海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

まとまらない頭で

2008年12月18日 | Weblog
最近の医療は、高齢者にも治療の選択を迫るものらしい。
ガンの告知、なんていう深刻な場面はなかったが、よく考えると厳しい。
もっとも、手術をするのに別の病名をつけたりすると逆に患者に不安を与えかねない。
母の手術は無事終わりさあ退院というときに、母が「覚悟していた」話を医師から聞かされた。
化学療法、抗ガン剤の内服を半年行うか否か。
高齢だからガンの転移あるいは進行は遅いだろう、という見方も一つ。
こう考えると、わざわざ抗ガン剤を飲んで副作用によるダメージを受けるよりいいではないか。
クオリティ・オブ・ライフ、だ。
しかし何の治療もしないことで、再発ではないかという不安が加速しそうである。
術後の生活が落ち着くまで、まだまだ時間がかかりそうでもある。

医師もはっきり言う。
平均寿命から換算するとあと何年生きる…なんて言い方を。
手術しないでもあと3年くらいは大丈夫だったそうな。
それくらい高齢者のガンの進行は遅いということだろう。
これから残りの人生をどのように生きるか、母が考えることではある。
「死」を射程に入れて現在を考えるなんて、なかなかできるもんじゃない。
ガンで亡くなっていく人を見ると、最期まで希望を失っていない。
いや、生きたい、のだと思う。最期まで。
ならば闘うべきなの?
死を受け入れる、なんて、言うのは簡単だけどね。

てなことを行きつ戻りつしながら、まとまらない頭で考えている。
きっと母も考えているだろう。

脳味噌の使い道

2008年12月15日 | Weblog
たったの二泊三日だが、手術後の母を見舞って病院に泊まり込んだ。
よくあれだけ話したものだ。
おしゃべりをしていると、身体の不調も不眠の訴えも消えてしまう、と母が言う。
術後の回復はめざましく、ぐんぐん元気になる。
元気になると、便の状態とか、眠れないこととか、気になってしかたがない。
ガンだと分かった途端に、足のしびれは消えた、と自分で言っていたのにね。
まったく、そういうものらしい。
元気になると、彼女の脳味噌が本領を発揮する。
今日81歳の誕生日を迎える母であるが、彼女の脳味噌は力が余っているのではないか。
一人でいると、そのでかい脳味噌が不安製造器と化すのだ。
丈夫な脳味噌の使い道はまだまだあるわよ、お母さん。
周りの人たちへの配慮をいたしましょうね。
ご自分の快癒を喜ぶのはいいけど、病院には深刻な状況の人もいるということ。
大きな笑い声、あなたの明るさは最高だけど、悲しみに沈んでいる人もいるかもしれないということ。
歳を取ると、見舞いに来る人の中にも、配慮を欠く人がいる。
ほんと、パブリックということをみんな忘れていくのね。
自分の身体のことだけを気にするのでなく、せっかくの脳味噌をもっと違うことに使えたらいい。
自分の身体、自分の子ども、孫といった、ごくごく近いことにしか関心がないのは、私自身も含めて考え直したほうがいい。
ね、そんなことも含めて、母と話をしてきたんだけど。
今日の電話では、う~ん、でした。

「生活」って楽しい!

2008年12月06日 | Weblog
母の手術に伴う里帰りの日程も決まった。
二泊三日の旅は、母には申し訳ないが楽しみである。
久しぶりに弟と妹と私と三人そろう。
それがどうした、だけれど。
旅というのはワクワクするものなのだろう。
特に(ここだけの話だが)、夫と離れて一人旅。
夫のことは大好きだし、一緒に暮らすパートナーとしては申し分ない。
でもでも、なのね。
たまには一人になりたいものなのよ。
夫には「すみませぬ。二泊ほど行かせてください」と当然の低姿勢。
片道5~6時間の列車旅である。
本は何を持っていこうかな。
旅の間に本を読むのが大好き。

