する用事もない正月は危険であった。
夫はそんな見方はしないと思うけどね。
何となくいらいらしてきた私は、
身体を動かしに行きたい、と表現した。
彼はなんでもなさそうなふりをした。(あるいは私にしがみついた?)
私にとって「身体を動かしに行く」=「フィットネスに行く」とは、窮屈な檻から出る、ということでもある。
たいへん申し上げにくいのですが。
夫だって同じだと思う。
24時間同じ顔ばかり見ているのは、苦痛でしょ。
どんなに惚れた相手であっても。(じつは相手の、特に惚れた部分ほどいやになる)
びろうな話だが、便秘の原因を運動不足に求める私に異議を唱える夫。
その夫さまが、ホームセンターに行くそうである。
午後一のフィットネスの前に、行くことにした。
なのでまたね。
また、と書いたけれど、そんな感じだから。
父を好きだけれど好きではない、といった書き込みがあったらしい。
うむ。
よく分かる。
自ら110番した彼は、警官が到着したとき玄関で震えていたと言う。
何とかできなかったのだろうか、と思う。
10年近く父と子で支え合って生きてきたのだろう。
支え合う…もっとはっきり言えばよりかかりあって。
よりかかりあって暮らしている老夫婦である私たち。
その片割れである私だから分かる話なのだけど。
もたれあい=依存しあう人間関係がいけないとは言わない。
しかし子どもが大人になるときは問題だ。
子どもは親から自立して、社会に出ていく。
このときこそ親が幸福であることが重要になる。
そう「幸福」だ。
不幸な親は子どもを自らのつっかい棒にしようとする。
もちろん無意識にね。
子どもだけが生きがい、なんてセリフには気をつけたほうがいい。
子どもへの親の愛が、まるで真綿で首を絞められるような苦しみとなる。
父親を好きだけれど好きではない。
この感じ、わかる人は多いのではないか。
巣立とうとすると、危ないからと引き止められ、
外に出るのをためらっていると、巣立てよと言われ…。
二人の間でシーソーごっこが展開する。
おそらくはこの息苦しさから脱出することの必要性を感じていたのだろう。
少年は父親を殺すつもりなんかなかったのだろうに。
このように一対一の人間関係は、外に向かって閉じてしまうから怖い。
二人だけのシーソーごっこには、終わりがこない。
引きこもりを打開したかった、と彼は言った。
誰かに助けを求めろよな。
わが夫婦の二人暮らしも、なんとか落ち着いた。
しかしやはり出てくるのである。
当然だろう。
人は自らの力で生きていく。
誰の指示でもなく。
人と人は、奴隷と主人ではないのだからね。
しかし時に、密着しすぎた関係は、相手の領域に踏み込みすぎるのである。
わが夫婦にとって、訪問者もない、外出する用事もない正月は危険であった。
夫はそんな見方はしないと思うけどね。
何となくいらいらしてきた私は、
身体を動かしに行きたい、と表現した。
彼はなんでもなさそうなふりをした。(あるいは私にしがみついた?)
私にとって「身体を動かしに行く」=「フィットネスに行く」とは、窮屈な檻から出る、ということでもある。
たいへん申し上げにくいのですが。
夫だって同じだと思う。
24時間同じ顔ばかり見ているのは、苦痛でしょ。
どんなに惚れた相手であっても。(じつは相手の、特に惚れた部分ほどいやになる)
びろうな話だが、便秘の原因を運動不足に求める私に異議を唱える夫。
その夫さまが、ホームセンターに行くそうである。
午後一のフィットネスの前に、行くことにした。
なのでまたね。