ところで。
私は今とても穏やかな気持ちで毎日を送っている。
一つには、夫の「しがみつき」が激減したこと。
また一つには、骨粗鬆症の宣告により始めた運動の成果が上がっていること。
私の通うフィットネスジムで、サルサの講座は特に生徒の集中度が高い。
もちろんインストラクターの姿勢に負うところ大である。
何ごとも心の持ち方次第ということが分かっていても、マイナス思考に陥りがちな人は多い。
私もそう。
他人のもそうだけれど、自分のあら探しは大の得意。
しかし欠点さがしをしつつ生きていては、じり貧である。
ならばプラス思考の自己暗示でもかければよい、となる。
ところが自己暗示もなかなか難しい。
そこで私は意図的に他の力を借りようと思った(後付けだけどね)。
サルサの講師がその助っ人として適任だったようだ。
今じゃ集団ごと暗示にかかった状態。
背中の曲がったお年寄りも、腰のそりかえったお婆さんも、
1時間の運動が終わるころには、目をきらきら顔を紅潮させている。
意地悪な性格の人がなんと初々しい少女のようになった!
まあね、インストラクターがイケメンだということも関係あるだろう。
私はあえてその要素は外して見ることにしてはいるが、
私だって意識していると思うよ。
わざわざ自分の女性性を消すような格好で行くこと自体、意識している証拠だし。
なぜ私が自分の女性性を異性の前で消そうとするのか。
この理由はただ一つ。
夫と仲良く暮らすため、である。
私の骨粗鬆症は、急激な女性ホルモンの減少が主な原因、と医者は見る。
だから女性ホルモンもどきの薬が処方された。
このあまりにも急激な減少はなにゆえか。
私の勝手な想像だが、大大恋愛の末結婚した夫が超やきもち焼きであったこと。
私が彼以外の男性の前で女性性を見せることを異様なほど警戒した。
何度も何度もその種の威嚇を受けて、ついに私は「女を捨てる」。
彼の前だけで女で、外では非女、なんて器用なことはできなかったらしい。
女性性の抑圧は、女性ホルモン激減となって現れ、骨粗鬆症が顕現した。
こういうことって、あると思うよ。
今も、男性インストラクターの前で、わざわざ女性性を抑えているわけだから、
医者の目論見(女性ホルモンを増やして骨量を増加させるという)は、果たして成功しているかどうか。
1月に骨量の検査をする。

まあ私の女性ホルモンの話はこれくらいにして。
この運動の思わぬ効果が出ているのである。
身体を動かすことが心身に良い影響を与えてくれることを身をもって実感した私。
なにごとも経験を重んずる私が、実感したら強い。
家の中で寒い寒いと凍えているより、動けばいいんじゃない。
身体が動けばあたたまるのだ。汗だって出てくる。
骨髄も刺激して骨量も増えるかもしれない。
努力すればO脚も直る?
そうなのね。
サルサに限らずインストラクターの人たちは、
年老いて死ぬのを待つばかり…と思っていた老婆たちに希望を与えてくれるのだ。
背筋が伸びて、たるんでいた身体がしまって、すっとした立ち姿の老婆になるという希望。
こういう未来志向を自ら生み出すのはなかなか困難。
だからインストラクターがいる。
生徒同士という仲間がいる。
暗示にかけあう仲間がね。
独居の人、引きこもりがちの人、先は寝たきりですぞ。
そうならないためには、外に出て仲間と一緒に身体を動かしましょう。
こういう提唱を、私は行政の方に届けたいくらいよ。
このあたり、老人たちがわんさかいるんだもの。
医療費も介護保険も、負担を減らすことは可能ですよ。

話が広がるなあ。
ま、そういうわけで、私は今掃除をしたりご飯を作ったりの「生活」が楽しい。
こんな気持ちははじめてである。
ずっと家事はきらい。外が好き。
経理なんて損な役目はいや。どんどん稼いでどんどん使いたい。
なんてことを言っていたのはどこのどなた?
バリバリ社会に出て仕事をしている人が格上であるかのような価値観に翻弄されていた時代があったな。
これは学校時代を引きずっているのだろう。
成績の良い人は「家政科」なんて選ばないという風潮、あれは何だろう?
今からでも家政学を学びたいくらい。
とても大事ですよ、これは。
家計を預かり、食事を作る役目は、そうそう簡単なもんじゃございません。
あまりにも財布の紐を締めすぎては、暮らし自体が活力を失う。
かと言って野放図に「良いよ良いよ」では家計の破綻は目に見えている。
そこのところのさじ加減が難しい。
当然社会のことにも関心は向くでしょ。

今日はあっちこっち掃除しながらそんなことを考えたということ。
じゃ、またね。
依存的な夫(私にも依存関係にはまりやすい傾向ありだけど)との共存共栄の道筋が見えたということですかね。


一人遊びのできない大人

2008年12月03日 | Weblog
人間死ぬまで学び続けなければならないようだ。
というのもね、学んだつもりになっていることを、ふらっと忘れていることに気づいたから。
読み直したのは斉藤学著「家族依存症」。
このところ私をイライラさせている人がいるが、その人とのことが、この本を読んですっきりした。
「底の抜けたかめに水を注ぐがごとき」と、以前この日記に書いた人のことである。
私自身が、彼女の依存と支配による人間関係に巻き込まれそうになっていたようだ。
私の目には、彼女とお嬢さんがその関係から抜け出していないことが見えていた。
けれど、もちろん言わない。
その人と長時間話していると、私が同じような「場」に取り込まれていく。
もともとそうなりやすい傾向がある私である。
が、何かがそこから離れたいと訴えた。
何かとは私のなかから湧いてくる何か。
不快感と言ってもいいけれど、それは正しかったのではないかと今思う。
不快感とかの「感じ」に従ってもいいのではないか。
どこかで冷たく突き放すことをためらう私がいた。
彼女が私に依存している様子を、夫は微笑ましいと言い、なぜ私が苛立つのかわからなかった。
わからないだろうな。
彼はそういう相手が現れれば、身を乗り出していく人だ。
相手のためというよりは、自分の満足のため。
依存傾向の強い人は世の中に大勢いる。
ほとんどの人については勝手にやってよ、と言うしかない。
しかし依存の対象が子どもになったとき、悲劇が起きる。
寂しいから、退屈だからと、子どもに依存してはならない。
一人遊びのできない大人は、はた迷惑である。



このところ身の回りにちょっとした出来事が起きる。
昨日は夫の中学の同級生の葬儀であった。
古いつきあいというのではないが、この地に流れ着いた同胞といったところで数年おつきあいがあった。
世間から逃れるように人家の少ない土地に家を建て、マイワールドを築こうとした人だ。
男の人が、本人には意味のあることだろうけれど、周囲から孤立した暮らしに妻や子を巻き込むことには、違和感を持つ。
夫も似たような思いを抱いて、岬の突端とかに家を建てたいと言っていた。
私がこれだけは譲れないと申し出たことがある。
人家のない場所は絶対ノー、集落の中の土地ならばいいけれどと。
仙人のような隠遁生活とかいうものに憧れを抱く男性は多い。
それは結構なことです。ただしお一人でどうぞ。
女は本能的に人のいない場所に住むことの危険を察知する。
私の主張は通った。
おかげでややこしい近所づきあいはあるが、社会から孤立することはない。
故人はその人らしい生き方をして、満足だったと思うが、近所に家もない陸の孤島に一人残された妻はどうするのだ。
幸い娘さんが近隣の町に住んでいる。
亡くなった夫のことを妻は生前から「仕切り屋でね」と言っていた。
故人は自分の死後のことまできちっと「仕切って」逝った、と娘さんに聞いた。
人は生きたように死んでいくのだなあ、と微笑ましくも思った。
私ははたしてどんな死に方をするのだろうか。
「私の財布を盗んだのはだれ?」なんて妄言は吐きたくないものだけれど。

「正義」の衣の下

2008年11月30日 | Weblog
風が掃き清めた空が澄み渡っている。
だからというわけではないが、
「たかじんのそこまで言って委員会」のスイッチを、バツリと切った。
田母神氏がゲストで「国防」について議論しようという。
顔ぶれを見ても、国防に武力が必要だという人々ばかり。
田母神氏は思いの外ユーモアがあり、自分を戯画化してみせることのできる人であった。
ならばあと一歩…、そんな思いを引きずりつつ、勝谷くんのはりきりモードに嫌気がさした。
彼は民主党の小沢氏に近づいて、与党を引きずり降ろそうとしている。
しかし彼の衣の下には選民主義とでも言おうか、自分が、男が、日本人が一番!と思わないと生きていけない「病」がちらちら見える。
アメリカの台風被害を見て、ぞっとするような言葉で黒人の人たちを表現した。
彼の日記はその後その部分を削除された。
あるいは北朝鮮と韓国の境界線で戦火が!なんて、思いきり勇み足の日記を書いたが、直後これも削除。
見えるでしょ?彼が何ごとかが起きるのを待っている不満分子に過ぎないってことが。
だから、彼の政界裏読み話は時々面白いのではあるけれど、要注意人物と私は警戒している。

ところで、彼らの主張を想像してみた。
正義のためなら暴力、つまり武力を肯定するという立場。
ざっと言えばそういうこと?
またまた雑ぱくな、と言われるだろうけど、直観というのはこういうものだ。
私はこれにノーなのである。
正義がいの一番にくることにノーである。
人はときとして、
自分は正しい、相手は悪い、と思った瞬間、
自らの暴力性を制御できなくなる。
私の夫は、なかなか立派な人である。しかもこの点に関して、身を挺して、私に「正義」の真実を知らしめてくれた人でもある。
「正義」というのは絶対普遍ではありえない。
その時々の自分の感情を正当化する詭弁として使用可能なものなのである。
妻が間違っているから糺さなければ。
そう思った「正義の人」は、的を外して物を投げた。
それは、自らの嫉妬や妄想が介在した暴力であったことを認めるこはできない。
暴力であったと認めることも不可能なようだ。
これは日本が戦争をしたのは「正義」であったと思わないでは生きていけない人々と同じ根っこ。
どうしてだろうな。
私は私の経験に則して、決してこのような正義を信じることができないのである。
どんな正義も、私は必ず唾をつけて舐めて嗅いで、やすやすと信じることはないだろう。
自らの暴力性の正当化に正義を使われてはたまらないのである。
もっとリアリスティックな話なら別だけどね。
正義の御旗で人を欺くなかれ。

鼻で嗤う人

2008年11月28日 | Weblog
母は入院した途端点滴に繋がれてしまった。
病院内はうろうろできるけど…と携帯のメール。
声を聞いていないので、どんな気分なのかは今ひとつ分からない。
でも、逆境に強い母のことだから大丈夫だろう。
明るいガン患者をさっそく実践しているものと思っている。
妹によれば、看護師さんが「お母さんは病気のことご存じなんですか。あんまり明るいから」と言ったそうだから。

さて、わが家は今少しばかり不穏な空気である。
いつものようにテレビ桟敷のにわか評論がきっかけであった。
SMプレイの果てに殺人を犯した女に判決が下りた。
攻撃性というのは走り出すとブレーキが効かないところがあるからね。リンチでもそうだし、DVや幼児虐待でもそうだし。
と、軽い気持ちで意見表明をしたのは私。
すると彼は、ふふんと鼻で嗤う。
そうまさにこの漢字で表したい笑みを浮かべ、
「わかったふうなことを言って」と言い放ったのである。
私のテレビ評論に対してこのような反応は久しくなかったのに、どうした?
ここで私は反応すべきではなかった。
というか、夫との付き合い方「傾向と対策」をうっかり忘れていたらしい。
SMと聞いて私は支配と被支配の関係を思い浮かべたが、夫は性的なことに限定したイメージを描いた。
夫と私の大きな違いの一つに、この性的な言葉へのこだわりがある。
夫は今朝も「ふしだら」という言葉を性的なものと理解した。
「みだら」なら分かるけど、と私は首を傾げる。
私が正しいとか彼が正しいとか言っても始まらない。
夫と私に大きな違いがあることを知るべきなのである。
男女の関係や結婚観に、大きな隔たりがある。
私と彼の12年の違いは大きい。
で、私は彼の「鼻で嗤う」が不愉快なのである。
問題をことさら性的なところに着地させようという傾向である。
今回の厚生次官殺害事件についても、裏に組織がある、との見方を主張した。
そういう見方に慣れないので、私は「ふうん、そういうことも考えに入れなくちゃね」といたって謙虚に対応した。
この手の、旧来の犯罪の型にあてはめて物事を見る警察的発想。
この傾向が私の夫にもとても強い。
女性が被害を受けた事件と聞けば、いやらしい顔で刑事が○○と決めつける。
全く同じ発想である。
どうしてこうなのか、私にはわからん。
だから彼と私の大きな違いだと言うしかない。
それでこの朝は、かつて夫が私に頭から水をかけ、鉄製の椅子やアイロン等々を投げつけて壁に穴を開けた事件に話が及ぶこととなった。
彼の攻撃性のあまりの破壊力に私が生涯はじめての恐怖を味わった話である。
彼はむきになって主張した。
「誰か昔の男にDVを受けたんだろう。俺は手を上げてなどいない。的を外して投げたのだ。それに原因を作ったのはそっちじゃないか」と。
あ~あ、また繰り返し。
彼が言う原因というのは、10時の門限を破ったこと。あれほどの暴力(彼に言わせれば違うらしいが)を受けなければならないような行為だろうか。
夜出かけることは、彼と結婚するまでの私には当たり前だった。
仕事を持った女性ならごく普通だと、当時の私は思っていた。
しかし彼の結婚観は違う。
単に私を拘束したいだけかもしれないが、それ以来、私は彼の希望を了解した。
今では、夜間の外出はもちろん、昼間女性の友人と会うこともめったにない。
男性と会うなどもってのほかである。
しかしこれについて私は自分を被害者と思うのをやめたのであった。

あれあれ、何を書こうとしたのか。
そうそう「傾向と対策」だ。
夫が先日菜園の囲いを作った。
煉瓦で囲むのであるが、まっすぐではない、と何度もやり直していた。
水平秤みたいなのを使って。
「性分だよな。まっすぐでないと気に入らない」と自ら言い、丁寧に修正した。
この几帳面さというか、頑迷さというか、思い込んだら譲れない。
これが夫である。
しかし自らの性分だと言えるようになったのは凄い、と思っていた。
結婚して何が変わったって、ここが変わったのである。
自分を観察する他者の目が育ったのである。
私がどれほどの働きをしているか、わかっていただけるだろうか。
自画自賛はともかく、彼は自分の「傾向と対策」をそれなりに見つけ、自分の感情をコントロールしているのである。
昨日のケンカは、以前より早く収束した。
私が仕掛けたと彼が言うところのケンカであるが、その事件の後彼が一度も物を投げたりの行為に及んでいないこと、自らの感情についても何とか自分を律しようと努力していることについて、私は彼を尊敬していると話した。
彼も私が変わったと認めた。
だって結婚相手が変わったのだ。相手の考えを知った以上は生活習慣も変わらざるを得まい。
それぞれが何とか協調していこうという努力をしているわけだ。
なのに、たまたまケンカになった。
ケンカのあとも、彼は何かのスイッチが入ったままの状態である。
何かが何なのか、私には分からない。
菜園の煉瓦のように、まっすぐにならない何かがあるのでこだわっているのだろう。
相手が煉瓦なら自ら動くことで何とかなるが、相手が人間の場合はどうするんだろう。
煉瓦相手に格闘している姿はほほえましく見ていられるけれど、どうも相手が私らしいとなると、ちょっと気まずい。
ここで私が「被害者」として居座っているとどうなるか。
またまた怖いことが起きるのでは、と負のスパイラルに陥る。
鼻で嗤う、がきっかけのことが多いことに、今気づく。
彼が「鼻で嗤う」とき、私に対して何かをアピールしたいときのようだ。
つまり彼の心のなか、身体のなかが、何やら滞っている。
「運動せえ!」と言いたいくらいだ。

また「鼻で嗤う」の挑発に乗っからないように気をつけよう。

路地裏の

2008年11月25日 | Weblog
久しぶりのブログ。
それも真っ先に内田ブログを開いた。そして読んだ。
懐かしい声を久々に聞いたような幸福感。
それも内田先生、路地裏の駄菓子屋になろうか、なんておっしゃる。
私がかつてこのブログで、路地裏のアクセサリー売りを名乗っていたことを思い出す。
嬉しくて不思議な一致! こんなことで幸せになるのだから、いいねえブログって。
美しき誤解、というのでしょうか?
どこかで地下水脈が繋がっているの、なんて勝手に脳は暴走する。
迷惑かけない暴走なら許していただきましょうね。

ずっとパソコンから遠ざかっていた。
変なメールがたくさん入ってきたことで、汚物を顔面に浴びせられたような不快感となり、その根源はネット社会にあると連想した私が、しばらく遠ざかりたくなったというわけ。
アドレスを変えたら、ピタリと来なくなった。ほっ。

それから、母の病気である。
ガンと分かって明日の入院となるまでの約ひと月、私はやはり非日常にいたのだろう。
私が推奨した「明るいガン患者」を母は見事に実践している。
お仲間に「明るいねえ」と言われ、「見かけに寄らず気が小さい」ことの例えを、私も知らない熊本弁でまくし立てた。
まったく、こんな言葉どこで知ったの?
明るさって、いいよね。
病気なんて吹き飛ばせそう。
私より病人の看護経験がある妹の直観も、わが夫の見立ても、全く悲観的なものではない。
ここでも不思議な一致。
まあ持病が一つ増えたくらいのつもりでいれば、ということだ。
80歳を過ぎたらガンの一つや二つねえ。
日本人の二人に一人がガンに罹ると言う。
赤ん坊や子どもを勘定に入れれば、年寄りの大半はガン経験者ということになる。
ならば最初からそのつもりで行こう。
私の検査結果も問題なし。
ガン=死、と短絡するのは大間違いだ。
どちらかというと、仲良くつき合うしかないもののよう。

久しぶりにブログを書いた。
また、ぼちぼち書きますわね。

20世紀よさらば

2008年11月12日 | Weblog
まったく。今度は喉が痛い。珍しく風邪をひいたらしい。
めったに人混みに出ない私が、病人がいっぱい!の場所に長時間いたんだもの。
おまけに急に寒くなったし、検査の1時間が私にかなりのダメージを与えた。
なんてこった。弱っちいのお。
まあ風邪はたいしたことない。
それよりパソコンのメールを開けたくない事態。
どこから漏れたか、私のフルネームとアドレス宛てに山のようなメールが来る。
馬鹿馬鹿しい男たちのお誘いメールのようだけど、触るのもいや。
他のメールとコマンド・オールして削除し続けている。
もはやアドレスを変えるしか手がないようだ。
それにしても、迷惑な話だ。
息子によれば、ソフトを使って多量にメールを送信して、中の一つでもひっかかったらよし、という手合いらしい。
でもどこで漏れたのか、ちょっと怖い、と息子が言うので、私はマジ怖い。
早くアドレス変えなくちゃね。

話は変わるが、田母神とかいう人が登場したね。
あれはね、元右翼の鈴木なんとかさんという人が先例だけどさ。
物言う場がほしかった人よね。
認めたもらいたい人々。自分はこんなに正しいのに、それを認めない世の中や政府に物申す!ってことで。
日陰の身に長く置かれていた人たちが、そんな鬱憤をためていたのかと驚いた。
橋本治さんの本を今読んでいるが、彼のように、「自分は正しい」でこり固まった人のことを「20世紀型人間」というんだそうな。
ほに、あの中山元大臣の陳腐さに通ずるでしょ。
陳腐なんて言ったら、この人たちは怒るだろうなあ。
何たって「正しい」と思い込んでいるんだから。
20世紀は「正解」がどこかにあった時代だと橋本さんは書く。
やたらとひらがなの多い、難しい単語のない本だ。
ちんたらちんたら書かれているように、一見すると感じるが、どうしてどうして。
よーく納得できる本なのだ。
そう、「わかる」と「知る」と「納得する」の違いのわかる人。
うーーーん、すごい!と拍手しながら読んでいる。
ちなみに20世紀型の人間は、自分を批評する目を持たない。
自分を見る他者が存在しない、というのかな。
これ、がーーーん!でしたよ。
だって、私が夫と出会ってずっと闘い続けてきた一つがこれだったんだもの。
長い闘争の末、彼はちゃんと、いやほとんど?、20世紀型を卒業した。
自分を批評する目を持てるようになったのだ。
ああ、彼が72歳であることを思えば、20世紀型まっしぐらなのは無理もなかったな。
それでも私と出会い結婚し、しぶしぶながら私の話に耳を傾けているうちに…。
うれしい話である。
田母神氏の文章を読んでこの一点だけ納得いかない、とあの三宅先生が言っていた一節がある。
電機製品なんかは誰でも造れる、という前段から入り、支配・被支配の関係は戦争に勝つことによってしかひっくり返らないと結んでいる。
三宅先生、ここにひっかかるところだけは拍手します。
よくぞ、見届けてくれた。
先日の「たかじんのそこまで言って委員会」では、田母神氏の代理みたいな元自衛官が出てきて、例えば阪神大震災のようなときに、政治のトップの指示を待たずにゴーできる自衛隊が望ましい、みたいなことを言って、三宅先生を怒らせていた。
びっくりでしょ。そんなことを堂々と言えるなんて。子どもじゃないんだから。
自衛隊がいかに日陰に置かれていたかを想像してしまった。
日陰というか、引きこもりというか。
俺たちを認めてくれ、たって、それじゃあね。
何10年も昔にタイムスリップした感じ。
俺たちに主導権をよこせ、と言っているのよ。
こんなことが世の中通ると思っている感覚があわれ。
ああ、もう書く気が失せた。
ますます喉が痛くなるのでおしまい。

愛しの腸よ

2008年11月11日 | Weblog
お久しぶりです。たぶんね。
大腸内視鏡検査を受けてきました。
先週、母が同じ検査を受け、その結果あやしげなものが見つかり、わが家系には大腸がんの遺伝傾向が強いという話を聞き、即、行動に移したのでした。
というのも、7、8年前から気になっていたのですね。
こんな長いこと変化が著しくないのだから何でもないだろう、と打ち消しながらも、父に始まり妹、祖母と続いてガン死していることは私の深いところで引っかかり続けていたのですね。
ふと何かのときによぎる不吉な予感…。
母の決意に倣って私も覚悟を決めて病院へ行き、検査を受け、長年の気がかりが解消したのは、祝福すべきことでした。
しかし。
あの大腸内視鏡検査というのは、何てしんどいんでしょう。
1時間近くかかりました。
私の場合、腸が“long and winding road”だったのですね。
おそらく、全身の筋力低下と似たプロセスを辿って、わが愛しの腸もかなりへたっていたのでしょう。
「たわんでいるので」と医師は言いました。
そのたわんだ腸をまっすぐに伸ばして、カメラを前進させるわけですが、当然手探りです。
あちこちぶつかる感じ。
ガスを大量に入れられたのが、大変こたえます。
おまけに、へたっている腸を持ち上げる必要からか、看護婦さんに「お腹を押さえて」とか「脇を持ち上げて」とか、医師からの指示。
お腹を押さえられて、ガスを入れられ、カメラを入れられたら、私はどうすればいいの?
次第に呼吸は浅くなります。
ヨガの鼻呼吸でもしてリラックスしようと試みても、無理無理。
いつしか手がしびれてきました。
「手が、手が、しびれてます」
何度か訴えると、看護婦さんがビニール袋を持参し、「ここに息を吐いて」。
ああ、過呼吸になってるんだ。
ビニール袋のおかげで呼吸は楽になり、手のしびれはひいてきました。
しかし、今度は吐き気。
「吐きたいんですけど」と私。
医師は「ゆっくり呼吸して」と答えるのみ。
「はい。でも…」と言う間もなく、
幸い、ビニール袋がありましたので、そこに吐きました。
「あ、もっと吐きたい」
すると看護婦さんがもう一枚ビニール袋が差しだされ、
そこへ今一度吐いて、「すっきりしました」。
でも、お腹の中ではカメラの先頭が苦労しています。
腸だって、イヤだイヤだと言っています。
ずっと左膝の上に乗せていた右膝も、疲れてきました。
「しんどいです」
最初は何も言わないで我慢していた私も、さすがに弱音を吐きました。
「いたい」「いてて」「お腹が張ります」「張ってます」を連発したからか、医師は「レントゲンの用意」と言いました。
なんだなんだ、今度はレントゲン?
腸のカメラとレントゲンの映像と、二つのテレビが登場。
わっ。何? 検査の紐?がくねりと曲がっているじゃないの。
私の腸はこんなふうに曲がっているわけ?
しかし、レントゲン写真を見ながらというのは助かった。
医師も手探りではなく、ちゃんとぶつからないようにカメラを進めています。
「腸をまっすぐにしましたからね、もう痛くないですよ」
まあね。
大腸の曲がり角の4個所くらい、痛いかもしれませんよ、って説明は何だったの?
ずっと曲がりくねっていた感じがするわよ。
「ここが大腸の行き止まりです」と医師。
「進行状況を見ているほうが安心です」と私が言ったので、テレビをこちらに向けてくれました。
だって、そうでしょう。
今いったんどのくらいまで進んでいるのか、何か異常は見つかったのか、不安でいっぱいなんだから。
「心配なものはないですよ」とようやく医師は言いました。
大腸の中は血管が張り巡らされた洞くつでした。
胃カメラのときは、ピンクのきれいなものでしたが、いささか景色が違います。
「血管が見えているのが健康なんです」と医師。
わりと友好的になってくれました。
「ここから先が小腸です。ほらここが虫垂。これから戻りながら見ていきますよ」
ねえ、最初からこんなふうに言ってくれればね。
まあ、医師も私の腸と格闘するのに大変だったのでしょうけど。
帰り道に、二つほど、小さなぽっちんを見つかった。
2ミリくらいだそうで、「5ミリ以下は大きくならないと言われています」と慎重な解説。もっともです。
今日、ポリープを取ると一泊入院の必要があるとのこと。
それはイヤだ、でもまた同じことをしたくない。
その旨を伝えると、また1年くらいして見ればいい、なんておっしゃる。
医師の前でいい子にしたい一心で「また来ます」を連呼したその時の私。
今の私は、もうぜったい行くもんか、なんだけどね。
帰り道は、腸がまっすぐになっていたのか、レントゲンのおかげか、いやガスを注入しなくなったせいだろう、苦しむことなく終了。
そう、あれを「痛み」と称すのはちと違う。
苦しいのだ。だけど「痛い」と言うしかない。
お腹が張って出口がない状態の苦しさ、でしたね。

それにしても、愛しの腸よ、つい言ってしまいましたよ。
毎日毎日こき使われているのに、こんなにきれいなまま頑張っているのね。ありがとうね。
もちろん独り言です。
医師も看護師も無言でしたけど。
自分の身体に、ご苦労さん、なんて言ったことないから。
ほんと、ご苦労さん。
お医者さまも看護師さんも、お疲れでした。
「大騒ぎしてごめんなさい」とぺこり頭を下げて部屋を出ました。
たいした騒ぎじゃなかったと思うけど、お産のときより大騒ぎだったかも。
ああ、ほんと、疲れました。
私って、文字通り「へたれ」なんだわ、なんて感想もちっとも暗くない、明るい気持ちで口走りました。
だって、あの苦痛から解放されたことの喜びのほうが数倍大きいのですもの。
人間って、こういうふうにして、苦しさを乗り越えていくのかしら。
こんなへたれの娘の話を聞いて、母はむしろ元気でした。
手術の覚悟を決め、悪性の可能性も視野に入れて、前向きの様子。
わあ、母親ってすごい、と感心したのでした。
あまりの自分のへたれっぷりをね、書き残しておこうと思って。

漫然運転事故のもと

2008年11月05日 | Weblog
感情というのは納豆のネバネバのように、簡単にスパッとは切れないもんだ。
というわけで引き続き、
コミュニケーション不全に陥らないための処方箋。
もちろん、まずは自分自身に対して。
日々答えは変遷するが、今朝の答えはこれだ。

漫然運転は事故のもと!

これ以外にない。私の場合ね。
運転に慣れてくると、漫然と運転してしまいがちだ。
そうすると、ほら、事故ったりする。
初心者マークを付けているころ、あるいは初めての土地での運転では、殆どこういうことはない。
程よい緊張感を持ちつつ運転するからね。
※「運転」は、人との関係と置き換えて読んでください。
「慣れ」がいけない。
慣れた道を走ると、ハンドルを切るのも無意識なら、ブレーキ、アクセルも習慣化する。
時々、ひゃっ!とすることがないと、危ないですね。

人間関係もドライブも、ここはやや危険だと思えば、丁寧に対応するのである。
先日、夫の姉からの電話に見事に儀礼的な対応をしたわたくしを見よ!
相手との間の距離を縮めることが、危険に繋がると知っていれば、完璧なドライブができる。
なんてったって、用心深いし、運転が上手ではないことを知っているのだから。

夫婦間、あるいは家族間でのトラブルが多い理由は、この漫然運転が背景にある、と私は思う。
漫然運転の会話というのは、始まりもなければ終わりもない。
相手に何を求めているかとか、結論はこうだとか、まあヘーゲルの弁証法なんてのとは無縁の世界が繰り広げられる。
おしゃべりとはそういうものだけどね。
緊張感もなく、発せられた言葉にただ反射するような会話が続く。
そう、脳を通らずに、ただ筋肉反射するように会話が進む。
すると…。
コミュニケーション不全、つまり行き違いが生じるのである。
これがいわば「事故」。正面衝突、あるいは一人相撲の物損とか。
大けがや命にかかわるものでなければいいようなものだけれど、
できれば、事故は避けたい。

運転、すなわち、人間関係で不調を感じたら、もしや漫然運転ではなかったか、と自らチェックしてみましょう。
そうすると、以後、事故で怪我をすることも減ると思う、よ。
相手を見て、つまり道路事情や車の状態を確認した上で、ドライブしましょうということ。
相手も見ず、走り慣れた道だとばかりに、鼻歌まじりで運転していると、ほら!

ほんと、相手を知るって大事ね。
それはつまり自分を知ることだから。

ドライバーの皆さん、お互いに気をつけましょうね。

おっと、運転に過剰に緊張する人には、私の処方箋は不適ですからね。念のため。

内田先生のブログに、人を見る目=直観について書かれていたのでちょっと追記。

「こういう状況でこういうことを言っていた人間」が「それとは違う状況」に置かれた場合にどのようにふるまうかについての先行事例の膨大な情報の蓄積がこちらにあれば、数年後のその人の表情や口ぶりくらいは簡単に想像できる。私たちは根拠にもとづいて「推理」しているのである。
ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。フッサールは「先験的直観」と呼んだ。
ホームズは、ワトソン君に促されてこう言う。
「ちょっと『ひっかかったこと』とがあってね」
その「ひっかかり」を手がかりにホームズは真相を明かす、動かぬ証拠にたどりつく。
ホームズが「ひっかかる」のは、そこに「あるべきものがない」か「あるはずのないものがある」からである。はじめて立ち寄った現場で、ホームズは「あるべきもの」と「あるはずのないもの」の膨大なリストを瞬間的に走査する。

今、現在の私にまるで援護射撃をしてくれるような文である。
感激! いえ、そう言いたいだけデス。
とはいえ、私にこの種の、いわば原始的な直観があることを、もっと認めてやろう。
なんてことを思った。内田先生の応援を得てね。
私の推理にしても直観にしても、どこか世間から嘲笑されているような感じを持っていた。
でもね、本当は、そういう「感じ」が当たることが多いの、私。
この人、私の前とそうでないところでは、全く違うことを言ってる、って。
それは時系列的に集めた情報を整理すると、ちゃんと出てくるのだ。
ただそれをもって、あなたとつき合いたくないというのは、大人げない。
この「大人げない」部分に、いつも反省するのである。
ここ数日の、コミュニケーション不全などと、自虐的な文を書き連ねたのは、ぶっちゃけて言えば、そのような直観と推理に自信が持てなかったためである。
しかし私が漫然運転事故のもと!と解決策をみつけたら、ねえ、内田先生の応援が待っていた。
こんなうれしい流れはめったにない。
真摯に考えて、一人でね、目途が立つというのは、いいことだわ、ほんと。